第二百四十七話 名も知れぬ師匠

「あの、リチャードさんは……」

 

 ネーナが尋ねると、【四葉の幸福クアドリフォリオ】の面々は苦笑を漏らした。そこにリチャードの姿は無い。

 

「ベッドで唸ってるけど、まあ大丈夫よ」

「『本気で来い』とか啖呵たんかを切ったリチャードが悪い」

 

 魔術師のマリンと暗殺者のエリナが、仕方無いといった表情で肩を竦める。

 

 リチャードは一昨日、オルトとの稽古で散々に打ち負かされて寝込んでいた。

 

うちの魔王様オルト、容赦無かったからねえ」

「昨日は支部がその話題で持ちきりでしたよ」

 

 同情気味のレナに、職員のジェシカが言う。

 

 容姿秀麗で紳士然としたリチャードは、非常に女性受けが良い。加えて【菫の庭園】が不在がちのシルファリオ支部で、【四葉の幸福】はエースとして十分な実績を挙げていた。

 

 この一年程の間にシルファリオ支部は規模を拡大し、職員も冒険者も増えた。新たに加わった者の認識では支部のトップは【四葉の幸福】であり、そのリーダーのリチャードなのだ。

 

 それだけに稽古とはいえ、リチャードがフラリとやって来た男に一方的にやり込められた事実は、支部に大きな衝撃を与えたのである。

 

「本人が希望した事だ、問題無い。取り巻きの女性達から離れたいというのが、そもそもの理由だったからね」

 

 オルトとの稽古をダシに使ったリチャードを、サファイアは自業自得だと突き放した。

 

「皆はイリーナやレナで慣れちゃってるかもしれないけど、オルトとあんな強度の稽古をしてたらリチャードみたいになるのが普通だからね?」

 

 化け物じみたタフネスの二人と一緒にしてくれるなと、普段からオルトと稽古をしているフェスタが主張する。

 

 イリーナは機会さえあれば毎日でも、『勝負』と言いながらオルトに挑みかかっていく。何度負けても、動けなくなるまで大剣を手に立ち向かう闘志と体力は驚異的だ。

 

 レナとて勇者パーティーの一員。近接戦でSランク冒険者のアルノルト・シュタルケを圧倒する身体能力とセンスの持ち主なのだ。リチャードはむしろ、Aランクでも上位の実力を発揮して健闘したとさえ言えた。

 

我々四葉の幸福より、【菫の庭園】の実績の方が断然上なのだがな……」

「オルトさん達の関与をおおやけに出来ない案件も多いんですよ。古くから在籍している職員や冒険者なら、多少は知っているでしょうけど」

 

 渋い顔をするブルーノに、エルーシャが応える。半ば公然の事実でも、表向きは秘匿された体裁を取っているのだ。あえて知ろうとしない限りは、支部にいないパーティーの話を聞く機会も無いだろう。

 

「【四葉の幸福】がシルファリオを拠点に活躍しているのは確かなんだ。それで良いじゃないか」

 

 騒ぎの原因たるオルトの言い草は、まるで他人事であった。

 

 

 

 まだ一番鶏も鳴かない夜明け前。

 

 屋敷の前に停められた馬車の側で、【菫の庭園】一行は見送りを受けていた。

 

 シルファリオを離れる事も、どこに行くかも秘匿されている。事実を知るのは屋敷に住む者と、支部長のエルーシャ以下シルファリオ支部の上層部、Aランクパーティーの【四葉の幸福】の面々、『ヴィオラ商会』の会長であるファラ。さらにこの場にはいない、本部の執行部会とウラカンにいるギルド長一行だけだ。

 

「シュムレイ公爵邸には連絡を入れてあります。最新の状況もそちらに伝えておきます」

「助かります、エルーシャさん」

 

 礼を述べて、ネーナはファラと屋敷の住民達に向き直る。

 

「ネーナさん、皆さん、お帰りをお待ちしています」

 

 マリアの言葉に合わせて、メイド達とファラ、ジェシカがお辞儀をした。

 

