第二百四十九話 未来の私だったのかもしれません

「有難うございました、とても快適でした」

 

 馬車を降り、ネーナは御者と馬に礼を述べた。

 

 ここから先は砂漠を進む為、それに適した移動手段が必要になる。馬車では車輪が砂地に埋もれて立ち往生するのが目に見えているし、砂漠の過酷な環境に馬が耐えられないのだ。

 

 シルファリオに引き返す馬車を見送った後、【菫の庭園】一行は市門に向かい、入場待ちの列に並ぶ。

 

 乾いた風がネーナの肌を撫でた。

 

「結構並んでるね」

「――これくらいならすぐにけるよ。前は三列も四列もあったが、それでも追いつかなかったんだ」

 

 レナのボヤきに、前に並んだ商人らしき男が振り返った。

 

「今は交易路が危険過ぎて、大陸東方サンライズとの行き来が出来なくなってるからね」

「それは困るねえ」

 

 二人のやり取りを聞きながら、ネーナは興味深げに辺りを眺める。

 

 フェンタキアは、これまでに訪れたどの都市ともおもむきことにしていた。

 

 乾燥した空気は東の『大銀海』砂漠由来のもの。門の先に見える街並みは、建築様式に統一性が感じられない。道行く人の大半は人族であるが、服装は勿論の事、髪も瞳も、肌の色までまちまちであった。

 

 渾然、雑然としているのが特徴と言うべきか。

 

 この街は大陸東西文化が邂逅する地であると同時に、大陸西方サンセット各地の文化が集う場所でもあるのだと、ネーナは理解させられた。

 

「次の者!」

「お願いします」

 

 衛兵に呼ばれ、フェスタがギルドの通行証とマリスアリアからの書状を提示した。途端に衛兵達の顔色が変わり、直立不動になる。

 

「こ、これは失礼しました! 誰か宮殿に連絡を!」

 

 兵士の一人が大慌てで門の向こうへ走り去る。先刻まで話していた男があんぐりと口を開けるのを見て、レナは悪戯っぽくウィンクをした。

 

 

 

 フェンタキアに入場した一行は、案内の兵士に導かれて市街を歩く。馬車を用意するという申し出はあったが、町の様子を見たいからと断ったのだ。

 

 それなりに人はいる。しかし活気に欠けているとネーナは感じた。

 

「砂漠の交易路が通れない影響でしょうか……」

「だろうな。東に人も物も、この町で足止めされてしまっているんだろう」

 

 口から漏れた呟きに、オルトが応える。交通回復の見通しが立たない以上、砂漠の入口であるフェンタキアに滞在し続けるしかないのだ。

 

 手持ち無沙汰そうにリュートを鳴らす吟遊詩人の前を通り過ぎ、ネーナは眉を寄せた。その背中を、オルトはポンと叩く。

 

「今の俺達にはすべき事がある。まずはそっちに集中しよう」

「はい」

 

 突然、エイミーが興奮した様子で前方を指差した。

 

「ネーナ! あれ何!?」

 

 ネーナも先程までの気分を忘れて目を輝かせる。

 

「ラクダさんです! 私も初めて見ました!」

 

 馬のような四本脚の生物が数頭、荷物を乗せて歩いていた。その背中には大きく盛り上がったコブが一つ、或いは二つある。スミスが微笑む。

 

「砂漠の移動や物流には欠かせない生き物です。背中のコブは脂肪の塊で、厳しく食料を確保出来ない環境でもその脂肪を栄養に変えるそうです」

「私達もラクダに乗せて貰うからね」

『やった!』

 

 フェスタが言うと、二人は両手を挙げて喜んだ。

 

 

 

 一行は純白の豪奢な宮殿の客間に通された。

 

「宮殿の中は全然ほこりっぽくないねえ」

「お水がいっぱい流れてるよ!」

 

 レナとエイミーが興味深げに室内を見て回る。

 

 宮殿の造りも侍女や侍従の衣服も、親しみのある大陸西方サンセットのものとは異なっていた。

 

 フェンタキア王国の祖は、『大銀海』砂漠に点在するオアシスを巡って暮らしていた一氏族とされる。東西文化の影響を受けながらも、自らのアイデンティティはしっかり守っているのだとネーナは感じた。

 

 そうこうしている内に侍従が入室し、国王のスケジュールが押して【菫の庭園】を待たせている旨を詫びる。

 

 オルトは頭を振った。

 

