第七十五話 奥で『LOSER』になってるわよ

 扉が静かに開き、何者かが姿を現す。ネーナも今は自分の目で見ているから認識出来るが、元暗殺者であるエリナ以外は接近に気づけなかったのだ。


 そのエリナが、仲間達だけに聞こえるように告げる


「恐らく、一人だけ」


 黒いフード付きのマントを纏い、目と口の部分に穴が開いた白い仮面。声を聞く限り、若い男性のようにも感じられる。不気味な事この上ない。


「おや、初めてお目にかかるお嬢さんがいるね。私は『CLOSER』と呼ばれている者だよ。先程も言ったが、そこの男性を引き渡して貰えないかな? 手荒な事はしたくないんだ」

「断る! リチャードは私達が守る!」


 剣を抜き放ち、サファイアが吼える。その隣にはナイフを逆手に持ったエリナが進み出た。


「勇ましい事だが、そこに寝ている彼がいても、私一人に手玉に取られたのを忘れた訳ではないだろう?」

「……それでも、です」


 魔法を展開出来ない状態のマリンもリチャードの前で杖を構えた。


「ネーナさんはリチャードの傍に。彼をお願い」


 マリンの言葉には悲壮感が漂っていた。ネーナはマリンの『覚悟』を感じ取り、彼女の杖にそっと手を添えて声をかける。


「マリンさん、いけませんよ。その『覚悟』はもう少し仕舞っておいて――っ!?」


 ネーナが言い終わる前に、『CLOSER』の指から電撃が放たれた。魔法障壁に阻まれて掻き消えた電撃を見て、『CLOSER』が感心したように言う。


「ほう。中々の強度の結界だ。そちらのストロベリーブロンドのお嬢さんの術かな?」

「ネーナ、と申します」

「二重にこれだけの結界を展開しているのか。容姿も美しいし、是非オークションに出してみたいね」


 仮面の奥から全身を舐め回すような視線を感じ、ネーナは『CLOSER』に対する強い生理的嫌悪感と恐怖感を覚えた。懐の小瓶を握り締め、身体の震えを懸命に抑えて相手を睨みつける。オルトに貰った小瓶がネーナの心を支えてくれた。


 ネーナは毅然と言い返す。


「お誘いには応じかねます。私のお兄様のような、魅力的な殿方ならば別ですが」

「フフ、君の意思など関係ないのさ。気の強い女性を屈服させたいという嗜好の者もいるからね。さぞかし人気になるだろう」


 ネーナの結界は部屋の壁と天井、床に沿って張り巡らされている。故に『CLOSER』は部屋に入る事は出来ず、廊下からネーナ達を窺っていた。


 その『CLOSER』が指をパチンと鳴らす。


「消えた!?」


 ネーナは二重の結界の片方が消滅した事に気づき、即座に再構築した。


「いい反応だね、お嬢さん。ますます連れて帰りたくなったよ」


 ネーナは懸命に思考を巡らす。『CLOSER』自身が術式を構築し、魔術を行使したようには見えなかった。先程の電撃もそうだ。


「マジックアイテムですか」


 ネーナはそう結論づけた。『CLOSER』の両手の指輪を始め、全身から強い魔力が感じられる。恐らく、一つ一つが値段のつけられない、一般に出回る事のないような品なのだろう。


「ですが。貴方が私を連れて行く事も、リチャードさんに危害を加える事もできませんよ。何故なら――」


 ネーナがその言葉を言い切る事は無かった。




 ドゴォォオン!!




