第二百五十八話 メイド達の覚悟

 オルトの身体が簡易ベッドに移されると、ネーナはその左腕をとって念入りにマッサージを始めた。


「お兄様、ミアさんから手紙が届きましたよ」


 メイドのマリアはオルトの右腕を揉みほぐし、その間にルチアはテキパキとベッドメイクをする。三人は何かしらオルトに話しかけたり、雑談しながら作業を進める。


 日に三度、ないしは四度、屋敷のメイドが最低でも二人以上で、眠り続けるオルトの体勢を変える。その際に全身をマッサージして各関節の曲げ伸ばしを行う。これはネーナ達の知己ちきである若き医学者、ルイス博士の指示によるものであった。


 オルトが昏睡状態でシルファリオに帰還したと知るや、ルイスは妹で研究者のフィービー博士と共に、全ての予定をキャンセルして駆けつけた。


 ルイスはかつて、自分の身体が石のように硬化していくという難病に侵されていた。死の病から逃れられたのは、偶然に知り合った冒険者達が治療薬の希少な素材を分けてくれたからだ。


 満足な対価も払えないのに、冒険者達は口約束を守って戻って来た。彼等がどれだけ危険な旅をしてきたのか、兄妹が知ったのはずっと後になってからであった。


 【菫の庭園】と知り合ってから、兄妹を取り巻く状況は大きく好転した。奇特な支援者が現れて生活の心配が無くなり、研究に打ち込めるようになった。フィービーは治療薬の量産に成功し、ルイスは病床での自身の経験を基に、肉体の機能低下を抑制するメンテナンスを考案した。


 ルイスとフィービーにとって、ここで恩義に報いないという選択肢は存在しなかった。二人はアーカイブに帰った後も、月に一度はオルトの様子を見に屋敷を訪れている。


 オルトは怪我や病気ではないが、長く床にせっている。床ずれ対策や血行促進、筋肉と関節の硬直防止など多岐に渡る指示は、ネーナ達の大きな助けとなっていた。


 介護はかなりの重労働である事から、当初は【菫の庭園】メンバーだけでやる予定であった。しかし屋敷の五人のメイドが、「屋敷の主の世話はメイドがするものだ」と口を揃えて主張し、メイド達が主体で行うようになった経緯がある。


 実際に始めてみれば、日がなオルトの傍らで過ごすネーナやフェスタ、ギルドの仕事から戻ったジェシカや依頼で出払っていなければブルーノも、更には何かと理由をつけて【四葉の幸福クアドリフォリオ】の面々やギルド支部長のエルーシャ、ヴィオラ商会代表のファラまでやって来てオルトの世話を焼こうとし、人手には全く困っていない。


「ガルフさんは近々リハビリを始めるそうです。ただ、左脚に少し痺れが残っているのと、後遺症で頭皮が不毛の大地になってしまったみたいです」

「ブフッ!」


 聞いていたルチアが吹き出す。気の強いルチアは、存外に笑いのツボが多い。マリアもクスクス笑っている。


「不毛の大地って、つまりスキンヘッドですよね? 笑ってはいけないんでしょうけど」

「元から頭を剃り上げていた方なので、何も変わらないと言いますか」


 ネーナは面識が無い二人に、ガルフがどんな人物か説明する。


 ガルフは【菫の庭園】の盟友とも言える冒険者パーティーのリーダーだ。その正体はアルテナ帝国軍の密偵であり、諸国を渡り歩いて見聞を広め、国に伝える役目を負っていた。


 ある時ガルフは命令違反のかどで捕らえられ、帝国軍の研究所に送られた。【菫の庭園】に救出された時には、人体改造を目的とした魔術と薬物が幾重にも折り重なるように施されて意識が無かった。


 それらの薬物や魔術は、繊細なバランスで絡み合うようにガルフの心身に大きな影響を与えていた。治療には高度な知識と薄皮を一枚ずつ剥がすような慎重な作業、長い時間を必要とした。


 ネーナは【菫の庭園】と共に『剣聖』マルセロ討伐に向かわなければならず、後ろ髪を引かれる思いで医師に治療を託したのだった。


「ガルフさんはアルテナ帝国の支配を脱したスタイン自治区にいて、先頃に意識が戻ったと連絡があったんです」


 友人としてではなく医師として冷徹に見れば、ガルフは日常生活にそう支障が出ないレベルまでは回復するだろう。だが今後、冒険者としてやっていくのは難しいと言わざるを得ない。


