第二百六十三話 そろそろ復活してくれないと困るんだけどね

「準備はいい?」

「そっちのタイミングで始めていいよ、イリーナ」


 屋敷の裏庭でイリーナとレナが向かい合う。


 スリングショットの練習でばら撒かれた小石は、前日の内に全て取り除かれている。やっておいて良かったと、ネーナは内心で胸を撫で下ろした。


「ルールは?」

「ありありでいいっしょ」

「わかった」


 寸止めも何も無く、致死性の攻撃だけは避けるというのが暗黙の了解。言うまでもなく、それは相手の安全を保証するものではない。


 ネーナは腰に提げたポーチの中身を確認する。気つけ薬とポーションの常備薬に加え、新作の特製消毒薬が入っている。これだけあればどうにでもなると、ポーチを閉じた。

 

「――お兄様、レナさんとイリーナさんの稽古が始まりますよ。いえ、これは『立合』でしょうか」


 眠るオルトに声をかけると、メイドのマリアとルチアが緊張した様子を見せた。


 室内には二人とネーナの他にフェスタがいて、窓から外を眺めている。残りのメイドやクロス、エイミーとガウェインは窓の下。一箇所に固まっているのは、万が一の事態が起きてもネーナかエイミーが守れるからだ。


「イリーナさん、強そう……」

「強いですよ、お兄様が期待している方ですし」


 ルチアの呟きにネーナが応えた。


 イリーナの身長は成人女性の平均を下回り、女性らしいしなやかなラインの体型からは並外れた筋力を想像出来ない。それなりの格好をすれば、ただの町娘として景色に溶け込めるだろう。


 だが、その背に負った身の丈程もある大剣グレートソードを構えた瞬間、彼女は『特別な存在スペシャル』に変わる。イリーナが軽々と振り回す鋼の塊は、そこらの力自慢程度では持ち上げるのにも難儀する程の重量を秘めている。破壊力は言うに及ばない。


 イリーナとレナの立合が決まると、ネーナは屋敷にいる全員を集めた。ブルーノは【四葉の幸福クアドリフォリオ】で出払っているし、ジェシカはギルド支部で業務中。しかしイリーナの強さを知る二人は、今はいなくてもいい。


 メイド達はイリーナの実力を知らない。しかしマリア、ルチア、セシリアは彼女達の夫であるブルーノが、屋敷でレナと稽古をして捻られる姿を見ている。プリシラとリリコは、レナが鬼神の如く戦う姿を知っている。


 メイド達はこの対戦により、レナを指標にしてイリーナの力を理解するのだ。屋敷の警備に不安を感じているメイド達に対する、新たな警備担当者のプレゼン、或いはデモンストレーションであった。


「でも、イリーナのお披露目だけが目的じゃないでしょう?」


 ネーナの思惑を察して、フェスタが愉しげに聞く。


「さあ、どうでしょう?」


 ネーナは惚けてみせた。




「じゃ、行くよ」


 ブン、とイリーナが大剣を一閃し、重厚な足取りで前に出る。レナはリラックスした体勢で、拳を上げて待ち構える。


 ネーナは視線を外へ向けたまま、オルトに尋ねた。


「――お兄様は、どちらが勝つと思いますか?」


 レナはAランク、イリーナはBランクだが、実力はそれぞれの冒険者ランクに留まらない。評価が追いつくのはこれからで、それも時間の問題と言える。

 

 勇者パーティーの聖女という経歴を知る者は、レナを単なる後衛だと誤解しがちだ。しかし【菫の庭園】加入後の彼女は、Sランクパーティーの戦士を近接戦闘で圧倒してみせた。


 対するイリーナも、旧アルテナ帝国騎士団副長の『天才ジーニアス』フリオ・ギュスターヴを撃破している。大陸西方サンセットにおいて、オルトに並び五剣に数えられる剣士を倒した実績はレナにも劣らない。


 力量差で言うならば、レナとイリーナの間に存在するそれは、勝敗に紛れを生じさせるような小さいものではない。実力で上回るレナはスピードでもイリーナを上回っており、戦闘スタイルの噛み合わせとしても有利だ。


 しかし二人を良く知るネーナは、今回の一戦に限れば面白い結果になると考えていた。


「シッ!」


 スピードに勝るレナが、挨拶代わりに先制の蹴りを放つ。

 

