第三十二話 真の自由
ネーナ達【菫の庭園】は、事後処理を騎士や兵士に任せて国境の町モンペリに戻って来ってた。エルネストや【禿鷲の眼】と共に、国境守備隊の敬礼に迎えられて町へ入る。
騎士のエルネストを伴って来たのは、検問所の再開を働きかけて貰う事と、冒険者ギルドに提出する緊急クエスト達成の証明書を発行して貰う為である。
オルトがモンペリの国境守備隊長からクエストの報酬と証明書を受け取ったのを見届けると、エルネストは慌ただしくポープルへ戻って行った。
検問所の前で、二つのパーティーのメンバーが別れを惜しむ。ごく短い間の付き合いながら、二つのパーティーには同じ目的に向かった仲間意識のようなものが生まれていた。
「改めて。うちのミアを助けてくれて感謝するぜ、『
「それはやめてくれ……」
リーダー同士が握手を交わす。エルネストとの会話の一部を聞かれていたと知り、オルトは内心で頭を抱える。
「ネーナの嬢ちゃんは体力つけろよ。冒険者は何より体力だからな。しっかり食って、しっかり寝て、しっかり働いてれば嫌でも体力はつく」
「はい!」
「それだけじゃ体力馬鹿になるけどね」
ネーナが生真面目に返事をすると、ミアがすかさずリーダーのガルフを茶化す。パーティーメンバーの息の合ったやり取りで、一同に笑いが起こった。
「俺達は西へ向かうから、ここでお別れだ。また会おうぜ、【菫の庭園】」
「『嘆きの荒野』は厳しい場所よ。くれぐれも気をつけてね」
【菫の庭園】一行に、ガルフとミアが声をかける。馬車が動き出すとネーナとエイミーは荷台の最後尾に並び、【禿鷲の眼】の面々が見えなくなるまで手を振り続けていた。
「…………」
「寂しいか?」
ネーナはオルトに問われて、コクリと頷いた。
御者台にはスミスとエイミーが座っているので、他の三人が荷台にいる。オルトは御者をしようとしたが、多数決で否決されてしまったのだ。勿論これは、ポープルでの消耗が激しかったオルトへの、仲間達からの気遣いである。
「西へ向かうって言ってたけど、あっちはあっちで目的があるみたいだしね。どこかでまた逢いそうな気もするけど」
「目的?」
フェスタの言っている事の意味がわからず、ネーナは聞き返した。フェスタに代わってオルトが答える。
「彼らは、軍属だ。帝国出身だと言っていたろう?」
「軍属……」
「そうね……わかりやすく言えば、『密偵』って事かな」
一口に密偵と言っても、目的は様々だ。対象の機密や弱みの情報を得ようとする者もあれば、どこかに腰を据えて一般人として暮らしたり、広く世間を流れて様々な情報を見聞きする者もある。
【禿鷲の眼】は後者の密偵だろうとオルトは考えていた。ネーナ達が大公国に密入国した時の案内人も、大公国が王国に放った密偵である。
「何となくね、階級というか彼ら四人の序列みたいなものが見えるのよね。ガルフが一番上で、その次がミア。残り二人は同等。靴も支給品みたいなのだったし」
「俺は山で、ミアに直接聞いたけどな。お互い含む所も無いし」
「全く気づきませんでした……」
冒険者という職業自体、間口が広く他の職種に比べて素性が問われにくい。現実にネーナ達が潜り込んでいるのだ。他の者が冒険者の肩書きを隠れ蓑に使っていてもおかしくない。
「彼等が密偵だとするならば。旅の冒険者として行った先の人々と触れ合ったり、その土地の店や冒険者ギルドに出入りして依頼をこなす事こそ、彼等の目的であり役割なのですよ」
御者をしているスミスが振り向いた。
「……見聞を広め、知り得た事を全て報告するのが目的になるのですね? スミス様」
「その通『痛てえっ!?』りです」
「?」
ネーナは何か聞こえた気がして首を傾げたが、すぐに話を戻した。
その時、その情報自体に価値は無くとも、後で価値が生まれるかもしれない。他の情報と組み合わせて意味が生まれるかもしれない。それは本国が考える事。密偵はひたすら情報を集め、伝えるのみ。
「今回、彼らはポープル周辺にアンデッドを輩出した地下墳墓が存在するという情報。それから国境の町モンペリを中心とするエリアの、緊急事態対応で見えた練度の高さが収穫だった事になりますね」
「もう一つ、オルトにスミスにエイミー。少なくとも三人がとんでもない凄腕なのにEランクの冒険者パーティーが、大公国から『嘆きの荒野』に向かったって事もね」
フェスタの補足を聞き、ネーナは傍らに座るオルトの顔を見上げた。
「いいさ。どの道隠れ続けるには限度があるし、行動の制約が大きい。このままランクを上げて冒険者としての地位を確かなものにするのは、俺達が目指すべき所かもしれないな」
冒険者ギルドは国を跨いで多くの支部を持ち、建前上は国家も干渉する事が出来ない。それはネーナも聞いた事がある。所属の冒険者が罪を犯した場合も、ギルドが独自の裁定を行う事すら出来る。
ギルドも一目置くAランク、Sランクの冒険者になれればネーナの目的にも近づくし、王国も迂闊に手出し出来なくなるだろう。
