第百三十八話 そんなに報われない、残酷なものだなどとは
「兄貴が負けるのを見たのは久し振りだ」
ボソッと呟くのは【屠龍の炎刃】のスカウトにしてガスコバーニ三兄弟の次男、ケプケ。
ローブ姿の陰鬱な男がそれに応じる。
「ここにスージーがいたら卒倒してたかもしれないね、フフフ」
ローブの男――三男のインメルは魔術師としてより死霊術師として有名で、アーカイブに研究室を置いて重要な論文を幾つも世に出している。今回のトラブルを察知したのは、意外にも研究室に篭もっていたインメルであった。
「スージーはマヌエルにご執心だったものね。侯爵様に攫われちゃったけど」
茶化すようにエルフ女性のテルミナが言うと、マヌエルは嫌そうな顔をする。オルトとの対戦直後は動く事が出来なかったマヌエルも、レナの癒しですっかり回復していた。
「何度も言っているだろう。嫌っていた訳ではない。だが事ある毎に神の御意志だ、御導きだと言い、挙げ句に『神に選ばれし戦士だ』と持ち上げられては気が休まらん」
この場にいないスージーは、マヌエルの言い様からは敬虔なストラ聖教の神官のようであった。ネーナの視線に気づいた『元聖女』のレナが苦笑する。
「あ、ちょっと皆! ゲストが置いてきぼりじゃないの!」
黙っているネーナ達に気づいたテルミナの言葉で、【屠龍の炎刃】の面々が慌てふためく。本来ならば、今は謝罪の場なのである。全員が修練場から応接室に戻り、元のように大きなテーブルを囲んでいた。
「ごめんなさいね。全員どころか四人が集まる機会も、こうして昔みたいに話す機会もずっと無くて」
「用件を済まさねばな。客人も他の予定や移動の疲れがあるだろう」
決まりの悪そうな顔のマヌエルが事務局長を伴い、レベッカと協議を始める。人数合わせでフェスタが同席してはいるが、実務的な話に口を挟む事は無い。
残された者達は当り障りのない話題でお茶を濁していたが、ネーナが自分の目的を告げると思い出したようにテルミナが話し始めた。
「私達は勇者パーティーに会った事があるの。『勇者』トウヤだけでなく、『大賢者』スミス、『聖女』レナ、『精霊弓』エイミー、それ以外の者にもね」
「そうなの?」
レナの問いに【屠龍の炎刃】のメンバーは頷いたが、エイミーもスミスも首を傾げた。それを見たテルミナは苦笑する。
「思い出せなくて当然ね。一言二言交わしただけだし、正確に言えば私達が一方的に見てた感じだから」
「うーん……」
全く心当たりが無く考え込むレナに、ケプケ・ガスコバーニがボソッと告げた。
「旧トリンシック騎士団領、ベネット要塞だ」
「っ!?」
その名を聞いた途端、勇者パーティーにいた三人の顔色が変わる。
ベネット要塞。ネーナも知識としては知っている。トリンシック公国の歴史上、騎士団が公爵家を凌ぐ勢力となり領地を取得した時期があった。
騎士団領は公国の北方に置かれ、山脈を越えて襲来する脅威から公国を守護する盾のような役割を果たしていた。その防衛線の要がベネット要塞である。
本格的な魔族の侵攻が始まって後も、騎士団は要塞の突破を許す事は無かった。しかし、山脈に住む獣人や亜人達が魔族に与した事で戦況が一変する。
魔族は獣人の案内で山道を抜け、ベネット要塞の後背を突いて騎士団領を攻めた。元より増援として多くの騎士を公国に送り、領内が手薄になっていた騎士団は、この奇襲で総崩れとなった。
騎士団は生き残った領民や騎士を要塞に収容して抗戦を試みるも、周囲を囲む魔族の大軍によってその数を減らし続けた。当初民間人を合わせて三千人を超えていた生存者は、勇者パーティーを中心とする援軍が到着した時には百人を下回っていたのである。
一度は魔族を撃退したものの、騎士団は領地を維持する余力は無くなっていた。防衛線を下げる為に大きく後退したトリンシック騎士団はその所領を失い、公国騎士団に統合、再編された。
