第二十七話 兄妹ですから

「……ところでネーナ」

「何ですか? お兄様」


 オルトは傍らのネーナを見た。ネーナは腰程までの赤みがかった金髪をバッサリ切り落とし、大きめな帽子を目深に被って遠目には少年にも見えるような格好をしていた。


 どことなく品があり町の少年少女と言うには無理があるが、この容姿から隣国の王女を連想するのは難しいに違いない。そのネーナが小首を傾げた。


 どこからかエイミーの、時々調子が外れた鼻歌が聞こえてくる。スミスは本を読んでいて、フェスタはたまに揺れる荷台で器用にエイミーのコートのボタンをつけ直している。


「どうしてネーナが御者台に?」

「兄妹ですから」


 意味がわからない。いや、わからない事もない。


 自分オルトとネーナが兄妹らしく見えない事を、他の三人から自分オルトの責任であると指摘されたのだ。この配置は、『移動時間を利用して親交を深める』という名目で決められたものであった。


 ――三人共間違いなく、俺の様子を見て面白がってるんだけどな。


 何せ相手はつい先日まで王女で、自分はその近衛騎士だったのだ。多少ぎこちなくなるのも仕方ないではないか。


 背後からの視線に対して心の中でボヤきながら、オルトはネーナに言う。


「日差しもあるし、付き合わなくてもいいんだぞ?」

「私はお邪魔ですか?」

「そんな事ないさ」


 上目遣いに見上げるネーナに対して『ちょっと落ち着かない』と正直に言う事も憚られて、オルトは結局そのまま進む事にした。


 オルト達の馬車は、セイコーの町を出発して次の目的地であるピアゴに向けて進んでいる。請け負った小荷物を相手に渡した後は、大公国東部のファイザー湖を目指す予定だ。


「兄妹の会話ねえ……普通の兄妹は何を話してるんだろう」

「何でしょうねえ」

「ああ、初めての依頼の感想は?」

「楽しかったです。危険もありませんでしたし」


 冒険者登録の翌日、新米冒険者パーティーの【菫の庭園】は初の依頼を達成した。朝の混雑する時間帯を外してギルドハウスに顔を出した一行は、薬草採取の依頼書を見つけて職員から説明を受けた。


 残っていたのは、『報酬の額と拘束される時間が割に合わない』という理由で敬遠されてしまった依頼なのだという。だがギルド職員は依頼人の素性を明かして、依頼を受けた【菫の庭園】に感謝を述べた。


「依頼された方は、孤児院と教会を運営しているシスターさんでしたね」


 たまたまギルドに立ち寄った依頼人が、依頼達成報告後もギルドハウスに残っていた【菫の庭園】に謝意を伝えに来たのだった。


 本来は、現在【菫の庭園】が請け負っている届け物も、信用面から冒険者になりたてのルーキーが受けるのは難しい。このシスターとギルド職員が相談し、実質指名依頼の形にしてくれたのだ。


 ネーナが思い出したように微笑む。


「人に感謝されるのは嬉しいですね」

「ああ」


 冒険者でなくとも、善意や善行をその通りに受け取って貰えない事など山のようにある。

 それでもオルトは、人の役に立てた事を心から喜ぶネーナに、水を差す真似はしたくなかった。そんなオルトの心中を見透かしたように、ネーナは言った。


「大丈夫です、お兄様」

「うん?」

「楽しい事ばかりでないのはわかっていますから。でも、お城にいては出来なかった経験が出来るのが嬉しいんです」

「……そうか」


 ネーナは冒険者登録をしてから、空いた時間でスミスに教えを乞うようになった。設定上はネーナはスミスの弟子なのだが、ネーナ本人が師事を強く希望したのだ。


 知りたい。学びたい。成長したい。役に立ちたい。


 王女であった時には無かった、渇望にも似た思い。一緒に歩んでくれる人達に追いつきたい、置いていかれたくないという思い。それらがネーナの積極性に繋がっていた。


 ネーナは王女アンとして幼少期より、多岐に渡って非常に高度な教育を受けてきた。スミスはその事を鑑み、ネーナの思いを汲んで魔術の手ほどきをすると共に、賢者の知識を伝えようとしている。


