第九十五話 冒険者ランクの価値
「こ、コンラート様!」
審判である神官服の男性が、倒れているコンラートに駆け寄った。治癒法術を行使するとコンラートが意識を取り戻し、小さく声を上げる。
「う……」
「しっかりして下さい!」
抱き起こされたコンラートは、周囲を見回して状況を理解する。視界にオルトの姿を認め、目を見開いた。
そのオルトは、コンラートを置いて審判に問いかける。
「さて、どうしたものかな。審判が模擬戦の終了も中止も宣言しないまま、一方の対戦者に治療を行ったんだが」
「そ、それは……」
観客席の冒険者達が騒ぎ始める。一部では賭けも行われていたのだ。このままでは勝敗を決める事が出来ない。
「いいぞ、続行で」
「え?」
オルトが事も無げに言うと、審判の男性は驚きの声を上げた。声こそ無いが、コンラートも同じような顔をしている。
「模擬戦は続行中で、対戦者のコンラートにダメージは無い。『次に対戦者本人以外の者が治療を行う事態になったら、治療を受けた者の敗北で模擬戦終了』のルールを追加して貰うのが条件だがな」
オルトはそこで、コンラートの目を見据えた。
「何より、コンラート。俺がAランクに相当する実力があるのか、全く見てないだろう?」
「っ!!」
コンラートの顔が屈辱で歪む。観客席の冒険者達がドッと笑った。
オルトは事実を指摘しただけだ。コンラートは模擬戦開始直後にオルトの姿を見失い、視認したのとほぼ同時に意識を失ったのだ。
だが他者に、それも自らが見下していたオルトから、衆人環視の中でその指摘を受ける事はコンラートにとって耐え難い屈辱であった。
「……その通りだ。全く不覚の至りだが、これは昇格審査の為の模擬戦だ。次はしっかり見せてもらおう」
観客席からの野次に怒りを滲ませながら、コンラートが応じる。
対戦者の二人はそれぞれの位置につき、模擬戦再開の合図を待った。
「あら、再開するのね」
「何だかわからない内に気絶したからな。夢を見ちまうんだろうぜ」
フィールドの中央を見るミアの言葉に、ガルフが肩を竦めながら応える。
「俺は大将の相手なんて、いくら金を積まれても御免蒙るがな」
ネーナが苦笑するが、エイミーは何かを探すようにキョロキョロと周囲を見回した。
「どうしたの、エイミー?」
「レナお姉さんの声がしたよ」
ネーナが首を傾げる。そんな筈はないのだ。シルファリオからリベルタに来たのは、自分とオルトとエイミー、三人だけなのだから。
「エイミー! ネーナ!」
だがその聞こえない筈の声を、今度はネーナも聞いた。二人で顔を見合わせ、声の主を探す。
「ネーナ、あそこ!」
エイミーが指差す方向に、立ち見の観客から頭一つ抜けたブルーノの姿が見えた。偶にピョンと飛び跳ねてネーナ達を覗うレナの顔も見える。
「やっと合流出来た……何なのこの騒ぎ。今度は何やらかしたの、あいつ?」
レナの言い草に一同は苦笑する。勿論、レナが本気でそう言っている訳でないのは、仲間達はわかっていた。レナの顔は言葉と裏腹に楽しげだからだ。
「いやどっちかってーと、今回暴れたのはこっちの二人みたいだぜ?」
気まずそうに笑うネーナ達を指差すガルフを見て、レナが首を傾げる。
「あらそうなの? それでおじさんはどちら様? あ、あたしは【菫の庭園】のスカウトやってるレナよ」
「その人は【禿鷲の眼】のリーダーのガルフ。レナとブルーノがうちに入る前、同じクエストを受けた事があるの」
大柄なブルーノの後ろから顔を出したフェスタが、レナに説明する。疲れた顔のスミスも続いていた。
「レナお姉さん!」
「フェスタ、久しぶり」
「また逢えて嬉しいわ、ミア」
エイミーがレナに抱きつく横で、フェスタとミアが再会を喜ぶ。ガルフはパーティーメンバーのショットが硬直しているのに気づいた。
「ショット、何で固まってるんだ?」
尋ねられたショットは口をパクパクさせながらブルーノ達を指差した。
「いやだってこの方達、護教神官戦士団の『鉄壁のブルーノ』殿と、『聖女レナ』様ですよ?」
「聖女レナって、勇者パーティーの聖女レナか? さっき『スカウト』って言ったぞ?」
二人のやり取りを聞いたレナが苦笑しながら手を上げる。
「あー、そんな固くならないで。昔はそう呼ばれたけど、あたしら今は【菫の庭園】のレナとブルーノだから。ストラ聖教とももう関係ないし、普通に話してくれる?」
「勇者パーティーメンバーが三人いたら、それもう勇者パーティーじゃねえか……」
ガルフが絶句している。フェスタはフィールドの中央にいるオルトを見た。オルトもフェスタの姿を見つけたらしく、驚いた顔をしている。
フェスタは笑顔で手を振った。
「始まりそうね。話は見ながらにしましょうか」
フェスタの提案に従い一同がフィールドに目を向けると、審判が模擬戦再開をコールしようとしていた。
「始めっ!」
審判の合図で、オルトは意識をコンラートに戻した。
「へえ?」
