第九十一話 皆が笑顔でいられるように

 ギルドの業務を終えて帰宅したジェシカを加えて、今度は誕生祝いだけでなく『ヴィオラ商会』創業をも祝う乾杯の唱和が響いた。


「後でお裾分けのケーキ、『親孝行亭』に持って行きますね。おじさんとおばさんのを取っても大丈夫かな?」

「ブルーノさんの分は……傷んでしまいますね」


 ジェシカとネーナが切り分けたケーキを箱に入れる。


 この場にいないのは、アーカイブ在住のブルーノと、『親孝行亭』を手伝っているベルントとニコットの三名である。


 難病が完治したベルントは若さもあってか、既に日常生活に支障がないレベルまで回復している。屋敷を出てニコット一家との同居となるのも時間の問題だ。


 ブルーノの家は、家族四人が膝を突き合わせて話し合っている最中の筈。

 フェスタが仲間達に、ブルーノの家での一幕を話した。レナが口を尖らせる。


「本当、あいつも駄目よね。あんな可愛い娘達に、そんな事言わせそうになるなんて」

「男なんてそんなものです。私達の心配など全くわかっていませんから」


 年長で妻帯者のユノが言うと、室内の女性陣が深く頷いた。視線の大半はオルトに向けられている。オルトは居心地の悪い事この上なかった。


「ユノ、オルト様が困っていますよ。誕生会なのですから程々になさい?」


 ファラがユノを嗜める。それからネーナに視線を向けた。


「オーナー。商会を立ち上げるに当たって、オーナーにお願いしたい事があるのです」

「私に、ですか?」


 首を傾げるネーナに、ファラは頷いて見せた。


「はい。ヴィオラ商会の『経営理念』を決めて頂きたいのです。商会である以上、収益を上げる事は大事ですが、経営理念によってその商会の大きな方向性を定めるのです」


 ファラに続いてチェルシーが言う。


「先程、オーナーは『オルト様のようになりたい』と仰られましたね? そのような目標があれば、どのような努力や鍛練、振る舞いが必要か自ずと定まってきます。『経営理念』とは大きな目標なのです」


