第二百五十七話 お寝坊さんでも、大丈夫ですから

 オルトが自らの身体ごと、背後のマルセロを刺し貫いている。


 その凄絶な光景を横から目の当たりにし、仲間達は言葉を失っていた。ネーナもエイミーも、後衛まで吹き飛ばされたレナも動く事が出来ない。


 だが最も驚いていたのは、『剣聖』マルセロであった。


「がはっ……」

 

 僅か数秒前まで勝ち誇っていた顔が歪む。腹から背中にかけての熱が痛みに変わり、ようやく事態に理解が追いついてきた。


 マルセロは疲労困憊ひろうこんぱいのレナを狙うと見せかけ、援護せんとするオルト・ヘーネスを斬った。魔剣『魔神の尾』により麻痺を付与し、最も厄介な男を行動不能に追い込んだと、そう思っていた。


 しかし気づけば、逆にチェックメイトをかけられていた。麻痺で動けない筈の男が、密着した状態の死角から放った、刺突には適さない『断頭剣』での一撃。これでもかと予想外を重ねられては、いかに剣聖といえど対処のしようがない。


 マルセロを縫い止める剣は斜めに突き上げられており、抜けようとしてもオルトが巧みにコントロールして阻む。その間に【菫の庭園】の後衛陣から集中砲火を浴びせられれば、魔人の頑強な身体でも耐え切れない。


 マルセロはこう問わずにはいられなかった。


「……何で、動ける?」

「何でだと思う?」


 その問いに『刃壊者ソードブレイカー』の二つ名を持つ男は、人を食ったような問いで返す。断頭剣を腹に刺したままで。


 マルセロがギリッと奥歯を噛む。常から人をいらつかせ、それに愉悦を感じるマルセロも、オルトには煮え湯を飲まされ続けてきた。それはここでも変わらない。


 エンドゲームに突入したオルトは、無駄な遊びを排して粛々と手を進める。何より優先されるのは、マルセロを殺す事だ。


「これから死ぬ者に、種明かしの必要はあるまい」

「くおおォォッッ!!」


 時間稼ぎも叶わぬと悟り、マルセロがオルトの首に手を伸ばす。


 右手でも、魔剣を持った左手でもいい。魔人の膂力をもってすれば人の首など造作もなく折れるし、首を切れば人でなくとも死ぬ。


 マルセロは何をするにもオルトを殺さなければ始まらない。オルトは命ある限り、マルセロのかせとして動きを封じ続けるからだ。


 だが今のマルセロには、そんな事はどうでもよかった。


「全て、てめぇが――てめぇだけは殺すッ!!」


 今、自分が追い込まれているのも。自分の命がついえようとしているのも。何もかもオルト・ヘーネスが悪いのだと身勝手に結論づける。


 オルトを殺しても、次の瞬間には矢と魔法が自分の命を奪う。それすらどうでもいい。ヤツさえ殺せるなら。


 そんなマルセロの耳に、無情な宣告が届く。


「もう遅い」


 腹に刺さった剣の柄を両手で握り締め、とても優しげな表情で、一瞬だけオルトが仲間達を見た。


 ネーナは目を見開く。エイミーは呆然とし、スミスは唇を噛む。レナは膝立ちで両手を組んだ。


「道連れに死ぬ気か!?」

「最初から、お前マルセロを殺す事しか考えていない」


 何を置いてもオルトを殺そうとしていた筈のマルセロが、悲鳴交じりに叫ぶ。オルトは淡々と応える。


 間合いを問わず、予備動作も要せず、凄まじい威力を誇る絶技。使用禁止をレナが約束させたが、オルトがこの場面でそれを守る理由は無かった。




「――『勇者の一撃ブレイブ・ストライク』」




 ほとばしる閃光がマルセロを、続いてオルトを呑み込んでいく。さらに強い光が世界を塗り潰す。


 誰かがオルトに駆け寄り、崩れ落ちる彼を抱き止めるのをネーナは見た。






 一体、何が悪かったのか。何を間違えたというのか。


 ゆっくりと流れる時間の中で、マルセロは考える。


 力量で『刃壊者』に劣っていたとは思わない。相手が仲間の援護を受けていたとはいえ、このような結末になる程の差は感じられなかった。


 ただ実力を存分に発揮出来なかった、自分の戦いが出来なかった。もっと自分はやれた、こんなものではなかった、そういった不完全燃焼感が強い。


 勇者トウヤやその一党と大立ち回りを演じた時は、結果こそ不本意でも存分に暴れて多くの敵を叩きのめし、勇者さえも追い込んだ。しかし刃壊者との戦いでは、その仲間には殆ど手傷を負わせられなかった。


