第百十三話 公平である事、公正である事

 ダンジョンの『溢れ出しオーバーフロー』に対処していた【運命の輪】がギルド支部に帰還したのは、オルトが支部を出発した翌日の夜だった。


 結局、職員達は二日目も完全休養とはせず、ギルド支部を元の場所に再移転して荷物を運び込んでいた。支部の近くに数件の貸家を確保し、職員達の引っ越しも済ませて全員で夕食を取っていた。メラニア達が戻ったのは、そんなタイミングだった。


【運命の輪】と同じ北セレスタ支部の職員であるカミラは、特にイリーナの落ち込み具合に驚いた。大きな怪我は見られない。ただ悄然としているのだ。イリーナ程ではないが、他のメンバーも明らかに元気が無い。


 冒険者達の様子を見たエルーシャが、何か理解した風に頷いた。


「これ多分、原因はオルトさんね」


『オルト』という単語に【運命の輪】の面々がピクリと反応する。カミラがエルーシャに尋ねる。


「どういう事?」

「オルトさんって基本は優しいけど、聞き分けの悪い相手には物凄くキツい時があるの」

「オルトさんにそんな時が……」


 レベッカも会話に加わって来た。【運命の輪】の面々の気性を知るカミラには、それだけで現地で何があったか察する事が出来てしまった。


「ああ、イリーナがオルトさんを手伝うってしつこく言い張って……」


 イリーナの肩がピクリと動く。エルーシャがオルトの口真似をする。


「オルトさんがイラッとして、『俺の太刀筋が見えるなら残っても構わない』とか……」

「それ、凄く言いそうね」

「オルトさんに似てます。格好良いです」


 それを聞いたイリーナの身体がピクピク震え始めた。カミラは納得し、レベッカは感心している。


「それで実力の差を思い知らされて帰って来たのね」

「カミラさん、何処かで見てたんですか?」


 メラニアが苦笑するが、話の内容は全く否定しなかった。イリーナはガクンと肩を落とし、クロスに慰められている。


 そこで急にギルドの扉が開いた。


「【菫の庭園】戻りました!」

「ただいま〜!」


 ネーナとエイミーが元気良く入って来る。二人は【運命の輪】の面々を見て駆け寄って行く。


「やっとお会い出来ました! ……どうしたんですか?」


 項垂れるイリーナの様子に、ネーナが不思議そうな顔をする。


「体調が悪いんですか、イリーナさん?」

「お帰りなさい。そうじゃないんだけどね」


 カミラの言葉に、ネーナがポンと手を打った。


「成程。イリーナさんはお手伝いしたかったのに、お兄様に追い返されて落ち込んでるのですか」

「……どうして皆、見て来たように当てちゃうの?」


 イリーナが涙目になっていた。






「私もさ……パーティーはBランクに上がったし、少しは強くなったって自信もあったんだ。でも……見えてると思ってた背中が全く見えてなかったんだって思い知らされて……やっぱり凹むよ。おかわり」


 イリーナが愚痴を言いながら、ボウルに盛られたクリームシチューを掻き込む。あっという間に消えたボウルの中身に、職員達が驚愕していた。


「でも、お兄様がイリーナさんをそうやって追い返したのは、ちゃんと立ち直って仕事をしてくれると信じているからですよ?」

救援依頼レスキューの時、『イリーナは凄く成長した』って嬉しそうだったよね、お兄さん」

「……本当に?」


 疑っている風なイリーナに、フォローを入れたネーナとエイミーがコクコク頷いた。


 正直を言えば二人共、今すぐにでもオルトを追いかけてダンジョンに行きたいのだ。それでもオルトに『後を頼む』と言われて【運命の輪】のケアを託された事で、懸命に踏み止まっていた。


