第二十五話 王女は宣言し、走り出す

 公都を出発したアンの一行は、四日の旅程から僅かに遅れる形で国境の検問所へ到着した。


 王国からの使者はアンに対し、王命として、アンが王国入りした後は王国騎士団の護衛の下で王都に向かうよう求めてきた。それは侍女も近衛騎士も勇者パーティーメンバーも全て排除し、アンを王都へ護送するという事に他ならなかった。


 王国を出る前にアンが渡した書簡に対する返答もなく、当然アンは使者の要求を拒絶した。意外にも使者はそれ以上食い下がる事はなく、一行は大きく傾いた西日に照らされながら検問所へ向かう。


「王女殿下。護衛の任を拝命し、大変光栄でした。再びお迎えする時を、大公国民一同心よりお待ちしております」

「ドル将軍、道中の護衛ご苦労さまでした。大公国民の皆様の温かいもてなしに心から感謝致します」


 アンは検問所から公都まで往復の護衛についた大公国のドル将軍を労うと、王国の土を踏んだ。ドルもアンの周辺の不穏な空気に気づいてはいたが、気遣わしげに見送るのみであった。




 ――やはり、出迎えはロベルト参謀長と第三騎士隊か。


 トーンは目の前に布陣する王国騎士団と、自分達の背後の国境側を固める国境守備隊の配置を確認した。両者共に、想定されるアンの逃走経路はきっちり潰してある。


 王国の使者が使節団から離れ、ロベルトの隣でこちらに向き直る。事前の打ち合わせ通りの行動であると、トーンは感じた。


 緊張した様子のアンの隣では、弓と矢筒を背負ったエイミーがアンを励ましている。ステフも臨戦態勢だ。


 ロベルトが前に出る。


「王女殿下、親善使節の大任お疲れ様でした。王命により、これより王国騎士団が王女殿下の護衛を引き継ぎますので、殿下はこちらの馬車にどうぞ」


 アンがトーンの顔を見る。トーンは頷き、アンの返答に任せる。


「ロベルト参謀長、お迎えご苦労さまです。私には信頼出来る護衛がおりますので、交代の必要はありませんよ」

「そう仰られましても、これは王命ですので。王女殿下はこちらへ」


 顔色を変える事なく、再度事務的な口調で要請するロベルト。

 アンの表情が少し厳しいものになる。


「私が国王陛下へお送りしました書簡には、私が王国騎士団の振る舞いを見て信用出来なくなった旨を記しましたが、それに対する返答は無いのですか?」

「私は承知しておりません」


 アンはロベルトの短い返事を聞き、気持ちを固めた。トーンはその間に他の近衛騎士やスミス、バラカスと視線を合わせて認識を共有する。


「それでは、私が王国騎士団の監視下で護送される事に同意する理由はありません」

「我々は手荒な真似は致しません。王女殿下に思う所あらば、我々に同行して国王陛下の前で堂々とお話しされては如何かと」


 トーンがアンを庇うように前に出た。


「かつて、そう言って出頭に応じたストレイン男爵を拘束して『自白』を引き出し、非公開裁判での有罪から処刑と男爵家の取り潰しに繋げたのは貴方でしたね。ロベルト参謀長」

「男爵は残念ながら有罪でした。何も疚しい所が無ければ問題ないでしょう?」


 トーンの動きを見たロベルトは部下に合図を送る。トーンは是非も無いと判断した。


「男爵の時も参謀長は同じように言っていたと記憶していますよ。騎士達が動き始めたのは、王女殿下を拘束されるおつもりですか?」


 ロベルトは余裕の表情で告げる。


「我々は国王陛下より、必要であれば王女殿下を拘束する許可を得ています。こちらが優位な状況を捨てる事も無いでしょう」

「優位との判断は早計では?」


 言いながらトーンが剣を一閃し――と言っても、ほとんどの者には見えていないが――双方の間の地面に線を引いた。その牽制で王国騎士の接近が止まる。王国騎士達も線の意味を理解し、緊張感が漂う。


 トーンと騎士団長ヴァンサーンの決闘の顛末は、参謀長ロベルトの情報統制の甲斐もなく騎士達の間に知れ渡っていた。そのトーンの警告は、王国騎士達にとって無視出来ないものであった。


 スミスの合図でアンがトーンの横へ進み出る。その場の全ての者の視線が、一瞬だけアンに集中した。


「国王陛下、並びに重臣の方々のお考えはわかりました。こうなっては仕方ありません」

「それでは――」

「誤解なきよう」


 被せ気味に言葉を遮られ、ロベルトが顔を顰めた。

 対するアンは深く息を吸い込み、声を張り上げる。


「この場にいる全ての者は私、アン・ジハールの言葉を聞きなさい! 私は、王国の私に対する不当な処遇に抗議し抵抗すると共に、勇者トウヤ様に対する王国の不当な処遇と、トウヤ様の功績の真実を確かめに参ります!」


 王国騎士や国境守備兵達からざわめきが起きる。参謀長と王国の使者も、予想外の展開なのか顔色が変わった。


 アンは続けて言い放つ。


「私、アン・ジハールはこの場で宣言します! 王族と王女としての地位を返上し、地位に伴う全ての義務と権利を放棄する事を! 私は王国騎士団の不当な拘束を拒絶します!」


