第二百六十話 私達を見つけてくれて、有難う

 流れ星に届けと、六人の女性が巫女のように祈りを込める。


 ――グウッ。


 誰かの腹が抗議をして、笑いが起きた。


 日中は山を登りながら、薬草の群生地を調べていたのだ。空腹も当然である。


 ネーナか湯気の立つ鍋を覗き込む。


「よく煮えていますよ」


 スープボウルとパンとチーズが行き渡ると、女性達はそれぞれに感謝や祈りの言葉を述べて食べ始めた。


 ノノが猛然とスープを掻き込み、口につけたボウルを傾けてカッと目を見開く。


「これあちゅいしゅごい! ひかえめにぇってしゅごい!」

「ノノさん! 語彙が崩壊して危ない感じになってます! 急がなくても沢山残ってますから!」


 慌てるネーナをよそに、ナナリーはスープをすすって目を丸くした。


「これは……噂以上だわ」


 メルルやリットは無言で食事に集中している。


「そうですか?」


 味見はしたものの、普通の出来だと思っていた。それが予想外の高評価を受け、ネーナはいたく恐縮する。


 自分で一匙ひとさじ口に運ぶも、やっぱりいつも通り。


「お兄様が作ってくれるスープには敵いませんよ」


 こぼれ出た言葉にハッとして、ネーナは気まずげな顔をする。周囲に気遣わせてしまうからと、ここまでオルトの話題は避けていたのだ。


 しかし友人達は優しかった。


「オルトのも美味しかったけれど、このスープもとっても美味しいわよ」


 トリッシュが微笑む。


 彼女のパーティー【路傍の石】は、何度か【菫の庭園】と合同クエストをこなした経験がある。先立ってはカリタスに駆けつけてネーナ達と合流し、アルテナ帝国南部を縦断して帝都まで行動を共にしていた。オルトやネーナの料理を口にする機会は、何度もあった。


大好きな人オルトが作ってくれたから、余計に美味しく思えたのかもね」

「そうかもしれません」


 ネーナは同意して、またスープを一匙口に含んだ。


 王族に生まれたネーナは、母親の手料理というものを食べた経験が無い。王女の口に入るものは、ほぼ全てが王城の料理人の手によるものだった。


 だから作った人の顔がわかる食事をしたのは、王城を出てからが初めてだ。フェスタやスミス、立ち寄った宿や飲食店、屋台、屋敷のメイド達など。中でも一番口にしてきたのは、やはりオルトが作ってくれたものだ。


 お手本という意味では、確かに『おふくろの味』なのかもしれない。そういう事ならば追いつけないのも道理だと、ネーナは納得するのだった。




「そう言えば、こうしてトリッシュさんと一緒に出かけるのは初めてですよね」


 メルルが話を振ると、トリッシュは少し困った顔で応えた。


「ええっと、パーティーメンバー以外の冒険者と出かける自体、今まで無かったから」


 ナナリーが無言で額を押さえる。流石にそれは無いだろうと、ノノが尋ねた。


「えっ、一度もですか?」

「支部にいても町を歩いてても、黙ってると誰にも気づかれないし」

『…………』


 思い当たる節のある者達が沈黙する。確かにトリッシュや【路傍の石】の面々を見かけた記憶が殆ど無いのだ。


 話が重くならないようにとのメルルの配慮は、かえって藪を突く結果となっていた。


 そもそも今回の山登りは、ギルド支部のホールで友人達の話が盛り上がって実現したものだ。当初その輪の中には、トリッシュはいなかった。


 談笑していたネーナが突然立ち上がり、一人ボンヤリしていた彼女を連れて来たのだ。それまでナナリーを始めとする友人達は、トリッシュがホールにいる事にも気づいていなかった。


「私も仲間達も、影が薄いのよ。だから今回誘って貰えて驚いたし、とても嬉しかったわ」


 トリッシュは友人達と出かけると伝えた時の、【路傍の石】の仲間達の反応を思い出す。皆一様に驚愕し、その後は我が事のように祝ってくれた。


「帝国では、あまりトリッシュさんとお話出来ませんでしたから」


 ネーナが笑みを浮かべる。


「私もトリッシュ姐さんの話には興味あるよ」


 ヤケクソ気味にナナリーが言えば、他の面々もコクコク頷いて同意を示した。何せこの機会を逃せば、次は無いかもしれないのだ。まず自分達ではトリッシュを見つけられないのだから。


