閑話四 追手の影

「ん〜っ。いい陽気ねえ……」


 赤髪の小柄な女性が伸びをした。


 大公国南部と東部を結ぶ街道沿いの水辺で、四人組の旅人が休息を取っていた。人の行き来はそれほど多くない。


 四人は思い思いに武器の手入れや装備品の点検をしている。よく見れば四人とも、武器も外套の下の防具も傷だらけであった。


 大きな戦斧を背負った男が、仲間達の足下に目を向けた。


「大きな町に寄って、旅装一式新調するか。パーティー全員軍用品の靴ってどうなんだよ」

「我々は慣れてしまってますが、全員同じでは他者に違和感を与えてしまうかもしれませんね」


 神官も自分の靴を見て苦笑する。


「今回のクエストはハードだったしな。それだけの報酬も得たし、さすがにゆっくりしたいぜ」


 戦斧を背負った男が、荷物袋をポンと叩く。Cランクパーティーである彼ら【禿鷲の眼】が緊急クエストで得た報酬は、Aランク相当のものだった。破格の待遇である。


 赤髪の女性がポツリと呟く。


「本当に、みんな無事でよかった……」

「本当にな……お前を山に行かせたのは俺のミスだった。済まなかった、ミア」


 いきなり謝罪された女性、ミアが慌てて手を振る。


「やめてよガルフ。あの時点では何もわからなかったし、村の安全を確保しながらアンデッドの発生源も叩かなきゃいけなかった。仕方ないわよ」

「しかしだな……」

「やめてください、

「……わかった」


 ミアに本来の関係性の口調で言われて、ガルフが引き下がる。ミアがこの口調になるのは怒る一歩手前だからだ。


「アタシのは自分のヘマだし、オルトがいて結果オーライだし。むしろアタシを庇ったせいでオルトが苦戦したのよね……」

「ミアさん。そのオルトさんについて、聞きたかった事があるんですが」


 ガルフとミアのやり取りに、神官のショットが口を挟んだ。冒険者パーティー【禿鷲の眼】ではガルフとミアの会話が大半を占め、残りの二人の発言は少ない。弓使いのルークなどは、殆ど言葉を発する事がない。


 珍しいショットの発言に、一同の視線が集中する。


「オルトさんは山から戻って来た時、『ドレインを食らった』と言ってました。それはいつの事なんですか?」

「あー……アタシが足を怪我した直後ね。ワイトが藪から出て来たの。避けようがなくて、やられたって思ったけど……」

「オルトさんが庇ったのですか!?」


 ショットが驚愕の表情を見せる。神官として対アンデッド戦でそれなりの場数を踏んで来たショットは、オルトが山で成した事の凄まじさに気づいた。


「普通では考えられません……ワイトのドレインを食らえば、昏倒や下手をすればそれだけで死に至ります。その後に戦闘行動を取れるなんて……」


 一同は沈黙した。オルトはワイトの攻撃で大きく消耗した状態で、負傷したミアを庇いながらリッチ以下のアンデッドを倒し地下墳墓の入り口を塞ぎ、ミアを背負って村まで帰って来た事になる。


「そこまでとは思ってなかったぞ……大将には大きな借りが出来たな」

「でも、でしょ?」

「王国の情報は何とも言えんからな。上の統制が効かなくなって来てるし、一部では腐敗も酷いようだ。だが、誰も知らなかった凄腕の剣士が王女と共にいるのは事実だぞ」

「王女様は嫌がってるように見えなかったものね。むしろ兄妹プレイを満喫してる感じ」


 冒険者パーティー【禿鷲の眼】と【菫の庭園】はお互いの素性を知っていた。【禿鷲の眼】は大公国と王国が接する検問所で起きた騒ぎの情報を掴んでいたし、【菫の庭園】としては王国の追跡から逃れられれば構わない。当面利害がぶつかる見込みも無かった。


 ショットがガルフに問いかける。


「この事、報告するんですか?」

「気乗りはせんが、仕事だからな。さて、そろそろ出発するか」


 ガルフが言うと、一行は荷物を手に立ち上がった。だが街道に出ようとした所で、スカウトのミアが異変に気づいて立ち止まる。


「南から何か……馬が数騎来るわ」


 ガルフが目を凝らす。砂埃を巻き上げ、こちらに向かって来る一団が確認出来た。通行人を威嚇し排除しながら進んでいるのか、怒号や悲鳴が聞こえてくる。【禿鷲の眼】の面々の表情が険しくなる。


