第二百五十話 バタフライ・エフェクト

ふぁははははあわわわわ!」

「妙に静かだと思えば、そんな事を考えてたのか」

 

 頬を引っ張られたネーナが、逃れようとじたばた藻掻く。

 

 呆れ顔のオルトは手を離すと、一つ大きな溜息をこぼしてスミスに目配せをした。

 

「む〜っ、真面目に悩んでいるんです」

 

 ようやく解放された頬をさすりながら、ネーナは不満げに口を尖らせる。オルトは紅茶を淹れ始めた。

 

「自らを省みるのは悪くない。だが事情のわからないゼフラ王女と比べて自分をけなすのは、ポジティブとは言えないな」

 

 このやり取りは、室内にいる宮殿の侍女達には聞こえていない。除籍されているとはいえ、ゼフラはフェンタキア王族の生まれなのだ。そのゼフラの話題で無用なトラブルを招かぬよう、スミスが遮音結界を展開したのである。

 

「祖国を後にしたという点と出奔した年齢だけを取るならば、同じように見えるかもしれない。だが少なくとも、今ネーナは一人きりではないし、遠くにあってネーナの身を案じる者もいる」

 

 元近衛騎士のオルトとフェスタは今でもネーナと行動を共にしている。王国から一緒に来てくれたスミスとエイミー、後からパーティーに加わったレナもいる。

 

 元侍女や元後見人、元学友といった人々とは文で連絡を取っている。王女アンが平民の冒険者ネーナ・ヘーネスとなって王国を離れても、周囲の人々は縁を断ちはしなかった。

 

「ゼフラ王女には申し訳無いけど、男を見る目はネーナの圧勝だね。見る目が無いのはあたしも同じだけど」

 

 かつて聖女を教会に縛る為に宛てがわれた男に篭絡された経験のあるレナが、自虐を交えて言う。

 

 ゼフラを始めとする多くの女性をはべらせたトマソンは、危険が迫るや有ろう事か、己に身も心も全てを捧げて尽くしたハーレムの女性達を置いて逃げ出したという。片やオルトは、敵をことごとく蹴散らしてネーナを守り続けている。

 

「ですが、私の行動で多くの人に迷惑をかけた事に違いはありません……」

 

 ネーナが祖国であるサン・ジハール王国を飛び出したのは、国が隠蔽していた勇者トウヤについての情報を知りたいという理由があった。

 

 しかし国王に申し渡された婚約拒んだ事で出奔が慌ただしくなったのも事実であった。自分の都合に他人を巻き込んだ罪悪感は、ネーナの胸をずっとさいなんでいた。

 

 オルトが無言で差し出すカップを、ネーナは受け取る。宝石のような液面からふんわりと優しい香りが立ち上り、沈む心を慰める。

 

「国を出たいと聞かされて、後見の将軍と側仕えの侍女と近衛騎士がそれも仕方ないと思ったの。このまま王女殿下が残っていても碌な事にらならないだろうってね」

 

 それが全てだと、フェスタが肩をすくめる。

 

 傀儡かいらいの女王、軽い御輿として権力闘争の具に使われていずれは排除、良くて軟禁。誰もがそんな未来を想像していたのだ。

 

 当代のサン・ジハール国王、ネーナの実父であるラットムは娘への愛情を示さなかった。ネーナの姉、第一王女のセーラは気が強く、国王にも物申して度々衝突し、戦争に負けた賠償の体で国外に出された。

 

 大人しい第二王女のアンネーナは、一見すれば王城で大切に育てられたようだが、その実情は軟禁に近かった。自らに取って代わる事を恐れた国王は徹底的に権力から遠ざけ、ネーナの後見であるユルゲン・ノルベルト将軍の面会すら制限していたのだ。

 

 突然降って湧いたような婚約をネーナに告げたのは、国王が主導した勇者召喚が王国に何の利益ももたらさなかった事実から目を背けさせる為。王国を飛び出して多くの経験をし、学んできた今のネーナにはそれが理解出来る。

 

「王族の婚姻が多分に政略的な要素を含むのは確かだ。サン・ジハール王国における王族や貴族の子女の立場は、それを踏まえたものであるのも事実。その代償に平民では出来ない暮らしを享受しているというなら――」

 

 フッと笑い、オルトは続けた。

 

「ネーナがそれを放棄した以上、王国から文句を言われる筋合いは無いさ」

 

 本当はそんなに簡単な話ではないのだと、ネーナは知っている。

 

 サン・ジハール王国が捕捉した時点でネーナは正規にリベルタの市民権を取得し、冒険者として確固たる地位を築いて手が出せなくなっていた。それはオルトのプランニングによるものであった。

