第八十二話 グスベリのジャム

「エイミーとネーナの事、頼むな」

「レナもいるから大丈夫、っていうか二人共、子供じゃないのよ? 私の心配はしてくれないの?」

「う。そりゃ心配だけど、信頼もしてるんだよ……」


 しょうがないなあと苦笑しながら、フェスタはオルトに抱き着いた。少し爪先立ちになり、行ってらっしゃいのキスをする。


「気をつけてね」


 離れ際に小声で伝えると、フェスタは羨ましそうなネーナとエイミーの傍に行き、オルトに向かって小さく手を振った。


 オルトが乗り込んだ駅馬車を見送った後、フェスタ達も街道を歩き出すのだった。




【菫の庭園】は珍しく、分かれて依頼を受け行動していた。


 オルトは単独でリベルタへ。


 フェスタの提案でレナとネーナ、エイミーを合わせた四人は、ギルド支部で売れ残っていた薬草採取の依頼を受けて泊まりがけで山へ。


 スミスとブルーノは【四葉の幸福クアドリフォリオ】にスポット参加して、Aランクの討伐依頼へ。


 パーティー全員が再び顔を合わせるのは、凡そ二週間後の予定だ。




「フェスタお姉さん?」

「うん?」


 エイミーが、隣を歩くフェスタに話しかけた。


「これから私達が行くお仕事、もっとランクの低い冒険者の依頼だよね?」

「そうよ」

「おじいちゃんが、ランク低い人のお仕事を取っちゃ駄目って言ってたよ?」


 エイミーが心配そうな顔で言う。フェスタは微笑み、オルトがするようにエイミーの頭を撫でた。


「よく覚えてたじゃない。大事な事よ。でも、この依頼は大丈夫なの」

「どうして?」


 薬草採取の依頼は通常、DやEが適正ランクとなっている。安定した需要が見込める為にギルドでも常時買い取りを行っているし、低ランク帯の冒険者にはお馴染みの依頼だ。


 それだけに依頼人が出した薬草採取は報酬も安く、冒険者は同時に達成可能な複数の依頼を受けていくのだ。


 今回フェスタが受けた依頼は、タイミング悪く残ってしまった依頼を、ギルド職員のジェシカに相談して引き受けたものなのだった。ギルドとしても、未達成のまま期限を迎える依頼が減るのは喜ばしい。


「これ一つだけだと赤字になっちゃうから、生活が大変な低ランクの冒険者も受けられないのよ。意地悪してる訳じゃないの」

「そうなんだ〜」


 納得したエイミーが、何度も頷いている。フェスタ達にとっても微々たる額の報酬だが、その依頼が無くとも出かける事は決まっていたので、問題は無い。


「勿論、依頼そのものや依頼人に問題があって、誰も引き受けない事もあるけどね。だから、ちゃんとギルド職員に相談するのよ」

「わかった〜!」


 元気よく返事をするエイミーを、街道ですれ違う人々が微笑ましく見ている。


「今回は、依頼は帰りにこなすの。シルファリオに戻るまで時間がかかるから、出来るだけ後に採取したいのよ」


 状態保存の魔法ならばネーナも使える。採取を先に行っても問題は無かったが、フェスタは魔力の消費を抑えて依頼を達成するやり方を選んだ。




 フェスタ達は街道を外れ、森を抜けて山道に入って行く。山菜採りの老人から目的地を教わり、休息をとった。


「今ここだから、着いたら夕方ね。水はまだあるけど、出来れば水場を見つけて野営したいかな」


 地図を広げてフェスタが言う。パタパタと顔を手で扇ぎながら、レナも同意した。


「水浴び出来るといいけど」


 ネーナはエイミーと一緒に、野生の香草や山菜を摘んでいる。二人が戻るのを待って、フェスタ達は出発した。




 予定より早く現地に到着した一行は、小川を見つけて野営の場所を決めると、近くの低木の周りに集まった。


「日が沈むまで、ちょっと忙しくなるから。手早くやっちゃおう」


 フェスタが仲間達に厚手の手袋を渡す。


「袖の長い上着も忘れないで。『グスベリ』は枝に棘があるから」

「グスベリ?」


 首を傾げるネーナの前で、フェスタは一センチ程度の球状の実をもいで口に含んだ。


「これこれ。久しぶりだわ」

「フェスタお姉さん、まだ実が青いよ?」


 見よう見まねでグスベリの実を摘みながら、山村育ちのエイミーがフェスタに聞く。


「生で食べたりデザートにするなら、もうちょっと熟して甘くなってからがいいけど。今回はジャムを作るから、これ位がいいのよ」

「酸っぱいですっ!」


 フェスタの真似をして実を食べたネーナが、口をすぼめる。仲間達から笑いが起きる。フェスタが水の入ったカップを差し出した。


「水も美味しいし、言う事無いわね。レナも水浴びするなら今の内にして。日が沈むと冷え込むから」

「あたし達が手伝える事は無いの?」

「そうね……」


 フェスタは少し考えて、荷物袋から取り出した籠を組み立てた。


「これを川に沈めておいて。それと水浴びの前に、焚き火の薪になるものを集めてくれると助かるわ」

「OK、それじゃ――」


 ネーナが興味津々といった様子でフェスタの手元を覗き込む。


「私、フェスタのお手伝いがしたいです」

「なら、あたしとエイミーで薪を集めてくる」


 レナとエイミーが籠を手に小川に向かい、フェスタとネーナはグスベリの実を集める。程なくしてボウルに一杯の実が溜まると、フェスタは下ごしらえを始めた。


「指を切らないように気をつけて。こうやって、ヘタと芯を取るの。ゆっくりでいいからね」


 フェスタは器用にナイフを操り、どんどん実を処理していく。ネーナも慎重に進めたが、二度指を切ってしまった。フェスタは近くの野草を毟って指で揉むと、ネーナの手の傷口に貼り付けた。