 まだ芽が出るのは先の話で、実際に芽が出るのかもわからないが。望む事をやらせてあげたい。


 ――力の及ぶ限り、この娘は自分が守ろう。


 馬車に揺られるネーナの横顔を眺めながら、オルトは思った。


 何気なくネーナの頭に手を伸ばし、思い止まる。しかし引っ込めようとしたオルトの手は、ネーナの両手に掴まれていた。

 そのままオルトの手を自分の頭に置き、ネーナは微笑む。


「兄妹ですから」

「そ、そうか?」

「はい♪ 誰も私の頭は撫でてくれませんでしたし」


 それはそうだろうな、とオルトは思った。迂闊に王女の頭を撫でたら、不敬と言われかねない。

 目を瞑って頭を撫でられるに任せるネーナを見ると、王女というのは存外に寂しいものなのかもしれないと感じた。


「おやおや、大分兄妹の雰囲気が出てきましたかね」


 振り向くと、スミスが本を閉じてこちらを見ていた。その近くでは同じくこちらを見るフェスタが唸り声を上げている。ヤキモチのスイッチが入ったかのようである。


「そ、そう言えばスミス。そろそろスミスからもトウヤの話を聞かせてもらえないか? 野営するまで時間はあるんだし」


 オルトに話を向けられたスミスは、僅かに顔を顰めた。


「そう……ですね。前にバラカスが、流民の村の話をしたきりですか。私の話もバラカス同様、楽しいものではありませんが。エイミーはまだ加入していない頃の事になります」


 そう前置きをして、スミスは話し始めた――






 検問所を越えて姿を現した勇者トウヤの一行を見て、大公国の民は戸惑いを隠せなかった。


 魔王軍との戦いに身を投じんと、勇者一行が華々しくサン・ジハール王国の王都を出発したのは多くの者が知っていた。


 強大な力を持つ魔王に対する切り札。人族の希望。


 大公国の人々が勇者に抱く華やかなイメージは、悄然と歩くトウヤの姿を見て掻き消えた。


 当時の大公サンドロットは、公都に迎えた勇者一行から事の次第を聞き、王国の対応に大きく憤慨した。そして重臣達を説き伏せてトウヤの支援を決定する。


 サンドロットは勇者一行に金品を支給するに止まらず諸国にも協力を要請し、さらに多くの国に支部を持つ冒険者ギルドと協議をして、トウヤを冒険者登録するよう働きかけた。これによりトウヤは、漸く勇者たるに相応しいバックアップを得る事となる。


 その頃のスミスは若い頃の放蕩生活から腰を落ち着け大公国の賢者の塔で顧問を務め、長年連れ添った妻を看取った後は隠者のような生活をしていた。


 大公サンドロットが居並ぶ臣下に対して知勇衆に優れたる者の推薦を求めた際にも名は挙がったが、スミス本人は高齢を理由に断った。幾度もの強い要請を受け、スミスは直接断るつもりでトウヤと面会する。


 だが、そこでスミスはトウヤの身の上を知る。


 異世界から意に沿わぬ召喚をされた、剣を握った事も無い少年。それが押し付けられた使命を受け入れ、縁も所縁もない者達の為に自らの命を賭けようとしている。


『魔王を倒せば元の世界に戻れる』というサン・ジハール国王の言葉に、信が置けないのを承知で。


 そしてその時、少年が一番に案じていたのは自身の事ではなかった。王城で少年の世話係を務めていた少女の事だった。『あの場所で自分の世話をさせられるのが良い待遇とは思えない、自分が王城を出た今、酷い目に遭っているかもしれない』と。そう少年は言った。


 本人と直接話をして、スミスは大きな衝撃を受けた。


 そこからは嫌も応も無かった。スミスの亡き妻も愛した世界を守ろうとする心優しい少年を、助けるべきだと思った。スミスは自分から、トウヤに対して同行を申し出た。


 この世界から魔王の脅威を排除し、そしてもしも事が成って尚、自分の命が尽きていなかったなら。


 その時は残された時間の全てを費し、トウヤを元の世界に戻す為の研究をしよう。スミスはそう誓った。






「――結局生き残ったのは、未来ある少年でなく、老い先短い年寄りでしたが」


 スミスは溜息をついた。


「トウヤの世話係だった少女は、直近に不正を理由に取り潰された貴族家の子女だったそうです。少女自身もトウヤが王城を出た後に処刑される所でしたが、ユルゲン将軍が手を回して他国に逃したと聞きました」

「おじ様が……トウヤ様がお城を発たれてからおじ様が登城される機会が無くなったのは、それで処分を受けたのかもしれません」


 ネーナがポツリと呟く。


「今は王国の手が届かない場所で暮らしています。良い縁に恵まれて、子供もいるそうですよ」

「よかった……」


 安堵の表情を見せるネーナ。オルトがその頭にポンと手を置くと、ネーナは驚いたようにオルトの顔を見た。


「兄妹だからな」

「……はい! 兄妹ですから!」


 フェスタもエイミーも、仮初の兄妹である二人を微笑ましく見守っている。


 だがそれとは対照的に、スミスの顔色は優れなかった。

 スミスは暫く悩んでいたが、決意した表情で口を開いた。


「……今、言うべきでしょうね」

「スミス様?」


 スミスはネーナに答えず、言葉を継いだ。


「王国から大公国へ入ったトウヤの一行。バラカスが話した時にトウヤ、バラカス、フェイスともう一人。侍祭の少女がいたのを覚えていますか?」

「え、ええ」

「彼女は――」


 スミスは悲しげに目を伏せた。






「亡くなっています。自ら命を断って」

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