第八章
閑話三十二 あたしらを置いてったやつに、文句言われる筋合いは無いよ
半壊した教会から新郎新婦が現れ、広場がワッと沸き返った。
本来は鐘楼で祝福の音を届ける筈の大きな鐘は、一人の剣士によって三ヶ月ほど前に撃ち落とされたまま、広場で野ざらしになっている。
その代わりとばかりに、カリタスの人々が思い思いに持ち寄ったベルや鍋を打ち鳴らす。新郎のレオンは照れ臭そうな、新婦のアイリーンは幸せそうな笑顔を見せる。
二人の左手には、銀の指輪が輝いていた。
良い式だったなと、離れた場所で見守っていたチェルシーが微笑む。
一世一代の覚悟を決めたレオンは、当時まだカリタスに滞在していた【菫の庭園】の宿舎を訪ねた。その流れでチェルシーがヴィオラ商会として、レオンとアイリーンのペアリング製作を受注した。
レオンは二人分の指輪を手にプロポーズし、アイリーンは涙を浮かべて承諾した。今日の挙式までを見届けたチェルシーは、亡き夫と挙げた自分の式を懐かしく思い出していた。
二人の結婚について知っているのは、シルファリオでは冒険者ギルド支部長のエルーシャと【菫の庭園】の面々、カリタスの一件で関わりを持ったチェルシーと、その上司であるヴィオラ商会代表のファラだけだ。
チェルシーはレオンの父親の更正に関わった事から、二人がどういった事情でカリタスに来たのかも承知していた。以前に住んでいたシルファリオでは、未だに二人を恨んでいる者もいる。
レオンもアイリーンも、自分達の結婚に良い顔をしない人がいて当然なのだと理解している。自らが反省と贖罪の長い道を歩み始めたばかりで、それはこれまでの半生を超えるであろう、気の遠くなる程に続くものである事も忘れてはいない。
それでも二人には己の罪と向き合い、茨の道を進んで行く覚悟がある。ならばシルファリオから遠く離れたこのカリタスで、時にはささやかな幸せを感じ、支え合って慎ましく暮らす程度は許されてもいいのではないか。チェルシーはそう思った。
シルファリオ帰還前に挨拶をしようと、チェルシーはカリタス支部長のモアテン・リベックの姿を探す。すると、広場の喧騒から
「ご苦労様です、リベック支部長」
「いやぁ、参りました。しかし滅多に無い祝い事ですから、仕方ありませんね」
チェルシーの
リベックはアイリーンの上司として、新郎新婦の仲人を引き受けていた。離婚した者には務まらないと一度は断ったものの、祝い事には体裁が大事だと押し切られたのである。
「そろそろご挨拶をと、支部長を探しておりました」
シルファリオに帰るのだと察して、リベックが神妙な顔をする。
【菫の庭園】が『剣聖』マルセロに挑んだ一件は、カリタスではギルド支部のトップ数名だけで秘匿されている。折角の結婚式に水を差さないようにという配慮も、理由の一つだ。
今頃ヴィオラ商会は、代表のファラも現場に出て忙しくしているだろう。命懸けで戦ってきたオルトやネーナが何の憂いもなく休めるようにと、従業員達も頑張っている筈。
チェルシー自身にもするべき事があり、のんびりしてはいられなかった。
「ヴィオラ商会の多大な協力と援助に、カリタスを代表して感謝申し上げます」
頭を下げるリベックに、チェルシーが意味ありげな笑みを浮かべる。
「私達は商売人ですので、お気持ちは仕事の方でお願い致します。リベック支部長も指輪をお買い上げになられてはいかがですか?」
「指輪……あっ」
不思議そうに顔を上げたリベックが、遅れて意味を理解した。
チェルシーはリベックに、かつて恋仲でありながら別れざるを得なかったギルド長へプロポーズしろと焚きつけたのである。二人とも独り身であり、何の障害も無い。
「女性をあまり待たせるものではありませんよ」
