第二百六十二話 屋敷の警備、私達がやるから

「む〜っ」


 ネーナが真剣な表情でスリングショットを構え、的を見据えた。


 その額では、バッテンの形に貼られた大きな絆創膏ばんそうこうが存在を主張している。


「それっ!」


 掛け声と共に、引き絞ったバンドから右手を放す。打ち出された小石はヘロヘロと飛び、的を大きく外れて地面に落ちた。


「どんまいネーナ、ちゃんと前に飛んでるよ〜」

『ガウ〜』


 エイミーがだらんと地面に伏せた精霊熊にもたれて、ぞんざいに慰める。


 ネーナは力無く肩を落とした。


「うう……まるで成長していません」


 スリングショットはオルトが作ってくれたものだ。長旅から帰って暇を見つけては練習しているものの、中々上達しない。額の絆創膏は小石を真後ろに弾くという、ある意味神業の産物であった。


 元々ネーナは、何事も始めから卒なくこなせるタイプではない。むしろ根気強く繰り返して習得するのが常で、本人もその自覚はある。


「む〜っ、頑張ります」


 気を取り直し、バスケットに入った小石を掴もうと傍らのテーブルに手を伸ばす。


 その時、背後から声がかかった。


「――ネーナさん、今日の練習はそれくらいにしましょう」

「はうっ!?」


 恐る恐る振り返れば、ホウキの柄を槍のように地面に突いたマリアが仁王立ちしていた。


 笑顔で放つ圧に押され、ネーナとエイミーは真っ青になる。ガウェインは前足で両目を覆った。


「熱心なのは結構ですが、暗くなってはお掃除出来ませんからね」


 気づけば屋敷の裏庭は、ネーナが飛ばした小石で大惨事になっていた。


 裏庭は人の出入りが多く、小石が残っていれば誰かが踏んでしまうかもしれない。明るい内に取り除かねばと、ネーナ達は慌てて小石を拾い始めた。




 掃除を終えた二人は、来客を伝えられて応接室に向かった。そこにいた男女の姿に、ネーナは笑顔を見せる。


「クロスさん、イリーナさん、お帰りなさい!」

「ただいまっ」


 イリーナが右手を上げて応える。


「北セレスタに戻る前に寄って行こうと思って。ギルド支部でフェスタに会ったから一緒に来たの」

「そうでしたか」


 二人は旧アルテナ帝国から独立を勝ち取ったドワーフの自治区で、ギルド長の護衛についていた。


 カリタスやアルテナ帝国の騒動が一段落すると、各地から応援に来ていた冒険者やギルド職員は段階的に引き揚げていった。しかしイリーナとクロス、そして二人が臨時パーティーを組んだ【明けの一番鶏】のメンバーは、ギルド長のヒンギスが本部に帰還するまで護衛任務を続行した。


 一介の冒険者としては最大級の信頼を得、また実力を評価されたと言える。


「大活躍だったと聞きましたよ、イリーナさん。ドワーフの皆さんに一目置かれて引き留められたって」

「あー、それね。あはは……」


 乾いた笑いが返ってきて、ネーナはその情景を思い浮かべた。


 ドワーフ族は頑固で気難しいとされるが、義に厚く一度友誼を結べばそれを違える事は無い。腕っぷしが強く心根の真っ直ぐなイリーナは、彼等の気質にピタリとハマッたのだ。


「ガルフ達は暫く向こうにいるって。アラベラやレベッカや、ギルド長もお見舞いに来たがってたけど、大勢で来ても落ち着かないものね」

「お気遣い有難うございます」


 イリーナが預かり、代表して持って来たのであろうお土産や手紙が、テーブルに山と積まれている。


「お兄様にはお会いになられましたか?」


 ネーナの問いに、イリーナが僅かに表情を硬くした。隣のクロスも、無言で目を伏せる。


「……うん。少し痩せたね」


 イリーナにとってオルトは恩人であり友人でも師でもあり、身近にいながら超えられない目標でもある。そのオルトが眠り続ける様を目の当たりにした彼女の心中は、察するに余りあった。


