閑話三十三 もう少し、生きてみてもいいかと思いました
「彼等は危険だ!」
男が少し高めの声を張り上げる。
「彼等が関わった事で、あのアルテナ帝国が凋落した! 『剣聖』マルセロすら討伐してみせた! しかしその被害は看過出来ない! 我が国の者も死傷しているのだ!」
ゆったりとした白のローブと頭部に巻いた白い布が、見る者に男と砂漠の民との縁を思わせる。テーブルのプレートには、フェンタキア王国代表と記されていた。
「彼等を野放しにすれば、善良な人々の生活を脅かしかねない! あの力が世界の脅威となる前に
拳を振っての熱弁が終わると、会議室にまばらな拍手が起きた。
「議長、発言の許可を求めます」
すかさず妙齢の女性が挙手をする。
「ただいま被害についてのお話がありましたが、それはそもそも、我々が先に解決出来ていたならば発生しなかったものではありませんか?」
男は顔を顰めた。
「そして我々が解決に乗り出していた場合、払う犠牲は彼等のものとは比較にならない程、甚大なものとなっていたでしょう。複数の学者の試算が一致してそう示しています」
「その通り」
野太い声で賛同したのは、会議の参加者で唯一のドワーフだ。
「彼等の行動には確かな理がある。アルテナ帝国にも『剣聖』マルセロにもそれは無かった。【菫の庭園】に感謝こそすれ、怯える必要がどこにある?」
ドワーフ王はフェンタキア代表と、彼の演説に拍手をした者達を
「二枚舌の後ろ盾を失った者。女一人
『なっ!?』
揶揄された代表者達が色めき立つ。
「ピックス王、その暴言は我が国に対するものか?」
「何たる侮辱! 謝罪を要求する!」
騒然とする会場の収拾をつけようと、議長がガベルをガンガンと打つ。
「静粛に、静粛にっ!! ピックス王は許可を得てから発言願います! それと挑発は控えて下さい――」
「ライーガ陛下」
「おう、姫公爵」
会議室を出た所で、呼びかけられたドワーフ王が立ち止まる。
『姫公爵』とは、シュムレイ公国元首であるマリスアリアの二つ名だ。しかし彼女をそう呼ぶ者は殆どいない。
「もう姫と呼ばれる歳でも無いのですけれど」
「何の、儂から見ればいつまでも可愛らしい姫よ」
「陛下には敵いません」
苦笑しつつマリスアリアが追いつくと、二人は肩を並べて歩き出す。
従者達とは少し離れていて、声を潜めれば話を聞かれる事は無い。
「フェンタキアも必死ですね、あのような動議を出してくるとは」
「【菫の庭園】にマルセロ共々犯罪組織を潰されて、
今回の都市国家連合定例会は、事前では無風と見られていた。当然否決されたものの、最後にフェンタキア代表が落とした火種は想定外のものであった。
「何があっても、私は彼等への支持を崩しはしません。ですが、私に残された時間は、そう多くは……」
マリスアリアの表情が曇る。『刃壊者』倒れる、その一報で不穏な動きが散見されるようになった。自分自身もいつまで公爵として権勢を振るい、力になれるかわからないのだ。
しかしライーガは、それを笑い飛ばした。
「心配は要らん。大賢者も去ったが、残された娘達とて一筋縄ではいくまい。それに儂の目の黒いうちは、手出しなどさせぬ」
グッと声を抑える。
「――お主も何かあれば、必ず我が国で匿うでな」
「有難うございます」
女公爵は感謝を述べた。油断はしていないが、Sランクの冒険者パーティー【屠龍の炎刃】とそのクランが後ろ盾についている現状、マリスアリアの身の危険は少ないと言える。その上でライーガの申し出は願ってもない話であった。
「姫公爵はこの後どうする?」
ライーガの問いかけに、マリスアリアは笑みを浮かべた。
「国へ戻ります――大切なお客様をお迎えしますので」
◆◆◆◆◆
一人の賢者が、大公城の謁見の間で
「面を上げよ、『大賢者』スミス」
