第百五十一話 目を逸らさないで
ベンチで寛いでいたフェスタ達も、地震とそれに続く警鐘で臨戦態勢に入っていた。
市場とそれに隣接した商店が立ち並ぶエリアから、パニックになった群衆が逃げて来る。広場の鍛冶師達も慌てて炉の火を落とし、或いは砂をかけ、まだ熱い武器は穴に放り込んで埋める。放置して逃げれば火災に結び付きかねないからだ。
「ジャイアント・ワームだ!」
「何で商業区に出るんだ!?」
「憲兵は、『
「子供が、私の子供がいないの!」
怒号や悲鳴、悲痛な叫びの飛び交う中、【菫の庭園】一行が合流した。
「どうするの?」
「この混乱じゃ軍は間に合わない。逃げ遅れた者もいる。俺達でやるぞ」
フェスタに問われ、オルトが即答する。
高い建物の無い商業区の屋根の上に、広場からでもジャイアント・ワームの巨大な頭部が蠢いているのが見える。白い煙や火の手が上がっている事も確認出来た。
今どうにかしなければ、被害が拡大するのは明らかだ。
「そうこなくっちゃ」
レナがポキポキと指を鳴らす。だがマゴロクは一行を気遣い、真剣な表情で忠告をした。
「悪い事は言わねえ、軍に任せて避難した方がいいって。相手が悪過ぎ――ってえ、おい!?」
最後まで聞かずに、【菫の庭園】の面々が人の波に逆らって駆け出す。面食らうマゴロクに、ネーナはペコリと頭を下げた。
「お気遣い有難うございます。でも、私達も多少は腕に覚えがありますから」
出来れば、あのご婦人と一緒に避難して、お子さんを探してあげて下さい。そう言ってネーナは泣いているドワーフ女性を指差し、待ち構えていたフェスタと共に仲間達を追った。
「一体何なんだい、あいつら……」
呆然と一行を見送ったマゴロクは、ハッと我に返ると慌てて女性に駆け寄るのだった。
◆◆◆◆◆
現場に駆けつけたネーナの視界に映ったものは、全長二十メートルにもなろうかという巨大ワームが暴れ回る阿鼻叫喚の巷であった。
赤黒い体色。成牛さえ呑み込めそうな大きな口には、ギロチンを思わせる鋭い歯が並んでいる。所々に生えた人の腕程の太さの触手が畝り、見る者に更なる不気味さを感じさせる。
数名の憲兵が先着していたが、ワームから距離を取り人々に避難を呼びかける他に為す術は無い。ワームが移動してきた道なのか、家屋や商店が軒並み倒壊している場所がある。
其処此処から上がる悲鳴や呻き声は、路上に倒れている者からだけでなく、瓦礫の下からも聞こえていた。
「嫌だああああ!!」
ネーナの目の前で、男が絶叫しながらワームに呑み込まれる。鋭い歯で食い千切られた足が地面に落ち、ネーナは息を呑んだ。
惨状から一瞬顔を背けそうになった自分を、ネーナは叱咤する。
――何をしてるのネーナ! 今働けないなら、貴女がここにいる意味は無いでしょう! 目を逸らさないで!!