 それでもガルフの傍には、ミアだけでなくショットもナディーヌもいる。彼等が今後どうするかは聞いていないが、お互い生きていればきっとまた会える。


 眠り続けていたガルフが目覚めたという一報は、オルトを見守っているネーナ達にとっても朗報であった。




 マッサージを終えて、再びオルトの身体をベッドに戻す。完全に脱力した成人男性は重いが、それにも慣れた。


 よく干したシーツと毛布の香りが、ふんわりとネーナの鼻腔をくすぐる。


 オルトのマッサージをしたり、身体を拭いたりするのが嫌な訳ではない。けれどネーナにとって、少し辛い時間でもあった。


 長い眠りについてから三ヶ月。オルトの身体は少しずつ軽くなり、筋肉も衰えていく。毎日オルトを見て、触れているネーナには、その推移がはっきりとわかってしまう。


 オルトが絶え間ない鍛錬で積み上げてきたものが失われる様を、ネーナはずっと見続けているのだ。


 そんなネーナを見かねたのか、マリアが声をかける。


「ネーナさん。美味しいお茶菓子があるので、一緒にいかがですか? それと少々、ご相談がありまして」

「うれしいです。是非お邪魔させて下さい」


 ネーナは微笑み、今日はティータイムの誘いを受ける事にした。


「あっ、レナさんとエイミー、チェルシーさんもそろそろシルファリオに戻って来るそうですよ。では少し、お茶を楽しんできますね」


 部屋を出る前に声をかけ、ネーナは静かに扉を閉めた。




 ◆◆◆◆◆




「お疲れ様ぁ」


 食堂に行くと、メイドのセシリアがネーナ達を労った。プリシラとリリコもくつろいでいる。


 現在屋敷にいる【菫の庭園】メンバーは、眠っているオルトを除けばネーナとフェスタだけ。そのフェスタは、不意の来客に対応している。


 スミスは他のパーティーメンバーから半ば追い出される形で、結局予定通りにパーティーを離脱し、家族や友人が待つワイマール大公国への帰途にある。


 エイミーはテルミナと共に、『惑いの森』を出てシルファリオから程近い山に居を構えた、エイミーの伯母と会っている。


 レナは言葉を濁していたが、オルトのコネクションを引き継いでいるのだとネーナは考えていた。


『剣聖』マルセロの討伐から戻った【菫の庭園】は休養を宣言し、当面は一切の依頼を受けず面会も断ると告知した。しかし一躍時の人となったネーナ達に、静かな暮らしは訪れなかった。


 婚姻、契約、懐柔、その他【菫の庭園】を利用したい者、おとしいれたい者達が、我先にと押し寄せたのである。『刃壊者ソードブレイカー』の居ない今ならば、つけ入る隙があると考えられたのだ。


 窓口に指定した冒険者ギルドやヴィオラ商会を通さず、直接屋敷までやって来る招かれざる客もいた。フェスタが今日相手をしているのは、正にそんな客であった。




 話題が途切れたタイミングで、ネーナは気になっていた事を尋ねた。


「先程、マリアさんが相談事があると仰ってましたけど……」


 内容について、ネーナには心当たりが無かった。マリアが他のメイド達と頷き合う。


「ご相談というのは、お屋敷の使用人の事なんです。新たな方を採用して頂けないかと」

「人数を増やすという事ですか?」


 発言の意図が読めず、ネーナは首を傾げた。セシリアが慌てて補足する。


「あの、あのね、メイドの皆で話し合ったの。お仕事がキツいとか嫌だとかいうんじゃないの。とっても幸せだし、お休みもきちんとあるし、お給金もたっくさん貰ってるし、みんなここにいたいの。だけどね――」


 ルチアが更に引き継ぐ。


「お屋敷に、色んなお客様が見えるようになったでしょう? 中にはとても身分の高い方もいらっしゃって、私達の接客では失礼になってネーナさん達に迷惑をかけてしまうんじゃないかって」

「そんな事は――」


 無い、とはネーナには断言出来なかった。


 迷惑がかかるとは思っていないし、仮にそうなっても大した問題ではない。けれど気心が知れた公爵のマリスアリアや、恐らく高貴な出自であろう【四葉の幸福】の一部メンバーと違い、ギルド支部やヴィオラ商会のチェックをすり抜けて屋敷に来る者は要注意だ。


