第七十九話 遅れて来た英雄

「抜いたな? 『竜殺し』」

「くっ……」


 自らは未だに剣を鞘に納めたまま、オルトは眼前で悔しげに大剣を構えるライミに言う。そしてオルトは、目下の敵である筈のライミから完全に視線を外してガリレオを見た。


「俺はレナが所属している冒険者パーティー【菫の庭園】のリーダー、オルトだ。貴方がこの聖堂騎士達のリーダーか?」

「聖堂騎士団序列二位、パウリス・ガリレオと申します」


 ガリレオは名乗り、優雅に一礼する。対するオルトは硬い表情を崩さず、大剣を構えるライミを一瞥した。


「それで、聖堂騎士団は躾のなってない駄犬を連れて、わざわざシルファリオまで何をしに来たのかな? 散歩で迷った訳ではあるまいが」

「おや、闘気を叩きつけ挑発したのはそちらでは? 多少粗野な者がいるのは事実ですが、駄犬呼ばわりは頂けませんね」


 余裕を崩さないガリレオ。オルトが呆れたように言う。


「あれが挑発? 勇者パーティーメンバーだったスミスとエイミー、レナがこの場にいると知って、魔王と戦ってもいない者が侮辱したのが先だろう? 大口を叩くからどれ程のものかと思えば、あの程度の気当たりで剣を抜く。『戦鬼』バラカス殿ならば動じず笑い飛ばすぞ」

「っ!!」


 ――ヒュンッ


 オルトに揶揄されたライミがギリッと歯噛みした瞬間、短い風切り音が鳴る。


「動かないで」


 弓を天に向けたエイミーが静かに言う。直後、オルトに向かって動こうとしていたライミの足下に、天から降った三本の矢が突き刺さった。


「次は撃ち抜くよ」

「……ライミ。剣を収めなさい。私達は『聖女』レナ様をお迎えに上がっただけです」


 見ればスミスの周囲に、無数の『氷槍アイシクル』が浮遊している。ネーナも魔法障壁を展開する準備を終えていた。


 ガリレオに促され、渋々といった様子でライミが大剣を背負い直す。レナがもう一度、拒絶の意思をはっきりと口にする。


「あたしは『聖女』レナじゃない。冒険者パーティー【菫の庭園】のレナ。帰るのなら、あんた達だけで帰るのね」

「そういう訳には参りません。世界が『聖女』を必要としているのですから。魔王の脅威が去ったとはいえ、世界にはまだ怖れや悲しみが溢れています。それらを除くには『聖女』レナ様のお力が必要なのです。レナ様が大聖堂にお戻りになり力を尽くされる事が人々を救い、神の御心にも適うのです」


 両手を広げた芝居臭い仕草で、ガリレオが言う。レナは嫌悪感を隠す事なく吐き捨てる。


「世界が必要としている? 笑わせないでよガリレオ。『ストラ聖教の聖女』をアピールしたいだけで、必要としているのはストラ聖教。それも大聖堂のジジイ共でしょ」

「レナ様はお疲れのようですね。ストラトスに戻ればすぐに元気になりますよ」

「……疲れてんのは、あんたとの会話でよ。ガリレオ」


 閉口したレナに代わり、ネーナがガリレオに問う。


「貴方がたはレナさんに『ストラ聖教の聖女となって人々を救え』と言います。でも、そうして人々を救うレナさんの事は、誰が救ってあげるのですか?」

「次のお相手はサン・ジハール王国のアン第二王女殿下ですか。ストラトスの大聖堂には、様々な分野のスペシャリストが揃っています。レナ様の状態に合わせて常に最適なコンディションを保つ事が出来るのですよ」


『王女』と呼ばれ、ネーナはガリレオをキッと睨む。ガリレオの言葉から、ストラ聖教は【菫の庭園】メンバーのプロフィールを調べている事が窺えた。


「私は既に、王族の地位を放棄して『ネーナ』と名乗っています。ガリレオ様が仰るのはレナさんを『聖女レナ』として、ストラ聖教の指導者の方々が望む仕事をさせる為の『最適』ではありませんか。レナさんにとっての『最適』では有り得ません」

「……私達は問答をしに来たのではありません。『最適』は『最適』です。それ以上でもそれ以下でもありません」


 ガリレオが僅かに視線を逸らす。レナは違和感を覚えながらも、ガリレオの暴論をバッサリと切り捨てた。


「あたしにとっては、大聖堂は『最悪』以外の何者でもないよ」

「ストラトスの大聖堂に、レナさんの言葉に耳を傾ける人がいたなら。『聖女』でない、一人の女性のレナさんに寄り添う人がいたなら。今、レナさんがここにいる筈が――あうっ!?」