 騎馬の一団は小石を蹴り飛ばしながらガルフ達の前を駆け抜け、東の検問所があるモンペリに向かって行った。


「ガルフ……今のって」

「体調不良で療養してるはずなんだがな」

「自宅謹慎を上手く言ったものね。どう見ても目的は、というかネーナだろうけど、追う?」


 ガルフは少し考えてから、首を横に振った。


「予定通り、南の国境を目指そう。あの調子じゃ怪我人がいるかもしれない」

「でも……」

「問題ない」


 心配するミアを制したのは、それまで黙っていた弓使いのルークだった。


「彼らが遭遇するとしたら『嘆きの荒野』だ。周囲に気を遣わなくていい場所で、勇者パーティーの弓使いと魔術師が遅れを取るはずがない」

「……それもそうね」


 一行はエイミーとスミスの実力の一端を、肌で知っている。納得したミアは荷物袋から傷薬と包帯を取り出してポケットに入れると、仲間達と共に街道を歩き始めた。




 ◆◆◆◆◆




 王女アンの侍女を務めていた三人の女性。その三人が向かい合うテーブルには、開封済みの手紙が置かれている。


 リリィとパティは検問所から逃走した後、事前の打ち合わせなく手助けにやってきたフラウスと合流し、近衛騎士のカールとヨハンと共に辺境伯領で匿われていた。


 三人は、手紙を読み終えてから一言も発していない。彼女達が共に仕えていた王女の、無事を報せる手紙であるにも関わらず。


「……この内容を、どう理解すればいいと言うの?」


 最初に口を開いたのは、顔面蒼白なパティだった。三人の中では明るいリリィも、感情の起伏をあまり表に出さないフラウスも、一様に顔色が悪い。


 王都住まいの貴族の子女は、教会と無関係ではない。礼拝にも懺悔にも行くし、炊き出しなどの奉仕活動を手伝う事もある。

 そこでパティ達が見る聖職者達の姿と、アンから届いた手紙に記された王都の聖職者達の行状が結びつかない。


「この手紙に書かれた事は、賢者スミス様がお話しになられたとか。仮に噂話の類だとしても、真偽を確かめない訳には行かないでしょう」

「でもどうやって確かめるの? 教会組織の機密なんて、部外者が触れられるものじゃないのよ?」


 リリィとパティのやり取りを聞きながら、フラウスはじっと考え込んでいた。どう考えても個人の手に余る案件だ。迂闊に突けば教会を警戒させ、情報を得るのが余計に難しくなってしまう。


「……姫様は、ここで私達に危険を冒させる為にこれを報せたのではありません。残念ですが私達に今出来る事は、姫様の要請の通りにこの内容を辺境伯様にお伝えするだけです」

「口惜しいですわね……」

「ストラ聖教の総本山に働きかけているとありますが、王国も王国教会も総本山と良い関係とは言えませんし……」


 同じストラ聖教でありながら、総本山とサン・ジハール王国並びに王国教会にはかなりの距離感がある。その因縁は、約六百年前のサン・ジハール王国の建国譚にまで遡る。


 聖者と呼ばれたジハールは、大陸南部の危機に際して神託を得て、世界初となる勇者召喚を成功させる。事態収束後は民衆の支持により小国を統合し、ジハールが初代国王に就く。


 さらにジハールは王国教会を設立し、政治と宗教のトップに立った。総本山に対して勇者召喚と神託の実績を盾に様々な優遇措置を要求した為、両者には深い溝が出来て現在もそれは埋まっていない。王国教会が大きく影響力を落とした現在でも、総本山の介入が実現する保証は無いのだ。


 フラウス達が教会の件について出来る事は少ない。だがフラウスにとっては、もっと気にかかっている事があった。フラウスは他の二人に、手紙の宛先の部分を示して言った。


「この手紙……大公国国内から送られたものでしょう。もしかしたら、姫様達はヴァンサーン騎士団長に追いつかれるかもしれないわ」

「えっ、どういう事? フラウス」


 リリィもパティも、アンと共に親善使節団として王都を離れていた為に王城内の情勢を知らない。逆にフラウスは辺境伯領にありながらも情報収集に余念が無かった。


「ヴァンサーン騎士団長は大森林での一件の後、王城に帰還してから休養の名目で職務から外れているの。明らかに国王陛下の懲罰的な措置ね」


 決闘での敗北、さらには王女アンに同行も婚約も拒否された事は多くの者が知る所となった。プライドの高いヴァンサーンには堪えられない状況に違いない。


「その騎士団長が、姫様が王女の地位を返上して逃走した後に王都から姿を消しているのよ。王都にいないのは、ブレーメ様が確認しているから間違いないわ」

「姫様を追ったと? でもそう簡単に行方が掴めるとは……」

「王城の暗部の諜報員が大公国に入っているの。姫様が大公国内で動いていたなら、捕捉されてもおかしくない」


 三人は黙り込んだ。そもそもアンを連れての移動なら急ぐにも限度がある。フラウスの元に届いた手紙も大公国から出されているのだ。


「暗部が動いているなら、国王陛下は姫様を連れ戻す気なのでしょう。騎士団長が名誉挽回を賭けて追っているというのもあり得ますね……」


 リリィの言葉に対しての返事は無い。すでに王女でなくなろうとも、自らが献身をもって仕えたアンの無事を、三人は心から願うのだった。

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