第百三十九話 敵の敵は味方、という事ですよ

「あの。わた、わたし……っ」

「テルミナ、娘が怖がっている」


 激しく動揺するエイミーを見て、ケプケがテルミナを窘める。とはいえ、テルミナにとってもエイミーのこの反応は予想外だった。


「ごめんね、脅かすつもりは全く無かったの」


 苦笑しながら謝るテルミナを、エイミーが不安そうに見上げた。


「エイミーが困ってるのは、弓の事じゃないかしら?」

「!?」


 図星を突かれたエイミーが目を丸くする。エルフの弓師であり、優れた精霊術師でもあるテルミナは、エイミーが背負っている精霊弓を見た時から気にかけていたのだった。


「前みたいに力が出せない、どんどん弱くなっていく。だけど理由がわからない」

「なん、で――」

「ちょ、ちょっと待ってよ」


 愕然とするエイミー。レナが慌てて割り込む。


「ずっと一緒に戦ってたあたしは、エイミーが前より弱くなったなんて感じた事無いのよ?」


 視線を向けられたスミスも、レナの言葉を肯定する。


「それはそうよ、エイミー自身は成長して強くなっているんだもの。エイミー、弓を見せてくれない?」


 テルミナは言いながら、まず自分の弓をテーブルに置いた。エイミーが不安そうに仲間達を見るが、誰も判断出来ずにいた。


「いきなり言われても困るでしょうけど、私の精霊弓と並べると違いがわかるから」


 ここでテルミナがエイミーの弓をどうこうするメリットは無い。そう考えたオルトが、エイミーに頷いてみせる。


「有難う」


 エイミーが差し出す弓を大事そうに受け取り、テルミナは自分の弓の隣に並べた。一目瞭然で、テルミナの弓の方が強い光を放っている。


 精霊弓、またはエルヴンボウとも呼ばれるその弓は、エルフの職人が作り上げる逸品である。エルフならば誰でも与えられる品ではなく、弓術と精霊術で一定以上の実力が無ければ使いこなせないのだという。


「この弓はお父さんの? それともお母さんのもの?」

「お母さんがエルフだったの……」

「ごめんね、エイミー。辛い事を思い出させて」


 テルミナが詫びると、エイミーは頭を振った。だがエイミーの弓を手に取って見た事で、テルミナは自分の見立てが正しかった事を確認出来たのである。


 精霊弓の輝きは、弓に取り込まれた精霊の加護の強さを示す。その精霊の力を矢に乗せて放ったり、同属性の精霊魔法を行使する事が可能になるのだ。


 エイミーの弓には炎の精霊サラマンダーと、風の精霊シルフィードが宿っていた。テルミナの弓に宿るのは、シルフィードのみ。


「エイミーのお母さんは優れた精霊術師だったのね。同時に二種類の精霊を宿すのはとても難しい事なのよ」

「うん」


 ネーナはエイミーの返事、その声色が少し明るくなったのに気づいた。


 エイミーにとって、自分の母親を称賛されるのは初めての経験だった。


 故郷の村人達は、エイミーの母を悪し様に言うばかりだった。勇者パーティーに加わった時には既に母は亡く、エイミーを気遣って仲間達が母親の話題を持ち出す事は無かった。オルトやネーナも同じだ。


 自分の母が認められ、エイミーは自分が認められるよりも嬉しかった。


「エイミー、良かったですね」

「うん、うん」


 ネーナの言葉に何度も頷くエイミーを、仲間達が温かく見つめる。テルミナは軽く咳払いして、話題を戻した。


「それで、ここからが本題。精霊弓に宿ってる精霊は、自然界のものと同じように、いつかは力を失って精霊界に還っていく。それは貴女のお母さんが使っていたとしても同じなの」


 エイミーが前より弱くなったと感じていたのは、正に精霊弓に宿る精霊が力を失いつつある証拠であった。それをエイミーは、自分自身の力で補っていたのである。


 エイミーが違和感を覚えたのは、勇者パーティーとしてサン・ジハール王国を訪れた後なのだという。そこまで精霊の力が持った事自体が通常では考えられないのだと、テルミナは言った。


 テルミナがエイミーの右手を取る。


「それから、この手。指先の傷は弓を引いて出来たものね。精霊弓は特別な弓で、普通に使ってもこうはならないのよ」


 精霊の力が不足した分を、エイミーは弓術の技量で補おうとした。その負荷が大きかったからこその怪我だと、テルミナは推測した。ネーナが呟く。


「そう言えば、アオバクー・ダンジョンでも……」

「あの時は、お兄さんが危ないって思って……」


 恥ずかしそうに手を隠すエイミーを見て、オルトは何も気づかなかった自分を責める。だがテルミナは、そんなオルトの心中を見透かしたように言った。


「エイミーがそうまでして弓を引き続けたなら、貴方も少なくないダメージを受けていたんでしょう? そのエイミーの思いを大事にしてあげるべきではないかしら」


 人族がエルフやハーフエルフに会う事は稀で、そのハーフエルフが精霊弓の持ち主なのは更に稀な事。精霊弓の知識が無い者が気づくのは困難を極める、とテルミナは客観的に指摘をした。


 オルトより以前からエイミーと行動を共にしていた『大賢者』のスミスも、レナや他の仲間も気づかなかった異変なのである。


「エルフの里だったら、周囲の人が教えてくれるから問題にならないんだけどね。エイミーの場合は人里で、唯一のエルフであるお母さんが早くに亡くなってしまったのだから、仕方ないわ」


