第七十二話 その名は『CLOSER』
暴走しているのかと見紛うばかりの勢いで、一台の馬車がシルファリオの市街を駆け抜ける。慌てて脇に飛び退いた人々は、怒るのも忘れて遠ざかる馬車を呆然と見送っていた。
「うおッ!?」
「きゃあああ!!」
「危ねえ!!」
人々の悲鳴や怒号が飛び交う中、馬車はシルファリオの冒険者ギルド支部前に急停止した。
ギルドのホールでは、ネーナとエイミーが仲の良い女性冒険者達と談笑していた。
「それでね、そのクエスト自体は普通の薬草採取なんだけど。森の奥に泉があるの」
「ふむふむ」
いつになく真剣に話を聞いているエイミー。ネーナは地図を取り出し、泉の場所を調べている。
「そこでお祈りすると、恋が叶うって言われてるの」
「へえ〜〜!」
「だから今度時間合わせて、皆で行かない? メルルの応援ツアー! 目指せ幼馴染脱出!」
「ちょ、ちょっとナナリー! 声大きい!」
顔を真っ赤にしたメルルがナナリーの口を塞ごうと試みるが、ナナリーは軽い身のこなしでサッと躱した。
ネーナがスケジュールを確認しながら言う。
「予定は大丈夫だと思いますけど、お兄様に確認してからのお返事でいいですか? ナナリーさん」
「勿論! 二人とも、町にいない事も増えたからね」
ナナリーはグッと親指を立てて笑った。
ナナリーは探索系のクエスト中心に活動しているパーティーのリーダーだ。明るさと面倒見の良さで、後輩の女性冒険者に慕われている。
今はメルルの愚痴を皆で聞いてやっていた。メルルは同じパーティーに所属する幼馴染の少年が好きなのだが、如何せん少年が奥手で一向に仲が進展する気配が無いのだという。
ナナリーは『だったら自分から押せ』とメルルに発破をかけ、皆でシルファリオ周辺のパワースポットに願掛けに行こうとぶち上げたのである。
ネーナもエイミーも、同年代の同性とそのような事をするのは初めての経験で、非常に楽しみだった。
「オルトさんかあ……私、お話しした事なくて……ちょっと怖そう」
「お兄様はとっても優しいですよ、メルルさん?」
「うんうん」
メルルにとっては、あまり接点の無いオルトは怖くてとっつきにくい印象のようだった。
メルルが見ているオルトは、普段はそれ程存在感が無く、レオンや【
ナナリーはもう少しオルトを高く評価してはいるが、ビジュアルと冒険者ランクを重視していた。
「私はリチャード様推しかな。リアル王子様よね」
「お兄様もとっても格好良いですよ?」
「うんうん」
「ネーナちゃんもエイミーちゃんも、オルトさん好き過ぎ――」
バタン!!
突然、ギルド入り口の扉が乱暴に開かれた。冒険者や職員の視線が集中する。ネーナ達も会話を中断して扉の方に目を向けた。
ボロボロの格好。防具は壊れ、血塗れ怪我だらけの女性が倒れ込むようにして入ってきた。あまりの変わりように、誰もすぐにはサファイアだと気づかない。
女性は掠れ気味の声で叫んだ。
「リチャードがやられた! 誰か、オルトに……リチャードを助けて!!」
ギルド支部が静まり返る。サファイアもその様子を見て、自分がここで揉めた事を思い出した。
だがサファイアは、ここで訴えるしかなかった。リチャードが意識を失う前に、女性達に言ったのだ。
『シルファリオに行け、オルトに助けを求めろ』と。
大量の血を失い、力が入らない身体を無理矢理動かして、サファイアは声の限りに叫んだ。
「誰か……お願い、仲間を……っ!」
その時、一人の冒険者がサファイアの元に駆け寄った。が、相手の顔を見たサファイアは恐怖で顔を歪ませた。相手は以前、自分とトラブルになった冒険者だったのだ。頬の刀傷は見忘れよう筈もない。
刀傷の男はサファイアの肩を掴んだ。サファイアが身体を竦ませる。
「馬鹿野郎!!」
「ひっ」
刀傷の男はサファイアを怒鳴りつけた。
サファイアは『殴られる』と思い、目を瞑る。だが、その時は訪れなかった。
「てめえがボロボロじゃねえかよ! 無理に動くんじゃねえ! 死にてえのか!」
サファイアの身体に、ジャケットが被せられた。サファイアは何が起きたのか理解出来ずにいた。
刀傷の男が言った。
「若い女が、無闇に肌を晒すもんじゃねえ」
弾かれたようにネーナが外へ走る。馬車の中のリチャード達を見つけて駆け寄り、状態を確かめてギルドに戻る。
「馬車に重傷者三名! 自力で降りれません! エイミー!」
「トーマス先生、連れてくる!」
言いながら、翔ぶような速さでエイミーが駆け出した。ギルド職員のエルーシャは、チーフとして現場を仕切り始める。
「ジェシカ! オルトさんを!」
「今は支部長室! 呼んでくる!」
「ナナリーさんは治療スペースを確保して下さい!」
「任せて!」
ジェシカは階段を駆け上がり、ナナリーは冒険者達にホール中のテーブルを片付けさせ、並べて即席ベッドを作らせる。
「あるだけの毛布と清潔な布を持ってきな! それとお湯! いくらあってもいいから沸かして!」
「こちらにも毛布を! 担架にします!」
ネーナが毛布の両端を丸めて即席担架を作ると、他の冒険者もそれを真似て同じものを作り出した。
さながら野戦病院と化したギルド支部の中を、冒険者達が忙しなく走り回る。
その様子を呆然としながら見ていたサファイアも、即席ベッドに寝かされた。安堵して気が緩んだせいか、全身に残った僅かな力も抜けていく。
