元王女は、勇者の旅路を辿る
風間浦
第一章 王女殿下は鳥籠から飛び出す
第一話 決着、そして困惑
『見事』
静まり返った戦場に、魔王の声が響く。その胸には勇者の剣が深く突き刺さっていた。
だが勇者にはわかっていた。その渾身の一撃をもって尚、魔王を沈めるには足りない事を。
だから覚悟は決まっていた。最後の決戦まで苦楽を共にした仲間達に視線を向け、優しく微笑む。
勇者の意図を察した仲間達と魔王の配下が其々駆け寄ろうとする中、魔王が勇者と言葉を交わす。
次の瞬間、辺り一面が眩い光に包まれた。
――もしも、もしも叶うのならば――
異世界より喚ばれた少年の最期の言葉は、風に溶けて消えた。
光が消えた時、そこに勇者の姿は無かった。
◆◆◆◆◆
『
勇者の仲間達から報告を受けた国王以下、居並ぶ重臣達の明るい表情は、人族の存亡を賭けた長く苦しい戦いが終わった事を実感させた。
しかし国王ラットムの隣で謁見の間を見渡す第二王女アンは、困惑を隠せずにいた。
アンの美しいブルーの瞳が映すのは、謁見の間に集った人々が歓喜に沸く姿。だがその中にあって、無表情に跪く勇者の仲間達からだけは、全く感情を読み取る事が出来なかった。
それも当然であろう。魔王撃退の最大の功労者であり、仲間である勇者を彼等は失ったのだから。
だというのに、貴族達は誰も勇者の死を悼んでいない。アンがそれについて苦言を呈するも、国王は取り合わなかった。
それどころか国王は、この機会にとアンと騎士団長の婚約を発表する始末だ。アンはその婚約を全く了承していない。呆然とするアンの前で、勇者の仲間達が謁見の間から退出していく。
後を追おうとするアンを騎士団長が引き止めた。気安く自分の肩に手を置く騎士団長に対して、アンは密かに眉を
「アン様! どうなされたのです?」
「騎士団長! 離してください! 私は彼らと話したいのです!」
「彼らには彼らの思いがあるのでしょう。そっとしておくべきではありませんか?」
「それは……それでも」
アンは言葉に詰まった。勇者の仲間達が出て行った扉に目を向ける。
確かに、王城の中で危険や戦いとは無縁な暮らしをしてきたアンが彼らの下へ行っても、何も出来ないし言える事もない。アンの話を聞いてくれるかどうかもわからない。それでもアンは行きたかったのだ。
しかしその後に続いた騎士団長の言葉は、そんなアンの思いとは全くかけ離れたものだった。
「それともアン様は、私だけでなく陛下もお望みになったこの婚約がお嫌なのですか?」
「えっ……?」
アンは信じられない思いで騎士団長に向き直った。
騎士団長の目に狂気の色は見られない。素で言っているのだ。去っていく者など置いて、自分との婚約の事を考えてくれと。
――この方も、勇者様に何の感慨も無いんだ。
そう思うと、アンの心も頭もスッと冷えてきた。自らの肩に置かれた騎士団長の手を振りほどく。
「……急なお話です。私にも、気持ちの整理をする時間を下さい。失礼いたします」
ストロベリーブロンドの髪がふわりと揺れる。一礼して退出する王女を、謁見の間にいた一同は困惑して見送るのだった。
◆◆◆◆◆
遠くから賑やかな物音が聞こえる。
魔王撃退の報を受け、王城では早くも祝勝会のような宴会が開かれていた。
アンは最初だけ顔を出したが、気分が優れないと言って早々に退出した。
主賓であるはずの勇者の仲間達は、戦士と魔術師の男性が姿を見せたものの、やはりアンより先に退出していった。
会場は一瞬白けた雰囲気になったが、音楽が流れるとじきに賑やかさを取り戻した。
アンは宴会の様子を思い出して溜息をつく。するとタイミングを見計らったように紅茶のカップが目の前に置かれた。
「姫様。溜息をついては幸せが逃げると申します。それに眉間に皺が寄って、まるで魔女のようですよ?」
「そんなに?」
アンの問いに頷いて首肯の意を示したのは、第二王女付きの侍女であるフラウスだ。もう十年以上もアンに仕えている、アンが最も信頼を寄せる人物でもある。
聡明なフラウスは、謁見の間から戻ったアンの様子がおかしい事に気付いていた。そのタイミングから、王城を訪れた勇者パーティーの報告で何かがあったのだろうとも予想していた。
しかしフラウスは、直接問い質す事はせず、アンが話しやすいようにして待つ事にした。いつもと同じように。
「……魔王が撃退されたと、報告があったの。勇者トウヤ様が、ご自身の命をもって魔王に一撃を加え、封印したと……向こう百年は再び現れる事は無いだろうって」
「そうでしたか」
「だけど皆、喜ぶばかりで……私達の都合で喚び出されて、元の世界に戻れずに命を落としたトウヤ様の事を思うと……」
アンが目を伏せる。フラウスはアンの心中を
「それとね。私の婚約の話が出たの」
「えっ!?」