「大して面白くは無いんだけどね……」


 何をどう話したものかと、トリッシュは溜息をついた。




 影が薄いのは昔からだ。物心ついた頃には、自分が何か他人と違うのだと気づいていた。


 他人から認識されにくく、家族にも周囲の人達にも忘れられたり置いて行かれたりする。どこにも自分の居場所が無いように感じていた。


 それは成人して働くようになっても変わらず、そういうものなのだと受け入れ、諦めていた。


 冒険者になったのは成り行きだ。


 前職では働きが全く認められなかった。集中して真面目に仕事をすれば、トリッシュの存在を周囲は認識出来なくなる。それを周囲はサボっていると見なした。成果を出しても評価は変わらなかった。


 半ばクビ同然に退職し、薄い給料袋を握り締めてトリッシュは家路についた。自宅の窓からは明かりが漏れていた。


 室内では両親と弟が団らんしていた。四人がけのテーブルは一箇所だけ何も置かれておらず、三人家族のように見えた。


 いつもならば、ただいまと言ってそこに入って行く。トリッシュに気づいた家族が慌てて迎え入れ、四人家族になれる。少し気まずいギクシャクした空気と、胸のざわつきが落ち着くのを待てば済む。


 けれどその日のトリッシュは、家に入る事が出来なかった。


 街灯の下のベンチに座る。行く当てなど無い。腹は減ったが食堂や酒場、宿屋に行った所で、店員に自分を認識して貰う所から始めなければならないのだ。誰も自分を見ていない。自分の存在に気づかない。


『どうしました?』


 気づけば、トリッシュの前に男が立っていた。彼に指摘されて初めて、自分が震えていたのだと知った。


 上手い言い訳も思いつかず、正直に自分の身の上を話した。男はトリッシュと一緒に悩んだ末、冒険者ギルドならば朝まで時間を潰すくらいは出来るだろうと提案した。男は冒険者であった。


 当時のトリッシュは、冒険者にあまり良いイメージを持っていなかった。普段ならば、見知らぬ男について行ったりはしない。けれどもその時、彼女は男と共に行こうと決めた。


 その理由が、今ならばわかる。彼だけが暗闇の中のトリッシュを見つけ、手を差し伸べてくれたからだ。男はテツヤと名乗った。


 ギルドではテツヤの仲間が待っていた。テツヤは仲間と三人で【路傍の石】という冒険者パーティーを組んでいた。三人とも影が薄く、トリッシュと似たような苦労を重ねていた。意気投合し、初めて理解者と出会ったと感じた。


 三人に誘われ、悩んだ末に、トリッシュは冒険者になってみようと決めた。


 未経験の仕事に悪戦苦闘しながらも、仲間達に支えられてどうにかやって来れた。順風満帆とは行かなかったが、魔王軍の侵攻を避けながら拠点を変え、パーティーもCランクに到達出来た。


 そんな中、何度目かに流れ着いたシルファリオという町の支部は、酷い有様だった。


 町の有力者の息子とその恋人であるギルド職員が支部を牛耳り、問題を起こしたくない支部長は見て見ぬふり。特に、ある女性職員に対する虐めは目に余るものだった。


 トリッシュ達は影の薄さで目をつけられはしなかったが、女性職員を助けられる程の力も、余裕も無かった。


 無力感に打ちひしがれ、【路傍の石】の面々はシルファリオを離れようと考えていた。


 そんな時、トリッシュ達は『本物』と出会った。


 シルファリオに来たばかりのDランクパーティー【菫の庭園】は、馬鹿げた挑発や誘惑を毅然と跳ね除けて、理不尽な仕打ちを受けて苦しむ女性職員に手を差し伸べた。


 トリッシュ達の目に、【菫の庭園】は眩しく映った。その輝きは、何かが変わるのではないかと期待を抱かせるのに十分であった。臆病になってしまった心が揺さぶられ、賭けてみようと思わされた。


 【路傍の石】は町を離れる予定を見送り、彼等のランクアップを手助けする事にしたのだった。




「――正直、私達の手助けが必要だったとは思えないけどね」


 自嘲するトリッシュに、ネーナはブンブンとかぶりを振って見せた。


私達菫の庭園も色んな事情でランクアップを急いでいましたから、とても助かりましたよ」


 シルファリオにやって来たばかりの【菫の庭園】は、身元を証明するリベルタの市民権と生活を成り立たせる収入を得る為にBランク昇格を目標としていた。それは慰めではなく事実だ。


