第九十四話 最早、老害でしか無ぇよ

「はあ。そうですか」


 オルトは熱に浮かされぼんやりとした頭で、ギルド職員の説明に返事をした。前日に冷えた酒をたっぷり浴びせられてずぶ濡れになり、ネーナが使った氷魔法で身体の芯から冷やされたオルトは、しっかりと風邪を引いてしまっていた。


 カウンターにやって来たオルトの対応をしたのは、いつものマーサではなかった。マーサは前日の一件の事後処理にかかりきりで、カウンターに出るどころではなかったのだ。


 マーサに代わって対応した男性のギルド職員は、オルト達に『Aランク昇格を審査する為の模擬戦の対戦相手が、重傷を負って入院してしまった』と告げた。


 それはそうだろう、という感想しかない。オルト達はその場にいたどころか、その件に直接関わっているのだから。


 ワドルとその取り巻きは、ネーナとエイミーから盛大な制裁を食らって治療院に担ぎ込まれたのだ。それこそ万能薬エリクシールか高位治癒師の法術でもなければ、すぐに完治するようなダメージではない。


 職員の話を聞いたネーナは、少し挙動不審になっていた。直接ワドルを叩きのめしたのはネーナだが、彼女に非がある筈もない。オルトは頭を撫でて、ネーナを安心させた。


「だったら、審査は延期か中止という理解でいいのか? それなら俺達は帰らせて貰うが」

「それは――」

「当然、審査は行う」


 ギルド職員の言葉を遮り、カウンターの奥から男が現れた。中肉中背、壮年から初老に差し掛かろうかという見た目の引き締まった肉体。髪は後ろで一つに纏められている。


「コンラート統括!」

「ああ、そのままでいい」


 立ち上がろうとしたギルド職員を手で制し、コンラートと呼ばれた男はカウンターまでやって来た。後ろには神官服を着た男性が一人、眼鏡をかけ書類を手にした女性と、長いストレートの黒髪が印象的な女性、計三名が続いている。


「君が【菫の庭園】のオルト君だな。それとネーナ君にエイミー君。話は聞いている。私はギルド本部の冒険者統括をしている、レックス・コンラートと言う者だ」

「冒険者統括?」


 コンラートはオルトの問いに頷きを返した。


「冒険者の風紀や強化、その他冒険者に関する多くの事柄を担当する役職だ。リベルタが直接の管轄区域になっている」

「……そうか。わかった」


 オルトの僅かな気配の変化に気づいたネーナとエイミーが、ガバッと顔を上げる。怠そうだったオルトの顔から、表情が消えていた。


「審査の時間と場所、方法を教えてくれないか」

「方法は変わらず模擬戦を考えているが、時間と場所も含めて君に任せる。やれるのなら、今すぐにでも構わないが」


 コンラートはニヤリと笑う。後ろの三人も笑っていたが、オルトの返事で笑みを引っ込めた。


「ならば今すぐにしてくれ。本部で模擬戦に使える場所がある筈だから、そこでやろう。俺の相手は誰だ?」

「……私が戦ろう」


 少しの間の後にコンラートが答えると、オルト達のやり取りを聞いていたギルド本部のホールにどよめきが起きた。


「コンラートが出るのか!?」

「今リベルタにいる、唯一のSランク冒険者だぞ」

「伝説の棒術をこの目で拝めるなんて、ツイてるぜ!」


 無責任に騒ぐ野次馬達を横目に、眼鏡の女性がコンラートに訴えた。


「Sランク冒険者のコンラート様が自ら出られる必要はありません! 模擬戦は別の者にやらせて下さい!」


 オルトは女性を一瞥した後、コンラートに告げる。


「出来ないのならそう言ってくれ。俺は『今すぐでも構わない』と言われた通りにしただけだ。模擬戦をやる場所はどこだ?」


 オルトはギルド職員に案内を促し、歩き出す。コンラート達はオルトを睨みつけて後を追った。


「ネーナ……お兄さんの顔、見た?」

「物凄く怒ってます……」


 オルトに言葉をかける事も出来ずに立ち尽くしていたエイミーとネーナも、慌ててオルトを追いかける。


 二人共、このようなオルトを見るのは滅多にない事だった。




 ◆◆◆◆◆




 オルト達はギルド本部の地下にある闘技場へとやって来た。観客席にはどこから模擬戦の話を聞きつけたのか、冒険者達が続々と集まって来ている。


 闘技場の中心付近にいるオルト達のやり取りは、拡声魔法で場内に聞こえていた。


 オルトがコンラートに尋ねる。


「模擬戦のルールは?」

「長引く事は無いだろうが、十五分としておこう。片方が戦闘不能になったり、危険な状況に陥るダメージを受けたらそこで終了だ。なに、オルト君がAランクに相当する実力があるかどうかを見るのが目的だから、心配は要らない」