現在、ベネット要塞を含む旧騎士団領は魔族の拠点の一つとなり、今なおトリンシック公国との戦いが続いている。ベネット要塞の攻防戦は、魔王軍と人族の戦いの中でも屈指の激戦として記録に残されていた。
「総長以下、騎士団領に残っていた幹部は軒並み戦死。状況としてはとっくに全滅していた」
「私達だって、勇者の援軍が来るのが後二日遅かったら玉砕覚悟で打って出るつもりだったから」
ケプケとテルミナの言葉に、ネーナは絶句した。書物の記録よりも、戦いの当事者達の証言はずっと重かったのだ。
「世間では獣人が裏切って中立を破ったように言われているが、事実は少し違う。彼等はずっと人族から迫害され、僻地に追いやられていたのだ。獣人達から見れば、人族より魔族の方がずっとマシだったのだろうな」
「トリンシック公国の北部は、人族同士ですら排他的ですのでね。要塞ではエルフのテルミナに絡んで来る者達もいましたよ」
レベッカとの協議を終えたマヌエルが話に加わってくる。それに続くインメルの発言を、テルミナは否定しなかった。
『惑いの森』を挟んで公国と対峙するアルテナ帝国も、北部は他種族への偏見が強い。エイミーが受けた仕打ちを見れば、それは明らかである。人族側が『中立』と認識していたのは、立場の弱い獣人達が反撃しなかっただけかもしれない。話を聞いていたネーナはそう思った。
「【屠龍の炎刃】の皆さんは、当時もSランク冒険者ですよね? どうして騎士団領におられたのですか?」
ネーナの問いにはマヌエルが答える。
「騎士団が恥も外聞も捨てて冒険者や傭兵を求めたのだ。そうせざるを得ない状況だった」
トリンシック騎士団は苦戦する公国の防衛の為に、かなりの戦力を割いていた。騎士団の成り立ちや公国との関係性を鑑みて、そうせざるを得なかった。騎士団領に残っていたのは、既に第一線を退いた者や療養中の者だったという。
「我々が突入した時には、要塞内部に多数の敵が侵入していました。生き残った者は避難区画の奥に集まり、隔壁を頼りに持ち堪えている状態でした」
「帝国の将軍だっけ、『生存者は絶望的だから、大規模魔法で要塞ごと敵を叩こう』って言ったの」
「トウヤとレナが猛反対したのでしたね」
スミスとレナが勇者パーティーの視点で当時を振り返る。
要塞内の生存者達も、援軍が救助を断念して敵の殲滅を図る可能性は認識していた。そして、それが妥当な選択であるとも考えていた。だから勇者パーティーの姿を見た時、テルミナは自分の目を疑ったのだ。
避難区画の生存者中、僅かに残った騎士達は【屠龍の炎刃】を始めとする冒険者に民間人を託し、血路を開く為に打って出た。
だが、満身創痍の騎士達では数に勝る魔族に抗する事は出来ない。一人、また一人と倒れていく騎士達を見て、【屠龍の炎刃】の面々も覚悟を決めた。
その時、眩いばかりの閃光が敵を呑み込み、消し飛ばした。十人にも満たない集団が、圧倒的な火力で敵を薙ぎ倒しながら避難区画に向かって来たのである。
『しっかりしろ! 他に生きてる奴はいるか?』
『戦鬼』バラカスに問われ、マヌエルがこの場にいる者だけだと答えた。それを聞いた勇者パーティーの面々は、一瞬だけ何とも悔しそうな表情をした。しかしすぐに、それぞれの仕事を再開する。
『勇者』トウヤが幾度も光の刃を繰り出すのを横目に、『聖女』レナは生存者の負傷を癒やしていく。
『大賢者』スミスと『精霊弓』エイミーは勇者が討ち漏らした敵を逃さず仕留める。
周囲に敵がいなくなると、スミスはマヌエルに安全なルートを伝え、生存者を纏めて要塞から脱出するよう促した。それを聞いたマヌエルは漸く、自分が生き残った事を実感したのだった。
「私は、その後の方をよく覚えてる」
テルミナが暗い表情で言う。
