第百五十三話 果たされなかった約束

 墓石を見つめていたライーガが振り返る。


「スミスよ、弟に声をかけてやってくれぬか」

「……はい」


 スミスは応え、墓碑の前に跪いた。場所を変わったライーガは戦士団長と宰相と共に、スミスの後ろで酒宴の準備を始める。


「お主等は客人じゃ、そこで待っておれ。人族に倣って国王じゃ、宰相じゃ戦士団長じゃと名乗っておるがな、中身はそう上等ではないわ」

「違いありませんな」


 宰相が同意し、戦士団長は豪快に笑う。手伝いを断られたネーナ達が所在なさげに見ている前で、三人は手際良く準備を済ませて敷物の上に胡座をかき、【菫の庭園】の面々に手招きをした。


 スミスも腰を下ろし、一同が盃を手にする。


「我等ドワーフにとって、酒は決して切り離せぬ物だ。目出度い事があれば呑んで祝い、辛い事は痛飲して忘れる。この一杯は亡き弟に、そして先日命を落とした同胞達に捧げようぞ」


 ライーガが献杯の音頭を取り、ささやかな酒宴が始まった。




 ◆◆◆◆◆




「スミスよ。儂はお主に『弟の戦友は我が友、我が同胞よ。ピックスに来た折は遠慮なく訪ねて参れ』と伝えた筈ぞ。漸く来たと思えば宿を取り、顔も出さぬとは薄情ではないか」


 スミスは早々にライーガに絡まれ、苦笑していた。


「勿論覚えておりますが、我々は何年も戦いの中にあり観光も出来ませんでした。イイーガを育んだ街を旅人として歩きたかったのです。ご容赦下さい」

「フン……」


 スミスの弁解に対し、ライーガは不機嫌そうに鼻を鳴らして盃を呷る。形通りに文句は言ったものの、ライーガにスミスを責める気持ちは無かった。


「……勇者トウヤは、残念であったな」

「…………」


 スミスが無言で頭を垂れる。


 ライーガも勇者パーティーの状況は心得ていた。何人もの仲間を失い、最後にはパーティーの柱であったトウヤも命を落とした。スミスがイイーガの墓に来れる心境でなかった事も承知していた。


「……私は、イイーガとの約束を果たす事が出来ませんでした」

「それはお主の責ではない」


 スミスの詫びを、ライーガは筋が違うと受け取らなかった。


 イイーガとスミスの約束。ネーナは初めて聞く言葉だった。ネーナの思いを読み取ったのか、スミスがライーガ達に【菫の庭園】の成り立ちやネーナの目的を説明する。


 ピックスはサン・ジハール王国と直接の交流はなく、ライーガもアン王女が出奔したという情報はあってもその容姿や近況については知らずにいた。


 ネーナがアン王女と同一人物であると伝えられ、ライーガが目を丸くする。


「お主がアン王女であったか……ここまでよく来たものよ」

「既に私は王族ではございません。ネーナ、とお呼び下さい」


 兄と仲間達に助けられ、辛いばかりの日々では無かった。そうネーナが言うと、ドワーフ達が頬を緩めた。


「勇者トウヤについて、儂等が話せる事は少ない。大半がイイーガの話になるが構わぬか?」

「お心遣いに感謝致します、陛下」


 ネーナが礼を述べる。ライーガは頷き、弟の墓に向けて盃を掲げた。




 イイーガ・ルは先代ピックス国王の次男として誕生した。


 兄のライーガ、後にライーガの側近として宰相になるケルルグ、同じく戦士団長になるホーガン達の三歳下で、ケルルグの妹で後の王妃になるララキラとは同い年であった。所謂、幼馴染である。


 五人はそれぞれ将来を期待されていたが、イイーガの才能は群を抜いていた。文武においてはケルルグとホーガンを超え、早くからライーガ以上の人望を得ていた。


 それでも本人は決して驕る事なく兄達を立て、ライーガも腐らず研鑽を重ねた。兄弟も幼馴染達も、強い絆で結ばれたまま成長した。


 不幸にも先代の国王は、後継を定める前に死去してしまった。ライーガは弟こそ国王に相応しいと考えていたが、イイーガはそれを頑なに固辞した。イイーガは国内の混乱を避ける為、自身は臣下としてライーガを支えると宣言した。