 まともに戦ればこうはならなかったのだと毒づき、マルセロは違和感に気づいた。


 オルト・ヘーネスは常にマルセロに立ちはだかっていた。しかしその剣は、必ずしもマルセロと正面から打ち合うものではなかった。


 意表を突き隙を狙い、マルセロの動揺を誘い、力を削ぐ。要所要所を押さえ、上手く立ち回る。マルセロが見下し、踏み躙ってきた弱者の剣だ。


 比類なき剣才を得たが故に、マルセロは早々に師を打ち負かし、剣を学ぶ事が無かった。受け継がれ、磨き上げられた剣術の価値をマルセロは解さない。


 マルセロは自身の強さに絶大な信頼を持ち、振る舞いの裏付けとしてきた。実際にその力で、多くの敵を葬ってきた。


 しかし今、マルセロは敗れ去り、生を終えようとしている。自身は無敵でもなければ不死身でもなかったのだと、今更ながらに思い知った。


 もう遅い、オルト・ヘーネスがそう言った。


 最初からお前を殺す事しか考えていない、とも言った。


 自らの死を目前にして、マルセロは漸く、自分がずっと戦略の網に絡め取られていたのだと悟った。


 何が悪かったのか。何の事はない、相手が悪かったのだ。

 

 閃光が自分の身体を呑み込み、滅していく。それが勇者トウヤの剣技だと気づいた時が、『剣聖』マルセロの最期となった。




 ◆◆◆◆◆




 ワゴンを押す音が、カラカラと廊下に響く。


 ネーナはある部屋の前で止まり、扉をノックをして中に入った。


「失礼します」


 薄暗い室内。微かに寝息が聞こえ、ネーナは安堵する。


「只今戻りました、お兄様」


 呼びかけに返事は無い。それでもネーナは、声に出す。


「少し窓を開けて、外の空気を入れましょうね」


 陽射しは柔らかく、風は爽やか。屋敷の庭で洗濯物がはためき、その向こうには木々に囲まれた共同墓地が見える。


 洗濯物を干していたリリコとプリシラがお辞儀をし、ネーナも小さく手を振って応えた。


 二人は『深緑都市』ドリアノンで知り合った獣人の女性だ。今は屋敷で住み込みのメイドをしている。男性や知らない人に恐怖心があるものの、シルファリオの町にも慣れて穏やかに暮らせているようであった。


「お二人が来てくれたお陰で、マリアさん達が一緒にお休み出来るようになりましたね」


 先輩メイドのマリア、ルチア、セシリアは三人ともブルーノの妻である。以前から三人で休暇を回していたものの、ブルーノの非番に合わせて全員が休むのは難しかったのだ。


「今日の診察をしましょうか」


 屋敷にいる限り、毎日の診察はネーナが行っている。それとは別に、町医者のトーマスが週に一度往診に訪れていた。


 ベッドの脇でオルトの脈を取り、呼吸を確かめる。カルテを片手に、ネーナは医師の眼で、全身をくまなくチェックしていく。




 死闘とも呼べる『剣聖』マルセロとの戦いから、早二ヶ月。


 オルトは眠り続けていた。


 ベッドの傍らには、反応しなくなった断頭剣が置かれている。


 戦いが終わってから一度として目を覚まさぬまま、オルトは仲間達に運ばれてシルファリオへの帰還を果たした。


 マルセロを倒し、スミスが結界を解除した時、マルセロの配下とハイランド住民の殆どが逃げ出していた。元勇者パーティーメンバーで盗賊団『明日なき旅団』のボニータとクライファート、フェンタキア王国の元王女であるゼフラも消息不明となっている。


 暴力と恐怖で従っていた者達は義理も忠誠心も持ち合わせておらず、暴君マルセロの死で解放されればこれ幸いと去っていたのである。


 往路では隔意が感じられたフェンタキア王国も、【菫の庭園】の帰路に干渉する事は無かった。それは王国からオアシスに駆り出された傭兵達が、こぞってネーナ達の護衛に鞍替えしただけの理由ではなかった。