壇上の声に従い、スミスが頭を上げる。
「長きに渡る旅を終え、よくぞ戻られた。家族の下でゆるりと疲れを癒すがよい」
「はい、有難きお言葉に感謝致します」
非公式な面会の為、大公夫妻と前大公以外は限られた重臣と護衛しかいない。この謁見はスミスが望んだものであった。
「して賢者殿、此度の登城の用向きとは?」
「
「注進、とな」
怪訝そうな表情で、大公マーガットが続きを促す。スミスは頷き、口を開いた。
「サン・ジハール王国の混乱に乗じて策を巡らすのは誠に結構な事です。周辺国の中でかの国が最大の不安材料ですから。西の辺境伯と結ぶのも
大公が顔色を変え、重臣達がざわめく。まだ国の上層部だけで共有される秘中の秘を言い当てられたのだから当然である。
「辺境伯は国民に人気のある王女を担ぎ上げ、旗頭とする意向をお持ちです。しかし事が成れば彼女を傀儡の女王とし、自らが実権を握るでしょう。彼女は人質としても有用ですし、粗末に扱われるとは思えませんが」
スミスは壇上で真っ青になっている大公妃を見据えた。ワイマール大公妃セーラはサン・ジハール王国第一王女で、ネーナ・ヘーネスことアン・ジハールの実姉に当たる。
前大公夫妻と大公妃の表情を見るに、大公は家族にも秘していたのだろうとスミスは察した。溺愛する
「喉元過ぎれば熱さを忘れる、と申します。大公閣下には、頭上に打ち込まれた刃も過去の事のようです――『刃壊者』はいずれ目覚めますよ」
大公主催のパーティーでの一件は、まだ大公国の人々の記憶に新しい。次は間違いなく首を取られるぞと、スミスはマーガットに脅しをかけた。
「ネーナ・ヘーネスは私の最後の弟子です。彼女の身に何か起これば、我が一門を挙げて挑む事も辞さないと申し上げておきます――相手が誰であろうとも」
時の『大賢者』による脅迫に、辺りが静まり返る。彼が放言するような男ではないと、大公国の人々は知っているのだ。
――さて、私の手助けはこれくらいでいいでしょう。
大公には釘を刺した。生真面目な少女の姿を思い浮かべながら、スミスは飄々と謁見の間を退出するのだった。
◆◆◆◆◆
疲れ果てた重い身体を引きずって、どうにか自室に辿り着く。
おもちゃのような安っぽい鍵をかけ、自分で設置した
ターニャがこのオクロー砦に赴任して与えられた、独房のような狭い部屋。今では、気を緩められるのはここにいる時だけだ。
初日には、突然見知らぬ男が鍵を開けて入って来た。股間を蹴り上げて叩き出し、眠れぬ夜を過ごした。閂を設置しても、暫くは夜這いをかけに来る男が後を絶たなかった。
女性の部屋の鍵が金品で取り引きされていると知り、身体が震えた。砦に配属された他の女性達も同じような状況だと聞いた。ある者は気を病んで辞め、ある者は諦めて流れに身を任せたという。
トリンシック公国北方に位置するオクロー砦は、魔王軍との戦いでベネット要塞陥落の後に騎士団領が放棄されて以降、防衛の最前線であった。
勇者トウヤが魔王を封じて以降は襲撃も滅多に無く、他の任地で問題を起こした騎士や兵士が厄介払いで送り込まれる処分場のようになっていた。
ターニャは主の失態を肩代わりさせられて、この砦に来た。彼女は代々主家に仕えてきた家柄で、両親も主家も当たり前のように主の罪をターニャに背負わせた。
幼い頃から主の役に立つよう言い聞かせられ、あらゆる訓練を施された。将来は妻として主を支えるのだと言われて、相応しい振る舞いを叩き込まれた。
結局、主はターニャには見向きもせず、遊びや他の女性にのめり込んで自分の仕事を疎かにした。そのツケは、全てターニャに擦り付けた。
自分は今まで、何をしてきたんだろう。硬いベッドの上で彼女は自問自答する。自分の努力が、存在が否定されたように思えた。
このまま眠ってしまいたいと思うが、今夜はそうする訳には行かなかった。