 人族と魔族の戦いが始まると、イイーガは自ら名乗りを上げて都市国家連合域内の戦場に赴いた。時期を同じくして勇者パーティーから戦士バラカスが離脱する事を知ったイイーガは、パーティーへの参加を決めたのである。


 戦斧と凧型の盾カイト・シールドを手にしたイイーガは、戦士バラカス不在を感じさせない程の戦いぶりを見せた。剣の扱いも巧みなイイーガは、まだ未熟な勇者トウヤの剣技をも鍛え上げた。


 魔王討伐の旅に出発するまでサン・ジハール王国でトウヤの指導をしたのは、当時王国騎士団第四騎士隊長だったヴァンサーン・レオニス。だがヴァンサーンがトウヤに教えたのは、自らの生命力を攻撃力に転化する『勇者の一撃ブレイブ・ストライク』のみであった。


 旅に出てからトウヤに剣術の基礎を仕込んだのは、戦士バラカスとイイーガである。二人はトウヤが今のまま戦い続ければ、長く生きられない事を見抜いていた。


 この頃のトウヤは最愛のマチルダを失い打ちひしがれていたが、悲しみを振り払うように稽古に打ち込んだ。トウヤは付きっきりで指導するイイーガには幾らか心を開く様子も見せていた。


 勇者パーティーのメンバーまでが当然のようにトウヤに『勇者』である事を求める中、イイーガはトウヤを『少年』として扱った。イイーガはハッキリとトウヤに告げた。


『逃げても構わない、無理に勇者でいなくてもいい。元の世界に帰る日まで、何としても生き延びろ』


 イイーガは何かとトウヤを気にかけ、いつか酒を酌み交わせるのを楽しみにしていた。トウヤは元の世界では成人年齢でない事を理由に、飲酒を避けていたのである。


 その間にも魔族の侵攻は苛烈になり、そして運命の『森林都市』ドリアノン第一次奪還戦が始まる。


 奪還部隊の左翼に配備されていたドリアノン出身の兵士の中には、人族至上主義の結社に所属する者達がいた。彼等は支配層であったエルフ達に強い不満を持っており、魔族がドリアノンの支配権を餌に誘いをかけると、いとも容易く裏切った。


 裏切り者の一団は同じ左翼のエルフ達を襲撃し、呼応した魔族の追撃を受けた奪還部隊は総崩れとなった。イイーガは重傷を負ったトウヤを仲間達に託すと、僅かな志願兵と共に退却する部隊の殿を引き受けた。


『死んではならぬ。生きてこそ次の機会が訪れるのだ。粛々と退却し、反撃に備えよ』


 イイーガはそう言って、ドリアノンと『神聖都市』ストラトスの境にある『涙河ティアーズ・リバー』を背に陣取った。友軍が背後の大橋を越えて退却したのを見届けると橋に火を放ち、敢然と敵を迎え撃った。


 援軍の聖堂騎士団と護教神官戦士団が橋を迂回して到着すると魔族は撤退した。イイーガ達殿部隊は、全ての裏切り者と多くの魔族を道連れに全滅していた。


 イイーガ戦死の報を受けたバラカスはユルゲンに背中を押され、王国軍を除隊して急遽勇者パーティーに復帰した。『聖女』レナが加入したのもこの時で、勇者パーティーは戦力的には立て直したものの、士気の回復には更なる時を要する事になった。




 オルトが傍らのネーナの肩をポンと叩いて立ち上がる。顔色の優れないネーナを気遣い、エイミーも小走りに近づいてきた。


 オルトはイイーガの墓碑の前に来ると、二人に盃を持たせて酒を注ぎ、墓碑の前に並べさせた。ネーナがオルトの顔を見上げる。


「これでイイーガ様とトウヤ様も、酒宴に参加出来るでしょうか」

「ああ」


 ネーナとエイミーが墓碑に祈りを捧げるのを見て、スミスは溜息をついた。


「……第二次、第三次奪還戦を経て魔王軍四天王の一角であるアモンをトウヤが討ち取り、漸くドリアノンから魔族を放逐出来ました。ですが、私達が失ったものは大き過ぎました」