 突如、階段の方で爆発のような音がした。耳をつんざくような轟音と共に、地下室全体が大きく揺れる。

 音のした方向を見た『CLOSER』の姿が、ネーナ達の前から掻き消えた。直後に先程とは反対側の廊下の奥、突き当たりの部屋の方から轟音が響いてくる。


 ネーナ達は立っていられず、床に倒れてしまう。


「ネーナ! 無事か!」

「お兄様!」


 血相を変えて駆けてきたオルトに、結界を解いたネーナが抱きつく。サファイアがフラつきながらも立ち上がった。


「一体何が……『CLOSER』はどうした!?」

「奥で『LOSER敗北者』になってるわよ。エグいから見るのはお勧めしないけど。誰も怪我してない?」


 後からやって来たレナが呆れたように言う。


「暗殺者に同情する日が来るとは思わなかったわ……鋼鉄の扉に潰されて死ぬなんて嫌過ぎるよ」

「階段の所の扉を飛ばしたの!? どうやって!?」

「突いてたよ、剣で」


 レナが剣術の突きのようなジェスチャーをして見せる。マリン達は急いで廊下に顔を出し、奥の部屋を見て絶句した。


 突き当たりの壁には大穴が開き、分厚い鋼鉄の扉が二枚重なりめり込んでいる。扉からはみ出した人の手足は、力無く垂れ下がっていた。生きているとは到底思えない。


 レナは廊下に落ちていた白い仮面を拾い上げた。


「呪いは無いかな。認識阻害系の魔法が付与されてる? スミスに聞かなきゃわかんないけど」

「あの『CLOSER』がこんなにあっさり死ぬなんて……」


 同じ暗殺者であり、この場にいる者の中で最も『CLOSER』の脅威を知るエリナが呆然と呟く。


「っ! リチャード!」


 サファイアが意識の戻らないリチャードに駆け寄る。異常が無い事を確かめると、脱力してその場に座り込んだ。




 オルトは地下室で魔術が発動したのを知ると、レナと共に急行した。下り階段の先の扉が閉まっているのを見て、駆け下りた勢いそのままに撃ち抜いたのだという。


「鍵も確かめずにいきなりブチ抜いたからね。あれにはたまげたわ」

「階段を下りる音で相手に接近がバレてるし、ガチャガチャ扉を開けるのは間抜け過ぎる。先手を取らない意味あるのか?」


 ネーナを抱きしめたまま、当然と言わんばかりにオルトが応える。


 回避する余地の無い直線の廊下。ネーナ達は射線から外れて身を守っている。この絶好の位置関係を利用しない手は無い。万が一回避されても、そのまま接敵して奥に押し込めばいいのだ。