「ちょっと待ってね……これでよし、と。すぐに血が止まるから、そのまま押さえておいて」


 フェスタはネーナの手当てを済ませてジャムの仕込みに戻る。グスベリの実を鍋に移し、砂糖をまぶして蓋をした。


「これを一晩置いたら水が出るから、ちょっとだけ川の水を加えてサッと煮詰めれば出来上がり」

「フェスタは何でも出来るのね……フラウスみたい」


 ネーナが野草を貼り付けた自身の手を見ながら、長く仕えてくれた侍女の名を呼ぶ。王女アン専属の三人の侍女はいずれも才媛であったが、とりわけフラウスは何でも卒なくこなしていた。


 フェスタは悲しげなネーナを見て苦笑する。


「流石に生活全般の事に限定したら、フラウス達には全然敵わないと思うけど。ネーナだって王城を出てから、まだ一年も経ってないでしょう? 凄い進歩よ?」

「そうだけど……」

「オルトも自分の事は大体出来ちゃうから、付き合い始めた頃は私が色々やって貰ってたのよ? 自分が情けなくってね」

「フェスタが?」


 フェスタの意外な告白に、ネーナは驚いた。


「そうよ? 実家に父の後妻が来て腹違いの妹が生まれてからは、私は厄介者扱いだったもの。意地悪する使用人もいたし。身の回りの事を教えてくれたのは、オルトのお母様やお姉様よ」


 フェスタは言いながら、石を並べて火を起こした。小川の方から、水浴びするエイミー達の楽しげな声が聞こえてくる。


「騎士学校の最初の休暇から、オルトと一緒にオルトの実家に帰ってたわ。皆凄く温かく迎えてくれて。このジャムもオルトのお母様とお姉様に教わったの」

「お兄様の、お母様とお姉様……」


 ネーナが呟く。そんなネーナを見て、フェスタは微笑んだ。


「ネーナもきっと大好きになるわ。素敵な人達だし、私の事も家族として迎えてくれたから。最初は『王女殿下!?』って驚くだろうけど」

「お兄様のご実家、行ってみたいです!」

「いつか、きっとね」


 頃合い良くレナとエイミーが戻り、ネーナとフェスタは火の番を交代して水浴びに向かう。


「ネーナはスタイルいいのよねえ……」

「あ、あまり見ないで下さい……」


 フェスタがしみじみと言う。ネーナは真っ赤になって身体を隠した。フェスタが手をワキワキさせながらネーナににじり寄る。


「おっぱいの裏のホクロってどこ? うわ柔らかっ!」

「あわわわ、見ないで下さい触らないで下さい!!」

「この身体でオルトに抱き着いてるとはけしからん」


 戯れ合う二人に、焚き火の傍からエイミーが呼びかけた。


「フェスタお姉さん、お腹空いたよー」




 夕食は川魚の香草焼きだった。籠には多くの魚が入ったが、その大半はエイミーの胃袋に収まってしまった。


 食後のお茶の湯を沸かす鍋と共に、小さな鍋から甘い香りが漂っている。ネーナが覗き込む。


「これはグスベリのジャム? 一晩漬けるんじゃないの?」

「ちょっと味見と、紅茶の甘味に使おうと思って。熱いから気をつけてね」


 フェスタはジャムを一匙掬って、ネーナに差し出す。パクッと咥えたネーナが目を輝かせた。


「甘酸っぱくて美味しい!」

「私も食べたい!」

「はいはい」


 お腹を擦ってゴロゴロしていたエイミーが飛び起きる。フェスタは苦笑しながらもう一匙をエイミーに差し出した。レナは無言で自分のスプーンを鍋に突っ込んで食べている。


「グスベリはね、鴨料理のソースやつけ合わせに使うから『Goose Berry』って言うんだって。オルトが子供の頃、生前のお祖母様が作ってくれたこのジャムが大好きだったって」


 オルトの祖母から母、姉へと伝わったレシピだ。今はフェスタが受け継いでいる。


「実をあまり潰さない方が、オルトの好みみたい。これを作る為に、オルトのお姉様は護衛も付けずに馬に飛び乗って、一人でグスベリの実を摘みに行ったんだって」

「パメラ様が?」

「ええ」


 オルトの実家のキーファー子爵家は、地方の貴族だ。そこの子女となると、ネーナが王女アンであった頃にも面識は無かった。


「そう聞くと凄く行動的な、セーラ様みたいなイメージでしょう? ご本人はとてもお淑やかな方なのよ」


 フェスタの話を聞いて、ネーナは会った事の無いパメラの姿を想像する。『きっとオルトのように優しい女性ひとに違いない』と、ネーナは思った。


「炙ったパンにジャムを乗せても美味しいの。それは明日の朝ね」


 空になった鍋を持ち、フェスタが小川に向かう。ネーナが小走りに追いかける。


「ねえフェスタ。このジャムでお兄様は喜んでくれるかしら?」


 問いかけられたフェスタは微笑んだ。


「それはもう。すっごい幸せそうな顔するから、見逃しちゃ駄目よ? あっ、でも――」


 フェスタが立ち止まり、口元に人差し指を当てる。その顔は悪戯っぽい笑みに変わっていた。




「――皆で先に食べたのは、内緒にしようね?」

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