第百五十四話 こいつは良い鋼だ
「じゃあ、俺達は先に出るから」
オルトが席を立ち、スミスと共にテーブルを離れる。
【菫の庭園】一行は先日同様、広場で朝食を取っていた。
広場に面した商業区の一部は、巨大ワームが暴れた爪痕がまだ残っている。それでも損壊した建物や瓦礫の撤去は終わっていて、復旧が急ピッチで進んでいる事が見て取れた。
レナは城に向かう二人を見送りながら、食器を片付けるフェスタに尋ねた。
「あたしらの予定は?」
「この後は暫く時間を潰して、お昼に王妃陛下と会食。宿にお迎えが来るの。夕食はオルト達と合流してから。お出かけは難しいけど、大分余裕のあるスケジュールね」
墓地での酒宴の翌日、男性陣は城で国王ライーガとの会談が、女性陣は『鉱山都市』ピックスでも指折りのレストランを借り切って王妃ララキラと会食が組まれていた。
ララキラと【菫の庭園】女性陣の面会は、ライーガが要望したものである。当初は城で会食をする予定だったが、王妃が人族のオーナーシェフの店に変更していた。
「王妃様も昨日の酒盛りに呼べば良かったのに。何だか王様やその周囲のさあ、気の回し方がズレてる感じ」
「昨日は話も重かったし、いなくて良かったんじゃない? 重いと言えば、ドワーフ料理も重いのよね。会食がレストランに変わったのは、正直有難いわね」
レナとテルミナのやり取りを聞き、フェスタは肩を竦めながら洗い場に向かう。
仮に夫婦仲が悪かろうと、外に対しては取り繕うものだ。それが国王と王妃ともなれば、尚更の事。言ってしまえば『家庭の問題』である。
ライーガがどのような意図でララキラとの会食を組んだのか不明だが、フェスタにとっては昨日初めて顔を合わせた夫婦よりも対処の優先度が高い案件が、目の前にあるのだ。
「ネーナ、エイミー、有難う」
屋台で出された食器は、洗い場に返却する仕組みになっている。フェスタが労うと、返却を手伝った二人はニッコリ笑った。
ネーナの笑顔はまだ幾分硬いものの、昨日の就寝前に比べれば大分マシだとフェスタは感じた。それだけネーナは、ドワーフの国王から聞いた話に衝撃を受けていたのである。
イイーガが戦死するまでの経緯に、ネーナの祖国であるサン・ジハール王国は深く関わっている。それも悪い方向に。酒宴でスミスとライーガの話を聞いたネーナは、そう考えざるを得なかった。
まず勇者パーティーが王国を出る時点で、騎士団から派遣されたヴァンサーンを始めとする多くの者が同行を取り止め、出足から躓いている。
僧侶のマチルダに様々な働きかけをして疲弊させ、最期は自死するに至るきっかけを作ったのは王国教会だ。これは『マチルダの遺書』とされる書簡に記されていた内容である。
バラカスが大事な時期に、勇者パーティーを自ら離脱したとは考えにくい。ネーナはバラカスの人となりを熟知している訳ではないが、彼がそのような判断をする合理性は無いのだ。
ネーナはオルトに背負われて宿に戻ると、休むように勧める仲間達に問いかけた。
勇者パーティーの当事者であるスミス、レナ、エイミー。当時既にSランクパーティーに所属していたテルミナ。元近衛騎士のオルトとフェスタ。様々な立場で知り得た情報を勘案して導き出された答えは、ネーナには到底容認出来ないものであった。
――『戦鬼』バラカスの勇者パーティー離脱は、サン・ジハール王国内の勢力争いの煽りを食ったものである――
初期の勇者パーティーを牽引していたのは、まだ未熟で精神的にも不安定な勇者トウヤではなく、バラカスであった。
そのバラカスの名声が高まり、所属の軍部が力をつける事を恐れた王国騎士団と、軍部トップであり前国王からの重臣でもあるユルゲン将軍を嫌う国王ラットムが結託し、王命と称してバラカスを勇者パーティーから離脱させたのである。
折悪しく、東部方面軍の陣頭に立って兵を鼓舞していたユルゲン将軍が負傷した事も不運であった。ユルゲン将軍は前線から退かずにバラカス召還を拒否したが、王国騎士団長と国王の決定を撤回させる事は出来なかった。
