第九十話 『ヴィオラ商会』創業

「くるしゅうない〜むぐむぐ」


 ハンバーグの切れ端を頬張り、エイミーは幸せそうな顔をした。


「お兄さん、次はグラタンがいい!」

「グラタンな。少し熱いぞ」

「冷まして〜」


 誕生パーティーの主役は注文が多い。それでも、エイミーが普段は我慢している事をわかっている仲間達は微笑ましく見詰めていた。


「サラダも食べなきゃな」

「お肉がいい!」


 満面の笑みを見せるエイミーは椅子から降り、取皿に料理を乗せているネーナの所へ向かう。


「ネーナも一緒に食べよう?」

「う、うん」

「一緒の方が美味しいよ!」


 遠慮がちなネーナの手を引きオルトの左側に座らせると、エイミー自身は右側に座る。オルトは微笑み二人の頭を撫でた。


「とても仲が宜しいのですね」


 声のした方からファラがやって来る。ファラの元部下だという三人も一緒だ。


「ファラお姉さんも一緒に食べよう! はい、『あーん』して?」

「え? あ、あーん?」


 ファラは戸惑いながら小さく口を開け、オルトが差し出したフォークのテリーヌを咥えて咀嚼する。


「あの、お、美味しいです……」


 赤面して言うファラに、エイミーとネーナは笑顔を見せた。


「ファラお嬢様の恥ずかしそうなお顔は新鮮ですね。商会ではいつもキリッとしていましたから」


 ファラと一緒に来た中年女性が言い、他の二人もクスクスと笑う。ファラは更に顔を赤くした。


「変な事言わないで頂戴、ユノ。あの、オルト様にご紹介致します。こちらの三名は、アイルトンの商会で仕事を手伝ってくれていたユノとダンの夫婦、それからチェルシーです」


 三人が名前を呼ばれた順に頭を下げる。最後のチェルシーが口を開いた。


「またファラお嬢様の下で働きたいと、その一心で行き先を必死で調べ、商会を辞してこちらへ参りました。お嬢様を温かく迎えて頂き、心から感謝致します、オルト様」


 そう言って三人が深々と頭を下げる。オルトはにこやかに言葉を返す。


「頭を上げてくれないか。そう畏まった場でもないんだ」

「でも皆さんの生活もあるでしょうに、軌道に乗っている商会を辞めるとは思い切りましたね?」


 ネーナの問いに三人は顔を見合わせ、今度はダンが答えた。


「私達以外にも辞めたがっている者は少なからずいました。旦那様が代表に復帰し、ヒューダーが幅を利かせるようになって商会に未来が無い事はすぐにわかりましたから」

「ヒューダー?」


 ネーナが首を傾げる。憎々しげにチェルシーが告げた。


「お嬢様にしつこく言い寄り、全く脈が無いと知るや裏切った番頭の名です。お嬢様が追放された後、あいつは自分の情婦を従業員にして勤務時間中も部屋に籠もっていました」


 ヒューダーの名を聞いたファラの表情が曇る。


「旦那様は数字だけ、利益だけを見て従業員を叱責する方です。ヒューダーはそれをおべっかでやり過ごし、私達従業員を詰るようになったのです。お嬢様が代表の時は、仕事はしていたのですが」

「そうでしたか……」


 ネーナが僅かに顔を顰めた。以前の業績が落ちていた時の経営陣と業務形態に戻り、番頭が以前より働かなくなったのでは、従業員も失望したに違いない。


「でも私は……こちらでお世話になって冒険者ギルドの嘱託職員になろうとしているの……」


 ファラが言うと、元部下の三人も押し黙ってしまう。オルトは悩ましげに言う。


「俺も全くわからない部分の話だからな……ギルドの方で新しく仕事が出来そうだから、そこをファラにやって貰えたらと考えただけなんだよ」


 話を聞いていた仲間達も名案を思いつかず、ダイニングが静まり返ってしまった。


 そんな中、ネーナがオルトの服の袖を引いた。


「お兄様、お兄様」

「どうした?」

「ファラさんはギルドで、どういうお仕事をされる事になっているんですか?」


 聞かれたオルトがファラを見る。


「支部長様、それと資材担当者様とお話をしまして。Aランクパーティーの【四葉の幸福】様が新たにシルファリオを拠点にされた事で、特に依頼の遂行に必要な消耗品の需要が見込まれると聞きました」

