第九十三話 それは則ち、私達の敵です

 三人が到着した時、食堂は既に多くの客で賑わっていた。見れば冒険者らしきグループが祝杯を挙げているテーブルもある。


 報酬の大きな依頼を達成したのだろうか、とネーナは思った。


「あの、お姉さん。後からもう一人来るので、四人で座れる席はありませんか?」

「ちょっと待ってね、可愛いお嬢さん。すぐにテーブル片付けるからさ」


 ネーナが遠慮がちに給仕の女性を呼び止める。女性はニッコリと笑うと、サッと奥のテーブル席を掃除してネーナ達を招いた。


「有難うございます」

「どういたしまして。これメニューね。注文決まったら、また呼んでね」


 慌ただしく立ち去る女性を見送り、ネーナとエイミーがメニューを覗き込む。


「お兄さんお兄さん!」

「ん?」

「わたし、『メニューあるもの全部持ってきて!』って言ってみたい!」

「普通に駄目だろ」


 オルトはエイミーの要求を却下する。これを教えたのはレナに違いないのだ。レナがパーティーに加入した辺りから、オルトはエイミーとネーナの言動に手を焼くようになっていた。オルトはボヤかずにはいられなかった。


「あいつは教育に悪過ぎるな……」


 オードブルの盛り合わせと飲み物を注文し、三人はグラスを合わせる。


「マーサさんいないけど……」

「お兄様のAランク昇格の前祝いです!」

「審査だから、やってみないとわからないけどなあ」


 オードブルをパクつきながら、ネーナとエイミーは酔っ払いのナンパを撃退していた。人目を引く美少女の二人は、店内の男達の関心を独占していたのだ。


 シルファリオやアーカイブならば客も顔見知りで遠慮するのだが、滅多に訪れる事の無いリベルタでは勝手が違う。三人共、マーサと合流し次第店を出ようと思う位には、下心丸出しの男達に辟易していた。


「マーサのお勧めだけあって、料理も酒も美味いんだけどな」

「落ち着いて食事をするのは無理ですね……」


 ネーナを慰めるオルトに、男達の嫉妬じみた視線が突き刺さる。二人とは対照的に地味な容姿のオルトに向けられるのは、『さっさと連れの女達ネーナとエイミーから離れろ』と言わんばかりの男達の敵意だった。


 オルトが苦笑した時、宿の扉が開いた。息を切らせてマーサが駆け込んで来る。マーサはオルト達のテーブルにやって来ると平謝りに謝った。


「ごめん! 居残りの仕事が出来ちゃったんだ。申し訳ない!」

「いいさ、仕事じゃ仕方ない。ただ、マーサが来て早々だが店は出たいな。雰囲気が良くない」

「え? あー……」


 マーサは周囲を見て、状況を理解した。ギルド職員であるマーサが来た事で、多くの者がネーナとエイミーへのアプローチを諦めた。だが酔いのせいか、まだギラギラした視線を二人に向けている者もいたのだ。