生存者達が口々に勇者トウヤに礼を述べる中、泣きながら近づいた少年がいた。彼の一言はその場の空気を凍らせた。
『僕の父さんと母さんは死にました。勇者様はどうして、もっと早く来てくれなかったの?』
それまで無表情に頷きを繰り返し、礼を受け取っていたトウヤが大きく目を見開いた。そして唇を噛み締めて深く頭を下げ、少年に謝罪したのだった。
トウヤだけでなく勇者の一行は、要塞内の生存者達に劣らない程、酷い格好をしていた。存在も疑われる生存者を探して、敵が闊歩する要塞内部を必死に駆け回ったのは疑いも無かった。
そして、そうまでしてここに来るような者達が、今まで何もしていなかったとは考えられなかった。これ以上早くここには来れなかった、マヌエルにはそう確信出来た。だが、トウヤもその仲間達も一切の弁解をしなかった。
トウヤは慌てる周囲の大人達に、少年を叱らないように言い含めた。程なくトウヤは仲間と共に、魔族の残党を掃討する為に避難区画を去って行った。
「あの時の勇者トウヤの顔は絶対に忘れられないわ。ずっと無表情で目も虚ろだったのが、あの時だけ感情が戻ったみたいだった」
「恥ずかしながら、俺達もあの時までは勇者についてあまり知らなかったんだ。あんなに報われない、残酷なものだなどと考えた事も無かった。華やかなものだろうと、脳天気に思っていた」
テルミナに続きマヌエルが話し終えると、応接室は静まり返った。
オルトが顔色の悪いネーナを気遣うが、ネーナは気丈に笑ってみせる。オルトの反対側では、エイミーが黙って手を握っていた。
「大丈夫です、お兄様」
「済まない、ネーナ・ヘーネス。配慮が足りなかった」
ネーナの素性を知るマヌエルが詫びるも、ネーナは頭を振った。
「私こそ動揺してしまい申し訳ありません。でもこれは、私が知らなければならない事ですから」
勇者トウヤを召喚したのはサン・ジハール王国だ。間違いなくネーナの実父である現国王のラットム・ジハールが関わっている。
ネーナが王女の地位と『アン・ジハール』の名を捨てた所で、それらの事実は覆らない。この世界に召喚されてからトウヤの身に起きた事の全てに、国王ラットムは責任がある。
自分がラットムの娘である以上、そして王女アンとして暮らし、その地位による特権を享受した十五年がある以上、自分がこの先どのような人生を送るにせよ、トウヤと無関係ではいられない。トウヤの生き様、そして死に様を知らない事は許されない。ネーナはそう考えていた。
重苦しい空気を振り払うように、マヌエルが話題を変えた。
「さて、クラン『ガスコバーニ』としての用件は一先ず終わったが。そちらはまだ、ギルド本部でする事があるのではないか?」
オルトがギルドマスターや部門長達に公開で改善要求を突きつけているのは、マヌエル達も知っていた。テルミナがお願いをするように、両手を合わせて言う。
「私達にも手伝わせて貰えないかしら? トウヤは亡くなってしまったけれど、私達は他の方にも大きな恩があるから。今回のお詫びも込みでね」
予想外の申し出に、オルトが戸惑いながら仲間達を見る。オルトに代わってスミスが口を開いた。
「トウヤも私達も、恩に着せる気はありませんが。Sランクパーティーとそのクランが加勢してくれれば助かるのは間違いありませんね、レベッカさん?」
「は、はい」
急に話を振られたレベッカが肯く。
「では折角のご厚意、お受けさせて貰いましょう」
スミスの返事を聞くなり、テルミナは席を立って歩き出した。
「早速だけど。エイミー、今ちょっと困ってる事があるでしょう?」
「っ!?」
目の前に来たテルミナに問われて、エイミーがビクッと肩を震わせた。手を握る力が少し強くなったように、ネーナには感じられた。
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