「わかった」


 審判を務める神官服の男、そして模擬戦を行うオルトとコンラート。三人を除く者達が観客席へと下がって行く。


 心配そうな表情のネーナとエイミーを見て、オルトはフッと笑った。ふわりと抱きしめられた二人はオルトの笑みに安堵し、観客席の最前列に腰を下ろした。


 振り返ってコンラートを見たオルトの顔からは、再び表情が消えていた。コンラートが苦笑する。


「オルト君。何か私に言いたい事があるようだが?」

「……会話は客席にも聞こえているぞ」

「私には疚しい事など無いよ」


 コンラートが本心から言っているのを感じ取り、オルトは溜息をついた。


「ならば聞く。何故ワドル達の非行を放置していた? あれは昨日今日の話ではないだろう」

「放置はしていない。ギルド本部として指導を行っている。昨日の一件は遺憾ではあるが、そういう事はあるものだ。それに、リベルタには『冒険者同士のトラブルは冒険者同士で収める』という不文律がある」


 流れるようにスラスラと弁明をするコンラート。リチャードが言ったものと少し内容は違うが、古い不文律を持ち出して自らに問題は無いと主張した。


 オルトの表情が険しくなる。


「効果の無い指導は放置と同義だ。それに昨日の一件は、ワドルが出入り禁止を告げられている食堂に侵入した時点で『冒険者同士』の話ではないだろう。『覗き趣味の間諜』から報告は受けているはずだ」

「っ!?」


 オルトが観客席にいる黒髪の女性を指し示す。女性は怒りと羞恥で顔を真っ赤にした。オルトは前日に矢を当てた相手の正体を、現場に散った髪の毛を見て掴んでいたのだ。


「あの女、昨日だけワドルを見ていた訳じゃないよな? 以前に冒険者でない女性が乱暴されている所も見ていたんじゃないのか? それは指示でなく、あいつの趣味だとでも言うつもりか?」


 観客席がざわめき出す。黒髪の女性は、激しい憎悪を込めてオルトを睨んだ。


 眼鏡をかけた女性が、慌てて闘技場の拡声魔法を解除する。だが、会話は依然として闘技場内に拡散されたままだ。


「どうして!?」


 愕然とする女性の目に、拡声魔法を行使するネーナの姿が映る。黒髪の女性が阻止しようと動き出した時、その足下に数本の矢が突き刺さった。


「あのおじさん、『疚しい事など無い』って言ったよね? みんなに聞こえても構わないよね?」


 油断なく弓を構えたエイミーが言う。コンラートは忌々しげに舌打ちをした。


「……それは遺憾な事だ。再調査を行い、ワドルには厳しい処分を――」

「茶番はやめろ、コンラート。俺は、お前達全員の責任の話をしているんだ」

「…………」


 コンラートが沈黙する。眼鏡の女性は、周囲からの咎めるような視線を感じて俯いてしまう。観客席で見ているネーナは、オルト達のやり取りを聞く冒険者達も『冒険者統括』としてのコンラートには少なからず不満を持っているように感じていた。