この砦に配属され三ヶ月、多くの男に言い寄られた。無理矢理事に及ぼうとした者もいる。砦将の誘いを断ってからは嫌がらせのように激務を押しつけられた。訴え出る場所も無い。
今夜はこの後、砦将の部屋へ来るように言いつけられている。それが何を意味するのか、勿論わかっているが、もうターニャには断る理由が無かった。
貴族の妻になるのだと、主の血筋を継ぐ子をなすのだと、固く守って来た純潔にも意味は無くなっていた。
ターニャはぼんやりと考える。他の女性達と同じように諦めるか、苦しんで心を病むか、それとも、いっその事――
コンコンコン。
ビクッとターニャが肩を震わせる。誰か懲りずに夜這いに来たか、砦将の催促か。
もう一度音がした。しかしそれは、扉からではなかった。
疲れた身体に鞭打ち、用心深く窓に近づく。ターニャの部屋は三階で、外に登れるような足場は無い。
だが、そこには人がいた。見れば一本のロープにぶら下がっている。
「こんばんは。この体勢疲れるから、中に入れてくれない?」
女性の声。本来は不審者として対処しなければならないが、ターニャは思わず室内に招き入れてしまった。
「いやあ、この砦酷いわね。警備がザル過ぎる」
「……盗むようなものもありませんから」
ストレートな物言いに苦笑しつつ応える。相手は頭部を覆っていた黒い布を取った。ショートカットの赤い髪が零れ出る。
「アタシはミア。貴女はターニャさん?」
「……私にご用ですか」
ミアと名乗る侵入者が自分の名を知っていた事に内心で驚きつつ、平静を装う。砦の外から来た者に狙われる理由など、ターニャに心当たりは無かった。主家筋ならこんな回りくどいやり方はしない。
事と次第によっては、ミアを取り押さえるなり応援を呼ばなければならない。
けれどもミアは、ターニャが想像もしなかった言葉を告げた。
「時間も無さそうだしストレートに言うけど、貴女をスカウトに来たの。ある人に頼まれてね。ある人達、かな?」
「ど、どうして私を?」
ターニャの疑問に対する返答は明確であった。
「貴女の働きぶりと人となりを見たんだって」
「私を、見て……私が知っている方々ですか?」
「それは伏せさせて。良い雇い主だと思うよ? たまに人使いが荒いかもしれないけど。いや、無茶はさせないかな。会ってみる価値、アタシはあると思う」
黙り込んだターニャが悩んでいると感じたのか、ミアは決断を迫る。
「貴女の状況を知って私達も無茶してるから、悪いけどあまり長居出来ないの。一緒に来るかどうか、今決めてくれる?」
「――行きます」
思いがけずの即決に、ミアは笑みを浮かべた。
「成程、あの娘達が評価する訳ね」
ミアが窓の外に手を振れば、小さな灯りが揺れた。テーブルを壁に立てかけてロープを結びつけ、端を外に垂らす。
「アタシと同じようにして、ついて来て」
一人残されたターニャが部屋を見回す。持ち出したのはダガーナイフと金子の袋だけ。騎士の証である紋章の入った鎧も
瞬間、ターニャは翼を得たような気がした。
下に降りればミアともう一人、黒ずくめの服を着込んだ男が待っていた。
「一応聞くけど。今ならまだ戻れるよ」
「戻りません」
ターニャは短い言葉で、強い意思をミアに示した。
「違う生き方を知らなかったから、今夜死のうかとも考えていました。けれども私を見つけて、求めてくれた方がいました。ならばもう少し、生きてみてもいいかと思いました」
「うん、それでいいんじゃないかな。今回に関しては、後悔しないと思うよ。アタシが保証する」
ミアが微笑む。
脱走者に気づいてオクロー砦が騒然となるのは、三人が消えてから一刻ほども経ってからであった。
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