「それは……いえ、仰る通りです」
リベックは商人のリサーチ能力に舌を巻きながら、立ち去るチェルシーを見送った。
◆◆◆◆◆
「お茶をどうぞ」
「これはこれは。どうぞお構いなく」
少々ふくよかな、人好きのする男が応える。ローテーブルの向かいには、緊張した表情のファラが座っていた。
「ダ・シルバ副商工会頭が
「ライバル商会の敵情視察というやつですよ」
「そんな……」
『通商都市』アイルトンの副商工会頭は多忙な役職である。毎日が分刻みのスケジュールで区切られ、気まぐれに出歩けるような身分ではないのだ。
真面目なファラは、ダ・シルバの冗談を真に受けて固まってしまう。これは
「君達の元気な姿とヴィオラ商会を見たかったのは本当だけれど、オルト・ヘーネス殿へのお見舞いと【菫の庭園】へのお礼を持参したのが一番の目的です」
「そうでしたか」
ファラの表情がホッとしたものに変わる。
オルトへの見舞いや【菫の庭園】メンバーへの取り次ぎを希望する者は後を絶たない。しかし直接屋敷へ行っても、門前払いが関の山だ。
受付窓口はシルファリオにあるギルド支部か、ヴィオラ商会の本店となっていた。ファラもダ・シルバの面会の用件は聞いていたが、同業の大物で恩人である人物の来訪に浮足立っていたのだった。
「お見舞いはご迷惑でなければという程度です。品物だけ預かって頂いても構いません。それとは別に、もう一つここに来た理由がありましてね」
「はい」
「君の実家の商会が、取り潰しになりました」
「はえっ?」
ファラが間抜けな声を上げた。
「あの、今、何と……」
「【菫の庭園】の方々が、大銀海砂漠で野盗を拘束した。野盗は幾つもの隊商から略奪した積荷を、闇ルートで売り捌こうとしていました。その拘束された野盗の中に、ヒューダーがいたのですよ」
「っ!?」
ヒューダー。ファラの実家の番頭で、ファラに言い寄っていた男だ。振られると掌を返して、ファラを虐げていた父親に商会経営の実権を奪い取らせた。忘れようも無い名前。
「元の荷主に返却するつもりだったと弁明していたが、何度も闇取引をしていた証拠が出ましてね。そこから商会ぐるみでの関与の裏付けも取れました」
「そう、でしたか」
オルトはヒューダーの名を覚えており、ファラの実家に同行してその顔も記憶していた。ヒューダーの身柄がアイルトンの捜査当局に渡るよう段取りを整えていたのだと、ダ・シルバは告げた。
「かなり大掛かりな話になっていますよ。フェンタキア王国の関与も浮上しています。先方は認めていませんがね」
オルトの機転が無ければ、賊も積荷もフェンタキアが押さえていただろう。そうなれば真実が闇に葬られていた可能性もある。
「君の家族と元婚約者、従業員の一部も当局に確保されて取り調べを受けました。言い難いが、君の家族とヒューダーが、君の誘拐に関わった事も自白しました。鉱山か荷役か、死ぬまで強制労働は確定でしょう」
ファラの両眼から、つっと涙が溢れた。
地獄のような経験。忌まわしい記憶。誘拐され監禁され、尊厳を犯され純潔を奪われた。悪夢は今でも時折、ファラを苦しめる。
無かった事になど出来ない。溜飲を下げる事も出来ない。けれど命を救ってくれた
ただでさえ返し切れない恩が、さらに増えてしまった。どうすればいいのだろうと、ファラは涙を流し続ける。ダ・シルバはただ見守っていた。
生涯尽くしたいと言っても、優しくて、とても強いあの人は、きっと困り顔で笑うのだろう。その顔も、眠り続けている今は見られない。
せめてあの人と、その大切な人達に不自由な暮らしはさせまい。そう心に誓い、ファラは涙を拭った。
◆◆◆◆◆
「久しぶりだな、姐さん。元気そうで何よりだ」
小柄だが目つきの鋭い男は、部屋に入るなり当り障りのない挨拶をした。
