第二百六十一話 泉の守護者は、気になる木
「これだけあれば十分です」
ネーナが麻袋の中を覗き込む。
「思ったよりも時間を食ったねえ」
ナナリーは自分の腰をトントンと叩きながら立ち上がった。
空を見上げれば、太陽は中天を過ぎている。薬草採取を終えたネーナ達は、遅めの昼食を取る為に移動を始めた。
前の晩に煮込んだ干し肉で山菜を巻き、パンに挟む。出汁のでたスープは、水で少し伸ばしてから温めると丁度いい塩梅になった。
二泊三日の最終日、臨時パーティー【恋人山の巡礼団】の面々はギルドから受けた依頼を滞りなく達成した。しかし女性達に笑顔は無い。
最後に薬草採取に寄った場所も含めて、幾つかの群生地は「異常なし」と報告できるような状態ではなかったのである。
「これさ……荒らしてる奴がいるよね」
「意図的か否かは不明ですが」
渋い表情のメルルに、ネーナは応えた。
この臨時パーティーが引き受けた依頼は二件。恋人山に点在する薬草などの群生地調査と薬草採取だ。
薬草採取の方は誰も受注せず塩漬けになっていたものだが、群生地調査は定期的に、
この手の依頼を打診されるのは、ギルドの信頼が
「猪の仕業かってくらいにあちこち掘り返して踏み荒らして、薬草も山菜も根こそぎ持っていかれてる。全部の群生地じゃないのが救いだけど、広がるのは時間の問題だろうね」
便宜上、臨時パーティーのリーダーとなっているナナリーが溜息をつく。
群生地を荒らしたのがシルファリオ支部の冒険者とは考えにくい。ギルド支部では所属冒険者に対して、都度必要量のみを採取するよう厳命している。ネーナが記憶している限り、現在薬草採取を受けている冒険者達は、そのような配慮を欠く者ではない。
恋人山は入山制限を設けておらず、商業から一般家庭の自家使用まで、幅広い用途に群生地が利用されている。誰が群生地に入ったのか、特定するのは困難だ。
現場には
「これでは来年以降の収穫にも影響が出てしまいます。確か恋人山は、シルファリオも含めた幾つかの町の共有でしたね」
ネーナは考え込んだ。
マナーも配慮も無い利用者がいるとなると、入山制限や利用制限がかかりかねない。低ランクの冒険者や、近隣の山菜採りや狩人にとっては死活問題だ。
明確なルールが無いからと好き勝手に振る舞えば利用者の輪から排除されるし、厳しいルールが設定されて利便性を損なう羽目になってしまう。
何者がこういった行為をしているかについては、心当たりが無いでもない。しかし確証もなくそれを口にするのは憚られた。
「私達が受けたのは、調査結果を報告するまでだから。出くわすと揉めそうだし、山を下りるまでは警戒しとこう」
ナナリーはそう言って、パンの残りを口の中に押し込んだ。
◆◆◆◆◆
山道の途中で、先頭のメルルが立ち止まる。
「ここだよね?」
「はい」
地図を眺め、ネーナは肯定した。
少々わかりにくいものの、木の枝に布切れが結びつけられている。一行は獣道を見つけ、歩を進めた。
メルルが後続の為に足下を気遣う。
「たまに通る人はいるみたいだけど、道は良くないね」
山道と違い薄暗いのは、
「ネーナちゃん、道が二つに分かれてるよ」
「右ですね」
「了解っ」
少し
「あわわ、そっちじゃないです」
「えっ?」
まだ道が分岐する手前で、ネーナは右側の茂みを眺める。
「多分、ここです」
言いながらズボッと手を突っ込み、茂みの奥に消えた。
『ええっ!?』
友人達が驚きの声を上げるも、すぐにネーナは顔だけを出した。
「やっぱり道がありますよ」
「もーっ」
安堵したメルルが、ヘナヘナと座り込む。
「スカウトより先行しちゃ駄目でしょ、ネーナちゃん」
「はわっ、ごめんなさい」
「ネーナって、結構怖いもの知らずよね」
呆れ顔のトリッシュが近づき、ネーナの髪についた葉を取った。
