第七十四話 認めて欲しいから
ネーナはとぼとぼと、建物の中を歩いていた。
階段を降りてホールに出ると、深夜な事もあって、僅かな当直の職員と冒険者がいるだけであった。いつも通りのギルド支部に戻っている。
簡易ベッドも撤去され、エリナを除く【
ネーナは出入り口の扉に手をかけたが、すぐにその手を下ろした。後をついて来たエイミーが声をかける。
「その方がいいよ。もう『CLOSER』が来てるかもしれないし、外に出る時は皆で一緒がいいと思う」
ネーナは黙って頷くと、空いている席に座った。エイミーは向かい側に腰を下ろす。
何も気の利いた言葉を思いつかないエイミーは、仕方なく自分が感じた事をそのまま口にした。
「私も、今回はおじいちゃんに任せた方がいいんじゃないかと思う。ネーナも凄く強くなったと思うけど」
それを聞いたネーナは、ポツリと呟く。
「……私は、エイミーが羨ましいです。私だって、お兄様のお役に立ちたいんです」
エイミーは言葉に詰まってしまった。
ネーナがオルトの役に立っていない、などという事実は無い。だがそう伝えたとしても、今のネーナは納得しないであろう。それはエイミーにもわかった。
ネーナは【菫の庭園】というパーティーの中において、他のメンバーとは状況が異なっている。
仲間達はそれぞれ替えの効かない役割を務めているが、賢者と魔術師には『大賢者』とも称されるスミスがいるのだ。
自ずとネーナは二番手に甘んじる事になる。だが当のネーナは、それを良しとはしていなかった。
魔術師や賢者としての指導を受け、冒険者として戦いに身を投じるようになって、まだ半年やそこら。そんな少女が、師匠であり、人類の最高峰の魔術師と言っても過言ではないスミスに遠く及ばない事を本気で悔しがっていたのである。
ネーナはスミスを尊敬しているからこそ、超えたいと願うのではなく、超えようとしていた。
そのネーナに声がかかる。
「ネーナ、少しの時間も待てない? 今回やらなければ駄目なの?」
「フェスタ……レナさん」
四人分の飲み物をトレーに乗せて、フェスタが立っていた。その後ろにはレナもいる。フェスタはネーナとエイミーの前にカップを置きながら言った。
「さて、どうしようかしら。ネーナはサファイア達を守る役目をやりたいのよね?」
ネーナはコクリと頷いた。
「それは、オルトに認めて欲しいから?」
「…………」
ややあって、ネーナは再び首肯した。勿論、サファイア達を助けたい気持ちはある。でもそれだけでない、もっと強い動機もネーナは自覚していた。
レナがレモネードを飲み干し、グラスをタン、と少し強めに置いた。
「あたしはいいと思うけどね、ネーナでさ。でも今のオルトは、なし崩しに暗殺者迎撃作戦のリーダーに収まっちゃってるよね。オルト以上に相応しい人も見当たらないし」
今のオルトは、仲間達だけでなく、シルファリオの住民達の命も背負っている。どうしても『ベスト』の結果をもぎ取らなければならない。だからエリナ達の思いを良く理解しながら、心を鬼にして敵討ちを認めなかったのだ。レナはその点を指摘した。
レナに代わり、フェスタが問いかける。
「オルトは、ネーナが駄目だと思ってる訳じゃない。現実にスミスがいるから、『今は』スミスを使うのがベストだと考えてる。私達もそう。それはわかるわね?」
「……はい」
フェスタはネーナの思いも、ある程度は理解していた。それは、オルトと共に歩みたいと願う自分が、過去に通って来た道だからだ。
「それでも、自分がやりたい?」
「はい。私にもベストの結果が出せるって、証明したいです。スミス様がいる間に」
迷いなくネーナが答えると、フェスタは満足そうに笑って立ち上がった。レナは大きく伸びをする。
「じゃ、行こうか」
「えっ?」
レナの発した言葉の意味がわからず、ネーナは首を傾げた。
「えっ、じゃなくてさ。『お兄様』を説き伏せて、スミスの役を交代しなきゃ。あまり時間無いよ?」
ネーナはレナに手を引かれるまま、オルトやスミスのいる部屋へ向かった。
◆◆◆◆◆
部屋に戻ってきたネーナの希望を聞いたオルトは、当然ながらそれを却下した。
敵が危険過ぎるのだ。ただ一度のチャンスで仕留めきる以外は、全て失敗である。
戦闘で仲間が倒れるかもしれない。逃がしてしまえば、いつどこで、誰が狙われるか怯え続ける生活が始まる。そのような怖れを強く抱かせる程に、暗殺者『CLOSER』は強敵であった。
手持ちの最強のカードを切って勝負しなければならない場面。現時点で最強のカードが、ネーナでなくスミスなのは衆目の一致する所。シルファリオの町への被害を避ける為にも、『ベスト』の布陣で戦いに臨む以外は、オルトには考えられなかった。
だがネーナは再び、自分を起用して欲しいと強く主張した。前回と違い、フェスタとエイミー、レナまでがネーナを支持したのである。
『即死以外ならどうにかするから』
そうレナが言うと、仲間達のやり取りを傍観していたスミスは、棒読みの台詞を発した。
『急に腰が痛くなってしまいました』
ギルドの代表として話し合いに参加しているエルーシャ、シルファリオの冒険者の実質トップである【路傍の石】の面々、今件の当事者である【四葉の幸福】の女性メンバー達は一切口を挟まない。
