第二百五十九話 恋人山の巡礼団

 ――さて、どうしましょうか。


 うんうん唸りながら、ネーナはメイド達からの申し入れについて考える。


 王女という出自ではあるが、ネーナは生活レベルにこだわりが無い。冒険者の野営も旅暮らしもすんなりと受け入れられたし、屋敷のメイド達がしてくれる家事に何の不満も無い。


 そもそも【菫の庭園】は何かと屋敷を離れる機会が多いパーティーだ。最初三人だったメイドは五人に増えた。全員真面目で留守中も屋敷の管理を任せられる、それで十分だと思っていた。


 だがネーナ達を取り巻く状況は、平穏とは言えない方向に変わりつつある。メイド達は日々の仕事の中でそれを実感しており、不安を覚えているのだ。それは早急に解消する必要があった。


 ――やっぱり条件は落とせませんね。


 ネーナは眉をひそめ、何やら難しそうな顔をする。


 警備は有志の冒険者達が、思い思いに屋敷の外をうろついているのが現状だ。多少の謝礼を渡してはいるがお世辞にも効率的とは言えず、またメイドが指摘したように不在の時間もあった。


 これは冒険者ギルドに正式な依頼を出せば、当面はどうにかなる。業務内容と時間帯を決めて仕事にするだけで格段に穴は減るのだ。警備員を雇うのはその後でもいい。


 急ぎたいのは家宰や執事長、メイド長といった、使用人達を取り纏める職種。主に代わって屋敷の留守を預かり、或いは差配をし、他の使用人に指導や教育を出来る人材が求められる。


 探せば経験者は見つかるだろう。有能な者もいるに違いない。しかし、そこに「誠実かつ信用の置ける者」と付け加えると、選択肢は激減する。


 それらの職種は何代にも渡って主家に仕える事が少なくない。主家の機密に触れる機会もあり、おいそれと替えが利くものではないのだ。現在フリーな者がいれば、何かしら問題があると考えられてしまう。


「――ネーナちゃん」


 候補はいくつかある。フェスタとも話し合った。


 まず一つ目はサン・ジハール王国からフラウスやブレーメを呼び寄せる案。ネーナ・ヘーネスではなくアン・ジハールのコネだ。


 王女付きの侍女達と近衛騎士達が来てくれれば、問題は一気に解決する。今でも文でやり取りを続けてはいる。しかしネーナは、その案を採用したくはなかった。


 フラウス達は、アン王女殿下ネーナが平民の冒険者として暮らしている事を良く思っていない。その件で以前には、オルトやフェスタを非難している。


 オルト達は後に謝罪を受け入れたが、ネーナはその一件で侍女達との道が完全に分かたれたのだと実感した。


 ネーナが王城を出奔するまで母代わり、姉代わりになって育ててくれたのは侍女達だ。王女殿下を守り抜いたのは近衛騎士達だ。彼女達への感謝は尽きない。


 けれども城を出てからの一年半は、城で過ごした十五年よりも濃密なものであった。そこを導いてくれたオルトとフェスタへの批判を、ネーナは受け入れられなかった。


 王城を出て国を離れ、侍女や近衛騎士のいない道を進むと決めたのは、他でもないネーナ自身。それ以前にフラウス達は、王女殿下の出奔に関与した責を逃れる為、西の辺境伯の庇護下に入っている。


 彼女達が困っていれば助けたいとは思うが、自分から離れておきながら彼女達に助けを求めるのは筋が通らない、とネーナは思う。


「――ネーナちゃん?」


 二つ目はシュムレイ公爵のマリスアリアに相談する案。だがネーナは、これも避けたいと考えていた。


 シュムレイ公国はマリスアリア自らが主導して、貴族制から平民も参加する議会制民主主義への体制転換を図っている。既得権益を手放したくない貴族を中心に敵も多く、公爵と言えど慎重な立ち回りが求められる時期だ。


 そんな大事な時にもかかわらず、マリスアリアは『剣聖』マルセロを討伐した【菫の庭園】を迎える為に公国軍を動かした。シルファリオに帰還するオルトの負担が抑えられたのは、彼女のおかげだ。


 この上さらに図々しく頼み事が出来る程の厚かましさは、ネーナには無かった。むしろ借りを返さなければならない立場だ。


 他にはヴィオラ商会のファラを通じ、『通商都市』アイルトン副商工会頭のダ・シルバの伝手を頼る案もある。相手が商人だけに、良心的とは行かなくても常識的な対価で済むならばという条件が付く。しかし三つの案の中では一番現実的だ。