「ああ、それと。今は都市国家連合の新興国、『自由都市』リベルタを目指しているんだ」
「リベルタって、冒険『ぐわっ!?』者ギルドの本部がある国よね?」
「そうだが、それが主目的ではないな」
「…………」
オルトとフェスタのやり取りの間、ネーナは微妙な表情で沈黙していた。何か変だと、ネーナは思った。
「『リベルタの空気は人を自由にする』ですね? オルト」
「流石スミス。でも、今回大事なのはその後の方なんだ」
「ああ、なる『くそがっ!』程」
「あの……お兄様?」
「お兄さーん!」
ネーナが違和感の正体についてオルトに聞こうとした時、それに被せるように御者台のエイミーがこちらを向いた。手には弓が握られている。
「まだ来るのか? エイミー」
「大公国を出てからずっとだよ〜」
「検問所を出た時から見られてたって事か?」
「そうだと思う〜」
ネーナは幌の隙間から馬車の後方を覗き見て、息を呑んだ。
馬や駱駝に乗った男達が、ネーナが乗る馬車を追走していた。色とりどりのモヒカンやスキンヘッドといった奇抜な頭、破れた革のパンツに金属の鋲が無数に打たれたベストやジャケット。露出した肌には文字や模様が描かれている。
異様な出で立ちの集団が喚きながら追いかけてくる。ネーナ同様に幌の隙間を覗いたフェスタが、男達の正体を教えてくれる。
「あれは野盗ね。捕まったら、特に女性は死んだ方がマシだと思うような目に遭わされるでしょうね」
「…………」
王国にも野盗はいた。でも、目の前の野盗はそれらとは違うように感じられた。エイミーが苛ついたように叫ぶ。
「もう! ヒャッハーヒャッハー煩い!」
「代わるか?」
「大丈夫。だけど馬車の横に回ったり、方向を誘導しようとしてるみたい〜」
「とりあえず警告射撃し『したよー!』て、それでも接近するのは倒していい。進路を妨害するやつもな」
「わかった!」
返事をしながら、エイミーが流れるような動きで次々と矢を放っていく。後方の怒号や悲鳴が瞬く間に遠ざかり、暫くすると付近は静かになった。
周囲を確認し、エイミーが振り返った。
「お兄さん。もう来ないと思う」
「お疲れさん、エイミー。スミスも交代しよう。十分休ませて貰ったから」
「助かります。ちょっと腰に来たので、お言葉に甘えましょうか」
「私は前がいい〜」
オルトはスミスと入れ替わり、エイミーにぐりぐりと頭を擦りつけられている。荷台に腰を下ろしたスミスに、フェスタが飲み物を手渡した。
「ネーナ。驚きましたか」
「はい、少しだけ」
スミスに聞かれ、ネーナは正直に頷いた。
「この『嘆きの荒野』で求められるのはただ一つ。力です。人も魔物も、こちらの事情は斟酌せず襲いかかり、奪っていきます。この大地で生き延びるには相手を上回る力を持ち、それを示す他ありません」
「…………」
嘆きの荒野。かつての歴史ある王国の残滓。権力闘争の果てに、とある貴族が異世界との『門』を開いて軍事利用する事を画策したが失敗。魔族に蹂躙されて滅びたという。
諸国が一致団結し辛うじて『門』の破壊に成功したが、大きな犠牲を払っての勝利となった。この時もサン・ジハール王国は勇者召喚を行い、事態の収束に多大な貢献をしている。
住民の大半を失った国土は強力な魔物が徘徊する不毛の大地となり、王国滅亡後はどの国も領有を宣言せず。現在まで完全な無国籍地帯となっている。
スミスは杯を呷って喉を潤し、言葉を継いだ。
「これが国の庇護を得られない世界です。ここでは、何者であろうと命のやり取りを避ける事が出来ません。生きる為に、です。これが真の自由なのです」
「真の、自由……」
「自由な職業と言われる冒険者も、似たような所はあるかもしれませんね」
ネーナはスミスの言葉を噛みしめる。
【菫の庭園】はネーナの目的の為に、『嘆きの荒野』に足を踏み入れた。早速その『自由』の洗礼も受けた。
仲間達はネーナを守り、ネーナの目的を果たす為に戦ってくれる。だけどネーナ自身には何の力もなく、襲って来る敵を倒す覚悟さえ無かった。
ネーナはオルト達を『仲間』と呼ぶが、そんな歪な関係性を『仲間』と言っていいのか。漠然としていたネーナの気持ちが、固まってきていた。
――皆の『仲間』になりたい。連れていってもらうのではなく、皆と一緒に行きたい。
今のネーナには振るえるだけの力は無い。でもいつか、力を得た時。自分はどうするのか。いや、仲間達を思えば、どうすべきかはわかっていた。
――トウヤ様は、どうやって乗り越えたんだろう。
ネーナの頭に浮かんだのは、勇者トウヤの事だった。彼が元の世界で暮らしていた時、本人も周囲の人間も武器を持ったり、命の奪い合いをするような事は無かったという。
この世界に喚ばれ、剣を持たされ振るうまでに。或いは剣を振るいながら。一体彼は、何を考えていたのだろうか。
ネーナは揺れる馬車の中で、今は亡きトウヤに思いを馳せるのだった。
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