「オーナー、オルト様、そして皆さん。ご武運をお祈り申し上げます」

 

 ファラが言うと、【菫の庭園】の面々は笑顔を見せて馬車に乗り込んでいく。今までの出立と何も変わりなく。

 

 馬車の両窓からネーナとエイミーが身を乗り出し、大きく手を振る。

 

「行ってまいります!」

「行ってきまーす!」

 

 見送りの者は、静かに走り出した馬車の影が見えなくなっても、暫しその場を離れずにいた。

 

 

 

 

 

「プリシラさんとリリコさんが元気そうで良かったです」

「だね〜」

 

 馬車の中で安堵するネーナに、エイミーが相槌を打つ。

 

 プリシラとリリコは、未だ混乱の続く『深緑都市』ドリアノンで縁の出来た獣人女性だ。ドリアノンを離れて生活の拠点を変えようとした二人に、シルファリオ行きを勧めたのはネーナであった。

 

 二人は過去の経験から男性に恐怖心を抱くようになっていた為、ネーナは申し訳無いと思いながらも、それに理解のあるファラに助けを求めた。ファラは彼女達の生活全般をしっかりサポートしてくれていた。

 

 当時の【菫の庭園】は重要な書類を抱えてリベルタに向かわねばならず、二人と共にシルファリオに戻れない事情があった。半ば丸投げする形になってしまったネーナは、ファラに対して頭が上がらなかった。

 

「意外だったのは、全員が屋敷に残りたいって言った事ね」

「それね。ジェシカかブルーノ一家のどっちかは出て行くかなって思ってたけど」

 

 フェスタが言えば、レナが頷く。

 

 現在、屋敷には【菫の庭園】の面々以外に、ブルーノ一家とジェシカ、プリシラとリリコが暮らしている。

 

 オルトは自分達が中々屋敷に戻らず、それはこの先も大きく変わらないという見通しを踏まえて、メイド達とジェシカに話をした。

 

 屋敷のメイドをしているマリア、ルチア、セシリアはブルーノの妻である。三人には十分な給金が支払われており、夫のブルーノはAランクパーティーの一員。そろそろ一家水入らずで過ごせる自宅を手に入れようとなってもおかしくない。

 

 同じくメイドのプリシラとリリコも、当座の生活に十分な資金は貯まっている筈。

 

 屋敷の管理をしているジェシカはギルド職員が本業で、最近は町の教会の侍祭様と良い雰囲気なのだと、エルーシャが情報をリークした。

 

 それぞれが屋敷に来た頃とは状況が変わっており、オルト達としては無理に引き止める事はしたくなかったのである。

 

 だが、屋敷を離れようとする者はいなかった。

 

旦那ブルーノ様も、いつも家にいる訳ではありませんし』

『今の暮らしに不満は無いよね』

『皆一緒で楽しいよ!』

 

 マリア、ルチア、セシリアが微笑み、ブルーノは頭を掻いた。

 

『一軒家も考えないではないが、どこまで冒険者でいられるかわからぬ。この屋敷に妻達がいる事が安心でもあるのだ』

 

 まだ他者と対するのに不安があるプリシラとリリコは、ある程度接する相手が限定される屋敷での仕事を続けたいと考えていた。

 

『じ、侍祭様とは、その……まだわかりませんから。良い方ですし、子供達も懐いてくれていますけど』

 

 ジェシカは顔を赤くして、エルーシャの情報が事実であると認めた。

 

 オルトの意図を理解した上で、全員が屋敷に残りたいと希望したのであった。

 

「私達が屋敷に戻らないから、気を遣わせているのかもしれないわね」

「じゃあ、帰ってからもう一度聞かないと」

 

 フェスタとレナが頷き合う。少し暴走気味ではあるが、ジェシカに幸せになって欲しいという思いは確かであった。

 

 

 

 オルトは話に加わらず、一人窓の外を眺めていた。

 

「お兄様、どうかしましたか?」

 

 ネーナの呼びかけに、窓から目を離さず応える。

 

