第八十話 あんた達は、あたしの敵だ

「レナお願い! こっちの呼びかけに応えないの!」


 フェスタが抱き抱えていたネーナを地面に横たえ、その脇に駆けつけたレナが膝をつく。ネーナはうわ言のように何かを呟いていた。


 原因として考えられるのは、ピケがネーナの記憶に干渉した事だ。だが過去に同じ能力を使われたと考えられるレナは、ネーナのような状態になった覚えが無かった。


 ――あたしが記憶を弄られてるから覚えてないのか、それともネーナみたいになった事実が無いのか。


 悩むレナに、近づいて来たスミスが敵を牽制しながら言う。


「レナ。ネーナの事は、命に別条が無ければ構いません」

「わかった」


 レナは【菫の庭園】に加入して日が浅い。スミスの言葉から『あまり口外したくない事情がネーナにある』のだと、レナは理解した。ここは戦場。冗長な会話を聞かせて、敵に情報を渡すべきではない。


 レナはネーナの様子を診る。


 ネーナのうわ言のような呟きは、まだ続いている。多少だが熱もある。大きく体力を消耗している様子は無い。


 外傷は無い。睡眠ではないし、気絶してもいない。呪われてもいない。毒や麻痺の状態異常とも違う。レナの『聖女』としての力の出る幕ではない。


 ネーナに何かが起きているのは間違いない。だがその『何か』をこの場で見極めるのは難しい。そうレナは判断した。


「断言は出来ないけど、ネーナはすぐにどうこうって状態じゃないと思う」


 レナが仲間達に伝える。オルトは応えなかったが、右手で握り締めた剣がピクリと動いた。


「フェスタ、代わって」

「ええ」


 ――ネーナは大丈夫。だったらレナには、すべき事がある。


 レナは立ち上がった。




 レナは改めて状況を確認し、苦笑した。


 ――いやこんなん、笑うしかないでしょ。


 オルトの周囲で倒れている、四人の聖堂騎士。その四人共が、騎士団最高峰の『聖堂騎士十傑』と称される実力者だ。


 ある者は気絶し、ある者は起き上がれずに呻き声を上げ。一緒に吹き飛ばされたガリレオとビルギッテは、漸く立ち上がる所だった。


 彼等の視線は一瞬たりともオルトから外れる事は無い。そこに込められているのは、畏怖か、それとも恐怖か。レナは彼等のそのような表情を見るのは初めてだった。




 離れた場所では、男女二人の聖堂騎士がピケの治療を続けている。ピケの惨状はレナが招いたものであるが、レナに良心の呵責は微塵も無かった。


 残り三人の聖堂騎士は、エイミーとスミスに牽制されて動くに動けずにいる。


 レナはガリレオとビルギッテに言った。


「ガリレオ。ビルギッテ。『信じられない』って顔してるわね。まあ、あたしもそうなんだけど」


 チラリと視線をオルトに向ける。レナからは、自分に背を向けているオルトの表情はわからなかった。


「改めて言うよ。あたしはもう『聖女』じゃない。今後ストラ聖教の『聖女』になる事もない。ストラ聖教あんた達がやりたい事があるなら、『神の御心』だの『神の声』だの、『人々の苦しみ』だの借りて来た言葉を使って他人にやらせるんじゃなく、自分でやりなよ。少なくとも今、あんた達が陥ってる状況は、大聖堂のジジイ共も含めたあんた達が招いたものよ」


 放心状態のガリレオの傍で、ビルギッテが唇を噛み締め俯いた。


「それと、あたしの仲間を傷つけたストラ聖教あんた達は――あたしの敵だ。ジジイ共に伝えて。『大聖堂の中なら安全だと思うなよ』って。ブルーノやその身内にも何かあれば、あたしが大聖堂ごとブチ壊しに行くから」

「レナお姉さん、あたし『達』が抜けてるよ?」


 エイミーが町の中心を指差して笑顔を見せる。その先には、リチャード達【四葉の幸福クアドリフォリオ】のメンバーを先頭にレナ達の下に駆けてくる、シルファリオの冒険者達の姿があった。






 ――その時、晴れていた空が突然陰り始めた。瞬く間に分厚く黒い雲で覆われる。スミスが天を仰ぎ、驚愕を露わにした。


 そして【菫の庭園】メンバーが良く知る声が辺りに響いた。




 ――開け、時空の門オープン・ザ・ゲート――




 ◆◆◆◆◆




 ネーナは見覚えの無い場所に立っていた。


 薄暗く、果ての知れない空間。ネーナは直感で、現実から隔離された場所なのだと感じた。


 ――どうしよう。今はこんな所にいられないのに。早くお兄様の所へ戻らないと。


 ネーナは焦るが、それで状況が変わる筈もない。ネーナはため息をついて考えた。


 ――そもそも、ここはどこなの? どうして私はここへ? どうしたら出られるの?


 ネーナの周囲を取り囲むように、整然と並んだ無数の窓が出現する。窓にはそれぞれ、ネーナの見覚えのある映像が流れていた。


 ――これは……私の、記憶?