「それと、リチャード達が持ち込むであろうAランク依頼で得た資材の取り扱いだな。今迄、ほぼCランクまでの依頼で回ってきたシルファリオ支部には取り引きのルートが無いんだ。そこを開拓からやって貰う話だったよな?」

「はい」


 ファラが頷く。ネーナは重ねて聞いた。


「その業務は、ギルド所属でなければ出来ませんか?」

「いいえ……ネーナさん、もしかして」

「はい」


 ネーナはニッコリと笑った。


「ファラさん達には、商会を始めて貰いましょう」

「それはいいアイデアです。リスクもありますがメリットでお釣りが来ます」

「メリットって?」


 いち早く賛同したスミスに、レナが問いかける。


「話を聞く限り、ギルド支部の職員をして貰うだけではファラさんの力は勿体無いです。そこを考慮しての嘱託なのでしょうが、それでも縦割りで業務が限定されてしまいますから」

「外部委託にして、裁量を持たせた方が利益を出せるという事ね? でも、初期の運転資金はどうするの? お給料もきちんと出さなければいけないし」


 フェスタの疑問にはネーナが答える。


「ギルド支部を中心に、町の方にも出資をお願いしましょう」

「出資?」

「はい。デメリットも説明した上で、配当の上乗せを目指す方針に納得してくれた方が出資してくれたなら、資本金は確保出来ると思います。全力で成功させなければいけませんけど、商会を町に認知して貰うきっかけにもなりますし」


 ネーナの案に一同が感嘆の声を上げる。チェルシーが言葉を継いだ。


「仮に集まった資金が足りなくても、当てはあります」


 ファラがアイルトンで開拓した取引先は、そのファラが商会代表を解任された事で取り引きを停止したのだという。そればかりか、パイプのある従業員にはヘッドハントの為にファラの消息を尋ねてきた者もあったのだと、チェルシーは言った。


「まあ、資金の心配は要らないだろうさ。すぐに聞きつけて打診してくるんじゃないか。主に大公国方面から」

『あー……』


 オルトが言うと、仲間達の声がピッタリ合って返ってきた。


『学術都市』アーカイブでネーナと懇意になった研究者のフィービーには、匿名で莫大な研究資金が寄付されたのだという。【菫の庭園】一同は、贈り主に心当たりがあり過ぎた。


「それにしても凄いな、ネーナ。よく思いついたもんだ」

「うふふ、お兄様に褒められました! 私も賢者ですから、勉強したんです」


 ネーナが自慢げに胸を張る。


 スミスが脱退した後、パーティーの頭脳を一人で担う事になるネーナは騙されないように悪事についても学んでいた。その中に『出資金詐欺』というものがあったのだ。


「成程な……確かに金を集める事だけ考えたら、出資の仕組みより出資金詐欺のやり方を知った方が役に立つか」

「はい。相手を騙すのでなく、きちんと配当を支払うのなら何の問題もありませんから」

「ネーナさんは商売でも成功出来ますよ。機転を利かせて知識を生かすのは、誰でも出来る事ではないのです」


 オルトだけでなく本職の商人であるファラにも褒められ、ネーナは恥ずかしそうに笑った。


「フェスタ、パーティー資金から幾らか融通出来るか?」

「ええ、後でファラに渡すわね。 折角だから私も、ポケットマネーから出しちゃおうかな?」

「わたしもお小遣いで『しゅっし』っていうのやりたい!」


 エイミーが元気よく挙手をして、一同に笑いが起きる。


「じゃあ、ジェシカが帰って来たら商会の件を相談して、明日にでもファラとネーナ、スミスも支部に行った方がいいかもしれないな。契約の変更もあるから、話は早い方がいいだろう」