「ん……師匠の事をな、考えていた」

「お兄様の、お師匠様ですか?」

「ああ」

 

 仲間達も二人の会話に耳を傾けている。

 

「前回戦った時、マルセロが俺の太刀筋に見覚えがあると言ったのを覚えてるか?」

「はい、ですがお兄様は、マルセロと戦うのは初めてだと……」

 

 ネーナは当時のやり取りを思い起こす。オルトは確かに、初見だと断言した。

 

「奴は太刀筋と言ったが、そうでなく剣技――エフェクト・アーツについて言ったのならば、心当たりはあるんだ」

 

 ネーナが視線を送ると、フェスタは頭を振った。

 

「私は聞いてないわよ。そもそもオルトの力がここまでなんて知らなかったし」

「そうだよな」

 

 オルトもそれを肯定する。恋人でありパーティーメンバーでは最も長い付き合いのフェスタは、共に近衛騎士であった。オルトが実力を隠している事は知っていても、どれ程のものか知る機会は無かった。

 

「剣術は実家に仕える兵士長から教わった。だが剣技の師は別な者だ」

「その方は……」

「既に亡くなっている」

 

 オルトは古い記憶を探るかのように、遠い空を見つめていた。

 

 

 

 サン・ジハール王国出奔前、オルトはトーン・キーファーと名乗っていた。

 

 実家のキーファー子爵家は、領地持ちではあるが裕福とは言えない。トーンも十歳を過ぎてからは鍛錬や見回りも兼ねて、一人で領内の森へ狩りに出ていた。

 

 ある日その森で、トーンは行き倒れた旅人を発見した。

 

 旅人は怪我が治りきらぬ内に無理を重ねていたらしく、酷く衰弱していた。医者を呼ぼうとするトーンを引き止め、自分はもう長くないと言った。

 

 何か望みはあるかと問われた旅人は、トーンに自分の剣技を受け継いで欲しいと願った。

 

 トーンが承諾すると、旅人は残り少ない命を燃やして基本の型を見せ、力尽きた。

 

 

 

「――名前も素性もわからない。どうしてそんなに酷い怪我をしていたのかも。話したのは型の名称と簡単な説明、型を組み合わせる事で力を増すという剣技の特性だけだ」

「お兄様は、そのお師匠様がマルセロと戦ったとお考えですか?」

 

 オルトは思案しながら頷く。

 

「多分な。マルセロは基本の型と一部の連続技には反応していた。見た事があると判断するのが妥当だろう」

 

 連続技については教わった型を組み合わせて、オルトが独力で身に着けたものだ。とはいえ、使いやすい組み合わせは存在する。師が先に見せていたとしても不思議は無い。

 

「懸賞金目当てであったか、討伐隊に雇われたか、或いは義憤に駆られたか。様々な理由でマルセロに挑み、敗れた者も多いと聞く。もしかしたら、その中の一人だったのかもしれないな」

 

 思いの外マルセロは、オルトの手の内を知っているかもしれない。それは前回、相手の油断と慢心を突いてマルセロを追い詰めたオルトにとって、次の戦いは非常に厳しいものが予想されるという事である。

 

 ネーナは言葉に詰まった。オルトはそれでも、必ず仲間達を背負ってマルセロと対峙するとわかっているからだ。そうする事で勝利が近づくと理解しているのだ。

 

 兄を一人では戦わせないと、決意を込めて言の葉を紡ぐ。

 

「――大丈夫です。私も力をつけました。今度は遅れを取りません」

 

 オルトは目を丸くした。

 

「そうね。オルトがちょっとくらい不利になっても、あたしらだって前と違うからね。お釣りが来るでしょ」

「わたしがんばるよ!」

 

 レナとエイミーが意気込みを示す。フェスタとスミスは微笑みを浮かべた。

 

 少し重くなりかけていた車内の雰囲気が明るくなる。

 

「頼もしいな。遠慮なく助けて貰うよ」

「はい!」

 

 オルトが大きな手を伸ばして頭を撫でると、ネーナは満足そうに笑った。

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