「これは予想してなかった……個室を――」


 マーサの言葉の途中で、宿の出入り口付近からどよめきが起こった。そのどよめきは、瞬く間に食堂全体に広がっていく。


 宿の出入り口には四人の男が立っている。そちらを見たマーサが険しい表情になった。


「何だってワドルがこんな所に……取り巻きまで引き連れて」

「あそこのスキンヘッドの方。ギルド本部で私達の傍にいました。あの方が連れて来たのでしょう」


 ネーナが指し示したスキンヘッドの男は、オルトを見つけて自分の隣の大剣を背負った男に伝えている。


「ワドルさん、あそこにいる奴ですよ」

「へえ?」


 ワドルと呼ばれた男が歩くと、取り巻きのような三人の男達が後に続く。


 店の客は面倒事の匂いを嗅ぎつけて、そそくさと帰り始めた。


 ワドルはオルトの前に立った。人を小馬鹿にしたような嗤いと共に口を開く。


「ハッ。お前かよ、今度のAランク昇格審査を受けるって奴は」

「そうだ」

「冴えねぇツラしてやがるな。模擬戦の相手は俺だ。恥かかねぇ内に尻尾巻いて帰んな」


 オルトが短く応じると、ワドルが挑発した。取り巻きが調子を合わせてオルトを嘲笑する。


 オルトとワドルの間に、先程ネーナと話した給仕の女性が割って入る。女性は顔が真っ青になりながらも、毅然としてワドルと対峙した。


「ワドル。あんたはうちのマスターが出禁にしたんだけど。何で入って来てるのよ」

「ギルド職員のあたしもいるんだけどね」


 マーサが一歩前に出る。ワドルは肩を竦めた。


「ギルド職員の出る幕じゃねえよ。俺はAランク冒険者の先輩として、後輩に有難い話をしに来てやったんだ。ペギー、てめぇはまた可愛がられてぇのか?」

「っ! 下衆な男だね! マスター呼んできて!」


 ペギーと呼ばれた給仕の女性が、他の給仕に声をかける。ワドルは舌打ちをしてオルトを見た。


「てめぇは表に面貸せや。連れの女共はここで待ってろ。ちとガキ臭えが中々の上玉じゃねぇか。後でペギーと一緒にベッドで可愛がってやるよ」


 男達はネーナとエイミーの身体を舐め回すように見て、下品な笑い声を上げた。


 オルトが静かに言う。


「俺達は酒を愉しんでる最中だ。用なら別の日にしてくれ」

「酒だったら、俺が好きなだけ飲ませてやるよ。遠慮はいらねぇ」


 ワドルはそう言うなり手近なテーブルの上のジョッキを掴むと、勢い良く中身をオルトにぶちまけた。


 オルトは避ける事もせず、エールで全身ずぶ濡れになる。ネーナとエイミーが悲鳴を上げた。


「お兄様!?」

「あんた何するの!!」


 ワドル達はオルトを見てゲラゲラと笑う。


「うははは! いい男になったじゃねぇか! 女共もこんな臆病者より俺について来い。天国にイカせてやるからよ!」


 ネーナとエイミーはハンカチを取り出し、泣きそうな顔でオルトの頭や身体を拭く。


「お兄様、びしょ濡れです……」

「二人は大丈夫だったか?」

「うん……お兄さんが守ってくれたから……」


 オルトは、真後ろにいる二人の為に敢えて避けなかったのだった。


 ワドルは自分の存在を無視されている事に苛立ち、ネーナの腕を掴もうと手を伸ばした。


「女ぁ! 俺を無視するな!!」




 ――樹氷アイス・ツリー――




「はぁ!?」


 ワドルが間抜けな声を上げる。ネーナに触れようとした指先から、ワドルの腕が瞬く間に凍りつく。


「――汚い手で触れないで下さい」


 辛うじて腕を引いた時には、ワドルの右腕は肩まで完全に凍結していた。意識が凍った腕に向いた瞬間、風を裂いてエイミーの放つ矢が迫る。




 ――力を貸して、風の精霊さん――




 ワドルは慌てて飛び退き、ネーナから距離を取った。エイミーの矢は食堂の客や店員に当たる事なく、不可思議な軌道を描いて天井に突き刺さる。


 ネーナが氷のような冷たい視線で、荒い息をつくワドルを一瞥する。


「ぎゃああぁ!!」


 叫び声の聞こえた方では、弓を構えたエイミーの前で、ワドルの取り巻き達が蹲っていた。三人の足は、鈍く輝く矢に貫かれている。


 エイミーとネーナが険しい表情で言葉をかわす。


