第二話 老将軍は腹を決める
客人を伴い、王女の居室に戻ったフラウスを出迎えるアン。その目は驚きに見開かれていた。
「ユルゲンおじ様!」
「姫様。しばらく見ない内に大きくなられた」
古傷だらけの顔でニカッと笑う巨漢の老人。ユルゲン・ノルベルト将軍と言えば、王国軍歴戦の猛将として国民にも知られている。
アンの祖父である先代国王からの信任厚く、ユルゲンが登城した際にはアンを可愛がった事からアンもユルゲンに懐いていた。
二代の王に仕える老将は既に軍のトップは退いたものの、現在は魔族の侵攻が最も激しい東部国境で方面軍司令官を務めている。
「今日はお見かけしませんでしたが、何かありましたか?」
「まあ、あったと言えばあったが。いつもの、些細な事ですのでな」
アンの問い掛けに、ユルゲンは何事も無いように答える。聞いていたフラウスは微妙な表情を浮かべたが、アンから見えない角度であった為に気づく事は無かった。
今度はユルゲンがアンに問う。
「さて。姫様が相変わらずのお転婆と聞いてやってきたが、今回はどの宝物を壊されたので?」
「ち、違います! フラウス!?」
「簡単に事情をお話ししただけです。将軍。話が進みません」
アンはユルゲンの冗談を真に受け、顔を真っ赤にしてフラウスに抗議をする。その視線を軽く受け流し、フラウスはユルゲンを嗜めた。ユルゲンが苦笑しつつ頭を掻く。
「これは失礼。フラウスから話は聞きましたが、やはり姫様より直接お聞きしたいと思いましてな。我が孫同然に可愛がってきた姫様の願いとあれば、この老骨も年甲斐なく張り切ろうというものです」
「…………」
アンはユルゲンの言葉を聞き、何かを言おうとして口を閉じた。
アンには大人の難しい話はわからないが、ユルゲンに自分の思いを話せば迷惑をかけるように思えた。本当なら、フラウスに話した事さえ失敗だったかもしれないと感じていたのだ。フラウスの想像は、アンの内心を的確に当てていた。
ユルゲンはアンの様子を見て、祖父が孫に話すような優しい声色で告げる。
「先王陛下と姫様の母君が亡くなって、もう十年ほど経ちましたか。第一王女のセーラ様も他国へ嫁がれ、姫様も寂しい思いをされたでしょうが、優しく聡い子に育たれましたな」
労うように視線を向けると、恐縮したフラウスが頭を下げた。
「ある頃から妙に空気を読むようになり、周囲の大人に気を遣うようになられましたが。儂が登城した際にはあちこち引っ張り回されて大変でもあり、嬉しくもあったものです」
ユルゲンはニヤリと笑う。
「ゲームをすれば、勝つまで何度でも付き合わされましたな。姫様もお考えがすぐ顔に出るゆえ、泣き出す前に手加減するのが常でしたが」
「お、おじ様!」
「姫様はご自分の立場を顧みて遠慮なされてるのかもしれんが、助けを求めても構わんのです。ここにいるフラウスがそうであるように、儂も姫様をお支えします。必要であれば道を切り開きます。それは母君のディアナ様やセーラ様の希望だけでなく、儂ら自身の望みでもあるのです」
「おじ様、フラウス……」
アンが目を向ければ、フラウスは微笑んで頷いた。
フラウスは勿論、ユルゲンもアンの希望が国王の意向に沿わないものであろう事を十二分に承知していた。それを実現しようとするならば、間違いなく国王の不興を買って我が身に不利益を齎すであろう事も。
実際、ユルゲンの王国軍最高司令官から方面軍司令官への配置転換は、国王ラットムに対して人道的な見地から勇者の待遇改善を度々訴えた末の更迭人事であった。その事はアンを含めた多くの者が知っている。
今回の勇者パーティーの報告にユルゲンが遅参したのも国王が杜撰な連絡を差配したからで、近年のユルゲンは王国の功労者にも拘らず、そのような仕打ちを受け続けていた。
だがそれでも、ユルゲンもフラウスもアンを支える覚悟はとうに出来ていた。真っ直ぐに成長するアンと狭量な国王を比べれば、勇者の件が無くともどこかで衝突するのは目に見えていたからだ。
二人が見守る中、何事かを考えていたアンは一度目を閉じ、開くとユルゲンを真っ直ぐに見据えて告げた。