 イリーナはその初撃を予測していたかのように、大剣の腹を盾のように使ってブロックした。


「……へえ」


 岩を蹴ったような硬い感触に、レナが目を細める。蹴りを阻んだ大剣は、まるで山を押しているかのように微動だにしない。力比べでは分が悪いと、警戒度を上方修正する。


 レナが大剣を蹴って距離を取れば、イリーナは前進してそれを詰める。間断なく繰り出されるコンパクトな斬撃が、攻防一体の壁となってレナを追い詰める。


「ふわあ……」


 ネーナは感嘆の声を漏らした。


 オルトのアドバイスを受け、イリーナは自らの強みに磨きをかけていた。重い大剣を振り回して息切れする様子が見えないのは、取り組み続けているスイング改良とスタミナ強化の成果だ。


 対するレナはイリーナの間合いに素早く出入りして隙を窺うが、懐に飛び込めずにいる。突破口を開く為の牽制も、高い集中力を維持するイリーナが冷静に対処してほころびを見せない。


 どちらも有効な攻撃に至っていないものの、戦況は少しずつ一方に傾いていた。


「――焦って仕掛けるのは、体調に不安のあるレナさんでしょうね」


 ネーナはレナが部屋に入って来た時点で、本調子でない事を見抜いていた。今も額に大粒の汗を浮かべており、イリーナの攻撃を退きながら捌いている。


 自信と実力をつけて充実しているイリーナが相手でも、本来ならばレナは立ち止まって受けられる筈。戦っている両者も、その事は良く理解している。


 消耗が進む前に決着をつけたいのはレナの方だ。ネーナの予想通りに、レナが勝負に出る。

 

 何度もフェイントをかけ、スピードの差を生かしてイリーナを振り回す。少し大振りになった斬撃が駆け抜けた瞬間、レナは拳を固く握って踏み込んだ。


 ネーナは思わず口許を押さえた。


「あっ」


 レナの頭の中には、脇腹への強烈なフックを初手とした勝利への道筋が弾き出されていた。後はそれをトレースするだけ。迷いは無い。


「これならどう――っ!?」

 

 だが次の瞬間、レナは驚愕で目を見開いた。逆をついて振り切った筈のイリーナが、しっかりとレナを捕捉して迎撃の構えを取っていたからだ。


「くうっ、まだまだっ!」


 レナは予想外の事態にも対応し、咄嗟の機転で詰めの手順を大きく変更した。


 強引に身体をひねり、イリーナの頭部目掛けて右の回し蹴りを放つ。本命はそれがブロックされる事を見越し、反動を利してカウンターで叩き込む右の裏拳だ。


 ネーナが呟く。


「――レナさん、かかりましたね」


 蹴りを受ける瞬間、イリーナは剣を引いた。何故か酷く不満そうな表情で。


「なんっ!?」


 体重をかけたレナの蹴り足が、目標を失くしてそのまま流れていく。これではブロックを足場に反転出来ない。完全にバランスを崩して軸足も浮いている。裏拳になる筈だった右手は、力無く泳ぐのみ。