 オルトの話を聞いたファラが、元部下の三人に指示を出す。


「貴方達は市場調査をしてくれる?」

「それなら皆さん土地勘も無いでしょうし、誰かついて行った方がいいですよね?」


 ネーナが気を利かせると、再びエイミーが挙手をした。


「わたし、お手伝いするよ!」

「助かります、エイミーさん」


 レナやフェスタも同行する事に決まる。更にファラが申し訳なさそうに切り出す。


「それと、他にもこの場でお願いしたい事があるのですが……」

「ああ、遠慮なく言ってくれ。出来る事ならするさ」


 オルトの言葉に恐縮するファラ。ファラの『お願い』の一つは、ファラ達が起ち上げる商会を【菫の庭園】が起こした形にしたいというものだった。


「具体的には、最初の出資金を【菫の庭園】より受ける事、商会名をパーティー名からお借りして『ヴィオラ菫の商会』とする事、名目上のオーナーをパーティーのどなたかにお願いしたいという事です」


 ファラが求めているのは、『ヴィオラ商会』が【菫の庭園】に関わりのある商会だと表明したいという事である。


「ネーナはどう思う?」


 オルトに聞かれ、ネーナは考える。


 ファラの要求について【菫の庭園】、『ヴィオラ商会』双方にメリットもデメリットもある。だがネーナは、ファラの要求はそれらに関係なく、ファラ達の【菫の庭園】への信頼を形にしようとするものだと理解した。


「いいと思います」

「じゃあ後は、メンバーの承認だな」


 この場にいないブルーノ以外の賛成を経て、ファラの要求が受け入れられた。ホッとしたような表情のファラに、オルトが告げる。


「オーナーはネーナだから。時間があったら商会の事も教えてやってくれるか?」

「えっ!?」


 てっきりオルトが名前を貸すのだと思っていたネーナは、驚きの声を上げた。


「勉強だぞ。俺みたいに相手を傷つけなきゃ解決出来ない人間にはなるなよ」

「…………」


 急にダイニングルームが静まり返る。オルトが困惑を隠せずに言う。


「ど、どうしたんだ?」

「……お兄様のようになるなと言うのであれば、断固お断りします。私はお兄様のようになりたいんです」

「ええ……?」


 ネーナが口火を切り、オルトへの集中砲火が始まる。


「オルトが不良の先輩から助けてくれなければ、私は今ここにはいないのよ?」

「あたしとブルーノだって、あんたが聖堂騎士をボコボコにしてくれたからこうしていられるんだけど?」

「私は、オルトが剣聖に関わる気が無ければ刺し違える覚悟でしたよ」

「お兄さんはわたしの為に、エルフの人に怒ってくれたよ!」

「私もオルト様には、返しても返し切れないご恩があります」


 一頻りオルトへの口撃が済んだ時、ダイニングの扉が開いた。


「オルトさんが矢面に立ってレオンのグループの関心を引きつけてくれたから、私へのいじめが止んだんですよ。法律でも神様へのお祈りでもなく、病気のベルントを助けてくれたのはオルトさん達の『力』じゃないですか」


 そこにいたのは、帰宅したばかりのジェシカだった。もう一度ネーナが口を開く。


「騎士団長との決闘も、『CLOSER』との戦いも。お兄様が勝ってくれたから、今の私があるんです。ご自分が大した事無いような言い方は止めて下さい」

「……悪かったよ」

「駄目です、許しません」


 ネーナはオルトにギュッと抱き着いた。オルトの胸に顔を埋める。


「……罰として、ジェシカさんも含めた皆へのプレゼントを、『ヴィオラ商会』で買って下さい。『初めてのお客様』です」


 チラッと顔を上げてオルトを見る。


「そうね、それで手を打ちましょうか。言っとくけど『罰』だからね? 期待しちゃうわよ?」


 フェスタが両手を合わせて賛成する。オルトはバツの悪そうな顔でネーナの頭を撫で、文句を言った。


「わかったわかった……とんでもないやり手が商会のオーナーになったもんだな」

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