第二百四十八話 皆様だけを戦わせはしません

 シルファリオを出立した【菫の庭園】一行は、シュムレイ公国の首都である北セレスタに立ち寄り、公爵邸を訪ねた。

 

 公爵家は下にも置かない扱いで一行を迎え、そして――オルトは今、応接室で公爵マリスアリアと向かい合い、冷や汗をかいていた。

 

 

 

 対面する二人の間のテーブルには、鞘に収まったままのスタインベルガーが置かれている。

 

 マリスアリアの背後には護衛が立ち、横には執事が、壁際では侍女が控えている。オルトの後ろには長いソファーが設置され、他の【菫の庭園】の面々が座っている。

 

 室内の空気は重い。気まずげなオルトに対し、マリスアリアは眉をハの字に、口はへの字に結んでいた。

 

「公爵閣下に於かれては――」

「やり直しです」

 

 沈黙を破り、オルトがようやく発した言葉は、即座に駄目出しを食らった。

 

「これは私的な面会ですよ? 呼び方が違います」

「ええ……」

 

 オルトは困惑を隠さない。確かに以前、押し切られる形でプライベートでは『リア』と愛称で呼ぶ事を承諾した。

 

 しかしこれはまずいのではないか、と周囲に視線を巡らす。

 

 護衛の中にはアラベラの父で、目出度く陞爵を受けたばかりのガエタノ・シレア子爵もいる。彼を含めた数名は公国貴族であり、公国の臣ではあっても、シュムレイ公爵の家中ではないのだ。

 

 業を煮やした女公爵が、口を尖らせて言う。

 

「私が何を考えているか、お分かりですか?」

「お預かりした剣を――」

「全く違います」

 

 オルトが二度目の駄目出しを食らう。

 

「そんな事はどうでもいいのです」

「ええ……」

 

 オルトはマリスアリアから魔剣を借り受けていた。その事は貸与式を催した事により、公国貴族に広く周知されている。

 

 しかしオルトは借物の剣を他者に譲ってしまった。そうなるに至った事情はあれど、弁明をしない訳にはいかない。だからこそ『剣聖』マルセロ討伐に向かう大事な時に、このシュムレイ公国に立ち寄ったのである。

 

 それを今、女公爵は「どうでもいい」と一蹴した。

 

「皆様のご活躍は存じております。非常にご多忙である事も、これから大変な戦いに赴く事も承知しております。で・す・が――」

 

 マリスアリアが不満そうに頬を膨らませる。

 

「私もまた頑張ったのです。とても大変だったのです」

「は、はあ」

 

 オルトは何と応えて良いかわからず、曖昧な返事をする。

 

「議会民主制は手探りですから、新たに移行した地域で起きる問題の対処に忙殺され、既得権益の喪失を恐れて嫌だ嫌だとゴネる貴族達への説得をし、キリのないおべっかや阿諛追従あゆついしょうを受け流す作り笑いで顔が引き攣り、陳情や請願の書類の山を片づけるのに腕や腰が張って大変なんです」

 

 シュムレイ公国は大貴族が起こした国内の混乱を機に、公爵を頂点とする貴族による政治体制からの転換を図っている。国家元首であるマリスアリアにかかる重圧、重責は想像に難くない。

 

「気軽にシルファリオに行く事も出来ません。それでも、皆様が当地に立ち寄られてお会い出来る日を楽しみに頑張って来たのです。だというのに――」

 

 マリスアリアはバンバンと目の前のテーブルを叩いた。

 

「他人行儀に剣を失った報告とは何事ですか。そんな話が聞きたいのではありません。先に連絡は受けているのですから、貴族達には『新たに別な剣を貸与した』と言っておけばいいのです」

 

 護衛の貴族も家中の者も、目を丸くしていた。このようなマリスアリアの姿を見た事が無かったからだ。

 

 ただネーナは彼女の心情を理解し、深く同情していた。

 

 一国のトップであるマリスアリアは孤独だ。親兄弟は他界しており、家中の者はどこまで行っても使用人でしかない。政略婚の元夫は、権力を握り貴族政治の腐敗を加速させた。

 

 心の拠り所だった幼馴染のウーべ・ラーンも、その元夫の陰謀に巻き込まれ、既にこの世に無い。

 

