第二章 元王女は冒険者を始める

第二十六話 私だけのパスポート

「ふかふかだ〜」


 エイミーがベッドに飛び込む。ステフが飲み物やつまみを用意してテーブルに置くと、全員が自然と集まって来た。


 トーンが一同を見渡して話を切り出す。


「幸いにも全員が無事にここまで来れたので、ここまでの話の整理とこれからの話をしましょうか」


 アンの一行は大公国へ再入国した後、街道沿いで一夜を明かしてからセイコーの町を訪れた。朝市で遅めの朝食を取り、手頃な宿を決めて今に至る。


 検問所で王国騎士団から逃走を図ったアン達の前に現れた、旅の薬売りを装った男。それは前大公サンドロットが手配したの案内人であった。


 トーンが大公国の不手際を詰めない代わりに、サンドロットに要求したのは三点である。


 一つ目は王国に戻ったアン達が逃走した後、工作員が侵入する経路でアン達を大公国に密入国させる事。


 二つ目はアン達が当面の移動に使う、『華美でない』馬車を用意する事。


 三つ目は、アンとトーン、ステフの仮の身分証を用意する事。


 それを聞いたステフが、納得したように言う。


「ここまでの段取りは出来ていたって事ね。知らされなかったのは不満だけど」

「トーン隊長を責めないでください。普通なら受け入れられない条件の交渉をしていたのですから」


 スミスに宥められるまでもなく、ステフも事情は理解していた。密入国ルートなど他国の人間に教えられるはずがない。最悪、知った者を消さなければならない程の最重要機密なのだから。


 トーンにそれを要求されたサンドロットは頭を抱えたに違いない。だがそこまでしなければ、アン達は王国内で身動きが取れなくなって王国騎士団に拘束されていただろう。


「スミス殿。王女殿下が地位を返上されたので、私は隊長ではないのですよ。大絶賛リストラ中です」


 トーンの言葉を聞き、アンが申し訳なさそうな顔をした。ステフが『余計な事を言うな』と言わんばかりにトーンを肘で小突く。


 実の所、アンも既に『王女殿下』ではないのだが、それには誰も触れなかった。


「そうでしたね。それについて私から質問なのですが、トーン殿とステフ殿は王女殿下に同行されるという理解で宜しいのですか?」


 アンとスミス、エイミーはこれから旅に出る。アンの目的が旅の果てにしかないからだ。だが近衛騎士でなくなったトーンとステフが、王女でなくなったアンと行動を共にする理由はあるのか。その意思はあるのか。スミスはそこを問うている。


「勿論行きますよ。我々が不要であったり、同行で不都合が生じるならば、その時に離脱すればいいのですし」

「二人だけになったら、冒険者をやろうって決めてるものね」

「アン様だけがトウヤ殿の事を知ればいいという話ではなくなった感もありますから」


 不安そうに聞いていたアンの表情が、パッと明るくなった。


 トーンとステフが同行を明言した事で、五人の表向きの関係性やプロフィールを考える必要が出てきた。完全に隠し通すのは難しくても、近衛騎士や王女を名乗るのは無用なトラブルを招きかねないからだ。