『
ネーナは全員に補助魔法を展開して唇を噛み締めながら、フェスタと共にオルトの傍へ向かう。
「あたしは癒し担当ね」
指示を待たずにレナが負傷者の下に駆け寄り、スミスは水魔法で消火活動を始めた。
瓦礫の下にも生存者がいる以上、勢いに任せて大量に水を撒く訳にはいかない。救助や避難の妨げになってしまうからだ。魔力を制御する繊細な技術は、スミスならではである。
「テルミナ、エイミー、あれが地面に潜って逃走するのを防げるか?」
「やってみるわ」
オルトに答えて、テルミナが詠唱を始める。ワームの体内に生存者がいる可能性が高く、精霊弓での攻撃は躊躇せざるを得ない。同じ理由で、オルトはネーナに魔法での攻撃を指示しなかった。
オルトは浮足立っているドワーフの憲兵達に声をかけた。
「俺はAランク冒険者のオルト・ヘーネス、それとパーティーの【菫の庭園】だ。奴の相手はこちらで引き受ける。手の空いてる者は全て避難誘導と救助に回って欲しい」
「!?」
憲兵達が弾かれたように反応する。隊長らしきドワーフ男性が敬礼した。
「かたじけない! 家屋や瓦礫の下敷きになってる者もいるぞ、全員急げ!!」
『ハッ!!』
隊長の号令で憲兵達が動き出す。オルトは巨大ワームの周囲で円を描くように移動し、ワームの胴に蹴りを入れたり、剣の腹で叩く程度の接触で自らに注意を引きつけている。
ネーナは懸命にオルトの思考を推測して、記憶したガイドブックの市街図を思い起こした。ワームが厄介な敵である事は確かだが、オルトが倒せない相手ではない。ここで倒さない理由があるのだ。
――きっとお兄様は、あのワームを移動させようとしているのね。中にいる人の場所を確かめてる。
下手に手傷を負わせれば、ワームが危険を感じて逃げてしまう。ワームが地中に潜れば、体内にいる者を助ける機会も失われる。そしてこの場で『餌』にありついたワームは、食欲に突き動かされて再びやって来る。
テルミナが逃走を防いでいるが、この場所には多数の負傷者と要救助者がいる。これまで巨大ワームが通過して来た場所にもだ。ここで戦えばそれらの者達に致命傷を与えかねない。
まずは避難があらかた完了している地域にワームを誘導するべきだ。そう思い至ったネーナに、オルトが声をかける。
「ネーナ――」
「お兄様。先程の広場以外は、近くに十分なスペースはありません。広場に行くには多くの店舗や家屋を破壊する事になります。この商業区内で戦うしかありません」
ネーナはオルトの問いかけに被せるように、自らの見解を告げた。オルトは一瞬驚きながらも、ネーナの意見を採用する。
「それで行こう。どこに誘導すればいい?」
ワームに呑み込まれた者を救出する為にも、決着を急がなくてはならない。移動も短い方が良い。新たに建物を破壊してしまうが、それは必要なコストとして割り切るしかない。
「左前方、五十メートル程先に引っ張って下さい」
「了解。テルミナ、済まないがもう暫く堪えてくれ」
「ええ」
額に汗を浮かべたテルミナが、短く応える。
「エイミー、ワームの周囲に大地の精霊がいるのが見える?」
テルミナの傍らで、エイミーが頷く。その目はテルミナの一挙手一投足に集中している。
「私達が精霊の友であるように、魔獣や他の生物も精霊と近しくなる事は出来るの。あのワームは考えてやってる訳ではないけど」
生息環境故か、大地の精霊を使役するワームは何例も報告されている。精霊の力で進行方向の土壌を軟らかくして移動を早めたり、獲物を足止めするのである。
ワームの使役する精霊を封じつつ、地面を固めて逃亡を防ぐ。それらを倒れている者達が巻き込まれないよう気遣いながら行うのは、Sランクパーティー所属のテルミナにも中々骨の折れる作業であった。
「あのワームに対して、大地の精霊の力を借りた魔法は効果が出にくいの。対処法としては自分の魔力を上乗せしてもっと大きな力を使うか、違う属性の精霊の力を借りるのが無難ね」
テルミナは汗を拭うとオルトの動きに合わせて、ワームを誘導する方向の地面を硬質化させた。巨大ワームがオルトに釣られてゆっくりと移動を始める。