『人類の命運を背負って戦う人達を、そんな理由で振り回すなんて……』
ネーナはそう言ったきり、絶句したのだった。邪魔をするなら、何故トウヤを召喚したのか。何故魔王討伐に行かせたのか。ネーナには全く理解出来なかった。
家族としての思い出や情はなく、為政者としても全く評価出来ない。それでもネーナは、実父である国王ラットムに対して一定の敬意を払って来た。
勇者トウヤの召還についても、公益に資するものなのだと理解しようとした。だがネーナが王女の地位を捨てて国を出て、これまで見聞きしてきた情報の中に、国王ラットムを擁護するに足るものは何一つ無かった。
バラカスがパーティーに残っていたならば、イイーガの運命も、その後のトウヤの運命も変わっていたかもしれない。ネーナはそう考えずにはいられず、祖国のの愚挙を自らの罪のように受け止めていた。
「こういう話はとっくに出てると思うけど、勇者トウヤの事を調べるのはもう止めたら?」
テーブルを拭きながら、テルミナが洗い場から戻って来るネーナ達に視線を向ける。レナは溜息をついた。
「あたしもそう思う。でも、ネーナは絶対に止めないからね。そういうとこ凄く頑固よ、あの子」
レナとテルミナだけではない。仲間達の誰もが、当のネーナさえも、勇者トウヤの足跡を追い、その真実に触れた者は深く心を痛めるだろうと考えていた。
その上、ネーナは勇者トウヤを召喚し、過酷な運命を背負わせた国の王女だったのである。このまま進めば、間違いなく祖国の闇と対峙する事になる。
生真面目なネーナが苦しむ一方で、当事者であるサン・ジハール王国の関係者は微塵も罪悪感を覚える事は無い。あまりにも理不尽だ。仲間達はそう思わずにいられなかった。
だがレナもテルミナも、【菫の庭園】の成り立ちと目的は聞いている。ネーナ自身が必要だと考えている以上、何も言えないのである。
テーブルを囲んだ女性達が気まずい思いをしていると、聞き覚えのある声が一行にかけられた。
「よお、あんた達も朝メシかい?」
見ればマゴロクが、片手を軽く上げて挨拶をしていた。鍛冶師仲間と思しきドワーフ達も一緒にいる。
「オイラ達は食い終わって、これから仕事を始める所さ。空きっ腹じゃあ、鎚にも腰が入らねえからな」
店を構えた鍛冶屋と違い、広場の一部を間借りして営業する青空鍛冶は、早い時間から音を立てる事が出来ないのだという。
朝食を終えてから炉に火を入れ仕事を始めると、今度は屋台や市場の店主達が冷やかしにやって来る。目の肥えた客によって、若い鍛冶師達も真っ赤に焼けた鋼のように鍛えられていくのだ。
青空鍛冶には、ピックスの噂を聞きつけた冒険者や傭兵、時には騎士すらもやって来るのだと、マゴロクは言った。
店を構えれば、同じ価値の商品も数倍の価格になる。彼等が探す『掘り出し物』は武器であり、調理器具であり、時には才能を持った鍛冶師そのものでもある。青空鍛冶からスカウトされ、王侯貴族のお抱えになる事も珍しくはなかった。
「今日は剣士の兄さんはいないのかい?」
「はい。お兄様は所用で別行動なんです」
「そうかい」
ネーナが答えるとマゴロクは残念そうな顔をしたが、鍛冶師仲間に【菫の庭園】一行が先日の巨大ワームを倒した事を伝えた。途端にドワーフ達が興奮し始める。
【菫の庭園】一行に詰め寄り口々に感謝を述べるドワーフ達の相手をフェスタに任せ、ネーナは懐から包みを取り出した。
「あの。マゴロクさんに、見て頂きたいものがありまして」
「おっ。これは……剣の欠片か」
マゴロクは慌てて手拭いを取り出し、ゴシゴシと手を拭いてから大事そうに包みを受け取る。鋼の欠片を穴の開くほど見つめたマゴロクは、子供のように目を輝かせた。
「こいつは良い鋼だ。鍛冶師が本当に本気で魂込めた仕事だ。そうそうお目にかかれるモンじゃねえ」