 一瞬虚を突かれた王国騎士団に、参謀長ロベルトから指示が飛ぶ。


「くっ! 王女殿下! 国王陛下への叛意ありと見做して拘束します! 第三騎士隊、前へ!」


 騎士達が整然と前進する。だが、トーンの引いた線を踏み越えた所で突風に見舞われ吹き飛ばされ、篝火も全て消し飛んだ。


 見ればスミスが、無詠唱で発生させた竜巻を収束させていた。アンは強力な魔術を目の当たりにして、驚きを隠せなかった。


 薄暮の中、被害を逃れた騎士が慌ただしく動き回る。


「くそっ、風魔法か!」

「照明を用意しろ! 急げ!」


 スミスが背後を振り返るが、検問所周辺を固める国境守備隊が動く様子は無い。少なくとも味方ではないのだから、巻き添えも諦めてもらおう。スミスはそう思いながら仲間に合図を送る。


「やりますよ!」


 その声を聞いたアンの一行は全員、急いで耳を塞ぎ地面に蹲る。

 参謀長ロベルトが指示を出すも、すでに時は遅く。


「そっ、総員退避――っ!? ああああっ!!」


 閃光と大音響、無数の悲鳴や怒号。――数秒後にアンが顔を上げると、目の前には驚愕の光景が広がっていた。


「スミス様! これは!?」

「予期せぬ大音響に閃光で、しばらく視覚と聴覚が役に立たないでしょうね。麻痺している者もいますが、殺さず無力化するにはこれが一番です」


 参謀長と王国騎士達が軒並み地に伏し呻く絵図を前に、スミスが涼しい顔で解説する。これを最大限に生かす為の到着遅延であり、念入りに照明の灯を潰した訳である。


 この手法の難点は馬もやられてしまって馬車が使えない事だが、そこは相手も同条件。追手を捌きながら馬車で逃げるか、追手を無力化して稼いだ時間に徒歩で逃げるか。今回は後者を選択したという事だった。


 フェイスが一同を急き立てる。


「ゆっくりしてる時間は無いよ」


 アンと侍女二人が別れの抱擁をかわす。


「姫様、旅のご無事を願っております」

「姫様、暫しのお別れです。ご自愛下さいませ」

「リリィ。パティ。二人とも元気でいてね。行ってきます!」


 バラカス達陽動チームは西の辺境伯領への街道を。

 アン達本命チームは王国東部へ向かう街道を。


 それぞれ走り出した後は、お互い振り返る事は無かった。




 ◆◆◆◆◆




 アン達は一時間程街道を走った所で、脇の茂みに潜んで休息を取っていた。体力が限界に達したアンは、休息になった途端に倒れ込み荒い呼吸を繰り返していたが、今はステフの膝枕で寝息を立てている。


 ステフは改めてアンの我慢強さに感心していた。

 現時点でアンの体力が劣る事は仕方がない。だが、アンは遅いなりに泣き言一つ言わずについてきた。


 髪を撫でると、眠っているアンが微笑んだように見えた。


 我慢強さは美徳でもあるが、限界点を超えて一気にアンが壊れてしまう危うさも内包している。ステフはアンの状態を注意深く見ようと考えていた。


「お兄さん、誰か来るよ。たぶん一人」


 エイミーが人の気配に気づき、トーンに伝える。

 ガサガサと茂みをかき分ける音が、トーン達に真っすぐ向かって来る。


 現れたのは、木箱を背負った旅装の男だった。


「おやこんばんは、薬は入り用かい? 安くしとくよ」


 男は人好きのする笑顔で言った。対象的に、トーンが渋い表情で返す。


「ならば惚れ薬を五つ、貰おうかな」

「!?」


 思いもかけないトーンの言葉に動揺するステフ。

 それをよそに男は何度も頷きながら、トーンに握手を求めた。


「話は聞いてる。ここに長居するのも不味いから移動しよう。お嬢さんは大丈夫か?」

「背負っていくから問題ない。案内を頼む」


 トーンが眠っているアンを背負い、一行は男の後について歩き始めた。ステフがここぞとばかりにトーンを問い詰める。


「さっきの何なの?」

「惚れ薬?」

「そう!」

「案内人との符丁だったんだから仕方ないだろ」

「むー……」


 釈然としない表情で引き下がるステフ。一行は二時間近く歩いた所で、漸く整備された道に出た。


 旅装の男は、近くに泊まっている馬車を指差した。


「言うまでも無いが、ここはもう大公国だ。そこの馬車に着る物と食う物が積んである。馬車も好きに使ってくれ。この道を西に行けば王国との検問所だ。東に馬車で半日行けばセイコーの町だが、もう門が閉まってる。少し移動すれば清水の湧く泉があるから、野営した方がいいと思うぜ」

「何から何まですまんな」

「仕事だ。気にするな」


 男は説明を終えると、元来た方向へ戻り闇の中に消えていった。見上げれば月が高く上がっている。


 一行は譲り受けた馬車に乗り込み、早々に移動を始めた。馬車の揺れで目が覚めたのか、アンの声も聞こえる。


「お疲れ様でした。トーン殿」

「スミス殿の援護に助けられました」


 御者台に座った男二人がお互いを労い合う。月明かりの中、馬車は街道をゆっくり進んでいく。幌の中からは服を着替える女性陣の楽しそうな声が聞こえて来た。


「誰か追って来る様子はありませんね」

「ええ。水場に着いたら今日は休みましょう。流石に疲れましたよ」


 男二人は苦笑した。話は明日、町で宿に入ってからにしよう。ステフが差し出したパンを齧りながら、トーンは明日以降の事に思いを馳せていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る