「私とステフはアン様の護衛として雇われている、という形が無理が生じないかと――」

「ちょっと待ったー!」

『??』


 トーンが自身の案を話し始めると、突如物言いが入る。首を傾げるトーンとステフの前で、エイミーがポーチの中から手紙を取り出した。


「お兄さんと王女様の設定は兄妹にしてって侍女さん達が言ってたよ。セーラ様と考えたんだって」

「兄妹?」


 トーンがスミスを見るが、何も聞いていないらしく首を横に振った。そもそもセーラと侍女二人が話し合っていたのも、トーン達は知らなかったのだ。


「流石にそれは不味いんじゃ――」

「そうしましょう!」


 トーンが唱えようとした反対は、食い気味に入ったアンの賛成により却下された。


「トーンなら安心ですし、私もお兄様が欲しかったんです!」

「セーラ様もそう言ってたよ〜」

「そんな無茶な……」

「トーンは私が妹だと嫌なの?」

「そういう問題では……」


 アンとエイミーが妙に乗り気である。

 トーンは助けを求めてステフとスミスを見るが、二人とも目を合わせようとしない。


「お兄さん大丈夫だよ〜、三人ともこれから偽名で過ごすんだし」

「そこに大丈夫な要素あるのか?」

「はいはい、練習練習〜」


 トーンは仕方なく三人の身分証を出す。そこには、それぞれの本名とは違う名前が書かれていた。トーンのものにはオルト、ステフはフェスタ、アンはネーナ。アンが身分証を覗き込む。


「これは?」

「大公国内で移動するのに使う仮の身分証です。偽名はアナグラムを元にしてあります。我々は本名で動き回る訳に行きませんからね」

「お兄さんは喋り方も変えなきゃ駄目だよ〜」


 トーンは微妙な顔をするが、アンの手前嫌そうにも出来ない。


「じゃあ……ネーナ?」

「はい! オルトお兄様!」


オルトトーン』が呼びかけると、『ネーナアン』が満面の笑顔で抱きついた。『フェスタステフ』が唸る。


「尊い……なるほど、こういう事ね」

「どういう事なのステフ!?」

「ステフじゃなくてフェ・ス・タ! でしょ、オルト?」


 主にトーンが駄目出しを食らいながら『練習』を繰り返し、漸くエイミーのOKが出た時には既にお昼を回っていたのだった。


 スミスが今後の予定を尋ねると、机に突っ伏す『オルト』がノロノロと体を起こす。


「ん、ああ……とりあえずは外で昼食。それとスミスに聞きたいんだが、俺達三人が登録するのは冒険者で構わないかな? 他には聖職者や商人くらいしか思いつかないが」


 スミスが少し考えて答えた。


「それぞれ国を跨いで旅をするには欲しいライセンスですが、商人と聖職者は制約が多い。オルトとフェスタが冒険者になる予定があるなら、ネーナも一緒に登録すると冒険者パーティーとして行動する名目が立ちます」

「私とおじーちゃんは登録してあるからね〜」


 エイミーが自分の冒険者証を見せる。


「であれば、昼食後に冒険者ギルドへ行って登録も済ませよう」

「サンドロット閣下から路銀をいただいて金銭的な余裕はあるけど、収入源も確保しておきたいものね」


『フェスタ』の言葉に一同が頷く。冒険者パーティーとして生活出来るだけの経済基盤があって、かつ勇者トウヤの情報を拾って行けるのが理想であるのだ。


「パーティー内の人間関係を確認したいのですが。私とオルトお兄様が商家の生まれの兄妹。お兄様とフェスタが恋人同士。スミス様は私の師匠。スミス様とエイミーが祖父と孫という事で宜しいですか?」


『ネーナ』が一つずつ指を折って数え、全員が頷く。


「一応のリーダーとしては、オルトがいいのかしらね。面倒事を避けやすいでしょうし」

「状況に応じて、俺かスミスがネーナに同行する形かな。ネーナはそれでいいか?」

「はい! お兄様♪」

「……それ気に入ったの?」

「はい♪」


 ――まあ、一番不安なはずのネーナが楽しそうならいいか。


 もしかしたら、空元気も交じっているのかもしれない。そう感じながらも、オルトは余計な事を言うまいと決めた。


 冒険者になる事が決まれば、自ずとやる事も決まってくる。


 まずは現在地のセイコーで冒険者登録をして、五人のパーティーで簡単な依頼をこなす。依頼を受けてから完了するまでの流れを掴んで、早々に旅立ち大公国を離れる。


 ネーナが大公国にいる事を、王国側に知られる訳には行かないのだ。下手をすれば二国間の外交問題から武力衝突に発展しかねないし、ネーナにも追手がかかってしまうのだから。