オルトが呟く。コンラートが猛然と距離を詰めて来たからだ。
オルトは腰に剣を提げている。コンラートが手にしているのは、棒状武器の『棍』だ。自分が先に長い間合いを確保し攻撃を仕掛け、相手に手を出させない。コンラートの意図が透けて見えた。
「シッ!」
気合と共にコンラートが踏み込み、棍を突き入れる。
半身で躱すオルト。だがその胸が、バッサリと裂けた。二撃め、三撃めとも同じように、棍の直撃を回避したオルトの身体が切り裂かれる。
「風の刃か……だったら」
オルトは四度めの突きを躱さず、身体の手前で無造作に掴んだ。コンラートがしてやったりと笑う。
「ハハハハ! そんな事で止まるものか!」
言いながら棍を抉るように回転させる。棍を掴むオルトの左手が裂け、血飛沫が舞う。
――パキッ。
何かが割れたような音が響き、同時に棍の回転がピタリと止まった。
「ぬうッ!?」
コンラートの声に焦りが滲む。押しても引いても、棍は微動だにしない。
「――再開してくれて助かった。俺の妹は二人いるから、もう一発くれてやらないとな」
オルトは言いながら、いつの間にか右手に握られていた剣を鞘に納める。
「馬鹿な! 『鎌鼬』を斬ったというのか!?」
「色が着けば視えるさ」
「まさか血で!? ま、待て――」
「待たん」
オルトは短い問答の後に、左手の棍を強く引いた。コンラートが体勢を崩す。
オルトが右拳を強く握り締める。コンラートは恐怖に満ちた表情で目を瞑り、
直後、オルトの右拳がコンラートの
ゆっくりと宙を舞ったコンラートの身体が、フィールドに叩きつけられる。闘技場は再び静まり返った。
オルトは審判を見た。
「治療するなら早くしてやれ」
「へ!? あっ、こ、コンラート様!!」
審判が慌ててコンラートに駆け寄る。観客席を見れば、眼鏡の女性はへたり込み、黒髪の女性は倒れたコンラートを呆然と見つめていた。
「お兄さん!」
「お兄様!!」
横からエイミーの声が聞こえると同時に、オルトは押し倒された。駆けっこで敵わなかったネーナは不満そうにやって来て、オルトの手当てを始める。
「癒やし手は三人いるんだけど、お邪魔っぽいわね」
「レナ。フェスタ達も。何かあったのか?」
「ネーナ、あれ見せてあげて」
フェスタに促されて、ネーナが一通の手紙を開いてオルトに見せる。それは都市国家連合の一角を形成する北セレスタの冒険者、メラニアが差出人となっていた。
「オルト達がシルファリオを出た後、速達で届いたの。ネーナ宛てで悪いと思ったけど、今までメラニアからそういうのは無かったから中を見せて貰って。皆で相談してリベルタに来たの」
手紙には、真面目なメラニアには珍しく、挨拶が省かれた短い内容が記されていた。
『
「お兄様……」
ネーナが不安そうな顔をする。メラニア達のパーティー【運命の輪】とは、【菫の庭園】一行が北セレスタに立ち寄った際に親交があった。
リーダーのメラニアの特技に『カード占い』があり、よく当たると評判なのだ。そのメラニアが『嫌な予感』を覚えたというなら、オルト達に笑い飛ばす事は出来なかった。
オルトは立ち上がり、フェスタに問いかける。
「出発の準備は?」
「出来てる。三人の荷物はブルーノから受け取って。私達は早馬を飛ばして来たから、
「頼む」
フェスタは頷くと、闘技場の外へ向かおうとする。それをガルフが呼び止めた。
「俺も行く。『速い足』なら当てがある」
「助かるわ、お願い」
二人が走り去る。レナがオルトに声をかけた。
「これ結局、昇格審査はどうなるの?」
「さあな」
「勿体無くない?」
レナがオルトの顔を覗き込む。ネーナとエイミーもオルトを見上げていた。
オルトはキッパリと言った。
「仲間が危ないかもしれない。そうであれば僅かな時間も惜しい。冒険者ランクに仲間以上の価値があってたまるか」
途端に闘技場全体が大歓声に包まれた。ネーナが呟く。
「あ、拡声魔法を解除していませんでした……」
「流石リーダー、良い事言うね!」
レナがバシバシと、オルトの背を叩く。それをよそに、スミスは呻いているコンラートの前に向かっていた。
「スミス様?」
呼びかけるネーナに応えず、スミスは足を止めてコンラートを見下ろす。
「久しぶりですね、コンラート。話は聞きましたよ。大方オルトの実力を見誤って、自分の噛ませ犬に使おうとして失敗したのでしょう。貴方も変わりませんね」
コンラートは返事をせず、憎々しげにスミスを睨みつけた。スミスは構わず話し続ける。
「一つだけ言っておきます。彼は『私達』の宝です。つまらない見栄の為に絡めば、私やエイミー、レナは勿論の事、バラカスやフェイスも黙ってはいませんよ」
スミスはそう言い捨てると、「さあ行きましょう」と仲間達を促した。コンラートは最後まで言葉を発する事は無かった。
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