「先程の分岐はどちらも行き止まりで、こちらから迂回して先へ進むみたいです」
「そうなんですね」
ネーナの話に、ノノが相槌を打つ。
獣道は途切れ途切れになり、ほぼ人の足跡も消えていた。地図があってもスカウト抜きで進むのは難しい。
恋人山は然程危険な場所ではなく、『祈りの泉』の言い伝えを知る者は多い。にもかかわらず、実際に泉に行ったという者は殆ど見当たらなかった。
まず山道の目印を見つけなければならず、次に獣道の分岐が立ちはだかる。茂みの奥の道に気づき、それを正確にトレース出来なければ辿り着けないのだ。
「分岐の右は崖下、左は滝つぼです。大半の方は泉への道がわからなくて、滝つぼで願掛けをするようです」
「ネーナちゃんは良く知ってたねえ」
メルルが感心したように言う。ネーナは曖昧に笑って、返事をはぐらかした。
別段やましい事は無いが、情報提供者を明かすつもりは無かったのだ。
「――止まって」
メルルが緊張した面持ちで一行を制止する。気づけば辺りが暗さを増していた。
「まだそんな時間では――」
空を見上げようとして、ネーナは愕然とした。
獣道の奥から、何かが近づいて来る。目が離せず、身体の向きを変える事も出来ない。結界では無いが、パーティー全員が何らかの効果範囲に入ってしまっているのだと理解した。
「トリッシュさん!」
「ごめん、私も逃げれない」
トリッシュが申し訳無さそうに応える。
その間にも重い何かを引きずるような音が迫って来る。
照明の魔法も発動しない。
「魔術無効? 詠唱阻害? これは――」
暗がりの中に、太い根をうねらせた巨大な木が姿を現す。ネーナは驚愕した。
「――精霊樹、『キーニ・ナルキー』ですか!?」
幹に二つの目のような赤い光が宿り、ネーナ達は吸い込まれるようにそこを見つめている。無性に気になって仕方が無い。
「何それ、聞いた事ないよ! てかめっちゃ気になって弓が手につかない!」
「気になりすぎて魔法が使えません!」
ナナリーが舌を打ち、ノノは信じられないという表情で叫んだ。ネーナが警告を飛ばす。
「攻撃しては駄目です!」
キーニ・ナルキーは一般には殆ど知られていない精霊樹だ。これまで恋人山で目撃されたという情報も無かった。
「キーニ・ナルキーは害を為す存在ではありません! 足も遅いので視界から外れれば逃げ切れます!」
ネーナも精霊樹を目の当たりにするのは初めてだ。精霊樹は水を浄め、土を豊かにして山森を育むと言われている。そのテリトリーに入った人間を排除しようとはするが、せいぜい長い木の枝を伸ばして引っ叩く程度のもの。
だがこちらから攻撃を加えれば、精霊樹は恐ろしい敵へと変貌するのだ。
「あいたッ!?」
「ペシペシ叩くの嫌ぁ〜!」
ノノとリットが悲鳴を上げる。
「ああもう! 全員退却!」
ナナリーのヤケ気味な指示で全員が後ろ向きに走り出し――ネーナは三歩で転んで尻餅をついた。
「ちょっ、ネーナちゃん! お約束は要らないとこだよ!?」
「先に行って下さい!」
立ち止まりかけたメルルを、ネーナは叱咤する。顔が赤いのは転んだのが恥ずかしかったからだ。
――何気にピンチです。どうしましょうか。
どこか他人事のように考える。地面に打ちつけた尻が、ジンジンと痛む。
――普通に転んだので、ちっとも格好良くありません。
小説や舞台ならば、身を挺して仲間を逃がす名場面。自分の事ながら、どんくささに呆れてしまう。
――お兄様がいれば、脇に抱えて逃げてくれるのですが。
いつも助けてくれるオルトはいない。そんな事はわかっているが、少し寂しい。
考えている間にも、精霊樹は目と鼻の先にまで迫っていた。
これは頑張って叩かれながら逃げるしかない、と覚悟を決める。そんなネーナの視界に、突然暗い闇のような壁が現れた。
「えっ?」
