第八十一話 君に幸あれ

 オルトが思案しながら言う。


「どこから話せばいいか……ネーナのあの呪文の辺りからかな」


 ネーナが気絶する前に行使しようとした術は大規模な召喚魔術だったというのが、スミスと魔術師マリンの見立てであった。幸いにも召喚ゲートが開く前にネーナの魔力が尽きた為、詠唱がキャンセルされたのだという。


「あんなに焦ったスミスは初めて見たぞ?」


 オルトの言葉に、スミスは憮然とした表情を見せた。


「それは焦りますよ。自分の弟子が、教えた覚えが無いどころか自分も知らない召喚魔術を使おうとしたんですから。あの雲のゲートが完全に開いて、喚んだモノが通過してしまったら、シルファリオが壊滅していてもおかしくなかったんです」


 ネーナの魔術が発動しかけて一時的に現場は混乱したが、駆けつけたシルファリオの冒険者達に取り囲まれて聖堂騎士の一団は抵抗を諦めた。


 序列上位の四名が一蹴された上、増援の冒険者の中にはAランクパーティーがいるとなれば、聖堂騎士達に選択の余地がある筈もなかったのだ。


 レナが疑問を口にする。


「リチャード達は、リベルタで療養するんじゃなかったの?」

「それは『CLOSER』向けの偽情報でもあったしな。シルファリオ移籍の手続きをしたくて、すっ飛んで来たんだと」

「Aランク相当の依頼なんて、シルファリオには無いでしょ……」


四葉の幸福クアドリフォリオ】はリベルタで暗殺者『CLOSER』の一件を報告し終えると、すぐにシルファリオにとって返した。『CLOSER』をおびき寄せる為にリベルタの冒険者派遣を要請したので、ギルド本部にその説明はしなければならなかったのだ。


「この町を気に入ってくれたのなら、嬉しい事じゃないか。町としてもギルド支部としても、Aランクの優良冒険者パーティーが拠点を置いているというのは歓迎すべき事だぞ」


【四葉の幸福】は最早トラブルメーカーではない。シルファリオの冒険者と共にオルト達の応援に駆けつけた姿に、素行の不安は感じられなかった。


 今のオルト達のように片っ端から依頼をこなすなら兎も角、【四葉の幸福】は余裕を持って仕事をするパーティーだ。そしてAランクパーティーが在籍している支部には、高ランク帯の依頼が入るようになる。そういうものなのだ。オルトはレナのような心配はしていなかった。




「話が脇に逸れたが、次は聖堂騎士との『話し合い』の件だな」


 本来の隊長である序列最上位のガリレオがショックから立ち直れず、オルト達は次席のビルギッテと折衝を行う事になった。この時にはオルト以外の【菫の庭園】メンバーは、意識の戻らないネーナを連れて屋敷の中に戻っていた。


 オルトはビルギッテとのやり取りを思い出していた。


「リチャードが思いの外、交渉慣れしてて助かったよ」


 冒険者達で取り囲み完全に退路を塞いだ上で、リチャードはビルギッテに対し『聖堂騎士達の自発的な撤収』か『暴行傷害と拉致未遂の現行犯としてフリーガードに引き渡す』かの二択を提示した。


 ビルギッテは撤収を選択し、負傷した騎士を治療してからシルファリオを去って行った。


 スミスが納得した様子で言う。


「フリーガードのご厄介になれば、冒険者を拉致する為に聖堂騎士が二手に分かれてシルファリオに来たのが明るみになります。シルファリオを統治するリベルタと、聖堂騎士の拠点のストラトス間の外交案件ですね」

「仕掛けて返り討ちに遭ってお縄になったんじゃ、当分デカい顔も出来ないしね。事実上の一択だけど、あっちに処分は無いの?」


 レナは今一つスッキリしないのか、オルトに聞く。


「ガードに突き出さない以上、リベルタとしては何も無い。でもストラトスに帰った聖堂騎士が勝手な事を言わないように、リチャードが懇意な枢機卿とのパイプを使って釘を刺すんだと。他の枢機卿を追い落とす格好のネタだから、喜んで飛びつくだろうさ。この件については、レナとブルーノが不利益を受けないように注文をつけてリチャードに任せた」

「ポンコツかと思ってたけど、そんなコネもあるのね」


 フェスタの辛辣な感想に、オルトが苦笑する。


「それから、レナに伝言を預かってきた」

「あたしに?」


 オルトは頷く。


「ビルギッテから。『君に幸あれ』と」

「そっか……ありがと、オルト」


 レナは伝言を聞くと、寂しそうに笑った。


「あいつらしいよ」

「レナの護衛だったんだよね?」

「うん。腐れ縁、ってやつかなあ。あたしがあいつに『ルー』って愛称つけてやってさ。あいつ、凄い嫌がって。『威厳が無い』とか何とか」


 フェスタに聞かれて、レナは思い出を辿るように遠い目をした。




 レナとビルギッテが初めて出逢ったのは、レナが聖女候補として頭角を現すようになった頃だった。


 元々レナは聖女になどなりたくなかったが、孤児院のシスター達が喜ぶ姿を見ては聖女候補になる話を断れなかった。スラム育ちでスリを失敗して捕らえられたレナは、年齢を考慮されて教会の孤児院に送られなければ、どうなっていたかわからない。