 ただ、それらの案とは別に、ネーナには意中の人物がいた。


 剣の腕前は確かで、忠義に厚く礼節をわきまえ、恐らくは侍女としても執事、家令としても十分な知識と能力を持っている。接点は少ないものの、ネーナとフェスタは『彼女』を高く評価していた。


 惜しむらくは、主に恵まれなかった。生まれ育ちは本人にはどうしようもない。刷り込まれた価値観、それを更新する事が叶わない環境では、その場に留まり必死に生きる以外になかっただろう。


 物理的な距離の遠さで彼女についての情報は入って来ない。だが積極的に調べるなら話は別だ。今のネーナにはその手段があった。


 ――ずっと気にかかっていたので、いい機会かもしれませんね。


 通常ならばシルファリオにやって来るような人物ではない。けれども駄目元で一度は当たってみたい、そうネーナは考えていた。




「ネーナちゃんってば!!」




 急に身体を揺さぶられ、ネーナが動揺する。


「はわっ!? どうしましたメルルさん敵襲ですか!?」

「ネーナちゃん慌て過ぎだよ……」


 メルルが呆れ顔を向ける。


「何回呼んでも草むらの中でうんうん唸ったり、難しい顔したり。お花摘みなら我慢しない方がいいよ?」

「うぐッ。私、そんなでしたか……」


 メルルの言う通りならば、確かに不審者か、良くて催したようにしか見えない。ネーナはガックリと肩を落とした。




 屋敷でメイド達と話した二日後、ネーナは友人達と共に、シルファリオ近郊の通称『恋人山ラヴァーズ・ヒル』を訪れていた。


 メンバーはAランクのネーナ、Bランクのトリッシュ、Cランクのナナリー、メルル、ノノ、Dランクのリット。ランクもパーティーもバラバラな六人組だ。


 発端はと言えば一週間程前、冒険者達の女子会でリットが発した一言であった。


『近々シルファリオ近辺で、大流星群の観測が可能になります』


 占星術を嗜むリットは、高い精度で天体のイベントを予測する。依頼中は夜営や夜間の行動も珍しくない冒険者ではあるが、流れ星という言葉の響きは友人達の乙女心をくすぐった。


 流れ星への願掛けは、大陸の東西を問わず広く知られたものだ。どうせなら山へ行って空の近くで見よう、何なら以前に盛り上がったまま実現していない『祈りの泉』にも行こうと話がどんどん進んで行く。


 行けば一泊二日になり、ネーナは参加を見送るつもりでいた。屋敷にレナもエイミーもいない状況で自分まで離れるのは躊躇ためらわれたのだ。


 けれどナナリーとメルルに強く誘われ、行ってきなさいとフェスタにも背中を押された。自分が多くの人を心配させていた事に気づき、ネーナは少しだけ羽根を伸ばそうと決めたのだった。


 休養中の【菫の庭園】に加えて五つのパーティーが同時に休めば、ギルド支部の依頼消化に影響が出る。それを踏まえてネーナ達は、仮の予定を組んでからジェシカに相談した。


『それ、出来たらお仕事にして貰えませんか?』


 ジェシカが申し訳無さそうに出して来たのは、塩漬けのまま期限の迫った薬草採取の依頼書が一枚。それに加えて、恋人山に数ヶ所ある薬草群生地の現状確認。これを引き受ければ、一泊二日では収まらない。


 それでもネーナ達は、快くジェシカの申し出を受けた。


 低ランクの冒険者にとっては、薬草採取も生活の糧。常に需要もある。今は中堅以上のトリッシュやナナリーも、かつて通った道なのだ。恋人山は冒険者以外の入山が多く、後輩達の為にも最新状況のアップデートは必要だった。


 それに、ジェシカがプライベートのネーナ達に話を持ちかけねばならない理由も承知していた。シルファリオの町が発展し、ギルド支部の実績も上がって職員の手が足りていない所へ、【菫の庭園】に対する依頼や要望が激増してその対応に追われているからだ。


 六人の女性冒険者は【恋人山の巡礼団】という名の臨時パーティーを組み、二泊三日の依頼に臨む事となった。




 予定されていた群生地の調査を終えると、ネーナ達は手際良く撤収して山頂を目指す。


 標高五百メートル程の恋人山は、年中青々とした草木に覆われ、豊富な山の幸や森の幸をもたらす緑の山だ。呼び名の由来ともなる二つの山頂へ至る道は比較的緩やかで、特殊な登攀とうはん技術を必要としない。


