閑話七 私の信仰は、私のものだ

 「はい、どちら様で……しょう、か」


 自宅の扉を開けたルチアは、来訪者の一団を見て、形の良い眉を顰めた。一団が揃いの神官服に身を包んでいたからだ。


 先頭の男がにこやかな笑顔でルチアに名乗る。


「私はストラトスのオルファン大聖堂より参りました、ルザ・ダーヴィッツと申します。こちらにお住まいのブルーノ・コンテ様にお会いしたいのですが、ご在宅でしょうか?」

「司祭様はうちにいます。でも、司祭様を破門するような人達は会わせられません。帰って下さい」


 ルチアはダーヴィッツを拒絶した。ルチア達三人はブルーノの事情を知っている。ブルーノを破門したストラ聖教とその関係者に対するルチア達の心証は、最悪と言っても良かった。


「司祭様? ブルーノ・コンテ様の事でしょうか? 失礼ですが貴女はご息女で?」

「違います。でも家族です」

「ではブルーノ・コンテ様にお取り次ぎ下さい。ご本人にお伝えしなければならない事がありますので」

「会わせられないと言いました。帰って下さい」


 ルチアが不快感を隠さずに言うが、ダーヴィッツはどこ吹く風といった様子でブルーノに取り次ぎを求める。ブルーノを不当に破門したストラ聖教の使いを名乗りながら、当事者感がまるで見られない。ルチアの怒りは増すばかりだった。


「ルチア。どうしたのだ」


 戻って来ないルチアを心配して、ブルーノが玄関にやって来る。ブルーノは険しい表情のルチアと、相対する神官服の一団を見て状況を察した。


「有難うルチア。私を気遣ってくれたのだな」

「司祭様……」

「心配要らないから、下がっていなさい」

「ううん。ここにいる」


 ただならぬ雰囲気を感じたのか、奥からマリアとセシリアもやって来た。


「ブルーノ・コンテは私だが、ストラ聖教とは無関係な身。押しかけて来られる理由は無い。お引き取り願いたい」

「おお! 私はルザ・ダーヴィッツと申します! そのような事を仰らないで下さい。貴殿にとっていいお話なのですから」


 ダーヴィッツはブルーノを見るや喜々として、懐から書状を取り出した。そして『帰れ』と言われたにも関わらず話し始める。


「教皇聖下より勅書をお預かりしております。聖下はブルーノ・コンテ様の破門を取り消し名誉を回復した上で、貴殿を護教神官戦士団の総司令官に迎えたいと仰せになられました」

「……何だと?」


 ブルーノにとって、寝耳に水の話であった。ダーヴィッツが提示する書状には、確かに教皇直筆のサインが入っている。


 このような展開になり、ブルーノに思い当たる事は一つしかない。ブルーノが後ろ髪を引かれる思いでシルファリオを後にしてから、半月近くが経過していた。向こうで何かあったとしか考えられなかった。


「……成程。レナをストラトスに連れ戻す事に失敗したか。それだけでなく、無理に連れ戻そうとして叩きのめされたと見える。やられたのは聖堂騎士か?」

「…………」


 図星を突かれ、ダーヴィッツの顔が引きつる。だからストラ聖教の幹部達は、レナやオルトのパーティーメンバーでありながら、シルファリオでの衝突時にいなかったブルーノとの関係改善を急いだのだ。




 ――俺達も……レナだって、お前の大事なものを守る力になれる。俺達が共にいる事は、リスクなんかじゃないんだ――




 仲間達は、自分ブルーノに告げた言葉を違えなかった。ならば自分も仲間達を貶めるような振る舞いをする訳には行かない。ブルーノは口を開いた。


「ダーヴィッツ殿。お話は拝聴した」

「おお、では――」

「その上で申し上げる。破門取り消しも、名誉回復も、聖教での地位も。全て不要。そう聖下にお伝えして貰いたい」


 ダーヴィッツの言葉を遮り、ブルーノはストラ聖教側の申し出を全て断った。何一つ魅力を感じなかったのだ。


「破門されてわかった事がある。私の信仰は私のものだ。神への祈りは、他人の顔色を窺ってするものではない。私は破門されようと、聖教に何も奪われなかった。それどころか大事な家族を得た。聖教に何かをして貰う必要など無いのだ」


 ブルーノは振り返り、ルチア達に微笑んだ。少女達の心配そうな表情が、驚きと喜びに彩られていく。


 ブルーノが勅書の内容を受け入れると信じて疑わなかったダーヴィッツが、動揺を隠せずに言う。


「き、貴殿は。聖下のお心遣いを無下にされるというのか? 理解に苦しむ」


 ブルーノは黙って頭を振った。


「我等は等しく神に仕える者であろう。それだけの事だ。そして私は冒険者パーティー【菫の庭園】のブルーノなのだ。さあ、お引き取りを」


 呆然とするダーヴィッツ達を尻目に、ブルーノは扉を締めた。同時に三人の少女が喜びを爆発させて飛びついてくるのを、巨漢の元神官戦士はしっかりと受け止めるのだった。




 ◆◆◆◆◆




四葉の幸福クアドリフォリオ】の剣士サファイアは、シルファリオの共同墓地を歩いていた。ギルド支部で、彼女の探し人が墓地にいると教えられたからだ。とはいえ、その探し人が死人というわけではない。


