第七十三話 初めての兄妹喧嘩
エリナが話し終えた後、暫くは誰も口を開かなかった。
「あの――どうされたんですか? 皆さん」
後から部屋に入ってきたジェシカが、静まり返った室内の様子に戸惑いを見せる。
ジェシカはサファイアとマリンが目を覚ました事を伝えに来たのだった。その一報は部屋にいた者達を安堵させ、室内の緊張感を僅かに緩ませる。
仕切り直しとなった話の中で、口火を切ったのはスミスの質問だった。
「エリナさん、と仰いましたね。私は【菫の庭園】のスミスと言います。【
その場にいる者の視線がエリナに集中した。『敵』の正体、その根拠。どちらも非常に重要なのだ。
エリナは静かに肯いた。
「私も他の仲間も、それぞれ事情を抱えて行動を共にしている。他のメンバーの素性について私が話す事は出来ないけれど、私は
『CLOSER』に斬られた相手は傷口から全身に渦巻きのような黒い模様が広がり、苦しみながら死に至るのだという。その症状は、リチャードの腕が黒く変色していた様子を想起させた。
暗殺者、それも凄腕となると情報の多くは秘匿されている。エリナが実際に攻撃を受けるまで相手の正体に気づかなかったとしても、誰も責められない事だった。
「隙を突かれたとはいえ、私達Aランクパーティーに捕捉される事なく付け回し、渡り合う実力のある者は限られる。その中にあのような特徴的な攻撃をする者は、『CLOSER』以外いない」
「エリナさんが狙われたという事ですか?」
「それは違う」
ネーナの問いを、エリナは即座に否定した。
「『CLOSER』は非常に高額な報酬でなければ動かないし、生半可な立場の者では依頼すら出来ない。『CLOSER』を動かして私を殺すメリットなど無い」
「……目的はわからんが、命を狙われたのは、恐らくリチャードだろうな」
オルトはエリナの証言を思い返しながら言った。
『CLOSER』はマリンを攻撃し、それを庇って負傷したリチャードに致命的なニ撃目を入れた。仲間達が介入する間もなく。
エイミーが首を傾げる。
「お兄さん、それだとマリンお姉さんが狙われたんじゃないの?」
「エイミー。リチャードさん以外は
「そっか!!」
ネーナのヒントを聞き、エイミーも納得した。
リチャードのみが辛うじて反応し、身を呈して庇わざるを得ない角度、タイミング、スピードの攻撃。本命はその次の、腕を切りつけた攻撃だったのだろう。
「リチャードの反撃も、一仕事終えた『CLOSER』が現場を離脱するのに利用したのかもね」
フェスタが何度も頷きながら言う。
「そうなると、リチャードを含めて誰一人死んでいない現状は、『CLOSER』としては甚だ不本意で、想定外という事になるな」
オルトはエリナを見た。この室内にいるメンバーの中で、『CLOSER』についての情報を持っているのはエリナだけだ。
「もう一度来ると思うか?」
「必ず来る」
エリナは即答した。
「『CLOSER』は、依頼達成率が高い事を盾に高額な報酬を要求し、地位や権力のある依頼人を選別している。『CLOSER』が動いた事は、裏社会に属する者は知っている。今後の事を考えても、絶対に失敗したくないはず」
冒険者もそうだが、依頼の失敗に対して他者の目は冷たい。自分のキャリアの絶頂にいる時の失敗など受け入れ難いはずだ。
「そういう事だ。それで、どうするかという話だが――」
「Aランクパーティーを翻弄するような暗殺者とやり合うのは無茶だ。リベルタのギルド本部に要請して、【四葉の幸福】のメンバー全員が回復するまで保護して貰うのが妥当ではないか」
同席していたギルド支部長代理のハスラムが見解を述べる。客観的に状況を見た意見で、聞いている者に説得力を感じさせた。ギルド支部の責任者としても、堅実な対応と言える。
フェスタはここまで口を挟まず、エリナの様子をじっと見ていた。フェスタは、そのエリナに問いかけた。
「妥当ね。妥当なんだけど、一番の当事者としてはどうなの? 言いたい事ありそうだし、言っといた方がいいわよ?」
「…………」
暫しの沈黙。だが他の者にはフェスタが言う通り、エリナが言いたい事を我慢しているように見えた。
逡巡の後、エリナの口から苦しそうに言葉が絞り出された。
「こんなザマで言えた事では無いけど……リチャードの敵を取りたい。サファイアとマリンも、同じ事を言うと思う」
「いいね。ホレた男をヤラれて引き下がっちゃ、女がすたるってものよ」
レナがエリナの心意気を称える。だがオルトは、一言短く聞いた。
「勝算は?」
「…………」
再びの沈黙。
「リチャード抜きでも、仮に他の三人が本調子なら勝てると思うか?」
「……それは。それでも――」
オルトは溜息をついた。
エリナも自分が勝てるとは思っていない。まず、本調子に戻す時間も無いのだ。送り出せる訳が無かった。
「俺はリチャードから、『万が一の時には頼む』とお前達を託されたんだ。お前達がその気なら止めはしないが、あいつが目を覚ました時、お前達は墓の下で迎える気か?」