「兎に角、メラニア達は明日一日しっかりと休んで。『仕事をしようとしたら、俺が戻るまで対応しなければいけない案件の情報を渡すな』って、オルトさんからの伝言だから」


 カミラに釘を刺され、イリーナが固まる。オルトが思いの外にイリーナの気質を理解していて、カミラはクスリと微笑んだ。


「ネーナさん」

「はい」


 エルーシャに呼ばれ、ネーナが向き直る。


「ネーナさんが仰った通りに、本部へ報告をしました。フリードマン冒険者統括がこちらへ向かっているそうです」

「有難うございます、エルーシャさん」


 ネーナが礼を述べると、エルーシャは頭を振った。


「明後日にはヴァレーゼに到着する予定です。ですが……本当に良かったんですか?」


 エルーシャの表情は浮かない。


 オルトは臨時支部の事についてはエルーシャに、【菫の庭園】の事はネーナにそれぞれ一任して、急いで出発した。それは職員達の業務効率を著しく低下させるラスタンを早く連れ出したかっただけでなく、オーバーワークが続いていた【運命の輪】を休ませたかったからだ。


 暫定的に支部長代行を務める事になったエルーシャは、臨時支部に起きた異変を速やかに本部へと伝えなければならない。だがそうすれば、オルトの行為に触れない訳には行かない。ネーナはエルーシャに助け船を出したのだった。


「どういう報告だったの?」

「エルーシャのはそのまま事実の報告。それとは別に、オルトの名前で冒険者統括宛てに連絡したのよね」

「はい」


 レナの質問にフェスタが答え、ネーナが肯定する。


『臨時支部長人事の決裁に関わった担当者を全員ヴァレーゼに寄越して現状を見せろ。要求を飲まないならば、臨時支部の状況とギルド本部の対応を公爵殿下に伝える』


 ネーナはこの通りに伝えるよう、エルーシャに頼んだ。


 連絡を受けた冒険者統括、フリードマンは頭を抱えただろう。人事の関係者は真っ青になったに違いない。シュムレイ公国とヴァレーゼ自治州から、ギルドの本気度を疑われるからだ。


【菫の庭園】はシュムレイ公爵マリスアリア直々の指名を受けている。ギルド関係者は『そんな事にならない』と流す事は出来なかった。


『冒険者ギルドは、苦しんでいる者達がいようと支部の設置を円滑に進める気が無い』


 そんな噂が広まれば、多くの国を跨いだ中立組織のネットワークが崩壊する。冒険者ギルドが揺らげば日々の糧を得ている冒険者達も困るのだが、オルトの処罰を軽くしたいネーナにとっては知った事ではなかった。


 フェスタが頬に人差し指を当てる。


「オルト本人は多分、沢山の人を巻き込む事を良しとはしないだろうけど。でも支部長に鶏の玩具ラスタンは無いわね。ギルド本部に冷や汗かかせる位はやってもいいでしょ」

「ネーナは良い判断をしたと、私は思いますよ」


 フェスタに続き、スミスもネーナの判断を評価した。エイミーはイリーナと張り合うように無言で食べ続けている。


 エルーシャはフリードマンと面識が無い為に不安なのだが、ネーナ達はフリードマンの人となりをある程度知っている。その為ネーナは、ギルド本部がフリードマンをヴァレーゼに派遣した事で、オルトの処分は然程厳しいものにはならないだろうと期待をしていた。


「肝が据わってるなあ……」


 職員の呟きに、ネーナが笑顔を見せる。そのネーナに、ナッシュが声をかけた。


「そう言えばネーナさん、聞いてますか? ワドルの事」


 ネーナは頭を振った。


「ワドルさんがどうかしたんですか?」

「やっぱり知らなかったんですね。ワドルは治療院を退院した次の日、また治療院に担ぎ込まれたんですよ」

『えっ?』


 これにはネーナだけでなく、何人かの職員も驚きの声を上げた。ワドルの悪名は、リベルタだけに留まらなかったのだ。


「その時の大怪我も然る事ながら、路地裏で発見された時にはうわ言のように謝罪を繰り返してたそうです。退院後も路地裏とか狭い場所、暗い場所を怖がるようになってしまって、もう冒険者としてはやって行けないんじゃないかって言われてますよ」