壁により精霊樹が見えなくなり、身体がその呪縛から解放される。自由の身になったネーナは全力で瞼を閉じて、乾燥した瞳に水分を補給した。
「――なにしてるの?」
『ガウ?』
聞き覚えのある声に目を開くと、良く見慣れた一人と一頭が、首を傾げて不思議そうにネーナの顔を覗き込んでいた。
「エイミー、それとガウさん?」
◆◆◆◆◆
『ガウッ』
精霊熊のガウェインに促され、渋々といった様子で精霊樹が森の奥に去っていく。一行はエイミーを先頭に、その後を歩いていた。
「ごめんね、この辺なら人も来ないしいいかなと思ったの」
「いやあ、これはしょうがないよ」
エイミーから事情を聞き、ナナリーは何とも言えない表情で肩を
恋人山に精霊樹を持ち込んだのは、エイミーの叔母であるエルミオーラだった。
エルミオーラは、妹の忘れ形見に会いたいとエルフの里を飛び出した。しかし里での暮らしが長いエルミオーラには、人の町に馴染めそうもなかった。
そんな彼女にとって、エイミーが住むシルファリオの近郊にあり、自然が豊かな恋人山は居を構えるのにうってつけだった。
ただ住んでみると、恋人山には問題があった。夜の間に山を荒らしていく人間達の存在である。収穫の域を逸脱して収奪に走る人間を追い払う為、エルミオーラは住居の周辺を領域として精霊樹を放った。
叔母の家に遊びに来ていたエイミーは、屋敷に戻る途中で森の異変を感じ取って駆けつけたのである。
「まあそうなるよね……私が見ても、あれは駄目だなって思うんだから」
「エルフからすれば、完全にアウトだよねえ」
ナナリーとメルルが苦笑する。
どの道、この場にいるメンバーがどうにか出来る話ではない。精霊樹の件も含めてギルドに報告し、静観するしか無かった。
獣道の先に光が見えると、エイミーが振り返った。
「この先に泉があるけど、森のどうぶつさんたちがお水を飲むところなの。びっくりさせちゃ駄目だよ?」
山を荒らす人間達が水辺でも獣を襲う為、ピリピリしているのだという。返事の代わりに、友人達はコクコクと頷いた。
獣道が終わり、開けた場所に出る。その中心には清水の湧き出る泉があった。泉の底がハッキリと見える程、水の透明度は高い。
エイミーが言う通り、鹿に猪、リスなどの小動物や小鳥が水辺で喉を潤している。獣達は人の姿に警戒する様子を見せたが、暫くすると再び水を飲み始めた。
女性達もカップで水を掬い、喉に流し込む。冷たい湧き水はこの上なく美味で、山歩きで疲れた身体に染み込んでいった。
「……このまま帰ろっか」
メルルがポツリと呟いた。
元々『祈りの泉』へのツアーは、どうにも進展しないメルルと想い人の仲を後押ししようという企画である。言い伝えとしては、泉に銀のスプーンを投げ込んで願いを述べる流れになっていた。
「いいんですか?」
「ちょっと迷惑かなって」
ネーナが尋ねると、メルルは獣達をチラリと見て微笑んだ。
すると背後で、ガサガサと何かが落ちる音がした。
◆◆◆◆◆
夕暮れの墓地を、大きな熊が歩いて行く。
白い身体も、背に乗せた二人の少女も紅く染まっている。
熊はとある墓石の傍で立ち止まった。
「
ネーナが墓石の前に佇む男に声をかける。
「今戻ったのか、ご苦労さん」
「教えて頂いたお陰で、無事に祈りの泉まで行けました」
「そりゃ良かった」
薄く笑う傷男に、ネーナとエイミーが一つずつお土産を差し出す。男は首を傾げた。
「何だこりゃ、金色の……木の葉?」
「泉の番人さんが、ご褒美をくれました。傷男さんと、サフィさんの分です」
ネーナが応え、エイミーと共に墓石を見やる。
二人は精霊樹からの贈り物を、泉への道を教わった礼も兼ねて、亡き幼馴染を思い続けて生きる傷男に渡したのだった。
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