それに対して待っていた金髪の美女は、憮然とした表情で脚を組み直す。
「そういうのはいいから。こっちの状況は知ってるんでしょ」
眼光鋭くレナが睨みつける。しかしハイネッサ盗賊ギルドの幹部であるドリューは、大の男でも震え上がる程の視線に全く動じず軽く肩を
「用件を聞こうか」
「オルトがやってた事、全部あたしが引き継ぐ」
間髪入れぬ返答は予想外のものだったらしく、ドリューの反応に少し間が開いた。
「……ほう」
レナはネーナ達の反対を押し切り、単身で『暗黒都市』ハイネッサを訪れていた。
今のレナは以前と違い、腕っ節の強さでも認知されている。盗賊ギルド長の覚えも目出度く、迂闊に手を出す者も無い。とはいえ、女性一人で来るのは推奨されない場所であった。
「お互い暇じゃないでしょ。腹の探り合いで時間を潰すメリットは無いと思うんだけど」
このタイミングでの来訪には、レナにもドリューにも意味がある。
オルトが眠り続けている事で、【菫の庭園】を取り巻く環境は大きく変わりつつある。オルト・ヘーネスが戦線離脱した今が、【菫の庭園】やその縁者に仕掛ける好機と考える者がいるのだ。
ドリューもオルトの縁者であると、他者からは認識されている。陰からオルトに様々な便宜を図り、代わりにオルトとの関係性をチラつかせて自勢力を維持してきたからだ。
オルトがいつ目覚めるか知れない現状は、ドリューにとっても穏やかではない。レナの申し出は願ってもないものだ。それでもドリューはすぐには受け入れなかった。
「……オルトの兄さんは、姐さんにそれをやらせたくはないと思うぜ」
レナはピシャリと言い返す。
「あたしらを置いてった
「まあ、確かにな」
ドリューは苦笑しつつ頷いた。
「あんたもケツ持ちは必要でしょ。今のあたしの名前で足りなくても、すぐにお釣りが来るようになるよ」
レナも仲間達も、オルトの行動の意味を正しく理解している。裏社会へのパイプを持つ事により、
「オーケー、乗った」
ドリューは簡潔に承諾した。
「そんなに構える事は無ぇよ。オルトの兄さんには、話し合いに二度同席して貰っただけだ。今の姐さんの名前でも十分抑えになるさ」
「そう、ならいいけど」
差し当たって何かをする訳では無いと説明を受け、レナは席を立った。
「邪魔したね」
「今日は遊んでいかねぇのか?」
ドリューの声に、部屋の出口へ向かっていたレナが立ち止まる。
「……『聖女』なんてクソ重い肩書きを持った女の頭でも、遠慮無く引っ叩いて叱ってくれるやつがいるから、馬鹿みたいな遊びに熱中出来るんだよ。今はそんな気分じゃない」
それだけ言い残して退室した。
部屋の隅に控えていた執事が、ドリューに声をかける。
「宜しいので?」
「ま、賭けだがな」
ドリューは深く溜息をついた。しかしその表情に、深刻さは無い。
「あの兄さんがくたばるようなタマかよ。宝物を粗末に扱ったら、起きて来た時に俺がブチ殺されるぜ。それに――」
ククッと笑いが漏れる。レナと組む決断には大きな勝算があり、迷う必要も無かった。
「兄さんの身内は、揃いも揃ってじゃじゃ馬だからな。潰されるようなヤワな連中じゃねぇよ」
ドリューはオルトの仲間達の顔を思い浮かべていた。『賢者』は離脱したと聞いたが、レナに加えてストロベリーブロンドの髪の少女、小柄な栗色の髪のハーフエルフ、目立たないが隙を見せない女剣士が残っている。一筋縄ではいきそうもない面々だ。
裏社会でも畏怖される『
見た目で侮り手を出せば、高い代償を払う羽目になるだろう。ドリューは今から、将来の被害者達に同情するのであった。
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