鍛冶師は常に本気で鋼を打つ。だが、常に最高の仕事が出来る訳ではない。仕事にムラが少なく、全体に質が高いのが一流なのだ。そう言うとマゴロクは目を閉じ、鋼の欠片に耳を当てた。
「稀に全てが噛み合ったような、すげえ仕事が出来る事があるんだ。それこそ、オイラみてえなボンクラでもな。だけどそこに行き着くには、毎回毎回本気で鋼を打たなきゃならねえ」
自分が本気であるからこそ、高みに近づくのに足りないものが見える。手を抜いたという言い訳を排除するのがスタートだ。ネーナには、マゴロクの言葉はまるでオルトが言っているように聞こえた。
いつの間にか騒いでいたドワーフ達が、マゴロクの側に集まっていた。ネーナの承諾を得て順番に鋼の欠片を手に取り、感嘆の唸り声を上げる。
「こりゃ凄い……どこのどいつが打ったんだ?」
「この鋼が砕けるなんて、竜とでも戦ったのか?」
「――魔剣『
『っ!?』
レナの言葉に、鍛冶師達が驚愕する。マゴロクは納得したように呟いた。
「あの剣士の兄さんが『
『鉱山都市』ピックスにも『剣聖』マルセロと死闘を演じた剣士の噂は届いていた。腕利きの鍛冶師を輩出する街らしく、職人達はマルセロの魔剣と戦ったのがどれ程の宝剣なのかを議論していたのである。
その剣の欠片が、若い鍛冶師達の目の前にあった。世に知られた魔剣と対峙したのは、無名の鍛冶師が全身全霊をもって鍛えたであろう、一振りの長剣であった。
「戦いが終わり、鞘に戻るまで砕けぬ。俺もそんな剣を打ちたいもんだ」
一人の鍛冶師が漏らした言葉は、その場の職人達の思いを代弁していた。
「――それで、オイラにこいつを見せたのは、どういう事だい?」
マゴロクが剣の欠片に目を落とし、その後でネーナを見た。
ネーナは鍛冶師達に、オルトとマルセロの戦いの経緯を説明した。
自分のせいで失われてしまったオルトの剣を、元に戻したい。でも、助言をくれた人々は総じて否定的だった。ネーナがそう話すと、マゴロクは何度も頷いた。
「オイラの意見も、そいつは剣の寿命だって事だ。生き物に寿命があるように、剣にもある。寿命を全うしたモンは休ませてやった方がいい。それはこいつ等も同じだろうぜ」
親指で指し示すと、ドワーフの職人達も神妙な顔で頷いた。元の剣を丸々素材にしたとて、新たに打ち上げた剣は同じ形をしていても別物だ。以前リチャード達剣士が言った事を、今度は鍛冶師達が指摘した。
「ピックスに来てまで剣を直してくれって言うからには、嬢ちゃんは納得出来ないんだろう。でもな、そもそも剣士の兄さんは、
「??」
マゴロクの言っている事が理解出来ず、ネーナは首を傾げる。マゴロクは剣の欠片をネーナに返した。
「おじさん達、お客さん来てるけどいいの?」
『えっ!?』
エイミーが鍛冶場を指差す。何人かの客が手持ち無沙汰に立っているのを見た鍛冶師達が、大騒ぎしながら走り出した。
「いけねえ、油を売り過ぎた! まあ何だ、兄さんと一度きちんと話してみなよ!」
「あっ、有難うございました!」
慌てて鍛冶師達を追いかけるマゴロクに、ネーナが深々とお辞儀をする。
掌の上の欠片を見ながら、ネーナはオルトの言葉を思い出す。
『ご利益はあると思うぞ?』
ネーナに欠片をくれた時、オルトは確かにそう言った。当時は罪悪感が強く受け入れられなかったが、今はスッとネーナの胸に入って来た。
フェスタがポンと、ネーナの肩を叩く。
「私達も時間だから、宿に戻りましょう。折角だから会食の時、王妃様に欠片の事を相談してみたら?」
「はい」
ララキラ様ならば、良いアイデアがあるかもしれない。夕食の時には、お兄様にたくさん話を聞いて貰おう。そう考えながらネーナは席を立った。
何とか気を持ち直した様子のネーナを見て、フェスタは内心で安堵していた。
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