ネーナ、フェスタ、テルミナ、エイミーの四人は距離を取り、無言で後を追う。不用意にワームの注意を引けば、誘導に失敗するだけでなくワームの体内にいる者が余計にダメージを受ける可能性があるからだ。
予定の場所までもう少し。そう考えて気を引き締めたネーナの耳に、聞こえてはならない筈の声が聞こえてきた。
――おかあさん、どこにいるの?――
ネーナの顔から血の気が引く。
細い路地から巨大ワームの脇に、何かを抱えた幼児が出て来たのが見えた。
オルトからは完全に死角、オルトのサポートに備えるフェスタ、術の制御に集中しているテルミナもまだ認識していない。ワームの頭部が幼児に向く。
「駄目っ!!」
「ネーナ!?」
エイミーが止める間もなくネーナは駆け出した。数瞬遅れて、フェスタが状況を伝えながらネーナを追う。
「オルト、近くに子供がいる!」
「了か――っ!?」
回り込もうとしたオルトを、コントロールが外れたワームの尾が直撃した。オルトはブロックしたものの、大きく後方に飛ばされる。
目の前のワームに気づいた幼児が、顔を引き攣らせて硬直する。それまでのスローモーな動きが嘘のような素早さで、ワームが幼児に襲いかかる。
『魔力障壁!』
ネーナが多重に展開した障壁を、巨大な質量の塊が次々と粉砕する。ワームの突進は三枚目の障壁で辛うじて止まった。障壁がギシギシと悲鳴を上げる。
その間に、ネーナが幼児のいる場所に到達した。幼児を庇うように抱きしめる。幼児は仔犬を抱えていた。
「大丈夫ですか? 痛い所はありませんか? お母さんはどこにいますか?」
「えっ、あっ」
矢継ぎ早の問いかけに、幼児は目を白黒させる。それに気づいたネーナは動転している事を自覚し、苦笑した。
――精霊さん、ネーナを守って!――
最後の障壁を破ったワームを、せり上がった分厚い土壁が受け止める。土壁に向かって手を突き出すエイミーを、テルミナが驚愕して見ていた。
「大丈夫です、お姉さん達が貴方をお母さんの所に連れて行ってあげます。少しだけ我慢して下さいね」
「うん……えへへっ」
仔犬に顔を舐められ、幼児がくすぐったそうに笑った。土壁を回り込みやって来たフェスタは、ネーナ達の無事を確かめ安堵の溜息を漏らす。
「お待たせしました!」
「やるよ!」
スミスとレナが合流する。二人の後を、
「スミス、固めろ!」
『
瞬く間に巨大なワームが凍りつく。フェスタに連れられ、ネーナと幼児がワームから離れる。それを見届けたように土壁が地面に戻り、フラつくエイミーをテルミナが支えた。
――
オルトが一太刀でワームの頭部を落とし、ドワーフ達からどよめきが起きる。凍りついた巨大ワームは頭部を失い、バランスを崩して横倒しになる。
オルトは剣を片手に持ち、ワームの胴の切り口に足をかけて仲間達を振り返る。底の厚いブーツがジュワッと音を立て、ワームの体液が強い酸である事を窺わせる。
「レナ、済まん。少し無茶をする。スミス、後は頼む」
レナは困ったような表情をし、スミスは無言で頷く。
「っ!?」
直後のオルトの行動に、ネーナは息を呑んだ。
ワームの胴の切断面に剣の刃を当てると、オルトは体内に駆け込んだ。そのままワームの尾に向かって胴を割いて行く。
「『
「承知!!」
スミスの指示で、ドワーフの戦士達が槍戦斧を叩きつける。レナはテルミナに声をかけた。
「テルミナ、水出せる?」
「出なくても絞り出すわ」
「お願い」
テルミナがグッタリしているエイミーを地面に寝かせる。それらを見ていたフェスタは、皮の手袋を二重に填めた。
「ネーナはここで、その子を見ていてあげて」
「あっ」
フェスタはネーナの返事を待たずに駆け出し、凍ったワームの尾に取り付いた。
オルトの剣が止まった場所から中に呼びかけると、腰のサーベルを引き抜いてワームの胴を切り裂き、肌が焼けるのも構わずに手を入れた。
血塗れのドワーフ達の後から、フェスタに手を引かれてオルトが転がり出る。
テルミナにシャワーを浴びせられながら拳を合わせる二人を、ネーナは静かに見つめていた。
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