 精霊弓の本来の力を取り戻すには、エイミーが精霊術師として実力をつけ、自ら弓に精霊を宿すしかない。その言葉を聞いたエイミーが、テルミナを見上げた。


「そうしたら、前みたいにお母さんの弓を使えるようになる?」

「ええ」


 テルミナが頷く。


「だから、貴女のお母さんが教えてくれる筈だった事を、私が代わりに教えてあげる。これは私からの、ベネット要塞で命を救って貰ったお礼と、今回の不始末のお詫び」

「お兄さん……」


 エイミーの視線を受けたオルトは、暫し考え込んでから口を開いた。


「テルミナ」

「なあに?」

「『惑いの森』のエルフ達を知って――」


『惑いの森』という単語が出た瞬間、テルミナが眉を顰めた。その様子を見て、オルトはフッと笑った。


「――いや、何でもない。エイミー、俺達は本部で用事を済ませて来るから、ここでテルミナの話を聞かせて貰うといい」

「うん!」


 エイミーとスミスを残し、『菫の庭園』一行とレベッカが席を立った。応接室を出て行く一行を見送り、テルミナが首を傾げる。


「何だったの、今の?」


 スミスがくつくつと肩を揺らして笑い、テルミナは怪訝そうな顔をした。


「敵の敵は味方、という事ですよ」




 ◆◆◆◆◆




 ギルド本部に向かうオルト達は、ずっと無言で歩いていた。事情のわからないレベッカは、戸惑いながらも黙っている。


 オルト、ネーナ、フェスタ、レナの四人は、それぞれ深い悔悟の中にあった。


 テルミナが一目で看破したエイミーの悩みを、オルト達は気づく事が出来なかった。勇者パーティー時代、仲間に置いていかれない為に必死で戦ったエイミーが、また同じ事をしていたにも拘らず、である。


 人生経験豊富なスミスは、最悪の状況は回避出来たのだからと切り替えられた。若い四人に同じ事を求めるのは酷であるが、それでもオルトは反省や後悔を棚上げする形で落ち込みを脱した。


「これからレベッカの異動申請の話だ。凹むのは後にしよう」


 オルトが言うと、他の三人が頷いた。レベッカもホッとしたような表情になる。




 一行はギルド本部の建物に入り、案内のカウンターで入館の手続きをした。


「本部総務部よりヴァレーゼ支部に出向中のレベッカ・ルバーナです。人事部にアポイントを取りたいのですが」

「えっ? レベッカ? えっ?」


 案内の職員が驚きの声を上げ、まじまじとレベッカの顔を見る。その声を聞き、奥で机に向かっている職員達までが一行の様子を窺っていた。


 不快感を隠さぬレナが、冒険者証を提示しながら案内の職員に尋ねる。


「本部の案内って、ゲストにそういう対応をするの?」

「っ! し、失礼しました!!」


 慌てた職員は謝罪するが、レベッカは気を悪くした様子もなく入館証を首にかけ、礼を言って人事部へと向かった。


 人事部でもレベッカが名乗ると、案内カウンターと全く同じ反応が返ってくる。レナの機嫌がどんどん悪くなり、仲間達が苦笑する。


 対応を代わった別の職員が、額の汗を拭きながら告げた。


「ルバーナ……さん、の異動申請は人事部には提出されておりません」

「えっ」


 総務部からの案件であれば、所属課長から副部長、部長、部門長の承認を経て人事部に回される。人事部に無い案件には対応が出来ないと言われれば、それも道理。


 レベッカ達は一旦引き下がり、今度は総務部へと向かった。


「うう……何か皆に見られてるような」

「レベッカさん、美人ですからね」

「恥ずかしい……」


 案内カウンター、人事部と進み総務部へ向かう一行の周囲には、明らかにギャラリーが増えていた。皆一様にレベッカを見ているが、レベッカと知らずに美女を見ている者が大半である。


 フェスタが誰にともなく尋ねる。


「予定通りというか、総務部まで来たけど。これからどうするの?」

「レベッカさんを一人では行かせられませんけど、お兄様とレナさんは同行しない方がいいと思います」


 話し合いにならなくなる。そんなネーナの発言を正しく受け止め、オルトとレナが不満そうな顔でお互いを見た。


「となると、消去法でフェスタかネーナになるけど」

「私、行きたいです」


 ネーナが挙手をすると、あっさり決まった。


「良いんじゃない?」

「俺達を脳筋扱いしたお手並み拝見だな」

「オルトはプレッシャーかけないで。レベッカもそれでいい?」


 レナ、オルト、フェスタが賛成し、レベッカも同意する。


 一階のホールで待ち合わせる事にして、オルト達が去って行く。ネーナはレベッカが抱えている包みを覗き込んだ。


「レベッカさん、何を持ってるんですか?」

「これ……日記なんです」


 子供の頃からの習慣で続けている日記。疲れた日も落ち込んだ日も、その日の出来事を綴っていたのだとレベッカが言う。


 今回持ち込んだのは、レベッカが総務に配属になってからの分だ。話が拗れた時は記録という形で、レベッカは自分の待遇の悪さを示すつもりだった。


「でも、ネーナさんが来てくれて心強いです」

「レベッカさんの異動、必ず認めて貰いましょう!」


 二人で小さく拳を握り、クスクス笑う。そうしてリラックスし、レベッカは深呼吸をすると総務室の扉をノックした。

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