 ギルド職員のアイリーンと支部の冒険者トップであるレオンを敵に回した状況で、【路傍の石】のアシストは間違いなく大きな力になった。


 結果、【菫の庭園】は異例の早さでランクを駆け上がり、支部の澱んだ空気や悪習をも一掃する。


「私も支部にいたけど、レオンやアイリーンのグループには逆らえなかったね……ジェシカには本当に悪い事したと思ってるよ」


 当時の状況を思い起こし、ナナリーが懺悔の言葉を口にする。


 シルファリオ支部にはナナリーのような地元出身者が多く、両親や祖父母、それ以前からの関係性が出来上がっている。その地で生まれ育った若手冒険者がそういった空気にそれに抗う事は、非常に難しい。


 ネーナとしては、一番の被害者であるジェシカが気にしていない以上は話を蒸し返すつもりは無かった。


「ネーナは私と初めて話した時の事、覚えてる?」

「トリッシュさんとテツヤさんが、親孝行亭を見張っていたんですよね」


 ネーナが即答すると、トリッシュは顔を綻ばせた。


 疲労が重なり倒れたジェシカを、ネーナ達が宿へ運んだ時の事だ。ジェシカを気にかけていたトリッシュ達は、宿の外で様子を窺っていたのだ。


 あの出来事を、トリッシュは忘れない。


 男と少女が宿から出て、真っ直ぐ自分達の方へ向かって来た。男の目はテツヤとトリッシュをしっかりと見据えていた。そんな事は今まで無かった。自分達を気に留める者など、誰もいなかった。


「あの時の私の気持ちを、他人に理解して貰うのは難しいと思う」


 底知れない存在に捕捉されたという恐怖。それを遥かに上回る、自分を見つけてくれたという歓喜。


「私達を見つけてくれて、有難う」


 【路傍の石】は同じ境遇の仲間達が肩を寄せ合い、傷を舐め合うパーティーであった。四人は誰の記憶にも残らず、誰にも気づかれぬまま日陰で生きて、いつか日陰で死んでいくのだと思っていた。それを諦念と共に受け入れていた。


「お二人を見つけたのはお兄様で……」

「だけどネーナは、ギルド支部で見かけただけの私達を覚えていてくれた。私達にとっては、とても大きな事だったのよ」


 トリッシュ達の感謝はそれだけではない。深刻なトラブルを抱えていたAランクパーティー、【四葉の幸福】の対応を一時的に任された件についてもだ。


 予断を排して調査に臨んだ【路傍の石】の面々は、【四葉の幸福】の不振が何者かの関与である可能性を見つけた。それが結果的に、闇社会の凄腕暗殺者である『CLOSER』の存在を炙り出す大金星に繋がった。


「暗殺者『CLOSER』の一件もそう。私も、ハジメや他の仲間もずっと、私達の影の薄さを呪いだと思ってた。あれが私達の力で、誰かの助けになれるなんて考えた事も無かったの」


 Cランクを必死に維持していたトリッシュ達は、大きな衝撃を受けた。発想を転換して前向きになれば、Bランク昇格にも手が届いた。復調した【四葉の幸福】も何かと気にかけてくれる。世界が変わってしまったかのように、何もかもが一気に好転した。


「ネーナ達は私達に借りを感じているのかもしれない。でもね、そんなのとっくにお釣りが来てるのよ。貴女達がいるカリタスに支援の人員を送るって聞いた時も、私達は真っ先に手を挙げたわ」

「そんな……」

 

 ネーナからすれば大体がオルトの判断によるもので、自分が感謝を受けるのは筋違いに感じられた。

 

 余程居心地の悪そうな顔をしていたのか、ナナリーが笑ってネーナの背中を叩く。

 

「いいじゃないの。どの道オルトは寝てるんだから、代わりに受け取っておきなよ」

「うんうん。シルファリオ支部も新しい人が増えて雰囲気変わってきたけど、ネーナちゃん達に感謝してる人は沢山いるんだよ」

「……はい」


 メルルの言葉は、改めてネーナの身を引き締めさせた。

 

刃壊者ソードブレイカー』と『大賢者』を欠いても、【菫の庭園】は進んで行く。

 

 より一層の精進を、ネーナは胸に誓うのであった。

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