 探し人はすぐに見つかった。


 小さな墓の前で思いに耽る、一人の男。頬には目立つ刀傷がある。シルファリオの冒険者仲間達からは『傷男スカー』と呼ばれていた。


 傷男は、サファイアが近づいているのに気づくと、バツの悪そうな顔をした。


「お前……サファイアだったか。何だ、この町に来たばかりの筈だが、知り合いの墓でもあるのか?」


 傷男の問いかけに、サファイアは頭を振った。


「いえ。貴方を探していました。他の方に聞いたら、こちら墓地ではないかと」

「俺を?」


 不思議そうな顔の傷男に、サファイアは小瓶を差し出した。傷男は小瓶を受け取り、まじまじと眺める。


「貴方に頂いたポーションが無ければ、私はこうして生きていられなかったかもしれません。有難うございました」


 深々と頭を下げるサファイアに対し、傷男が茶化すように言う。


「エラい剣幕で噛みついてきた嬢ちゃんが礼儀正しいと、調子狂うぜ」

「…………」


 頭を下げ続けるサファイアに、根負けした傷男が両手を上げた。


「ギルドの連中から何か聞いたのか?」

「……はい」


 サファイアの返事に、傷男がため息をつく。サファイアから受け取った小瓶を眺める。小瓶には『ハイポーション』と書かれていた。


 サファイアはずっと気づかなかったのだ。当然の話である。Aランク冒険者のサファイアにとって、ハイポーションは普段使いのアイテムだ。だがDランクの傷男には高級品。適正ランク帯の依頼で使っていたら赤字になってしまう。


 なのにあの時、傷男は持っていた。そしてそれだけの品を、躊躇わずにサファイアに差し出した。当時の二人は喧嘩の後の険悪な関係だったにも関わらず、だ。


 傷男は綺麗に掃除が行き届いた小さな墓に目をやった。墓石の前には、勿忘草の束が置かれていた。


「……こいつはサフィっつってな。嬢ちゃんと名前が似てるが、俺の幼馴染だった。こいつはヒーラーでな、二人で仕事したり、他の冒険者と即席パーティーを組んだり。お互い憎からず思ってはいたが、どうも色っぽい雰囲気にはならなくてな。でも何となく、一緒になるんだろうなって思ってたよ」


 傷男が当時を思い出すように苦笑する。


「よくある話さ。誰が悪い訳でもない。依頼中、俺達の実力に見合わない敵に会っちまったんだ。逃げる余裕も無かった。ボロボロになりながらどうにか敵を倒したが、その時にはサフィは致命傷を受けてたんだ」


 サファイアは胸が一杯で、何も言葉が出なかった。


「こいつは自分が死ぬってのに、俺の事を気遣ってな。『生きててくれて良かった』ってよ。『戦闘で突っ込み過ぎるな』とか『朝はちゃんと起きろ』とか、母親みてえな事を言ってよ」


 傷男は涙を流していた。サファイアもだ。


「『私の事を忘れないで』って。『貴方のお嫁さんになりたかった』が最期の言葉だったよ」


 傷男は袖口で涙を拭い、鼻を啜った。


「あの時、ハイポーションがあればサフィは死なずに済んだんじゃないかと思ってな。それで持ち歩くようになったんだ。馬鹿だろ、肝心な時に無かったのによ」


 自嘲気味に吐き出された言葉は、サファイアがキッパリ否定した。


「いえ。それで私は救われました」

「……そうか」

「私も、サフィさんに祈らせて貰っても構いませんか」

「ああ。寂しがりだったからな、喜ぶだろうさ」


 傷男が譲った場所で、サファイアは両手を組み、黙祷する。サファイアはどこか近くで傷男を見守ってるであろうサフィに、心の中で話しかけた。




 ――もしも貴女が嫌でなければ。私にも貴女の分まで、貴女の大事な人傷男さんを守らせて下さい――




 墓地を優しい風が吹き抜けた。


 目を開けたサファイアの前で、傷男が驚いたような顔をしていた。




 ◆◆◆◆◆




 冒険者ギルドシルファリオ支部、支部長室。


 そこに応接テーブルを挟んで、三人の男が相対していた。


 支部長代理のハスラム、Aランク冒険者のリチャード、Bランク冒険者のオルトである。


 最初に沈黙を破ったのはリチャードだった。


「僕等がやるよ。最近、別なのやったばかりだし」

「……いや」


 オルトがリチャードを制止する。


「ヤサは割れてて、一人でも構わないんだろう? だったら俺が行く。【四葉の幸福】はシルファリオに来て間も無い。面識もある俺が始末するのが筋だろう」


「いいのか? 本部に振る事も出来るが……」


 支部長代理のハスラムが気遣いを見せるが、オルトは頭を振った。


「支部の不始末というには厳しいケースだが、無関係とも言えない以上は支部で片付けなければならんだろう。妹達は関わらせたくないがな」


 冒険者が何らかのトラブルを起こした場合、当該冒険者の所属する支部が解決するのが通例だ。トラブルの少なさは勿論、発生時の対応も依頼人や他の支部は見ている。


 自力でカタをつけられないギルド支部に依頼は出来ないし、回せない。以前は酷い状態だったシルファリオ支部は、短期間で立て直した。Aランクパーティーも所属した。その評価に見合うリカバリーの能力がある事を、外に向けて示す必要があるのだ。


 オルトはテーブルの依頼書を取り、席を立った。


「リチャード、後は頼む。悪いがアーカイブにいるブルーノの方も気にかけてやってくれるか」

「承ったよ。聖教の方だね?」


 返事の代わりにヒラヒラと手を振り、オルトは支部長室を出て行った。

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