 二人の説明は、ストンのネーナの腑に落ちた。また居心地の悪そうな顔をしているオルトを見て、ネーナがクスクスと笑う。


「わかりました。では『皆が笑顔でいられるように、幸せに暮らせるように』、そのお手伝いが出来る商会を目指して下さい。『皆』には、ファラさん達も含まれますからね?」

「承知しました、オーナー」


 ファラ達四人が頭を下げる。一方スミス、レナ、エイミーの三人は驚きの表情でネーナを見ていた。


「……おじいちゃん、ネーナがトウヤと同じ事を言ったよ?」

「そうですね、驚きました」


 エイミーとスミスの会話を聞いたフェスタが問いかける。


「そうなの?」

「『皆が笑顔でいられるように』ってね。あたしも何度か聞いたなあ。トウヤのは、自分に言い聞かせてるみたいだった」


 レナは生前のトウヤを思い出しているのか、遠くを見るような目をした。フェスタが首を傾げる。


「私とオルトが『王女の騎士プリンセスガード』に配属された時には、もうトウヤは王国を出ていたわよね? ネーナはトウヤに会った事があるの?」

「恐らく、無いと思います」

「恐らく?」


 ネーナの返事は、歯切れの悪いものであった。


 ネーナは『完全記憶能力』ないしは、それに準じる記憶能力があると見られている。記憶に関して、『恐らく』などという曖昧な返事になる筈が無いのだ。


「どこか調子が悪いのか?」


 気遣うオルトに笑顔を見せ、ネーナは頭を振った。


「トウヤ様に関する記憶は殆どありません。ですが、本当に無いのか私にもわからないんです。上手く説明出来ないのですが……」

「あの聖堂騎士と対峙した件で、他の記憶にも影響があったのかもしれませんね」


 スミスが推測するが、真偽は誰にもわからない。「またピケか……」と、レナが氷点下の低い声を出したのに一同が気づき、フェスタが無理矢理に話題を変えた。


「そうそう、オルト」

「ん?」

「皆で出掛けて、グスベリのジャムを作ったのよ?」

「へえ! そう言えばそんな時期だな」

「わたし取ってくる〜!」


 エイミーがキッチンへ駆け込み、すぐに小さな瓶を手に戻って来た。


 フェスタが瓶を受け取り、ジャムを一匙掬ってオルトに差し出す。


「はいオルト、あーんして?」


 顔を赤くして匙を咥え、オルトは目を閉じた。


「……うん、美味い。実家で食べたのと同じ味だよ」

「やったあ!」

「うふふ」


 エイミーとネーナがハイタッチをして喜び合う。その間にオルトがクラッカーにジャムとチーズを乗せて、フェスタの口に押し込んだ。


「フェスタ、口開けて」

「……美味しい」


『あーん』の反撃に遭ったフェスタが、顔を真っ赤にしながら親指と人差し指で丸を作る。


「私も食べたいです!」

「わたしも〜!」

「ちょっと待ってな」


 オルトがカナッペを作り、雛鳥のように待ち構えるネーナとエイミーに食べさせる。二人は目を輝かせて同じようにカナッペを作り、仲間達に配って回った。


「ジャムの酸味と控えめな甘味に、チーズの塩気が合いますね」

「グスベリが強いから、チーズは塩辛いものや癖のあるものも合うかも」


 カナッペは好評であった。ファラは殊の外気に入ったらしく、グスベリのジャムを使ったアレンジレシピを探してはどうかと言い出す。


「では、コンテストにするのはどうですか?」

「催し物の少ない町なので、楽しめるイベントはいいですね!」


 ネーナが提案し、地元出身のジェシカが賛成する。仲間達もアイデアを出して、あっと言う間に間にイベントの素案が出来上がってしまった。


「『輝け! 第一回オルト杯争奪アレンジ料理コンペ』です!」

「却下」

「むーっ!」


 渾身の出来らしいタイトルを却下されたネーナが、不満を顕わにした。ポカポカと胸を叩かれ、苦笑しながらオルトが言う。


「とはいえ、だ。町が盛り上がる、町が発展する方向の仕掛けは大歓迎だ」

「はい。ただ、急な変化を喜ばない方もいるでしょうから、こまめな調整と共に多くの方がメリットを実感して貰えるようにやって行きます」


 このファラの返事で、ネーナはまだ名前だけの『ヴィオラ商会』の成功を確信する。


「私も出来る限りのお手伝いをさせて頂きますね」

「宜しくお願いします、オーナー」


 ファラはニッコリと笑った。




 ◆◆◆◆◆




 翌日、不在のブルーノを除く【菫の庭園】のメンバーは、短期中期的なパーティーの行動予定を話し合う為に、再び応接室に集まっていた。


「今迄の所、トウヤ殿に関する情報については、あまり優先度を高く考えてなかったんだよな」

「実際、先に片付けるべき案件があったものね」


 オルトの言葉に、フェスタが頷きながら応じた。続けてネーナが発言する。


「でも、トウヤ様の件は主に私の都合です。後々旅をしやすくする為に冒険者になり、行く先で関わった事件や依頼に取り組んで来たのですから、それはそれで良かったのではないかと」

「その状況はもう暫く変わらないだろうな。剣聖についても王国教会についても、全く進展は無し。その二つを調べようと思ったら、それこそAランクやSランクの肩書きが必要なのかもしれない」


 両者共、盗賊ギルドでさえおいそれとは手が出せない相手だ。残念ながら【菫の庭園】は、まだ力が足りないと言わざるを得なかった。


「じゃあ、今あたし達がやるべき事って何があるの?」

「直近で言えばブルーノさんですね。マリアさん達の身請けはあちらでやって貰う事ですが、【四葉の幸福】への移籍前ならばシルファリオへの引っ越し、最初の生活のサポートは我々がすべきではないかと」

「結婚式もね。ちゃんとやってあげないとあの娘達が可哀想だけど、ブルーノに任せてたら進まない気がするの」


 レナとスミスのやり取りにフェスタが加わる。アーカイブまで行ってブルーノの様子を見たフェスタには、強く思う所があるらしかった。


 何気なくオルトが呟く。


「後はスミスを大公国の家族の下に送って、それからエイミーの両親を迎えに行く感じか」


 その一言に、スミスが敏感に反応した。


「順番が逆ですよ、オルト。私もアルテナ帝国には行きます。帰るのが三ヶ月や半年遅れるだけの話です。エイミーのご両親の方が大事に決まっています」

「おじいちゃん……」


 スミス本人がそのように意思を示せば、仲間達もあえて強く反対する理由は無かった。


 当面は【菫の庭園】の短いオフが決まっている。仕事を入れられないその余暇を、商会設立の準備等に当てる事になった。


 ブルーノからパーティー移籍の意思を聞くまでは、彼は【菫の庭園】の一員だ。不在である以上は、事前の連絡や特段の事情もなく、他のメンバーだけで依頼を受ける訳には行かないのだ。


 オルト、ネーナ、スミスはファラと共にギルド支部へ。残りのメンバーは『ヴィオラ商会』の市場調査に同行する為に屋敷を出る事に決め、誕生会はお開きとなった。




 ◆◆◆◆◆




 ギルド支部は朝の忙しい時間が終わり、閑散としていた。ホールにいる冒険者は出遅れて適当な依頼を取り損ねた者や、昨晩の酒が抜けずにサボりを決め込んだ者などだ。


 カウンターに並ぶ者はおらず、ジェシカやエルーシャもそれぞれ別な作業をしていた。


 ファラの手を引いて歩くネーナの姿に、ギルド職員や冒険者の視線が集まる。気安く挨拶をするネーナを見たファラは、何やら考え事をしているようであった。


 オルトがカウンターのジェシカに声をかける。同じ屋敷に住んでいても、仕事中はそれぞれ冒険者とギルド職員。公私の区別はしっかりつけている。


「おはようジェシカ、支部長に会いたいんだがアポは取ってないんだ」

「おはようございます、オルトさん。只今確認を――」


 ジェシカは途中まで言いかけて、オルト達の後ろに視線を送った。そこには、ジェシカが担当する新人の冒険者達がいたのだ。


「バイロン、今帰ったのか?」


 オルトが声をかけると、細身で鋭い目つきをした少年がビクッと肩を震わせた。他に三人いる仲間達も、これから出かけていく冒険者にしてはくたびれていた。


「は、はい。依頼で時間がかかってしまって、無理せず野営しました」

「誰も怪我は無いか?」

「はい」

「じゃあ、胸を張って報告しなきゃな。ジェシカ、彼等を頼むよ」


 バイロンの肩をぽんと叩き、ジェシカに硬貨を数枚渡してオルトが場所を開ける。慌てたのはバイロン達だ。ギルド支部のエースから順番を譲られたのだから。


「バイロンさん、エンリケさん、ノノさん、ドロシーさん、お疲れ様でした」


 ネーナがペコリと頭を下げ、エルーシャに案内されたオルト達がカウンターの奥に姿を消す。


「かっけー……」

「私達の名前まで覚えてるんだ……」


 それを羨望の眼差しで見送る四人の新人冒険者は、トレーに飲み物を乗せたジェシカに促されてテーブル席へと移動したのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る