 オルトはコンラートを問い詰める。


「『冒険者統括』のお前には、カビの生えた不文律の運用の変更や、排除をする権限がある筈だ。ワドルの被害は、お前が拡大させたも同然だ。何を考えていたんだ?」

「……冒険者は強くあるべきだ。ワドルは力があり、実績もあった」

「寝言かコンラート? それともボケてるのか? 話が通じる気がまるでしないぞ」


 オルトが呆れたように言う。


「『ワドルが実力を示した』というのなら、俺も力を見せなければこれ以上の会話は無理なのだろうな。だったら戦ろうか――」


 オルトは先程の意趣返しとばかりに、ニヤリと笑った。




 ――『やれるのなら』、な。




 暫しの静寂の後、観客席が沸き返る。


「何だあいつ! Sランクのコンラートを煽ってやがる!」

「昇格審査ならBランクでしょ!?」

「イカれてるぜ! だが面白れぇ!」


 熱狂する観客席で、ネーナとエイミーも大興奮していた。


「はうぅ、お兄様が物凄く悪そうな笑い方をしています」

「お兄さん格好いい!」


 そんな二人に、後ろから聞き覚えのある声がかけられた。


「大将は相変わらずブッ飛んでんなあ」

「だってオルトだもの」


 勢い良く振り返る二人の目に入ったのは、大きな戦斧を背負った禿頭の戦士と、にこやかに手を振る赤髪の小柄な女性。その後ろに神官と弓使いもいる。


「ガルフさん!? ミアさん! ショットさんにルークさんも!」

「おじさん達もリベルタに来てたの?」


【禿鷲の眼】の四人はネーナとエイミーをガードするように周りを囲う。ミアが二人を抱きしめる。


「二人共、前よりもっと可愛くなっちゃって!」

「ミアお姉さんも美人だよ〜」


 上機嫌なミアに苦笑するガルフは、ネーナを見てニカッと笑った。


「一度、故郷に戻ろうと思ってな。その途中でリベルタに立ち寄ったんだ。まさか、大将と嬢ちゃん達がいるとは思わなかったけどな」

「フェスタとスミスは?」


 ミアに聞かれて、ネーナは事情を説明した。ミアが驚きを隠せずに言う。


「私達も、最近のリベルタが物騒だって話は聞いてたの。でも、二人がやっつけたワドルってバリバリのAランクよ? 貴女達に怪我が無くて良かったわ」

「大将の妹だってんなら、それ位はやるだろ。なあ?」


 ガルフが当然のように返すと、ネーナとエイミーは嬉しそうに笑った。


 ワドルが昇格審査の為にリベルタに来たBランク冒険者に対し、何度も嫌がらせや暴行をしていたという噂はガルフも知っていた。審査を断念した冒険者もいたのだと教えられ、ネーナ達は怒りを覚えた。


「ギルドの冒険者統括がどう絡んでたのかは知らんが、酷え話だな。最早、老害でしか無ぇよ」


 ネーナ達が見守る中、闘技場の中央では今にも模擬戦が始まろうとしていた。




「私が言い出した事だ、模擬戦はする。だがこのような場所に長居する気は無い。君にこれ以上時間を割くつもりも無い」


 不愉快そうに告げるコンラート。対するオルトは視線を軽く受け流す。


「心配せずとも模擬戦はすぐ終わるさ」


 チラリと観客席に目を向けると、ネーナとエイミーと共に【禿鷲の眼】一行がいるのが見えた。ミアが大きく手を振り叫ぶ。


「やっちゃえ『刃壊者ソードブレイカー』! ロートルなんてブチのめせ!」


 声に応えるようにオルトが片手を上げると、観客席が沸いた。コンラートが顔を顰める。


「審判。開始の合図を」


 オルトに促され、模擬戦開始のコールが告げられる。


「で、では――始めっ!!」




『――正直、俺が怒っているのは一つだけ。お前がワドルのようなクズを野放しにしたせいで、俺の妹達がトラブルに巻き込まれた事だ』


 オルトの姿が闘技場のフィールドから掻き消える。コンラートの目が大きく見開かれる。


 次の瞬間、コンラートの目の前に現れたオルトは相手の鳩尾に渾身の右拳を叩き込んだ。


 ズンッ。


 闘技場の隅にまで、鈍い音が大きく響いた。


「おゲェろッ!!」


 形容し難い呻き声と共に、コンラートが盛大に嘔吐物を撒き散らす。


 白目を向いたコンラートは身体をくの字に折り、自らの嘔吐物まみれの床に顔から突っ込んだ。


 衝撃的な結末に、静まり返る闘技場。


 オルトは冷たくコンラートを見下ろし、吐き捨てるように言った。




「あの娘達がかすり傷の一つでも負っていたら、この程度じゃ済まさなかったぞ」

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