 

 本来ならばオルトとフェスタは名を変える事もなく、どこかで静かに暮らすつもりでいたのだ。それを曲げたのは自分の為だ。そして今この時も自分は二人に守られている。そう思えば、ネーナは明るい表情など出来なかった。

 

「……山奥や無人島に隠棲でもしない限り、人は誰かと関わらずには生きられない。いや、それでもどこかで関わってるのかもな」

 

 オルトが角砂糖を落とせば、ネーナのカップに波紋が生じた。

 

「何かしても、何もしなくても。何気ない事が回り回って、誰かを傷つけてしまうかもしれない。迷惑をかけてしまうかもしれない。人が生きるというのは、そういう事だ」

バタフライ効果バタフライ・エフェクト、ですね」

 

 スミスが感心したように頷く。

 

 バタフライ効果とは因果の可能性。蝶の羽ばたきで、後に違う場所で竜巻が発生し得るのではないかという議論だ。賢者でも学者でもないオルトの博識に、ネーナも内心で驚いていた。

 

「たられば言ってみた所で、本当に何の影響も無い状態を知る手段が無い以上は比較出来ない。どこまでが自分のせいかなんて、正確にはわからないのさ」

「あたしは悪くなくてもオルトにデコピンされるけどね」

 

 レナが茶化すと、オルトは指を丸めた手を伸ばす。

 

「魔王様がイジメる!」

 

 大袈裟に慌てて離れるレナ。ネーナもクスリと笑った。

 

「そういう話なら、私とオルトは近衛騎士になれなかったら、この場にはいないわよね」

「あっ」

 

 思わず声を上げる。フェスタとオルトを自分の近衛に採用したのは、他ならぬ王女であった時の自分ネーナであった。

 

 王女付きの騎士となったお陰で、フェスタは折り合いの悪い実家の干渉を受けずに済んだ。オルトは実家の寄親である騎士団長の嫌がらせが減った。

 

 二人にとってはネーナの行動が救いとなった。それが巡り巡って、ネーナが王女でなくなっても二人は寄り添い続けているのだとフェスタは告げたのだ。

 

「ネーナがいなければ【菫の庭園】も無いし、あたしは今でも作り笑いで聖女やってたろうね」

「ガウちゃんにも逢えなかったよね!」

『ガウッ!』

 

 レナにエイミー、精霊弓の中からガウェインも応える。

 

「ネーナがきっかけの【菫の庭園】もヴィオラ商会も、多くの人の助けになってきましたよ」

 

 スミスは微笑んでいる。

 

 ネーナの頭に大きな手が乗り、ガシガシと少し乱暴に撫でる。幸せとオルトの優しさを感じるこれは、ネーナが王国を飛び出さなければ得られなかったものだ。

 

「起きるのは悪い事ばかりじゃないのさ。自分を省みるならば良い部分も認めて、両面について考えて行くのが大事なんだ」

「……はい」

 

 ネーナは素直に頷いた。

 

 少しだけ温くなった紅茶で喉をうるおし、ほっと息を吐く。先刻までの鬱屈うっくつとした気分は、どこかに消えてしまっていた。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 

 宮殿で一泊した【菫の庭園】は、翌日の日中を準備と冒険者ギルドへの連絡に費やし、夕刻にフェンタキアを出発した。

 

 同行者は傭兵ギルドから派遣された三名と、フェンタキア兵が十名。移動は砂漠の気候に慣れていないネーナ達に配慮し、比較的体力の消耗が少ない日没後を中心にした。

 

「『大銀海』っていうけど、本当に海みたいだねえ」

 

 レナが呟く。

 

 月明かり、星明かりに照らされた砂漠は白く輝き、大小に盛り上がった砂の丘は波に見立てられなくもない。絵画でしか海を見た事がないネーナは、そんなものかなと思った。

 

「ん〜?」

「どうしたの、エイミー?」

 

 突然周囲を見回し始めたエイミーに、フェスタが声をかける。ハーフエルフの尖った耳が、ピクピクと動く。

 

「どこかに人がいっぱいいるよ」

「あたしには聞こえないけど……」

 

 レナが困り顔でフェンタキア兵の隊長を見る。

 

「私にも聞こえません」

 

 隊長は頭を振り、半信半疑の様子で応える。砂漠の民の末裔であるフェンタキア兵は、優れた視力と聴力で危険を察知する。その自分達が、庭とも言える大銀海砂漠で遅れを取るとは考えられなかった。

 

 しかしオルトは、エイミーの言葉を信じた。

 