ブルーノはアーカイブに帰っているから、オルトだけが反対を唱えている状況である。オルトは渋々ながらも多数決を尊重したのだった。
決まれば急いで動かなければならない。
意識の戻らないリチャードを含めた【四葉の幸福】一行とネーナは、ギルドが所有する別な建物の地下室に移動する。市街のギルド支部で戦闘が発生すれば、住民にも被害が出てしまうからだ。
慌ただしく準備が始まった室内で、ネーナはオルトの姿を目で追っていた。それに気づいたオルトがやって来たが、ネーナは俯いてしまう。
「ネーナ」
ネーナの頭に軽い重みがかかる。ネーナが大好きな、オルトの手の感触だ。オルトの声が聞こえる。
「スミスと同等以上の魔術師がこっちにいるつもりでやるからな。頼むぞ」
クシャっと髪を撫でられる。見上げたオルトは、微笑みを浮かべていた。不安げだったネーナの顔が、みるみるやる気に満ちていく。
「必ず。【四葉の幸福】の皆さんをお守りします」
ネーナは一度オルトにギュッと抱きつくと、小走りに部屋を出て行った。
◆◆◆◆◆
ネーナと【四葉の幸福】の一行が地下室に下りていく。建物は臨時の勾留施設として使われるもので、倉庫街の外れにある。つまり周囲に民家が無く、今回の目的にはうってつけの立地であった。
地下室の部屋は全部で七つ。階段を降りて鉄の扉を開けると、廊下の左右に三部屋ずつ。そして廊下の突き当たりに一部屋。ネーナ達は少しでも『CLOSER』の退路を減らす為に、左側の一番奥の部屋に入る事を選んだ。
「最長で三日、ここで待機して貰う事になるわ。毎日一度は私が様子を見に来るから」
「宿泊に必要なものは一揃用意してありますので、ご自由にお使い下さい。合鍵をお渡ししておきます」
フェスタとジェシカは地下室の状態を確認すると、外から鍵を閉めて階段を上がって行った。遠ざかる足音と、扉の隙間を風が抜ける音だけが地下室に響く。
「……ごめんね、ネーナさん。私達の事に巻き込んでしまって」
階段を上がる足音が消えると、【四葉の幸福】の魔術師であるマリンが頭を下げた。本来は透き通るような緑と青のオッドアイが、申し訳無さそうに曇っている。
「万が一があっても、君の事だけは何としても守るから」
決意を込めた表情でサファイアが言い、エリナが頷く。だがネーナは頭を振った。
「困った時は助け合うのが冒険者ですよ。それに、『万が一』なんて起きません。すぐにリチャードさんと一緒にここを出られます」
女性達の視線が、眠り続けるリチャードに向いた。サファイアが呟くように言う。
「オルトか……君は、
「ネーナさんのお兄さんなのよね?」
マリンの問いに、ネーナは頷いた。
「リチャードも倒れる前に、『オルトを頼れ』と言っていた。正直、私は彼が『CLOSER』に勝てるかどうかわからないが――」
「勝ちますよ。お兄様は必ず勝ちます」
サファイアの言葉が途中で遮られる。ネーナは迷いなく、きっぱりと言い切った。
「ですから。私達がすべき事は、無事でいる事。それだけです」
「そうか……そうだな。君達は仲の良い兄妹なのだな。私は兄に疎まれているから、羨ましいよ」
サファイアが遠くを見るような目で言う。ネーナにはサファイアの事情はわからなかったが、もしかしたら彼女の生い立ちがその振る舞いに影響を与えているのかもしれないと感じた。
「お兄様はとっても優しいです。私の仲間も、ギルドの皆も、私は大好きです。皆さんもきっと仲良くなれますよ。これが終わったら、打ち上げをしましょう!」
「素敵ね! 私達も沢山お礼やお詫びを言わなければならないし、そういう機会があると嬉しいわ」
ネーナの提案に、マリンが両手を合わせて嬉しそうに笑う。サファイアとエリナも微笑んだ。
「……誰か来た」
その夜の深夜から未明に変わる頃。
最初に反応したのは、スカウトのエリナだった。ネーナも含めた他の三人には感じ取れない気配を、エリナは確かに感じ取っていた。
「気配も足音も殺してる。扉の風切り音も聞こえなくなった。味方なら、そうやって近づく理由が無い」
「外にはゴーレムが居たはずですが……無力化されたのでしょうか」
ネーナが小声で応じる。
夜間には人が近づかない場所である事から、建物の前にはゴーレムが設置されていた。とはいえ案山子のようなものであるが。
「来るのが早いとも思えるが。敵も焦りがあるのかもしれないな」
「だとしても油断は出来ないわよ」
「無論だ」
サファイアとマリンのやり取りを聞きながら、ネーナは対物理と対魔法の結界を重ねがけした。
『――やあ、お嬢さん達。随分と早起きじゃないか』
扉の向こうから、くぐもったような声が聞こえた。全く気配が感じられないのに、間違いなく何者かがそこにいる。ネーナは戦慄した。
サファイアが侵入者に応じる。
「女性の部屋と知って押しかけるのは不調法というものではないか? 夜這いはお断りだ。お引き取り願いたい」
くぐもった声が嗤う。ネーナの背筋が凍るような、不気味な響きだった。
『お相手頂けないのは残念だが、帰るのは吝かではないよ。――そこにいる、リチャード・ギャランを引き渡してくれるのなら、ね』
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