 レナは非行でシスター達の手を焼かせてはいたが、恩義も強く感じていた。だからストラトスで聖女候補として訓練を受ける事にしたのだ。


 嫌々受けた訓練でも、レナは手を抜く事はしなかった。皮肉にも評価は高まり、やりたくない聖女に近づいていく。ビルギッテがレナの護衛についたのは、そんな時期だった。


「あたしはスラム育ち、ルーは枢機卿の娘。価値観は全く合わなかったけど、お互いを尊重して、否定する事は無かった。あいつが護衛じゃなかったら、勇者パーティーに出される前に、あたしは潰れてたかもね」


 最終的にストラ聖教上層部の判断でビルギッテは護衛を外され、後任にピケが据えられる。すっかりピケに心酔したレナは、偶に会うビルギッテが悲しげである事に気づいてはいたが、その理由に当時は思い至らなかった。


「ルーは多分、何で護衛がピケに代わったのか理由を知ってたんだろうね。もしかしたら、ルーも何か指示を受けていたのかもしれない。本人に聞かなきゃわからないけど」


 護衛の任を解かれたビルギッテがレナに贈った言葉が、『君に幸あれ』だったのだ。それが今再び、レナに贈られた。


「袂を分かち、別々の道へ進む友人へ。聖教の一員であるビルギッテさんの、レナさんへの精一杯の心遣いだったのかもしれませんね……」

「そうだね……あたしとルーは、あたしが聖教に戻るかルーが聖教を離れないと一緒にはいられないから。今回、敵として会ったのが最後になるかもしれないね」


 ネーナとレナがしんみりした空気を醸し出す。その空気を変えるように、フェスタが明るい声を出した。


「お互いに生きてれば、いつかまた逢えるわよ。その時に一杯奢ってあげたらいいじゃない」

「一杯飲ろうにも、ルーは下戸なんだ。だから行くのは甘味屋だね。あいつ、凄い甘党なんだよ?」


 レナが笑顔を見せ、ネーナとエイミーが便乗した。


「私も甘味屋ご一緒したいです!」

「私も〜!」


 オルトは苦笑しながら手をパンパンと叩いた。


「はいはい、また話が逸れたぞ。レナにはもう一つ伝える事がある」

「ネーナの事ね?」


 ネーナの完全記憶能力については、当面はパーティーメンバーだけで共有する事にしていた。加入早々にトラブルに見舞われたレナには、話すタイミングが無かったのである。


 スミスから説明を受けたレナが呟く。


「完全記憶能力かあ……」

「恐らく私達では、あのピケという聖堂騎士の干渉を違和感として認識するのが精一杯だったでしょうね」

「そうね。あたしなんて違和感すら覚えなくて、能力を使われたのかどうかもわからないし」


 スミスに答えたレナは、ピケに愛を囁かれた黒歴史を思い出したのか不機嫌さを表している。オルトが苦笑交じりにフォローを入れる。


「ネーナが食らったのを傍から見た感想としては、あれを初見で防ぐのは無理だと思う。スミスがやったように、能力を察知した時点で精神抵抗を強化するくらいじゃないか?」

「それと……ピケという方、あの能力を使い慣れている印象を受けました。私の記憶に干渉する動作に、迷いや戸惑い、もたつきが一切ありませんでしたから」


 オルトに続けて、ネーナが印象を語る。


 シルファリオに来た聖堂騎士の中で序列が最も高かったガリレオも、ピケの能力を織り込み済みだった節がある。そう考えれば、レナの心証が最悪なピケを態々シルファリオに寄越した事も理解出来るのだ。


 ストラ聖教が組織ぐるみでピケの能力を訓練させたり、試験的に使わせたりしていた可能性すら出て来てしまう。当然、人間相手にだ。【菫の庭園】メンバーは一様に怒りを覚えていた。


「ねえレナ。ストラトスの大聖堂は本当に大丈夫なの? 率直に言ってここまで話を聞いてて、王国教会よりマシだと言い切れないんだけど」

「……うん。あたしもそう言われて全く否定出来ない。流石にルーが知ってたり関わってるとは思えないけど……」


 フェスタの指摘に、ガックリ肩を落として肯定するレナ。『聖女』という、組織内でも高位にいた筈の自分が知らない情報を目の当たりにしているのだ。


「確定的な証拠でも出ない限りは、先に王国教会の方にかかるべきでしょう。王国教会は限りなく黒に近い灰色ですから」


 スミスが無難に纏めて、その話題を締め括った。




「お話は終わりましたか?」


 タイミングを見計らって、トレーを持ったジェシカが部屋に入って来る。


「皆さんのお食事は食堂の方に用意出来てますよ」

「わーい!」


 エイミーが部屋を駆け出し、仲間達もゾロゾロと出て行く中、オルトにはジェシカからトレーが手渡された。


「オルトさんはこれ。二人前ですからね」

「俺もオートミールなの?」

「一人で食べる食事は寂しいんですよ。付き合ってあげて下さい」


 ジェシカはそう言って部屋から出る。フェスタは苦笑しながらヒラヒラと手を振った。


「無くした記憶の分って事で。ちゃんと面倒見てあげて」

「理不尽な……」


 オルトは愚痴りながらも、深皿からスプーンで掬って一口、自分で食べる。美味しいのが少し悔しい。


「ちょっと熱いかもなあ」


 フーフーと冷ましてスプーンで差し出すと、ネーナはパクリと咥えて飲み込んだ。幸せそうな顔をしている。


「丁度いいです。美味しいです」

「それは何より」


 ご満悦で次を催促するネーナの為に、オルトは半熟の黄身を割るのだった。

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