「行けばわかるさ。方向は?」

「うーん、あっち!」

 

 エイミーは北北東を示す。レナも彼女の索敵能力は疑っておらず、それ以上異論を唱えない。

 

 ハイランド軍による襲撃も無いとは言い切れない為に見過ごすという選択肢は無く、一行はラクダの足を早める。

 

 果たしてエイミーが言った通りに、夜の砂漠を進む一団を発見した。

 

「よく気づいたね、エイミー」

「精霊さんが教えてくれたの」

 

 レナに褒められ、エイミーが笑みを浮かべる。兵士達は驚愕していた。

 

 十頭ずつ繋がれたラクダが二列。他には荷を背負った人足、ロープで手を拘束され、一列になって歩くのは女子供か。その周囲を、護衛が乗ったラクダで固めている。

 

 隊商キャラバンのように見えるが、夜間の移動でありながら灯りを落としており、人もラクダも黒い布を被っているのか視認が困難だ。

 

「……フェンタキアから正規に都市国家連合に入るつもりは無さそうです。この先に闇ルートの案内人がいるのでしょう」

 

 隊長が忌々しげに言う。

 

「単にフェンタキアの入場料を浮かしたいってだけじゃ無さそうだけどね。どうすんの?」

 

 レナはオルトに判断を仰ぐ。

 

 まだ向こうに動きは無いが、二つの集団はどんどん接近している。じきにこちらも捕捉されると、オルトは判断した。

 

「手順は踏まないとな。停止を命じて検査に応じればそれで良し、応じなければ応じたくなるようにしよう」

「実質一択です……」

 

 苦笑するネーナをよそに、オルトは矢継ぎ早に指示を出す。

 

「停止命令への反応を見てから『黒い隊商』を制圧する。エイミーは照明を維持しつつ援護、ネーナは護衛とそれ以外を分断、スミスは逃走阻止。レナはネーナと保護対象者を見てくれ。フェスタと俺は護衛の無力化だ」

 

 仲間達が動き出す中、残りの者にも声をかける。

 

「フェンタキア兵と傭兵は不審者の拘束を頼む。相手の抵抗に注意してくれ」

「お兄さん、準備できたよ!」

 

 オルトは頷き、深く息を吸い込んだ。

 

「所属不明の一団に告ぐ――」

 

 

 

 

 

「成程、正規のルートを通らない訳です」

 

 ネーナはラクダの背に掛けられた黒い布を剥がし、目を丸くした。

 

 周囲ではうめく商隊の護衛達を、フェンタキア兵が黙々と拘束している。【菫の庭園】が制圧に要した時間は、一分にも満たなかった。

 

 ラクダと人足が運んでいた荷物には、多くの商会や荷主の印が刻まれていた。それらは隊商が野盗に強奪され、フェンタキアに被害届が出されているものであった。

 

 人足、そしてロープで繋がれていた女子供は、ハイランドや野盗に捕らわれた隊商、或いは砂漠の民だ。奴隷制度を採用している国々でも、奴隷でない者の人身売買は禁じられている。

 

 拘束した護衛に尋問した結果、『黒い隊商』がハイランドの者である事、犯罪組織と繋がっている事が明らかになった。広域犯罪組織の『災厄の大蛇グローツラング』消滅に伴い新たに誕生した組織の一つを通じて取引を行っていたのだ。

 

「お兄様」

 

 ネーナが呼びかける。近づいて来るオルトは、何者かの襟首を掴み引き摺っていた。

 

「エイミー、お手柄だぞ」

「どうして?」

 

 パタパタと駆け寄り、エイミーは首を傾げる。集まって来た仲間達の前に、オルトが中年の男を突き出した。

 

「こいつは、ファラの実家の番頭だ」

 

 ネーナも話は聞いていた。ファラを支える風を装って言い寄り、断られると手の平を返して彼女を陥れた男。オルトはファラの実家を訪ねた事があり、番頭もファラの家族も見知っていたのだ。

 

「この方から供述を引き出せば、ファラさんのご実家も……」

「ああ、チェルシーの夫の敵も取れる」

 

 ファラの両親と妹は、ファラをずっと虐げていた。のみならず、チェルシーの夫は商会長であるファラの父親の業務命令によって命を落としている。

 

「後はアイルトンのダ・シルバ殿に任せる。ここでこいつが捕まった以上、関係者は逃れられん」

 

『通商都市』アイルトンの商工会副会頭を務めるダ・シルバはファラやチェルシーの事情を承知しており、信頼の置ける人物だ。連絡を取れば適切に対応する筈であった。

 

 ネーナが怒りの表情で睨めば、番頭は震え上がった。

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