 ポリポリと向日葵の種をかじっていたエイミーが手を止める。


「だいじょうぶ。お兄さんはお休みしてるだけだよ」

「はい」


 ネーナは笑みを浮かべて頷く。イリーナは目を丸くした。


「こう言っちゃ何だけど……二人はもっと落ち込んでると思ってたよ」


『剣聖』マルセロとの死闘から三ヶ月。恋人であるフェスタは勿論、妹として過ごしてきたネーナとエイミーにとって、オルトがどれだけ大きな存在かは述べるまでもない。


 何なら妹達は泣き暮らしていてもおかしくはないと、イリーナは思っていた。


「まあ、そういう気持ちは無いでも無いのですが」


 ネーナが言うと、エイミーとフェスタは苦笑する。


「タイミングを逃したと言いますか、出遅れたと言いますか……」

「成程」


 ネーナ達は冷静にならざるを得なかったのだと、イリーナは納得した。原因は言うまでもなく、今この場にいない者だ。


「レナは戻ってないの?」

「そろそろだと思います」

「ふぅん」


 ネーナの困り顔から、これは存外に重症らしいとイリーナは思った。


「仕方ありません。レナさんもお兄様の事が大好きですから」


 オルトが倒れた時、レナは真っ先に取り縋って号泣した。その取り乱しようは、ネーナ達が出かかった涙を引っ込めて事後処理を始める程であった。


 屋敷に戻るまで片時もオルトの傍を離れず、屋敷に戻ってからは何かと理由をつけて寄りつかない。仲間達はレナの心情を汲んで好きにさせている。


 レナはオルトが倒れた事に、強く責任を感じていた。激しく消耗してしまい、マルセロとの戦いの勝負所で戦力になれなかったと自分を責めていた。自分を庇わせてオルトに負担をかけてしまったと悔やんでいた。


 フェスタが溜息をつく。


「そんな訳無いんだけど、聞いてくれないのよね」


 エイミーは遠くを見るような目をした。


「……レナお姉さん、トウヤが死んだ時も同じおかおしてたよ」


 そう言われてネーナが思い起こせば、勇者パーティーのメンバーと初めて会った時にレナの姿は無かった。


 勇者パーティーの決戦の地は、北の大山脈を越えた先にある『魔都』パンデモニウムだ。そこから首尾を報告する為にネーナの祖国サン・ジハールを目指せば、大陸西方を縦走する形になる。


 レナが最後までパーティーと行動を共にしなかったのは、ストラ聖教の聖女だったレナが宗教的に対立する王国教会の勢力圏へ立ち入らなかったのだと、ネーナは考えていた。


 けれども今、エイミーの話を聞けば、もっとシンプルな理由なのではないかと感じられた。


「……居た堪れなかったんじゃないかな」


 ポツリと呟いたイリーナの思いは、ネーナのそれと同じものであった。


 豪快さを装う仮面は、とても繊細なレナの素顔を隠してその心を守る為のものだ。以前の聖女然とした振る舞いもそうなのだと、【菫の庭園】の仲間達は知っている。


 稀有な回復能力は、味方の継戦能力を飛躍的に向上させる。それは誰にも真似出来ず、だからこそ本人の希望に関係なくヒーラーである事を求められる。


 レナはずっと、味方が傷つく姿を誰よりも見続けてきた。そしてその心は、誰よりも傷ついていたのだ。


「……でもまあ。これは来た甲斐があったかな」


 イリーナが言いながら、ネーナを見る。


「フェスタに聞いたんだけど。屋敷の警備、私達がやるから」

「ふえっ?」


 確定事項の如き唐突な宣言。聞き間違えたかと、ネーナは首を傾げた。


「だから、私とクロスが泊まり込んで、この屋敷の警備するから。募集かけてもすぐには見つからないでしょ。それとも私がやると何か問題があるの?」


 リアクションが予想外だったのか、イリーナが不安そうな顔をする。ネーナは慌ててパタパタと両手を振って否定した。


「そうではなくて! イリーナさんとクロスさんに来て頂けたら嬉しいですけれど! お部屋は余ってますし、声が聞こえないように角部屋に出来ますし、イエスノー枕もありますしメイドさんは口が固いですし」

「後半は生々しいから、あんまり大きな声で言わないでくれる?」


 赤面したイリーナが、わざとらしく咳をする。俯くクロスの耳も赤い。


「急に思いついた訳じゃないから。多分ネーナ達が思ってる以上に、【菫の庭園】は注目を集めてる。形の上では冒険者ギルドとアルテナ帝国が戦り合った事になってるけど、【菫の庭園】が帝国の主戦力を叩き潰したんだって皆わかってる」