 強行軍でフェンタキアの国境に辿り着いた【菫の庭園】一行は、盛大な歓迎を受けた。国境の先には数千の大軍が布陣して、フェンタキア軍と対峙していた。


 大軍の先頭にはきらびやかな鎧に身を包んだ、シュムレイ公爵マリスアリアの姿があった。普段の楚々とした印象と違う凛々しい佇まいは、正に一軍の将に相応しいものと言えた。


 集っていたのは公国軍のみならず、『鉱山都市』ピックスの屈強なドワーフ戦士、『自由都市』リベルタの冒険者、Sランクパーティーが率いるクラン『ガスコバーニ』、『通商都市』アイルトンの傭兵、『学術都市』アーカイブの医師や学者など雑多な勢力。


 表向きは『剣聖』マルセロ討伐の援軍をうたいながら、【菫の庭園】の動向や彼等への扱いを注視しているぞ、とフェンタキア王国に圧力をかけていたのだった。


 軍も人も、動かすには多額の資金と糧食を必要とする。決断に対する批判も出る。それでもマリスアリアは、ネーナ達に告げた言葉を違えなかった。【菫の庭園】がスムーズに帰還出来たのは、間違いなく彼女の英断によるものであった。




「――異常はありませんね」


 毛布をかけ直し、診察結果をカルテに記入する。


 そう、オルトの身体に異常は無いのだ。


 ネーナもトーマス医師も、その他多くの名医や著名な医学者達も、所見は同じだった。しかしオルトは昏睡状態を脱せずにいる。


 ならば、医学でない部分に理由を見出すしかない。


 マルセロを倒した直後、オルトは死んでいてもおかしくなかった。


 出血量が多く体力の消耗は激しく、全身傷だらけで、自ら腹を刺して『勇者の一撃』を放った事で、身体に風穴が開いていた。


 危険を顧みずオルトを止めたのはフェスタだった。オルトの攻撃に少し巻き込まれて、使い捨ての回避アクセサリーが砕け散っている。ネーナが見たのはこのシーンだ。


 スタインベルガーはオルトの宣誓に応じて、マルセロを倒すまでの大幅な生命力強化と各種状態異常無効の加護を与えていた。


 そしてレナが行使したのは、いつもの法術ではなく正真正銘の神の奇跡であった。『聖域サンクチュアリ』という最上級の治癒結界は、死の淵にあったオルトを仲間達の下へ引き戻した。


 フェスタが駆けつけるのが遅かったら、スタインベルガーの加護が早くに切れていたら、レナがいつもの法術を行使していたら、或いは『聖域』が発動しなかったら。いずれか一つでも当てはまれば、オルトは死んでいた。


 賢者のスミス、そして聖女のレナ。二人はそれぞれの見地から二つの可能性を指摘した。


 一つはオルトが、マルセロの魔剣『魔神の尾デビルエンド』で何度も斬られた事。もう一つは、オルトが激しく消耗した状態で『勇者の一撃』を放った事。


 つまり肉体的に問題なくともオルトの魂は深く傷つき、その回復に力を注ぐ為に活動出来ずにいるのだと。


 強力な魔剣は物体のみならず、生物の魂すら傷つける。刃が掠った程度ならいざ知らず、魂の損傷は屈強な戦士さえ発狂しかねない痛みを伴うという。


 それをオルトは、都合三十回近くも受けていた。それでも一度たりとも倒れず、退かず、パーティーの盾職タンクとアタッカーを両立し、相手を後退させた。


 激痛をおくびにも出さず、泣き言の一つも漏らさず、世界最強の男に肉迫し、最後には打ち倒した。


 戦うオルトの背中は、ネーナだけでなく仲間達の誇りだ。だがそれとは別に、自分の力不足でオルトに負担をかけたという後悔が、ネーナにはあった。


「――まだ私には、時間があります」

 

 オルトの目覚めがいつになるのか、ネーナにはわからない。けれども今の状況を悲観していない。オルトは生きているからだ。体温は少し低めでも、血の通った温かさがある。


「お寝坊さんでも、大丈夫ですから」


 ずっとオルトに守られてきた。オルトは皆を守ってきた。十分に戦ったオルトは、気が済むまで休んでいていいのだ。たとえ静かな暮らしを望んでも、誰にも文句を言われる筋合いは無い。


 目覚めの時まで、自分と仲間達でオルトを守る。オルトが守ってきたものを、自分達が守る。起きたオルトが驚きで目を丸くするくらいに強くなるのだと、心に誓う。

 

 ネーナは窓の側の椅子に腰を下ろす。そうして、スミスから譲って貰った未読の魔術書に目を通し始めた。

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