「おじ様……私は勇者トウヤ様の事を、いえ、トウヤ様というお方の事が知りたいのです。この世界に呼び出され、亡くなるまでの事を。彼に救われたこの世界に生きる一個の人間として、彼を召喚したこの国の王女として、何も知らないで良いとは思えないのです」
「それは、現在王城に滞在しているトウヤの仲間達や、トウヤに関わった者から話を聞くという事かの?」
「……いえ。トウヤ様の辿った道程を、私自身が見たいのです。そのまま同じでなくとも」
ユルゲンはアンの言葉に目を丸くし、肩を揺らして笑い出した。
「……プッ。ワッハッハッハ!!」
「おじ様!?」
困惑するアンと、微笑むフラウス。
ユルゲンは幼い頃のお転婆なアンを思い起こして笑ったのだったが、そのエピソードには触れずに頭を下げて詫びた。まさか、自分で行きたいと言い出すとは思わなかったのだ。
「これは失礼! 昔を思い出してしまいましてな。なるほど、そういう事であれば急いで準備しなければなりませんな」
「でも……」
「姫様、こういう時に言うべき言葉は、『でも』ではありませんよ」
「フラウス……ありがとうございます、おじ様」
「なんの。姫様にお願いされる栄誉など、おいそれと他の者に渡せませぬのでな」
礼を述べたアンに対し、ユルゲンは笑いながら「それはそれとして」と話を変えた。フラウスはユルゲンに面会した際、もう一つ話を伝えていた。ユルゲンはそちらについてもアンの意思を確かめておきたかった。
「姫様、国王陛下が姫様の婚約を発表したと聞きましたが」
「あっ……はい」
途端にアンの表情が暗くなる。ユルゲンとフラウスは顔を見合わせた。アンが乗り気でないのは明らかだ。
「ふむ。姫様としてはどう考えておられるかな?」
気の毒に思いながらも、ユルゲンは踏み込んで聞く。アンが自分の思いを言葉にするのが、ここでは一番大事だからだ。フラウスも無言でアンを見守っている。
「……この国の王女としては受けるべきなんだと思います。騎士団長様の家柄を見ても、悪いお話ではありませんし。明るい話題になるかと――」
「姫様。そういうのは要らんのです」
「はい?」
俯いたアンが懸命に心を殺した答えは、ユルゲンにバッサリと切り捨てられた。少しムッとしながらアンが問いかける。
「……では、どうすれば。おじ様もフラウスも、婚約に賛成なのでは――」
「反対ですな」
「全く反対です」
「え!?」
困惑したアンの問いかけを、二人は食い気味に否定する。さらに困惑するアンを二人は見つめた。
「姫様。フラウスは、姫様が笑顔で嫁げない縁談に送り出す為に、今日までお仕えしてきた訳ではないのですよ」
「そういう事じゃの。何も姫様の相手が、儂を追い落として軍事のトップに座った小僧だから気に入らなくて反対しているのでもない。ま、ちょっとはそれもあるがの」
フラウスの言葉とユルゲンの冗談で、強張った表情だったアンがクスリと笑った。
控えめではあるが、本心を漏らす。アンの気持ちを強く肯定してくれる二人の存在が心強かった。
「そう、ですね。今、受け入れる気持ちにはなれません」
「ではそういう事で。因みに今でなければ受け入れてもいいのですか?」
「無いです」
フラウスの問いかけはアンがキッパリ否定した。否定してからクスクス笑い合う二人。少なくともアン自身は、騎士団長は価値観が違い過ぎて添い遂げる相手とは認識出来なかった。騎士団長の目的も、アンの『王女』という肩書きなのだろうが。
婚約についての話は、アンが否定的な意思を明らかにした事で終わりとなった。時間的には逼迫していたが、その話の重要度は高くなかったからだ。
アンの希望は、勇者トウヤの道程を追いかける事。王城の中では決して成し得ない事で、間違いなく王城にいればアンの行動は国王や重臣達に阻止される。
となれば妨害されないよう王城を出なければならないが、王女が城を飛び出せば婚約どころの話ではなくなる。アンの最優先が決まった時点で、実は婚約など無いも同然であった。
三人は膝を突き合わせ、アンが王城を出る前提で計画を立てていく。真剣な表情で話し合うアンとフラウスの顔を眺めながら、ユルゲンは二人を守り抜く誓いを新たにするのだった。
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