 その上【菫の庭園】は、誰もがその動向に戦々恐々としていた『剣聖』マルセロの討伐にも成功した。ネーナ達が関わった幾つかの国は衰退し、或いは指導者や政治体制の変更を余儀なくされている。


「身の丈に合わない野心を持つ無能な連中ほど、ネーナ達を脅威に感じてるんだよ。そうそうちょっかい出してくる馬鹿はいないと思いたいけど、用心は必要でしょ」

「はい」


 ネーナは素直に頷いた。


「私もクロスもパーティーは開店休業だし、その辺はメラニアやジャックと話をしなきゃいけない。ただ私達のクランを設立したら、あの二人は運営にかかり切りになるから。私とクロスが一月や二月ここに泊まり込んでも問題無い。それだけ時間があれば、しっかりした警備員を集められるよね?」


 ネーナが思う以上に、イリーナは色々と考えていた。


 【明けの一番鶏】のアラベラ達三人と組んだ臨時パーティーも解消され、イリーナとクロスはフリーになっている。同じ支部に所属しており気心も知れているが、イリーナ達とアラベラ達では活動の方向性が違い、実力にも開きがある。


 この先も組んでやって行くのは難しいのだと、ネーナにも理解出来た。


「僕とイリーナは話し合ったし、メラニアやジャックも賛成してくれると思う。僕等の力が足りないのなら我儘を言うつもりは無いけれど、そうでなければ是非やらせて欲しい」


 クロスが珍しく自身の意思を主張する。ネーナが視線を向ければ、フェスタもエイミーも小さく頷いた。


「ここに来てみて、私達が役に立てるって確信した。何なら無給でもいいよ」

「いえいえ、タダ働きなんてさせませんよ。採用条件はこれからお話しします」


 採用決定とばかりに笑みを浮かべ、ネーナは右手を差し出した。




 ◆◆◆◆◆




 翌日の早朝、イリーナは屋敷の裏庭で佇んでいた。


 大剣を構えたまま、深呼吸を繰り返す。ネーナはその様子を、オルトの部屋の窓から眺めていた。


 ――お兄様の稽古に、雰囲気が似てきました。


 イリーナの稽古と言えば、成人男性でも支え切れない大剣を、息が続く限り振り回すのが常であった。オルトがいれば遮二無二挑みかかり、最後には力尽きて大の字になるのがお約束。それが暫くぶりに会ってみれば、様子が変わっていた。


 カリタスから旧アルテナ帝国内を転戦した経験がイリーナを大きく成長させたのは明らかだ。しかもイリーナは、その間に帝国騎士団副長であるフリオ・ギュスターヴを撃破する大金星を挙げていた。


 ――お兄様が目を覚ましたら驚きますね。


 驚くだけではない、イリーナの成長を誰よりも喜ぶだろうと、ベッドで眠るオルトに視線を移してネーナは微笑む。


 その時、ガチャッと部屋の扉が開いた。


 誰も居ないと思っていたのか、無造作に入って来たレナは、ネーナの姿を見て気まずげに立ち止まる。


「あーっと……ただいま」

「お帰りなさい、レナさん」


 逃げられないと観念したのか、ベッドの傍らに腰を下ろす。そうしてレナは俯き、小さな声でもう一度、ただいまと言った。


 叱られるのを待つ子供のようだと、ネーナは思った。けれどもベッドで眠るオルトは応えない。ネーナも何も言わない。


 窓の外からは、ゴウッゴウッと鈍く風を切り裂く音が飛び込んで来る。


 沈黙に耐え切れず、レナが口を開いた。


「庭に誰かいるの?」

「イリーナさんが稽古していますよ」

「へえ?」


 レナが立ち上がり、窓辺に近づく。ネーナの鼻腔を酒の香りがくすぐる。


 一心不乱に大剣を振るイリーナを暫し見つめた後、レナは窓枠に足をかけ、裏庭に飛び降りた。


「ああ、お帰り」


 イリーナが気づき、手を止めて振り返る。

 

「あたしが相手になろうか?」

 

 レナの申し出に、イリーナはチラリと窓辺を見やる。


 ネーナは微笑み、ゆっくりと右手を突き出し、親指を下に向けた。

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