そのサファイアに瓶が押し付けられる。刀傷の男からだった。
「飲んどけ。てめえも放っときゃ死んじまう」
サファイアは自分の掌の中の小瓶を見つめる。驚いた様子で仲間の冒険者が言う。
「
「いいんだよ。後生大事に薬を持ってたって、御守りにはならねえんだ。生きててこそだ」
「どうして……」
サファイアが呟いた。それを聞いた仲間の男に腰をポンと叩かれ、刀傷の男はガリガリと頭を掻く。
「冒険者なんてのは、堅気の仕事が務まらんような連中の掃き溜めだ。気が合わねえ、話が合わねえと言っちゃ喧嘩をし、愚痴って酒を飲んではまた喧嘩。最期は罠や魔物にヤラれて野垂れ死ぬ。だからって目の前で死なれてたまるか。酒が不味くなる」
そんだけだ、と言い捨てて刀傷の男は立ち去った。残されたサファイアは、手の中の小瓶をじっと見つめていた。そして男が去った方向に小さく頭を下げてから、ポーションを飲み干した。
ネーナは、ギルドに運び込まれたリチャードを見て息を呑んだ。
「酷い……」
脇腹には貫通した背後からの刺し傷。右腕はどす黒く変色し、肩まで凍りついている。小さな傷は数え切れない。
一緒に運び込まれた魔術師のマリンは外傷は少ないものの意識不明、スカウトのエリナは外傷が少なく、極度の疲労による行動不能。
「ちょっと通して!」
レナとオルトが冒険者を掻き分けてやってきた。一緒に二階から降りてきた支部長代理は、ジェシカと共に本部や近隣のギルド支部への連絡を取り始める。
「何これ!?」
リチャードを見たレナが顔を顰めた。ネーナが推測を述べる。
「腕が凍っているのは、マリンさんの魔術でしょう。黒いのが何かはわかりませんが、浸食を抑えようとしたんだと思います」
シルファリオに戻るまで、懸命に凍結を持続させたのだろう。マリンの症状は魔力が枯渇した時に見られるものだった。
「毒と呪いのハイブリッドだわ。やった奴はいい趣味してるわね」
言いながらレナが腕まくりをする。
「ネーナ、凍結の解除をお願い。可能なら毒の進行を抑えて。その間に解呪と解毒をするから」
「はい!」
「あたしらを舐めんじゃないっての!!」
二人がほぼ同時に詠唱を開始する。
『
『
リチャードの右腕を覆う氷が、無数の細かい粒子となり散っていく。入れ替わるように幾つもの光の筋がリチャードに収束し始めた。
◆◆◆◆◆
エイミーがトーマス医師に続いてフェスタとスミスを連れて戻って来た時には、【四葉の幸福】のメンバーへの処置はあらかた終わっていた。
四人共に出血と被ダメージが多く、トーマス医師から絶対安静を言い渡された。
最も危険な状態だったリチャードと魔力を出し尽くしたマリンは、シルファリオに戻ってから一度も目を覚ましていない。緊張の糸が切れて意識を失ったサファイアも眠り続けている。
オルト達としては気が引けたが、四人の中では最もダメージが少なかったエリナから事情を聞く事にした。
「済まんな。休ませてやりたいのは山々だが、こちらに出来る事を放置する訳にもいかないんだ」
「気にしないで。私達が今生きていられるのは貴方達のお陰。どれだけ感謝してもしきれない」
オルトが言うと、エリナが応じた。エリナは非常に協力的だった。
【四葉の幸福】は冒険者ギルド本部からの指名で、アーカイブ支部が対応出来なかった特別な依頼を請け負っていた。依頼内容は『冒険者殺し』の捕縛、ないしは殺害。
対象の元Bランク戦士は逃亡し、アーカイブ近郊のダンジョンに潜んでいるとの情報を得ていた。ギルド本部の緊急封鎖が完了次第、リチャード達が当該ダンジョンに突入する手筈となっていたのだ。
依頼を受けたのと時を同じくして、『視線』やそれに関係するトラブルが発生した。その対応で、【四葉の幸福】メンバーは心身共に疲弊していた。
リチャードの決断でシルファリオに暫定的な拠点を移し、最悪の状況は脱したものの、パーティーのコンディションは決して良くはなかった。
『冒険者殺し』は当該ダンジョンの踏破経験があり、地の利を活かして【四葉の幸福】に激しく抵抗した。だがリチャード達は、Aランクパーティーの地力を発揮して『冒険者殺し』を追い詰め、遂には討ち取って依頼を達成した。
依頼達成の証拠品を手に入れ、帰路に就こうとするリチャード達。戦闘終了直後、封鎖されている筈のダンジョン。ほんの僅かな隙を、『敵』に突かれた。
何者かの攻撃が、魔術師のマリンを襲う。いち早く気づいたリチャードがマリンを庇い、脇腹を穿かれた。動きの鈍ったリチャードは、さらに右腕を負傷。仲間達が介入する間も無い、短時間の出来事だった。
そのリチャードが放った決死の一撃で追手を退けたものの、リチャードは容体が悪化。激戦続きで手当てをする為の資材も残っておらず、苦渋の決断でマリンが患部を凍結させてシルファリオに帰還した。
エリナが溜息をついた。
「……私が話せるのは、これくらい。襲ってきたのは、恐らく『CLOSER』だと思う」
「殺し屋って事か? 【四葉の幸福】は依頼自体は達成してるんだよな?」
オルトが尋ねると、エリナは無言で肯いた。オルトは呟く。
「『
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