「あたしがまさかって思ったんだから、『CLOSER』も考えてなかったって事ね。でも、ネーナ達が生き埋めになる可能性は考えなかったの?」


 レナの問いに、オルトは即答した。


「そんな訳無いだろ、『スミスと同等以上の魔術師がいるつもりでやる』って言ったんだから。なあネーナ?」

「はい! 結界を展開していました!」


 ネーナが嬉しそうに応える。


「このバカ兄妹……もういいわ。後はあたしが見とくから、オルトは外に出て終わった事を伝えて。それから人を寄越して」


 レナは頭を振って話を打ち切ると、オルトとネーナを追い立てた。




 ◆◆◆◆◆




「お兄さん! ネーナ!」

「エイミー! 終わりました!」


 地上に出たネーナの下へ、エイミーが駆け寄ってくる。無事を喜び合う二人をよそに、オルトは冒険者やギルド職員を建物の地下に向かわせた。


「スミスも行ってくれないか? ちょっとやり過ぎた。天井は落ちないとは思うが」

「住民達が飛び起きるくらいの地震でしたからね。では行ってきます」


 スミスが建物に入っていく。オルトはまだ夜明け前にも関わらず、通常ならば人が少ない倉庫街に野次馬が詰めかけているのに気がついた。


「この野次馬は叩き起こされたやつか」


 どう見ても犯人はオルトである。オルト達は、人目を避けるようにそそくさと現場を後にした。




「フェスタお姉さんはお家にいると思うよ。私はおじいちゃん達の所に行くね」


 そう言い残し、エイミーが走り去る。残された二人は家路についた。空が僅かに白み始めている。


 ネーナはオルトの背後に回ると、無言でぴょんぴょん飛び跳ね始めた。オルトが苦笑しながら腰を落とす。


「うふふ、有難うございます」


 オルトにおぶさったネーナはご機嫌である。


「頑張ったからな」

「はい!」


 元気よく返事をした後、ネーナはぎゅっと抱きつくように、オルトの身体に回した腕に力を込めた。


「ごめんなさい、お兄様」

「何だ何だ?」


 謝られた理由がわからず、オルトは戸惑いを見せる。


「我儘を言って、お兄様を困らせてしまいました」

「我儘?」

「私が、スミス様の代わりにリチャードさん達を守りたいって……」

「ああ……」


 漸くオルトも、ネーナの言わんとする所を理解した。オルトにとっては毎晩寝床に潜り込んでくる程度の話が、当のネーナは一世一代の我儘をゴネ通したつもりだったのだ。


「お兄様に我儘を言って嫌われたくないです。でも、置いていかれるのも嫌なんです……」


 しょんぼりした様子のネーナに言われると、オルトは自分が悪い事をしたような気持ちになった。


「よっ、と」

「あわわ」


 下がってきたネーナの身体を、跳ね上げるようにして戻す。ネーナは慌ててオルトにしがみついた。


「フェスタが、『初めての兄妹喧嘩みたいだ』って言ってたよ」

「兄妹喧嘩……」

「俺はした事無いな。姉上は穏やかな人だったし」

「私も無いです……」


 オルトは、王女アンであった頃のネーナを思い返した。


 父親である国王ラットムは、家庭も家族も顧みずに権力と贅沢に取り憑かれていた。母親のディアナは早くに亡くなり、姉のセーラは他国に嫁いだ。十歳の頃には家族と呼べる人はいなかったのだ。


 姉のような存在、祖父のような存在はいたが、結局の所は臣下である。聡明な王女アンは、物分りの良い少女でいるしかなかっただろう。


「嫌いになんて、なる訳ないだろ。兄妹なんだから」

「お兄様……」

「そりゃ、相手を傷つけるような事は言うべきじゃないさ。我慢しなきゃいけない時だってある。でも顔色をうかがって喧嘩も出来ない、我儘も言えないような兄妹は、ちょっと寂しいなあ」


 オルトは立ち止まって、まだ星の残る空を見上げた。釣られてネーナも空を見る。


「俺について来ようとすれば、人や生き物の命を奪う事や危険から逃れられない。今日のようにな。フラウス達が危惧してたのもその辺だ。怖かったろう?」

「はい、怖かったです」


 ネーナは『CLOSER』の気持ちの悪い視線を思い出した。得体の知れない恐怖感が甦る。


「俺はやっぱり、ネーナを危険な目に遭わせたくないよ。もしかしたら死んでしまうかもしれない。ネーナがついて来たいという気持ちはわかったけども、それでも駄目だと言う時はあると思う」

「はい……」


 オルトの右肩に顎を乗せたネーナは、わかりやすく落ち込んでいた。オルトは苦笑しながら話を続ける。


「だから。そういう時は兄妹喧嘩をしよう。気持ちをしっかり伝えて、理解する努力をして。上手く折り合えるかもしれないし、どちらかが我慢しなきゃいけないかもしれない。それで終わったら仲直り。元通りとは行かなくても、俺達が兄妹である限り、また話せるだろ」

「仲直り……」


 ネーナが呟くように言った。


「私、仲直りするの初めてです」

「そもそも、今回は兄妹喧嘩してたのかも怪しいけどなあ」

「いいんです。私の初めての兄妹喧嘩と、初めての仲直りです」


 ネーナがクスクスと笑う。オルトの背に揺られている内に、少し瞼が重くなってくるのを感じた。


「お兄様。このまま寝てもいいですか?」

「もう家に着くぞ?」

「いいんです。お風呂に入ったらまた寝ますから」


 オルトの返事を待たずに、ネーナは体重を預けて目を瞑った。急激に意識が遠のいていくのを自覚し、ネーナは自分が思っていた以上に疲れている事に気づいた。


 完全に意識を手放す直前、ネーナはオルトの耳元に顔を寄せて囁いた。




 ――おやすみなさい、有難うございます。私のお兄様――

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