常に冷静なフラウスが、思わず驚きの声を漏らす。それはフラウスにとっても寝耳に水の話であったのだ。
「お相手、お相手はどなたなのですか!?」
「ちょっ、落ち着いてフラウス!」
「はっ!?」
取り乱したフラウスが、アンの言葉で我に返る。
相手が王国騎士団長のヴァンサーン・レオニスと聞き、話に納得はした。
直系の王族がアン一人である現状、国内の名門貴族を王配に迎えるという選択は現実的ではある。
フラウスは深く息を吐いた。
「それで姫様。姫様ご自身はどうお考えですか? どうなさりたいのですか?」
「わたし、私は……」
アンは何かを言いかけ、口ごもった。
フラウスはアンが呑み込んだ言葉を根気良く待つ。長くアンに仕えるフラウスには、これがアンの遠慮なのだとわかっていた。
アンは心優しく、聡い少女だ。王女である自分の立場や言葉の意味を、幼い頃から正しく理解していた。今も、自分の発言でフラウスが困るのではないかと気にかけているのだ。
アンの優しさを損なう事なく、自主性を育んで欲しい。それはフラウスの学友であり他国へ嫁いだ第一王女と、今は亡き王妃の希望であった。フラウスや王女付きの侍女達は、その事を忘れずにアンに仕えてきた。
暫しの逡巡の後、アンが口を開いた。
「私は……考えてみたらトウヤ様の事をほとんど知らなくて……トウヤ様がこの世界に来てからの事を知りたい。いえ、知るべきだと思うの。彼がこの世界に来てから、亡くなるまでの事を」
「承知しました」
アンは自分の思いを言葉にした。ならばここからは
フラウスはアンに一礼すると、別の侍女に後を任せて部屋を出た。廊下を足早に歩きながら持っている情報を整理し、状況を分析する。
国王以下重臣達は『祝い事で全て有耶無耶にしたい』のではないか。フラウスはそう考えた。長らく王国の施策が上手く行っているとは言えず、国民にも不満が溜まっていると聞く。
勇者トウヤを召喚したのは、我がサン・ジハール王国だ。勇者輩出国として『平和の獲得に多大な貢献をした』と王国内外に触れても異論は出ないだろう。
トウヤは死亡していても他のメンバーが王国に居るのだから、その功績を国民に明らかにして祭り上げてしまえばガス抜きにもなる。なのにそれをせず、取ってつけたようなアンと騎士団長の婚約話を使おうとしている。
そこだけを見ても、王国の上層部と勇者パーティーの面々は、とても折り合いが良いとは思えない。
王城での宴会に招かれて形だけ参加の体をとったからには、勇者パーティーは今後の行事への協力を避けて早く出国する可能性が高い。非礼とまでは言えずとも、ホストである王国の心象は良くないのだ。
魔王と勇者の話題は、時間経過で他国から入ってくる。王国としては、国民に人気のある王女アンの婚約を早く進めてその代わりにしたいであろう。とすれば、今回のアンの言動が国王の不興を買っている事も考えられる。
――いえ。不興を買っていないという前提だと、取り返しがつかないかもしれない。
フラウスは薄々とではあるが、アンが知りたいと願う情報が王国の闇に触れそうな気がしていた。王城で暮らし、王都で得られる情報に広くアンテナを張っているフラウスが、勇者やその一行については然程知らなかったからだ。
普通に考えれば、長引く魔族との戦いの中、民心の安定の為に勇者の情報を多く流してもいいのに、それが無かった。フラウスの懸念する通りならば、アンがいつまでも自由に動ける保証も、フラウスがずっとアンの側に居られる保証もない。
――あまり時間が無いと考えるべきでしょうね。まず協力を求めるべき方は……。
アンの望みが国王の意に沿わぬとすれば、アンの為に助力を求める事が出来る相手は数少ない。現在王城に詰めている貴族の大半は国王派で、話を持ちかけた時点で国王に筒抜けになるだろう。
国王派でない貴族も、フラウスの話を聞いて協力してくれる保証はない。国王に対する忠誠と王国に対する忠誠は必ずしも一致しないし、勇者召喚に対する賛否も人それぞれだからだ。わからないものにアンの身柄を賭ける事は出来ない。
だが一人だけ。フラウスが率直にアンの思いを伝えて助力を求められる人物がいる。活動拠点は王城の外であるが、王女アンを幼少期から見知っている人物。フラウスは勿論、アンも絶大な信頼を寄せる人物。王国内でも相応の実力を持つ人物。
その人物は勇者パーティーの報告に呼ばれてはいたが、遅れて王城に到着した為にまだアンと顔を合わせていなかった。
「――この部屋ね。いらっしゃるといいのだけれど」
フラウスは、ある部屋の扉の前で立ち止まった。フラウスが思い浮かべた人物が、この先にいるはずであった。
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