 二泊三日の初日、一行は山頂の高い『彼女山』から調査を始めた。そのまま山頂で一泊して流れ星を堪能し、二日目は『彼氏山』を調査して『願いの泉に』立ち寄る。三日目に薬草を採取して下山という流れだ。


「いやあ、うちのガサツな男連中より快適だわ!」

「うんうん」


 ナナリーが大きく伸びをし、メルルはコクコクと頷いて同意する。ネーナはクスリと笑った。そう言いながら二人とも、普段パーティーを組んでいる仲間達を大事に思っているのだ。


 初日は極めて順調であった。途中で水浴びをしてから彼女山の頂へ到着しても、空はまだ明るかった。


 一行は二手に分かれ、野営と夕食の準備を始める。鍋で煮込まれるスープの香りが辺りに漂う。


 ノノはゆっくりと鍋をかき混ぜる。


「ベーコン、干しトマト、じゃがいも……ハーブは山で採ったやつですか?」

「はい」

「ネーナちゃん、お料理上手だもんね。今日は楽しみだったんだあ」


 メルルはパンを炙っている。他の冒険者に料理を振る舞う機会は無いけれど、ちょっと大袈裟ではないかとネーナは苦笑した。


「こっち早く終わっちゃったけど、何か手伝う事あるかな?」

「じきに出来ますから、座っていて下さい」


 野営の準備を終えて近づいて来るナナリーに応える。


「リットが手慣れた感じで驚いたわ」

「う、ギルドの研修で沢山練習したから」


 照れているのか、リットの顔は少し赤い。 


「そかそか、今の子達はギルドが教えてくれるんだよね」

「私達の時は、そういうの無かったものね」


 六人の中では年長なトリッシュとナナリーが、しみじみと言い合う。


 ギルド支部による冒険者の新人研修は、ネーナの提唱でスタートしたものだ。冒険者の死亡率低下、トラブルの減少など大きな費用対効果が認められ、シルファリオから本部や他の支部にも広まっている。


「昔はそういうの、どうしてたんですか?」


 ノノが聞けば、トリッシュとナナリーは何とも言えない表情でお互いの顔を見た。


「独学だったり、同僚と教え合ったり、後はいい先輩に当たったらかな……」

「結構いい加減だったよね、その辺」


 皆にワインを注いでいくメルルは、駆け出しこそ卒業していたが新人達に交じって研修を受け、その恩恵を実感している。


「ノノやリットはイメージ出来ないかもしれないけど、ほんの二年前まではしょーもないとこだったからね、シルファリオ支部」

 

 ナナリーが遠い目をして言う。ナナリーとメルルは地元出身で、トリッシュは【菫の庭園】より少し前にシルファリオ支部へ移籍していた。三人には支部の劇的な変化が、実感としてあった。


「ネーナちゃん達が来てからだよね、全部」

「このままではいけない、そう思う方々がいたからですよ」

 

 ネーナはナナリーに乾杯の音頭を促した。いつの間にか日が沈み、辺りはとっぷりと暮れている。


 シルファリオに来た頃のネーナは、見るもの触れるもの全てに感動しながら、生きる術を身につける事に必死なだけであった。その癖妙な正義感で噛みついてみたり、オルトは随分と困っただろうと今では思う。


「そんじゃ皆、ひとまず今日はお疲れ様。残り二日も楽しみながら、きっちりお仕事しよう!」

『乾杯!』

 

 杯を掲げて、一同はワインを飲み干す。


 空を見上げて、ネーナは感嘆の声を漏らした。

 

「ふわぁ……」


 いくつもの星が、光の尾を引いて流れては消えていく。


 圧巻の大パノラマの下で、ネーナは心の中で願いを呟く。その耳に、友人達の願いが届いた。

 

「オルトさんが早く目覚めますように!」

「オルトが早く起きて、一杯奢ってくれるように」

「えっ!?」

 

 驚いたネーナが見れば、友人達は微笑んでいた。

 

 皆最初から、こうする為に集まってくれたのだ、強く誘ってくれたのだと、ようやくネーナは理解した。

 

 感謝を捧げながら改めて顔を上げ、星に願う。

 



 ――お兄様と笑い合える日々が、私達に戻って来ますように。

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