 そういったやからは、自分が優位に立つ為に難癖なんくせをつけかねない。ネーナ達がどう思おうと、メイド達が気に病むようでは仕方ないのだ。


 プリシラとリリコは、もう一つの懸念を口にする。


「それに、お屋敷が私達メイドだけになる時間は必ずあります。私達はどんな事があってもオルトさんを守りたいけれど――」

「――オルトさんを狙って来るような人達に、私達が勝てるかっていうとね」


 ネーナは頭をモーニングスターで殴られたようなショックを受けた。実際に殴られた事は無い為、予想ではあるが。


 メイド達は、昏睡状態のオルトに危険が迫れば、身をていして守る覚悟を決めていた。しかし現実に事が起きれば、戦うすべを持たない彼女達は何も出来ずに殺されるだろう。


 ネーナは漸くメイド達の言わんとする所を理解した。


「ですから。このお屋敷には、身分の高いお客様をお迎え出来る方と、警備を担える方が必要だと思うんです。人数や人件費に問題があるのであれば――」

「ちょ、ちょっと待って下さい」


 ネーナは渋い顔をしていた。マリアはメイド達の総意として、自分達と入れ替えてでも必要な人材を採用すべきと言おうとしたのだ。それを言わせる訳にはいかなかった。


 何の事はない。屋敷の主である【菫の庭園】メンバーが浮足立っている間に、メイド達は冷静に環境の変化を認識して現実的な判断をしていた。


 使用人を増やして欲しいという要望も屋敷の警備も、自分達で解決出来るならば、こうしてネーナに話さなかったかもしれない。


 ネーナはマリア達がいてくれるから、屋敷の事を心配せずにいられる。屋敷では安心して過ごせている。


 けれども、マリア達は不安を抱いていた。メイド達が心置きなく働ける環境を作り、維持するのは使用者側の責務であり、その意味では明らかに手落ちである。


「ごめんね。前はお掃除とかお買い物とか手伝ってくれながら、オルトさんが話を聞いてくれてたの。今はこんなだから、こっちから言った方がいいかなって」

「わぁ……っ」


 セシリアが申し訳無さそうに内実を伝え、ネーナは頭を抱える。この調子では、実はオルトが裏で手を回していたという話がポロポロ出て来かねない。


「大丈夫よ、ネーナさん。オルトさんが眠ってしまって寂しいし大変だけど、私達も頑張るから」


 ルチアが言えば、他のメイドもコクコクと頷く。ネーナは恐る恐る問いかけた。


「……先に伺っておきたいのですが。お屋敷の仕事を辞めたいですとか、辞める予定のある方はいらっしゃいますか? 勿論、皆さんの意思は最大限に尊重しますので」


 メイド達は顔を見合わせ、今度はブンブンと首を横に振った。


 ネーナは安堵の溜息を吐き、しっかりしなければと気を取り直す。


「まず警備の方は、すぐに冒険者さんや傭兵さんを正式に雇って屋外を見て貰おうと思います」


 現在は【菫の庭園】メンバーが滞在しており、シルファリオ支部の冒険者有志が屋敷の外を警戒してくれている。依頼を終えればブルーノが帰って来るし、親しい冒険者も立ち寄ってくれるからと考えていた。少々楽観が過ぎたと、ネーナは反省する。


「お屋敷での雇用については、幾つか当てを探してみます。能力は勿論ですが、信用ですとかお人柄が重要になりますので」


 女性ばかりの屋敷に、迂闊に人は入れられない。特にプリシラとリリコは男性に恐怖心があるのだ。


「……ちなみに。皆さんは護身術ですとか、メイドの正式なお仕事や接客接遇について学びたいと思いますか?」


 マリア達が激しく頷く。彼女達の意思が最も重要であり、こういう事ならば話は早い。


「至らない部分は改善に努めますので、宜しくお願いします。いい機会ですから、他にも思う所や気になる事があれば教えて下さい」


 落ち込んでいる場合ではない。これまではオルトが守ってくれたが、今はネーナが自分自身を守り、オルトを守り、オルトが守ってきた人達をも守らなければならないのだ。


 ぬるくなった紅茶を飲み干し、ネーナはパチンと両頬を叩いて気合を入れた。

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