「セーラ様の下に立ち寄る事も出来ないぞ、ネーナ?」

「承知しています、お兄様。お別れは済ましましたから」


 念を押すようなオルトの言葉に、ネーナはしっかりと頷いた。大公妃である姉のセーラにも、甥のレスターにも迷惑をかけたくない。それがネーナの思いであった。




 一行は宿を出ると、買い物客もまばらになった市場に立ち寄り、思い思いに昼食を買い求めて集まった。中々庶民の料理に触れる機会の無かったネーナは、楽しそうに屋台を眺めている。


 果物の皮を剥いているオルトに、エイミーが聞いた。


「お兄さん、パーティーの名前は決まってるの?」

「考えてなかったな……ネーナは?」

「私も何も……」


 話を聞いていたフェスタが、思いついたように口を開く。


「それなら、【ヴァイオレット庭園ガーデン】はどう?」

「お姉さん、何でその名前なの?」

「ネーナがお城でよく居た場所なの。だから、今はこのパーティーが居場所になるんだと思って」

「素敵な名前……それがいいです」


 ネーナが何度も頷きながら、パーティー名を繰り返す。


 ネーナが王女アンとして城にいた頃の、亡き母ディアナとの思い出の場所。姉のセーラや侍女達との思い出もある。そしてユルゲンやウォーレル達による『ディアナの庭園の誓い』が交わされた場所でもあった。


 少なくとも当面は、王国に消息を掴まれる事は避けたい。その為『ディアナの庭園』でなく『菫の庭園』と名付けるのは良い案だと思われた。アンの行動にさしたる興味の無い国王も、周囲の者達も気づきはしない。アンはそう考えた。


 昼食を終えた一行は冒険者ギルドへ向かう。


 昼時は過ぎ、ギルドの中も人は少ない。この後夕方になれば、依頼を終えて戻った冒険者や食堂で飲み食いする者達でごった返すのだろう。


 冒険者登録とパーティー登録をしたいと申し出て、オルトがギルド職員の指示に従って書類に記入していく。簡単な質問に答え、身分証の提示をして説明を受け、およそ一時間程で登録は終了した。


「オルトさん、フェスタさんは戦士となってますが、ギルドの認定試験をパスされましたらDランクからスタート出来ますよ? ネーナさんも腕に覚えがありましたら」

「しっかり冒険者の仕事を覚えて、地道にやりたいんだ。Eランクから始めるよ」


 ギルド職員の勧めを丁重に断り、発行されたEランクの冒険者証を受け取った【菫の庭園】一行がギルドハウスを出る。


「ん?」


 脇腹を突かれたオルトが横を見ると、フェスタがちょいちょいと後ろを指差していた。ネーナが自分の冒険者証をまじまじと見つめている。


「どうした、ネーナ?」

「えっと。お兄、様。このカードがあれば、私も旅に行けるんだと思って……」

「ああ……そうだな。ネーナだけのカードだよ。自分の責任で、好きな時に好きな場所へ行けるんだ」


 王女アンとしてのネーナは、身分を証明する必要は無かった。誰もが自分の事を知っていた。だけども、狭い籠の中にいるようだった。


 ネーナはこの数日で籠の外の世界を知った。そこでは、誰も自分の事など知らない。手に入れた一枚のカードが、自分を王女アンでなく『冒険者ネーナ』だと証明してくれる。


 ネーナは不思議な気持ちだった。


「じゃあ、今日は記念日になるからお祝いしようよ!」

「わわっ!」


 突如、エイミーがネーナの手を取って走り出す。ネーナは慌てて冒険者証を懐に仕舞った。


「明日に響かない程度なら構わないでしょう」

「個室のあるお店、探してみようか。色々買って宿に戻ってもいいしね」

「少し奮発していいんじゃないか」


 残された三人は顔を見合わせ、微笑んで少女達の後を追った。

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