「我々も配慮が足りませんでした。本日はシュムレイ公爵殿下よりお預かりした書状のみお渡しし、国王陛下へのお目通りにはまたの機会に」

 

 フェンタキアは東方との交易がストップした事で大きな経済的打撃を受け、さらに『剣聖』マルセロ率いるハイランドの襲来に備えで警戒を強めている最中。本来ならば国王が冒険者の面会に割く時間は無いのだ。

 

 【菫の庭園】としても砂漠を越えてハイランドを目指す準備の時間が必要であり、フェンタキア側に気を遣わせてまで面会を実現すべきではない。オルトはそう考えた。

 

 しかし侍従は、退室しようとする一行を懸命に引き止めた。

 

「皆様が先をお急ぎの事は重々承知しておりますが、今暫く、今暫くお待ちを――っ」

 

 突然、部屋の外が騒がしくなる。侍女の一人が耳打ちすると、侍従が安堵の表情を見せた。

 

「セレウコス・ハーディン・フェンタキア国王陛下、並びにラフィーネ・ヴェゼル・フェンタキア王妃陛下がお見えになります!」

 

 呼び込みに少し遅れてやって来たのは、頭部を長い布で多い、足下まで隠れる白いゆったりとした服を着た男。髭を生やしており三十代くらいの見た目だが、実年齢はもう少し若いように感じられる。

 

 黒いローブを着た人物が後に続く。フードで髪は隠れ、女性らしい目許以外は身体の露出が無い。成人男性が髭を生やすのと同様に、女性が肌や髪の露出を控えるのは砂漠の民の風習である。

 

「客人を随分と待たせてしまった。許されよ」

「我々こそ、ご多忙な所への訪問をお詫びします、陛下」

 

 オルトが国王と握手を交わし、それぞれの仲間と妻を紹介し合う。

 

「せっかく立ち寄られたのだ、晩餐に付き合ってはくれないか」

「はっ。作法も知らぬ我々で宜しければ」

「構わぬ、そう気取ったものではない。一人で静かに味わう食事も悪くは無いが、客人と囲む賑やかな食卓も良いものよ」

 

 オルトの謙遜を国王が笑い飛ばす。

 

「連れの者も遠慮なく注文せよ。可能な限り応えよう」

 

 仲間達が任せたとばかりにネーナを見る。少しだけ考え、ネーナは言った。

 

「土地ならではのお料理や、私達のような来訪者が好むお料理があれば嬉しく思います」

「伝えておこう。期待して待つがいい」

 

 国王は笑みを浮かべて頷いた。

 

「それから、シュムレイ公爵殿下より書状を預かっていると聞いたが」

「こちらに」

 

 執事を介し、書状が国王の手に渡る。

 

「殿下は健勝にあられたか」

「はい。執務に追われて泣き言を述べておられましたが」

 

 オルトの返事に苦笑を漏らしつつ、目は書状の文字を追う。

 

「委細承知した。食料と水、移動はラクダが良かろうな。砂漠を抜けるには案内人も必要だろう。それらの手配は我が国でする。他に何か欲しいものはあるか?」

 

 国王は読み終えると、オルトに問うた。

 

 率直に言って、オルトはフェンタキアの支援を当てにして来た訳では無かった。フェンタキアにも冒険者ギルドの支部はあり、砂漠に踏み込む為の準備やアドバイスはそちらの紹介でするつもりでいたのだ。

 

「我々は冒険者ギルドの依頼で行動しています。そこまでのご厚意は――」

「ただの厚意でも、公国の要請だからでもない。そうするだけの理由が、我が国にもあるのだ」

 

 交易路の安全を確保し、大陸東西の流通を再開させなければフェンタキアは立ち行かなくなる。既にハイランドからのアプローチを拒絶しており、マルセロ率いるハイランド軍と衝突するのも時間の問題だった。

 

「砂漠の警戒、軍備増強による莫大な費用が国に重くのしかかっている。軍事衝突が現実になれば、損害は他の都市国家連合諸国にも波及する。音に聞く【菫の庭園】が同じ目的を持って動くならば、支援しない手はあるまい」

 

 他人任せにするのではなく、それはそれとして強大な戦力を存分に活用したい。非常に現実的で柔軟な為政者の思考がそこにはあった。

 

「【菫の庭園】の実績は調べた。その上で聞きたい、『刃壊者ソードブレイカー』オルト・ヘーネス――」

 