 ネーナの言葉が途中で途切れた。頭を押さえて蹲るネーナに、フェスタが駆け寄る。


「ネーナ!」

「うう……嫌っ……」


 フェスタに抱き抱えられ苦悶の表情を浮かべながら、ネーナは震える指でピケを指し示した。そのピケは、いつの間にかガリレオの後ろに移動している。


「気をつけて……あの方……目が合った相手の記憶に……干渉します」

「チッ!」


 ピケが舌打ちをする。その間に動こうとしたライミはエイミーとスミスが、ガリレオはオルトが牽制する。仲間達の身体をスミスの魔力抵抗強化が包み込んだ。


「あの方は、私の大切な記憶を……ネーナのお兄様との思い出を改竄しようとしました……」


 右手で頭を押さえたネーナが、左手でピケを指差したまま怒りを滲ませて言う。仲間達の顔色が変わる。


 フェスタとエイミーがそれぞれの得物を構えるが、二人がピケに手を下す事は無かった。




「ぶげらッ!?」




 奇妙な叫び声と共にピケが吹き飛ぶ。ピケが立っていた場所には、ネーナにも劣らぬ憤怒を顕わにし、拳を突き出したレナがいた。


「あんたがクズなのはわかってた。あたしの事だけなら、一発殴ってその後関わりが無ければ終わらせても良かった。でも、あんたは越えてはならない一線を踏み越えた」


 レナはツカツカと倒れているピケに歩み寄り、無造作に胸ぐらを掴んで躊躇なく目を抉った。ネーナの指摘した『ピケの視線』に思い当たる節があったからだ。それを物理的に潰した。


「ギャアアアアアガッ!?」

「五月蝿い」


 喉を潰されたピケは、叫び声を上げる事も出来ずに痛みでのたうち回る。レナはその様子を、冷たい目で見下ろしていた。


「あんたの大好きな『命令』の結果だからね。本望でしょ」




 オルトはネーナの様子を気にしながらも、ガリレオの動きを止め続けていた。レナが誰にも阻まれずにピケを殴り飛ばせたのは、レナの動きにいち早く呼応したオルトが正面からガリレオを牽制したからだ。


 そのガリレオは、ピケが完全に戦力外となったにも関わらず全く余裕を崩さない。オルトはそれを非常に不気味に感じていた。


「お兄さん! 新手が来るよ!」


 ライミに弓を向け牽制しているエイミーが、突如警告の声を上げる。それによりオルトは、ガリレオが余裕を失わない理由を知る事となった。


「成程。そういう事か」


 オルトは視界の端に、駆け寄ってくる一団の姿を捉えていた。先頭の凛とした女性騎士はレナの情報の通りならば、序列三位のビルギッテの筈。オルトは素早く指示を出す。


「レナ。ネーナを頼む。フェスタはレナ達を」


 仲間達が素早く反応する中、レナが困惑の声を上げる。


「待ってオルト、相手には『聖堂騎士十傑』が六人もいるんだよ!?」

「二位、三位、五位、七位は俺が潰す」

「そんな無茶な……」


 食い下がろうとするレナを、スミスが押し止めた。


「レナ。オルトの言う通りにして下さい」

「スミス、だって――」

「オルトは冷静です。まずは下がって」


 殺気を感じ、レナが後方に大きく飛ぶ。直後、レナのいた場所を槍の穂先が切り裂いた。レナが呟く。


「……序列七位、『聖槍』ウィルヘルム。それと……」


 ビルギッテの指示で、よく似た容姿の男女がピケを確保し、治療を開始する。


「序列九位と十位、ウェン・リー姉弟……」

「関係ありません。オルトが『やる』と言ったのですから、任せましょう。彼の力は、私もエイミーも、フェイスもバラカスも認めています」


 スミスは当然のように言う。だがレナはスミスのようには考えられなかった。


 レナも確かに、凄腕の暗殺者『CLOSER』を一瞬で屠ったオルトの力の一端は見た。だが【菫の庭園】に加入して間もないレナには、スミスがどうしてそこまでオルトを買っているのかわからないのだ。


 それに対してストラ聖教の聖女として活動していたレナは、聖教が所持する武力、その中でも『聖堂騎士十傑』と呼ばれる最高戦力がどれ程のものかは理解していた。レナの反応は無理からぬ事であった。


 それでもレナは、ネーナの下に向かう。そのレナの視界の中で、オルトの姿がブレて掻き消えた。


 ――強制駆動オーバードライブ 剣身強化エンハンサー 鐘楼砕きファズフェイス――


「ぐあっ!?」


 叫び声と共にライミが吹き飛ぶ。意識を失ったライミの胸当ては、竜の尾の直撃でも受けたかのように砕け散っていた。


 ――追尾刃ディレイブレード――


「なっ!?」


 離れた場所で、今度はウィルヘルムが地に伏している。利き腕である筈の右腕が、有り得ない方向に曲がっていた。その近くに、投げ出された聖槍が転がっている。


 またもオルトの姿がブレる。


「くっ!!」


 高速で迫るオルトの一撃を、ガリレオが受け止める。ガリレオは吹き飛ばされこそしなかったが、大きく後退した。


 再びオルトが迫る。ガリレオの前にビルギッテが割って入るのも構わず、オルトは一息に剣を振り抜いた。


 ――裂空閃ディストーション――


「そんなっ!?」

「がああっ!!」


 ビルギッテとガリレオも吹き飛ばされる。レナは目の前で起こった出来事に驚愕しながらも、意識が朦朧としているネーナの下に駆け寄った。


 周囲を警戒しながら、戦場に君臨する覇者オルトを眺めてスミスが独り言つ。




「長生きもしてみるものです。『遅れて来た英雄』を世界が知る時に立ち会えるなんて、ね」

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