「ネーナ。この人、お兄さんの敵だね」

「ええ。それはすなわち、私達の敵です」

「遠慮しなくていいよね?」

「当然です。昇格審査前のお兄様に、余計な手間をかけさせる訳には行きません」

「ちょ、ちょっと無茶だよ! ワドルはAランク屈指の実力者で――」


 マーサが言い終わる前にエイミーが早業で放った矢が、ワドルの両足を食堂の床に縫いつける。


「〜っ!?」


 激痛にもワドルは叫ぶ事さえ出来ない。ワドルの身体を侵食する氷が口元をも覆っていたからだ。


「……お兄様を侮辱し、お兄様に害を為す者。許しはしません」


 怒りに燃えるネーナの目の色が、文字通りに変わる。元は青い両の瞳が、それぞれ紅と翠に輝き始めた。




 ――我は命じるコマンド――




「それをやるのか!?」


 ネーナの詠唱を聞いて慌てたオルトを、エイミーが止める。


「お兄さん大丈夫。ネーナもおじいちゃんと練習したんだよ」

「そ、そうなのか?」


 心配そうなオルトの前で、ネーナの詠唱が完成する。ネーナが何を召喚するのか、オルトも知らないのだ。


 念の為、オルトは剣の柄に手をかけた。




 ――開け時空の門オープン・ザ・ゲート来たれコール――


不壊の天鎖グレイプニル!!』

「ぐおああああ!!」


 ワドルの周辺に突如として現れた空間の裂け目より、数本の鎖が飛び出してワドルに巻き付いた。


 光すら喰らうかのような漆黒の鎖は、ワドルを拘束する氷の塊さえ砕きながらその身を締め上げる。塞がれていた口が開いたワドルが絶叫する。


 ゴキゴキ。バキッ。


 嫌な音が食堂に響く。骨を砕かれ自身を支えられなくなったワドルが崩れ落ちる。


 すると、ワドルを締め上げていた漆黒の鎖が音も無く消滅した。ワドルは口から泡を吹き、意識を失っていた。一部始終を見ていたワドルの取り巻き達は、身動きの取れない状態のまま恐怖で失禁している。


「ネーナ」


 オルトがよろめくネーナを抱きかかえる。ギルド職員マーサがワドルに駆け寄り、状態を確かめる。


「……頑丈な奴だね。しっかり生きてるよ」


 その言葉にオルトは安堵した。以前とは違い、ネーナは術を制御出来ていたのだ。スミスと共に行ったという『練習』の成果だ。




「……おい、今の見てたか」

「見てたけど信じられない。あの娘達、ワドルも取り巻きもまとめて熨しちゃったわよ。一体何者なの?」

「最後の魔法は何だありゃあ? 見た事無ぇぞ?」


 シンと静まり返っていた食堂の客がざわめき始めた。一様に、目の前で起きた事を受け止められずにいるのだ。


 その中でオルトは、食堂の奥の、誰もいない壁に視線を向けていた。


「……品の無い奴がいるな」

「お兄さん?」

「一本貰うぞ」


 オルトはエイミーの手から矢を受け取りざま、壁に投げた。


「えっ!?」


 エイミーが驚きの声を上げる。矢が壁に当たる直前、血飛沫が飛んだからだ。その直後、近くの窓が割れて何かが外に飛び出した。


「逃げたか。まあいいさ」

「気がつかなかった……」


 気配を察知出来なかったエイミーが落ち込むが、オルトが慰める。


「戦ってた相手のワドルも結構やる奴だったからな。余所見してたら大怪我したかもしれん。ネーナは大丈夫か?」

「はい」

「そうか。二人共、大したもんだ」


 オルトは二人の頭を撫で、戦果を称えた。二人は誇らしげな笑顔を見せる。だが、オルトを見上げたネーナの笑顔は凍りついた。


「お兄様! 唇が紫色になってます!」

「ああ、これな……」


 気まずそうなオルトを見て、エイミーは理由に思い至った。


「あ、ネーナがびしょ濡れのお兄さんの傍で、氷魔法を使ったから……」

「あわわわ、ごめんなさい!!」


 大騒ぎするオルト達に、慌ただしく事後処理に当たっているマーサが呆れた顔をする。


「いいよ。後はこっちでやっとくから、あんた達はさっさと部屋に戻んな。オルトは明日が審査なんだからね」


 オルト達は、マーサの言葉に甘えてそそくさと部屋に向かうのだった。

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