 王女アンだった頃の自分は似たような表情だったのかもしれない、とネーナは思った。今のマリスアリアには、子供じみた我儘を言える相手がいないのである。

 

「お兄様、これは仕方ありません」

「わかる。何だかんだで我儘聞いてくれるもんね、魔王様オルト

 

 レナが言うと、パーティーの女性陣もうんうんと頷く。オルトは肩を落とした。

 

「はあ……私で良ければ、いくらでもお聞きしますよ、リア様。うちの連中も土産話は山程ありますし」

 

 歓待の準備をする為か、侍女が部屋を出て行く。マリスアリアは嬉しそうな顔で、テーブルに置かれた剣に目を向けた。

 

「この剣がオルト様の新しい……」

「ええ。素直な奴ですよ」

 

 応えながらオルトが鞘からスタインベルガーを引き抜く。

 

「何と申し上げればいいのか……黒みがかった刃が、吸い込まれそうな美しさです」

 

 ――リィン――

 

 鈴のような音が聞こえ、マリスアリアは首を傾げた。

 

「今の音は?」

「この剣が、褒めてくれたお礼を言ったんですよ」

「まあ、ご冗談を――」

 

 笑みを浮かべると、今度は室内に、はっきりと鈴の音が響く。

 

 ――リィン――

 

「ええっ!?」

 

 オルトの返事がジョークではなかったと知り、マリスアリアは口許に手を当てて驚きを露わにしたのだった。

 

 

 

 ざわめく応接室に北セレスタ支部のギルド職員、カミラが入ってきた。カミラはハードケースを手にしている。

 

 オルトは剣を鞘に戻し、マリスアリアは慌てて澄まし顔を作る。

 

「ぱ、パーカーカミラさん。私的な面会ですので堅苦しい挨拶や作法は不要です」

「恐れ入ります」

 

 一礼したカミラは勧められた席に着き、【菫の庭園】一行に微笑みかける。

 

 マリスアリアはネーナ達が先を急いでいるのを承知しており、ギルドの連絡も公爵邸で済むように取り計らっていたのだった。

 

「お久しぶりです、皆さん。早速ですが、シルファリオ支部から【菫の庭園】への連絡をお伝えします」

 

 挨拶もそこそこに書類を取り出し、カミラは読み上げる。

 

「マルセロは大陸中央部の『空中都市』ハイランドから動いていません。それは複数の筋の一致した情報であり、確度が高いと思われます」

 

 都市国家連合東端のフェンタキア王国は大陸を東西に分かつ『大銀海』砂漠に面しており、砂漠の西の玄関口と砂漠方面からの敵に対する防波堤の役割を担っている。

 

 そのフェンタキアでは、ハイランドを脱出したと思しき者を数名拘束、ないしは保護していた。そこからハイランドの内情について、ある程度の証言を得られている。

 

「ハイランドは現在、マルセロが率いる『明日なき旅団』に占拠されています。千人規模だった武装集団にハイランド兵を統合し、砂漠を越えて流れて来るならず者をも取り込んでいます」

 

 ネーナが疑問を投げかける。

 

「ハイランドには、それだけの兵を食べさせる備蓄があるのですか?」

「いいえ」

 

 カミラは即答した。

 

「市街では食料や生活用品が不足し始めています。砂漠の交易路の危険が増した事から隊商も通行を控えており、略奪も押しかけ護衛も出来なくなっています」

 

 ハイランド王国の従来の収入源は、砂漠を行き交う隊商の護衛による報酬と野盗としての戦利品であった。通行料を払わないなら全て奪うという話であるが、それでも護衛としては役に立っていた。

 

 だが新たにハイランドの支配者となった『明日なき旅団』はただ殺して奪うのみ。勢い交易は下火となり、ハイランドに食料などを納めていた商人も来なくなる。

 

「物資の『援助』を要求されたフェンタキア王国は、それを拒否しました。ハイランドの侵攻を見越して、都市国家連合は『盟約』発動の準備を進めています」

 

 マリスアリアが補足する。『盟約』はアルテナ帝国の脅威の高まりを契機に成立したもので、都市国家連合加盟国が一丸となって外敵に対抗するという誓いである。

 

 今回盟約が発動するならば、都市国家連合はマルセロの実力と過去にもたらした被害をかんがみて、帝国や魔王軍に匹敵する脅威だと認めた事になる。

 