「そんな事が……」


 驚きを隠せないままのネーナを横目に、フェスタとレナは何食わぬ顔で食後のお茶を味わっている。


「物騒な話ね。相当恨まれてたのかしらね」

「絶対に怒らせちゃいけない相手を怒らせたのかもね」

『怖い怖い』


 声を合わせた棒読み風のセリフに、スミスは苦笑するのみであった。三人には、ワドルに地獄を見せた相手に心当たりどころか確信があった。




 ◆◆◆◆◆




 二日後、冒険者ギルド本部のフリードマン統括が数名の部下を伴って臨時支部に到着した。フリードマンはエルーシャから報告書と計画書を受け取り、精力的に調査を開始する。


 フリードマンと時期を同じくして到着した二つのAランクパーティーの内、戦闘力が売りの【野鴨戦団】は南部東部の緊急性の高い案件のリストを持って支部を出発した。


 もう一つのパーティーはフリードマンと共にリベルタから来ていて、ヴァレーゼ入りしてから直接アオバクーダンジョンへ向かったという。


 一刻も早くオルトの下へ駆けつけたい思いで過ごしていたネーナ達は、増援の報に心から安堵したのだった。


「ふう……」


 職員達、そして証言の為に支部に来ていた【菫の庭園】メンバーが緊張した表情で見守る中、報告書を読み終えたフリードマンは深い溜息をついた。


「お疲れ様です」

「有難うございます」


 紅茶のカップを取り替えるエルーシャに、フリードマンが謝意を述べる。本部の役員に会うのが初めてなエルーシャは、フリードマンの腰の低さに内心で驚いていた。


「エルーシャさん、この報告書の内容ですが――」

「私はオルトさんや【菫の庭園】と同じ支部の職員ですが、記載内容に虚偽が無い事を誓って申し上げます」

「そうでしょうね」


 フリードマンが目を閉じ、再び溜息をつく。


「彼が保身を図る人物であったら、話は楽だったのですが。――まるで物語に出て来る、高潔な騎士のようです」


 ネーナとフェスタが顔を見合わせ、ニッコリと微笑んだ。


「エルーシャさん」

「はい」

「私の権限でラスタン支部長の職務を一時停止し、貴女をヴァレーゼ臨時支部の支部長代行に任命します。支部内の暫定的な人事と支部の運営計画を貴女に一任します」

「謹んで拝命致します」


 フリードマンの調査が終わるまでの非常措置。だが、現状の支部運営に問題は無いと判断され、計画書通りの進行を許可された。つまり、数日でひっくり返るものではないという事。


「後はオルトさんの件ですか……」


 悩ましげにフリードマンが言う。


 処分を決めるのは、オルトとラスタンが支部に戻り供述を済ませてからだ。とはいえ、職員や冒険者の証言とエルーシャが作成した報告書で事態の概要は掴めている。


 オルトの行動は、結果を見れば非常に効果的であったと言える。だが暴力を用いて現状の変更を図った点を容認する事は出来ない。認めてしまえば組織は崩壊する。


「……残念ながら、規則が是正されるのは常に、大きな被害が出てからなのです。オルトさんの処罰は避けられません」

「そんな……」


 フリードマンの言葉は真理だ。ネーナもそれがわかっているから、納得出来なくてもそれ以上食い下がれなかった。


 フェスタがネーナの肩に手を置く。


「多くの人達の幸せの為に、ルールは守られなくてはならないの。ルールの恩恵を受けられない人を助けようとすれば、ルールを破らなくてはならない。それは許されてはいけないのよ」


 だからオルトは、自己保身に走らなかった。自分のした事の報いを甘んじて受け、それを法を守って暮らす者達に見せる事を望んだ。法の公正さと公平さを示す為に。


 故にフリードマンの一存で処罰に手心を加える余地は無かった。後はオルトに救われた者達の嘆願とオルト自身の働きで、処罰の軽減が為される事に期待するしかなかった。




 オルトがいるアオバクーダンジョンに向かっていた筈のAランクパーティー【月下の饗宴】が、ラスタンを保護してギルド支部に帰還したのはそんな時だった。

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