「っ!」
「はっきり言うが、今回はお前達のリベンジの機会は無い。諦めろ。お前達の面子や心情に配慮している余裕がないんだ」
エリナは俯いてしまった。オルトは次いでハスラムを見る。
「支部長代理。本部に【四葉の幸福】の保護を要請して、最短で護衛が来るのは何日かかると思う?」
オルトに尋ねられたハスラムは、少し考えて答えた。
「三日。それ以上早くはならないだろう」
「少なくとも一度は、シルファリオ支部の現有戦力で『CLOSER』を撃退しなければならないのですね」
ネーナの言葉を聞いたレナが、バシッと音を立てて掌に拳を打ち付ける。
「なら話は早いね。一回戦って倒せばいいのよ」
ハスラムが渋面で言った。
「町中でやり合う気か?想定される被害が大き過ぎるぞ……」
「ギルドが冒険者を見捨てるの?」
「そんな事は言っていない!」
レナとハスラムの間で口論が始まってしまう。スミスが仲裁に入った。
「レナ。あまり意地の悪い事を言うものではありませんよ。支部長代理が全体の被害を慮るのは当然でしょう」
「そりゃそうだけどさ……オルト、何か言ってよ」
不満げなレナが、オルトに話を振った。オルトは言葉を選びながら、自身の見解を述べる。
「……当面の戦いを回避しても、先に延ばしても、結局はどこかでやり合う羽目になる。誰かを巻き込みかねないのも同じだ。だったら、向こうからやって来るのが確定している今、戦るしか無いだろう」
「同感ですね。時間を置いて『CLOSER』が冷静さを取り戻してしまえば、いつどこで、誰が狙われるがわからなくなります。今ならある程度、被害を抑える方向に相手の行動をコントロール出来るかもしれません」
スミスが同意を示した。オルトが言う。
「支部長代理。やるのであれば、リチャード達を餌に『CLOSER』を引き付けて叩くしかないぞ。それもチャンスは一度きりだ。その一度でベストの結果をもぎ取らなくてはいけない」
ハスラムは諦めを滲ませた、何とも言えない表情になった。
「因みに、勝算は……やっぱり聞かないでおく。執務室にいるから、後で決まった事を教えてくれるかな」
胃の辺りを押さえながら部屋を出て行くハスラムをよそに、残った者達が算段を始める。
作戦はシンプルだ。ギルドが所有している建物に【四葉の幸福】一行を待機させて情報を流し、迎え撃つ。地下室に誘い込んで退路を断てば、凄腕の暗殺者と雖も逃げられない。
通常ならば成功の見込みは薄い。だが『CLOSER』は、仕留めたはずのリチャードが生きているというイレギュラーに困惑しているに違いない。
既にシルファリオの最高戦力であるAランクパーティーは、自らの手で無力化した。後三日、リベルタのギルド本部から護衛が来るまでの間にリチャードを殺してしまえば、多少の手違いはあったがいつも通りの依頼達成となる。『CLOSER』はそう考える筈だ。
所属冒険者の層が厚いアーカイブだったら断念したかもしれない。絶好のチャンスは三日間のみ。そこがオルト達の狙い目であった。
◆◆◆◆◆
「私にやらせて下さい!」
「駄目だ」
「どうしてですか!」
「相手が悪い。今回は実戦経験が豊富なスミスの出番だ」
ネーナは激昂していた。
【四葉の幸福】の女性メンバー達は不本意ながらもリチャードと共に、敵を引き寄せる『餌』の役割を引き受ける羽目になった。
地下室の奥で暗殺者『CLOSER』を待ち構える彼女達に、逃げ道は無い。自分の身は自分で守らなければならないのだが、魔術師のマリンは魔力欠乏症の影響で、一時的に魔術の展開が不安定になっていた。
彼女達を守る為に護衛を多数置けば、敵に気取られる。そこでネーナが【四葉の幸福】のメンバーと共に待機し、障壁で彼女達を守る役割を買って出ようとしたが、『それはスミスがやる』とオルトに却下されてしまったのだ。
「万が一、敵がスミス様の情報を持っていたら警戒されてしまいます!」
「俺達【菫の庭園】に関する情報があるなら、Cランクパーティーの【路傍の石】に怪しまれるような雑な仕事はしない。向こうが舐めてかかってくれるのが前提なんだよ」
「だったら尚更、私がいた方が油断を誘えるはずです!」
食い下がるネーナに、オルトは溜息をついた。
「油断してても、相手は凄腕の暗殺者。本命のリチャードを斬る為に、マリンを攻撃して庇わせるような手練だ。今までの敵とは危険度が違い過ぎる」
「私だってやれます!」
「ネーナ……聞き分けてくれ」
オルトが心底困り果てたように言う。それを聞いたネーナは肩を落とした。力なく席を立つ。
「わかりました……少し頭を冷やしてきます」
「……お兄さん、私も行くね」
「ああ、頼む」
部屋を出て行くネーナを、エイミーが追いかける。フェスタが珍しいものを見るような目をオルトに向けた。
「そう言えば初めてじゃない? 兄妹喧嘩みたいなやつ」
オルトは答えず、気まずそうに目を逸らした。
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