「もう待ったなしだね。あたしらが砂漠に入った時点で、マルセロに捕捉されると考えていいのかな?」

「そのつもりで動くべきでしょうね」

 

 レナとスミスが頷き合う。マルセロがハイランドを制圧して以降、『大銀海』砂漠を東西に横断した者は確認されていないのだ。

 

 オルトはカミラから書類を受け取った。

 

「――皆様」

 

 マリスアリアはおもてを改め、【菫の庭園】一行に呼びかけた。

 

「私は皆様の勝利を疑っておりません。ですが皆様だけにお任せして、戦いの準備を怠るつもりもありません。もしも、万が一にでも戦いの継続が困難だと思われましたら、一度お戻り下さい。皆様だけを戦わせはしません」

 

 わかっている、彼等は決して退かない事を。そんな【菫の庭園】に何度も救われたのだから。

 

 それでもマリスアリアは伝えずにはいられなかった。【菫の庭園】だけが背負う必要は無いのだと、貴方がたの無事を願い、微力でも共に戦わんとする者がいるのだと。

 

 オルトが見せた笑みが亡き幼馴染と似ていた事に、マリスアリアは懸命に気づかぬふりをした。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 

 フェンタキア王国へ向かう馬車の中で、スミスは深く溜息をついた。その視線はカミラから受け取った書類に向けられている。

 

「ここで出て来るとは間が悪い……」

「そりゃ強い筈よね、『明日なき旅団』」

 

 レナが浮かない顔で相槌を打つ。エイミーは無表情を貫いている。

 

 書類に記された情報の中で、『明日なき旅団』についての詳細はネーナ達を驚かせた。

 

 一箇所に留まらず犯行を重ねては移動を繰り返し、追手から逃れ続けた野盗団。それを立ち上げたのは、レナやスミス、エイミーが良く知る人物であった。

 

「カタギの生活は出来ないにしても、これは無いわ」

 

 野盗団の首領は二人。元勇者パーティーのメンバー、ボニータとクライファート。これまでスミス達の耳に入らなかったのは、二人の活動範囲が広域に渡っており、かつ冒険者ギルドなどの組織に所属していなかった為だ。

 

 巨大犯罪組織の『災厄の大蛇グローツラング』が壊滅した事で、二人の野盗団に転機が訪れる。

 

 組織の残党との抗争に勝利して吸収すると、犯行の手口は荒っぽく悪質になり、他の野盗や犯罪組織にも積極的に仕掛けて行くようになった。

 

「調子に乗ってマルセロが潜んでた組織に喧嘩を売ったのが運の尽きってね。逃げるのに疲れたのかな」

 

 レナがかつての仲間を思い、遠い目をする。元勇者パーティーという意味ではマルセロも該当するのだが、ネーナの目には他の二人に対する感情とは異なるように見えた。

 

 

 

 不意にネーナの頭に、大きな手が乗せられた。オルトを挟んで反対側に座るエイミーにも、同じように手が乗せられている。

 

 エイミーはボニータとの関係は悪くなかったという。ネーナにしても次の戦いは、自らの手で多くの人命を奪う事になりかねない。オルトの気遣いが伝わって来る。

 

 だからこそネーナは、オルトに先んじて口を開いた。

 

「私は、皆と一緒に戦います」

「わたしも逃げないよ」

 

 エイミーも続く。

 

「……そう、か」

 

 両隣から強い視線で見つめられ、オルトが言葉に詰まる。

 

「子供扱いしないで、だって」

 

 フェスタは微笑み、なめした革のテープを差し出した。

 

「皆で針を入れたの。ピックスのララキラ様や、リア様とカミラにも貰って来たわ」

 

 剣の柄に巻くグリップテープ。オルトの故郷では戦いに出る男の為に、女性達が一針ずつ革に通して無事を祈るのだと、ネーナは聞いた事がある。

 

 以前から使っている物はボロボロで、フェスタは知り合いに声をかけて新しいテープを用意していたのだ。【菫の庭園】の女性陣は勿論、オルトに縁のある者達はこぞって針を取った。

 

 こういう気の回し方はフェスタに敵わないなと、ネーナは素直に思う。

 

「有難う」

 

 オルトは宝物を扱うように、テープを両手で受け取った。

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