 現在のドリアノンは人口におけるエルフの比率も以前より下がり、王族が滅亡した為に種族を問わない議会政治を敷く国となっている。


 だが人族至上主義の結社は依然として存在し、魔族統治下で生れた混血児に対する新たな差別も大きな社会問題となり、混乱が続いていた。


「最期のイイーガの戦いぶりは、武神が降臨したかのようでした。今でも鮮明に思い出せます。対岸で見ている事しか出来なかった我が身の不甲斐なさも、意識を取り戻した後にイイーガの戦死を知ったトウヤの慟哭も、昨日の事のようです」


 イイーガが焼いた橋は後に大勢のドワーフ職人の手により架け直され、その名を取って『イイーガ大橋』と呼ばれるようになったという。


「私達が聞いた彼の最期の言葉は、『トウヤを頼む』でした。それなのに……」

「それはお主の責ではないと言った筈ぞ、スミスよ」


 ライーガは悔悟の念に苛まれるスミスをたしなめた。


「我等の今の暮らしはイイーガやトウヤといった英雄だけでなく、名も残らぬ兵士達の命をも代価として手に入れたものだ。我等ドワーフがこの地に住む限り、ワームと戦わねばならぬのと同じよ」


 イイーガは自らの意思で戦う事を選び、命を落とした。残された者の枷になる事など、弟は決して望まない。勇者トウヤも同じであろう。ライーガはそう言うと、盃を呷った。


「……ララキラには、可哀想な事をしたがな」

「王……」


 沈痛な面持ちのライーガに、王妃の兄でもある宰相が声をかける。


「ララキラは弟を好いておったのだ。儂もそれを知っておったからこそ妻を娶らず、いずれ王位を退くつもりだったのだがな……」


 当時イイーガが勇者パーティーで活躍をした事で、当人が一度は鎮静化させたイイーガ王待望論がピックス国内で高まりつつあった。ライーガは時期を見て弟を呼び戻し、王位を委譲する腹づもりであった。


「宰相のケルルグ、戦士団長のホーガンと共に、ララキラは儂等の代の国王を王妃として支える事が決まっていた。違う道を選べない以上は、せめて好いた男と添い遂げさせてやりたかったが……」


 神妙な表情のケルルグとホーガン。その傍らで、ライーガはステーキの切れ端にフォークを突き刺した。ドワーフの食事らしく、酒のつまみに用意されたものはひたすら肉である。


「王妃として公務をこなし、こうして酒宴をすれば自ら厨房に入って料理を出し、儂の心身を常に気遣っておる。ララキラは、儂には勿体無い妻よ。だからこそ不憫でならん」


 フェスタとレナが顔を見合わせる。二人は何とも言えない、微妙な表情をしていた。


「王妃陛下はこちらにはお見えにならないのですか?」

「うむ」


 フェスタの問いに、ライーガが頷く。


「場所が場所だけに、ララキラも気まずいであろう。非公式の酒宴でもあり、儂等だけでもてなすと伝えてある」

「――陛下。体調の優れない者がおりますので、我々だけ先に失礼させて頂きます」


 終わりの見えない酒宴を見越して、オルトは宿に戻る事にした。城に泊まるようにとの勧めを丁重に断り、後を仲間達に任せて墓地を出る。


「……お兄様。ごめんなさい」

「気にしなくていい。かなり重い話になってしまったからな」

「お部屋に戻ってゆっくりしようよ」


 オルトに背負われたネーナに、エイミーが声をかける。テルミナもついて来ていた。


「寝てていいからな」

「はい……」


 ネーナはオルトの背に揺られながら、イイーガの墓碑の前に並んだ盃を思い出していた。


 イイーガとトウヤの語らいが楽しいものであるように。そう願いながら、ネーナは微睡みに落ちていった。

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