 先刻のイリーナの大振りが誘ったものだと気づき、レナは悔しげに舌を打った。


 イリーナが低い姿勢で、無防備に背中を晒すレナの死角に潜り込む。同時に大剣をさか持ちに返して、右手で刃を支えた。


 レナの鳩尾みぞおちに、大剣の太い柄が迫る。


 直後の決着を想定し、メディカルチェックの為にネーナが立ち上がりかける。


「勝負ありです」

「――いいえ、まだよ」


 フェスタは微笑んだ。


「オルトはイリーナに目をかけてるけど、レナの事も天才だって言ってるのよ?」


 直後、レナの顔がグッとイリーナに近づく。


 見ればイリーナの服の襟を、躱された筈のレナの右手が掴んで引き寄せていた。


「九分九厘の敗勢から小指一本何とか引っ掛けて、相打ちの目を生み出す。あれは教えて出来るものじゃないわね」

「はい」


 ネーナは素直に同意する。レナの目には闘志が戻っており、この立合の裏テーマもクリアしていた。十分な成果である。


 或いは逆転まであったかもしれない――相手が今のイリーナでなければ、だが。




『ひゃあっ!?』


 ドゴンと鈍い音が響き、メイド達が悲鳴を上げる。


 頭突きを仕掛けたレナの首が後方に弾けた。イリーナはレナの起死回生の一撃をも、自らの額で迎え撃っていた。


 明らかに意識が飛んだレナの腹に、大剣の柄がめり込む。仰け反ったレナの身体が、今度はくの字に折れる。


「ちょっとそれはオーバーキルでは――」


 ネーナが窓枠に手をかけた。少しはしたないと思いつつもスカートをたくし上げ、右足を上げる。


 イリーナはレナの頭を抱え込むようにして抱き止めた。


「お゛ッ――」

「えっちょっ、マジなのレナ!?」

「エイミー、緊急事態発生です!」

「ておくれじゃないかなあ」


 あちこちから声が飛び交い、状況を理解したメイド達は顔をひきつらせる。




「――オロロロロロ」




 レナは盛大に、胃の中に残ったものをイリーナの胸にぶちまけたのだった。




 ◆◆◆◆◆




「いやぁ酷い目に遭った」

「それは私の台詞だよ……」


 風呂上がりで少し赤らんだ顔のレナとイリーナが、ハーブティーのカップを手にボヤいている。


「お庭かたづけてきたよ〜」

『ガウッ』


 エイミーと精霊熊がパタパタとリビングに入って来た。二人は精霊術で裏庭に水を撒き、穴を掘って吐瀉物を全て埋めてきたのである。


 ネーナはピンセットで脱脂綿をつまみ、瓶の赤黒い液体に浸してレナの額につけた。


「いたッ、何この毒々しい薬?」

「マッカチンです。消毒薬ですよ」


 薬が沁みて、レナが顔を顰める。隣のイリーナは先に処置を終え、額に絆創膏ばんそうこうが貼られていた。

 

「レナさんはともかく、イリーナさんもあまり嬉しくなさそうですね。大金星ですよ?」

「それはそうなんだけどさ……」

 

 イリーナの返事は歯切れが悪く、ネーナが首を傾げる。

 

「レナさんにけがされてしまったからですか?」

「言い方!」

 

 ああもう! とイリーナがハーブティーを飲み干す。

 

「全然嬉しくないよ。レナは不摂生でコンディション最悪だし、今回もオルトのお膳立てがきっちり出来上がってたし」

「何かごめん」

 

 不調を指摘され、手当の済んだレナが素直に謝る。


 イリーナは今回レナと対戦する前に、旧アルテナ帝国で『天才ジーニアス』の二つ名を呼ばれるフリオ・ギュスターヴを撃破している。


 しかしギュスターヴはオルトに聖剣を叩き壊され、トラウマを植えつけられた後であった。力押しに腰が引けてしまう相手を倒しても、イリーナが喜べる訳が無い。


 今回もそうだ。大振りして隙を作りレナを誘い込めば、稽古でオルトが何度も見せた動きの焼き回し。しかも今回のレナは動きが鈍く、対応が容易であった。

 

「それで何やってもついて来れたんだ。……いや、でも、ちょっと待ってよ」

 

 何か気づいたのか、レナが微妙な表情になる。

 

「もしかしてあいつオルト、あたしが凹むのがわかってたって事? イリーナをけしかけるつもりだったって事?」

 

 それを聞いたイリーナも、同じような顔をした。

 

 実際の所はわからないが、あり得る話だとネーナは思った。ゲームで対戦していても、オルトはいつもネーナよりずっと先の手を見通していたからだ。

 

「それだとまるで、あたしがオルト大好きみたいなんだけど」

『えっ!?』

「えっ?」

 

 レナの発言にネーナ達が驚き、そのリアクションにさらにレナが驚きの声を上げた。

 

「レナさん、お兄様大好きじゃないですか」

「うんうん」

「好き過ぎて、わざと叱られるような事してたわよね」

「何とかして構ってもらおうとしてたでしょ」

「…………」

 

 ネーナ、エイミー、フェスタ、イリーナが立て続けに突っ込み、クロスやメイド達も揃って頷く。

 

 レナは赤面し、テーブルに突っ伏した。


「そ、そりゃあ嫌じゃないけど……」

「とはいえ、そろそろ復活してくれないと困るんだけどね」

 

 フェスタが言うと、レナは真顔になってピシャッと自分の頬を叩いた。

 

「うん、ごめん。迷惑かけた」

 

 仲間達が安堵し、ホッと息を吐く。

 

「調子戻すから、三日だけくれる?」

 

 そう言ってレナが見つめれば、イリーナは不敵に笑った。

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