 国王セレウコスが、鋭い視線をオルトに向ける。

 

 

 

「――『剣聖』マルセロに、勝てるか?」

「『空中都市』ハイランドが巨大な墓標となるでしょう」

 

 

 

 オルトが即答し、逆にセレウコスを射抜くような視線を返す。客間の空気が凍りつき、国王の額に一筋の汗が伝う。ネーナは兄の背中を見つめてキュッと唇を噛んだ。

 

 この客間にいる者は、オルトの発言の意味を理解している。

 

 現在マルセロが占拠するハイランドには、ハイランド王妃を自称していた女が拘束されている。名をゼフラと言い、かつてはフェンタキアの王女だった。現フェンタキア国王セレウコスの実姉である。

 

 これまで身を隠して逃げ回っていたマルセロが方針を変えたのは、新たに手に入れたハイランドが他国から干渉し難い立地である事と、ハイランドの民が外部に対する人質になり得ると考えているからだ。

 

 オルトは冷徹に、ゼフラも含めたハイランド民の安全に配慮出来ない事を告げた。

 

 少数の犠牲に知人や友人が含まれる事を受け入れず、【菫の庭園】が大国を敵に回したのはつい先立っての事。今回のオルトの発言は真逆であり、皮肉としか言いようがない。

 

 ややあって、絞り出すような声が客間に響く。

 

「……それでマルセロを倒せるのならば構わぬ。我がフェンタキア王国もシュムレイ公国、ピックス王国にならい、【菫の庭園】を支持しよう」

 

 セレウコスは国王として私情を捨て、自国民の安全と交易に携わる多くの者の生活を取った。

 

「ゼフラ――姉の駆け落ちは青天の霹靂だった。我が妻は、姉の無責任な行動で人生を狂わされた者の中の一人だ。せめて姉が誰かに相談していたならとも思うが……詮無き事よな」

 

 セレウコスが傍らの王妃を気遣う。王妃は自らの手を夫に重ねた。多くを語らずとも、二人の絆は誰の目にも明らかであった。

 

「姉も哀れなひとではある。宮殿で蝶よ花よと育てられた王女ゼフラにとって、外の暮らしは一時に燃え上がった愛で乗り切れる程易しくはなかったろう。自らが捨てた祖国に恥も外聞もなく援助を求め、時には愛する男トマソンとの間に生まれた娘さえ交渉のカードにした。そこまで尽くしても、男はハイランドが陥落すると真っ先に逃げ出した。己を慕う女達を置き去りにして、な」

 

 ギリッと奥歯を噛み、握り締めた国王の拳は怒りに震えていた。

 

 オルトが遠慮がちに尋ねる。

 

「陛下、ギャリック・トマソンは……」

「砂漠を警戒中の沿岸警備隊コーストガードが、行き倒れていた男を保護した。その後身元が判明して拘束に切り替え、現在は尋問を行っている。どの道、石打ち刑は免れまいよ」

 

 セレウコスは『尋問』と表現したが、その実が拷問であろう事は想像に難くない。取り調べを終えたトマソンに待っているのは、パートナーを奪われた人々の怒りをその身で受け止める仕事だ。

 

 どうしてトマソンが散々恨みを買っている西方に逃げようとしたのかは疑問だったが、オルトはそれ以上聞かなかった。

 

 

 

 

 

 面会が終了し、国王夫妻と護衛が客間を出て行く。

 

 思い思いに姿勢を崩す【菫の庭園】メンバーの中で、ネーナは落ち込んでいた。

 

「どうしたの?」

 

 元気が無いのを見かねて、フェスタが声をかけた。前に座っているオルトも振り返る。

 

「ゼフラ王女の話か?」

「っ!」

 

 ピクッと肩を揺らし、ネーナは顔を上げた。

 

 面会中オルトは一度も後ろを見ていない。どうしてわかったのかと不思議に思いながら、首を小さく縦に振る。

 

「ゼフラ様はもしかしたら、未来の私だったのかもしれません……」

 

 仲間達は黙り込み、オルトとフェスタが顔を見合わせる。

 

「お兄様、どうぞ」

「む」

 

 任せた、とフェスタは手の平を差し出す。オルトは席を立ち、しょんぼりとするネーナの前に回り込んだ。

 

「お兄様……」

 

 そのまま腰を落とし、真剣な表情で――

 

 

 

 

 

 ネーナの頬を左右に引っ張った。

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