 映像の一部は不鮮明で見えないものもあったが、ネーナが生まれてから現在に至るまでの体験が、時系列で並んでいるようだった。


 ネーナは仮説を立てる。『この場所は自分ネーナの内面ではないか』と。


 この場所に来る前、ネーナはオルト達と一緒に、レナを連れ戻しに来た聖堂騎士の一団と対峙していた。


 その時、聖堂騎士のピケという男と目が合った瞬間、自分の記憶に干渉されて咄嗟に抵抗した。その干渉された記憶が失われたのが、ネーナにはわかったのだ。


 その感覚を他人に伝えるのは非常に難しい。兎も角、ネーナの記憶の欠片が一つ、失われてしまった。


 窓の映像が一斉に切り替わる。


 ネーナが頬を緩める。それらは『王女アン』ではなく、『冒険者ネーナ』となってからの記憶。


 様々なものを捨てたネーナが、代わりに手に入れた宝物。オルトとの思い出。


 それらの映像が流れる窓の中に、一つだけ真っ黒なものがあった。それが失われた記憶。どんな思い出であったのかもわからない。だがこれも直感で、オルトに関する記憶なのだとネーナはわかっていた。


 悲しみと同時に、ピケに対する怒りがこみ上げてくる。一方でネーナは、冷静に自分自身を見つめていた。


 ――だけど……私には、あの人ピケを打倒出来る力が無い。


 ネーナの心に湧き上がった強い感情は結局、ネーナを突き動かす衝動にまで燃え上がる事は無かった。残ったのは悲しみと喪失感。


 ――結局、何も変わってない……一人では何も出来ない私のまま。


 一人きりの空間で、ネーナは俯く。目に涙が滲む。


 ――いけない。こんな所で泣いてる場合じゃないんだ。


 涙を袖口で拭って、ネーナは顔を上げた。


 ネーナが倒れるに至ったピケの行為は、明らかな攻撃行動だ。ネーナの仲間達が看過する筈がない。


 ――きっと皆、戦ってる。戻らなきゃ。


 仲間達の下へ。オルトの所へ。力が足りなくても関係ない。ネーナは戦う意思を固める。


 ――今行きます、お兄様。


 すると、ネーナの周囲を取り囲んでいた無数の窓が掻き消えた。入れ替わるように六つの扉が現れる。

 どれも同じような造りの扉ではあるが、その内の五つには何重にも鎖が巻かれ封が為されている。


 ネーナはただ一つ、封が為されていない扉の前に立った。


 扉には、台座に載った球体と思しき絵の描かれたプレートが貼られている。ドアノブに手を掛けるが、不思議とネーナに不安は無かった。


 扉に鍵はかかっておらず、その先は五メートル四方程度の部屋だった。部屋の中央に台座があり、扉の絵のような半透明の球体が載っている。


 ――何故だろう……どうすればいいのか、私は知っている。


 ネーナは球体の前に立つ。両手を翳すと、球体が淡い光を放ち始めた。頭の中に呪文のような一節が浮かび上がる。


 ネーナはそれを口ずさむ。




 ――我は命じるコマンド開け時空の門オープン・ザ・ゲート来たれコール――




赫き夜這星フォーリング・スター』!!




 部屋中が眩い輝きに包まれ、ネーナも呑まれていく。遠ざかる意識の中で、ネーナは一番聞きたい人の声を聞いた。




 ――ネーナ!――




 ◆◆◆◆◆




「お帰りなさい!」


 一応の事後処理を済ませ、オルトが屋敷に戻ると玄関前でジェシカが待っていた。


「ネーナさんが目を覚ましましたよ」

「それで待っててくれたのか」


 ネーナは聖堂騎士のピケが記憶に干渉した事が原因で、意識が朦朧としていた。その後突如覚醒し、聞き慣れない呪文を詠唱したかと思うと気を失ってしまったのだった。


 室内から人の気配を感じ取り、オルトが自分の部屋の前で立ち止まる。


「……何で俺の部屋なの?」

「ネーナさんの部屋より入口から近いからです」


 ジェシカがさも当然のように答えた。


「一緒に寝てて今更過ぎませんか?」

「いや、まあ……そうだけど」

「寂しくなったら私もお邪魔していいですか?」

「……ノーコメント」


 扉を開けて中に入る。




「クスンクスン……」


 ネーナはベッドで泣いていた。室内の仲間達が一斉にオルトを見る。フェスタがオルトを労う。


「おかえり」

「ただいま。どこか具合悪いのか?」

「そうじゃないんだけどね」


 涙目のネーナが起き上がり、オルトに抱きつく。


「お兄様の記憶が一つ、無くなってしまいました……」


 オルトはネーナの頭を撫でながらも、返事のしようがなく微妙な表情をしている。


「何だか死んだ人の思い出みたいだけど、俺ここにいるからなあ……」

「それだけじゃありません……お兄様が聖堂騎士をなぎ倒す格好良い所を見逃したんです!」


 顔を上げたネーナが、オルトに訴える。レナがうんうんと頷いた。


「確かにあれは凄かったわ」

「特等席で見たよ!」

「うう……」

「貴女達ねえ……」


 エイミーが興奮気味に親指を立てると、ネーナは布団に潜ってシクシクと泣き出した。フェスタがエイミーとレナを窘めながら、取りなすようにネーナに言う。


「じゃあ、私がとっておきのオルト情報を教えてあげる」

「……とっておき? お兄様の?」


 ネーナが半分だけ顔を出す。何を言われるのかオルトは気が気でなかったが、余計な口は挟まなかった。


「ええ。お出掛けになるから、しっかり休んでおきなさい」

「……うん」

「魔力が完全に尽きた事により気を失ったものですから、今はまだ不調でしょうが休養で回復しますよ」


 スミスがネーナの状態についての見解を伝える。


 ――くうぅ――


 腹の虫が可愛らしく催促をし、ネーナは顔を真っ赤にして再び布団に潜ってしまった。仲間達から笑いが起きる。


「これなら回復も早そうですね」

「私はオートミールと、他に何か軽いものを用意して来ますね」


 ジェシカが部屋を出て行く。つまみ食い目的でついて行こうとするエイミーを、オルトが引き止めた。


「エイミー。夕食前に報告を済ましておくから残ってくれ」

「ん? わかった!」


 仲間達がベッドの周りに集まる。オルトは全員の顔を見てから話し始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る