第百四十話 今更そんな事を言われても、もう遅いです
「総務三課よりヴァレーゼ支部に出向中のレベッカ・ルバーナです。失礼します」
『!?』
間仕切りで区切られた広い総務室が静まり返り、すぐにざわめき始める。
ネーナは顔を顰めた。
総務室内は視線こそ仕切りで遮られるものの、声は筒抜けである。総務部の職員達は、レベッカが受けていた仕打ちを知っていた。ネーナはそう確信した。
戸惑い、驚き、蔑み、侮り。様々な感情が込められた視線がレベッカに集中する。
レベッカが再び口を開こうとした時、総務室の中程から女性が駆け寄って来た。
「お帰りレベッカ、遅かったじゃないの! ていうか何その格好、色気づいちゃって。田舎で男でも漁ってたの?」
「セリアさん……」
セリアと呼ばれた女性が、じろじろと不躾な視線をレベッカに送る。レベッカは明らかに顔色が悪くなっていた。
「ふーん。まあいいけど、さっさと仕事に戻んなさいよ。あんたがいなかったせいで仕事溜まってるんだから」
「いえ、あの」
元の場所に戻ろうとしたセリアが振り返り、何か言おうとするレベッカを睨みつけた。他の職員達はニヤニヤしながらその様子を眺めている。
「何よ」
「今日は用事で立ち寄っただけなんです。私はまだヴァレーゼ支部に出向中なので、こちらでは――」
「はあ? だから?」
口答えされたのが面白くないのか、セリアはイライラした様子でレベッカの言葉を遮った。
「あんたの都合なんてどうでもいいの。仕事が溜まってるのよ、同じ事を言わせないで」
「で、でも」
食い下がるレベッカに男の怒声が飛ぶ。
「グダグダ言ってねえで来いよ! 聞こえねえのかレベッカ!」
「っ!?」
その声を聞いたレベッカが、ビクッと肩を震わせた。
声の主はセリアがいたのと同じ、総務室の中程からレベッカを不機嫌そうに見ている。がっしりした体格で背も高く、間仕切りよりも頭が二つ分は上に出ていた。
「ノロマで愚図なお前を使ってくれるとこが他にあるのか、ああ!?」
「本当、あんたには散々迷惑かけられたっていうのに。とんだ恩知らずね」
男とセリアに責められ、レベッカは俯き、両手を握りしめる。男の周囲にいる職員達も、嘲笑するような視線をレベッカに向けている。
「あんたさあ、出来たばかりの支部に行ってちょっと働いて、何か勘違いしてるんじゃないの?」
「お前みたいな使い物にならない連中の寄せ集めだろうがよ」
男の一言は、堪えながら黙って聞いていたネーナも、流石に腹に据えかねた。だがネーナより先に、俯いていたレベッカが顔を上げ、叫んだ。
「違います!!」
『!?』
大人しい印象が強いレベッカの大声に、総務室の者達は一様に驚いた。
「ヴァレーゼ支部は、実力のある人達が力を合わせて一生懸命に頑張ったから、すぐに正式な支部になったんです! 見てもいないのに、皆の事を悪く言わないで下さい!!」
その言葉を聞き、ネーナは微笑んだ。一方、面食らっていた男が舌打ちをする。
「チッ……少し本部を離れただけで、偉く生意気になりやがって。セリア、さっさと連れて来い」
「はい。だから来いって――っ!?」
レベッカを掴もうとした手が見えない障壁に阻まれ、セリアが驚愕した。棒杖を突き出した姿勢のまま、ネーナが鋭く警告を発する。
「今のはレベッカさんに対する攻撃行動と見なします」
「何よ貴女。ここは部外者立ち入り禁止よ!」
ネーナはヒステリックに叫ぶセリアに対し、優雅に一礼した。
「私はシルファリオ支部所属のBランクパーティー【菫の庭園】の冒険者、ネーナ・ヘーネスと申します。ヴァレーゼ支部長より、レベッカ・ルバーナさんの『護衛』を依頼されました」
「護衛ですって!? ここは冒険者ギルド本部なのよ!?」
職員達が騒ぎ始める中、ネーナはセリアにニコリと微笑む。
「勿論わかっていますよ。ここはギルド本部で――」
「警備員を呼ぶまでもねえ! つまみ出してやる!」
先刻レベッカに怒声を飛ばした男が、ネーナのすぐ側に迫っていた。レベッカが息を呑む。
「――レベッカさんの味方が誰もいない、敵地の真っ只中です」
ネーナは言いながら、男が不用意に伸ばした腕を躱しざまに掴んで引いた。
「うおッ!?」
そのままの勢いで体を素早く反転させ、体勢を崩した男の懐に潜り込むと、ネーナは思い切り腰を跳ね上げた。
長身の男が宙で回り、背中から大きな音を立てて総務室の床に落ちた。
「ガハッ!」
硬い床にまともに叩きつけられ、男が悶絶する。総務室内は静まり返り、男が咳き込む音だけが響いている。
「元冒険者か戦闘職のようですが、受け身も満足に取れないのでは厳しいかと。レベッカさん、この方をご存知ですか?」
ネーナに尋ねられ、口をパクパクさせていたレベッカが我に返る。
「えっ、あ。えーと、ビアホフ総務第三課長、です」
男は、ギルド本部におけるレベッカの直属の上司であった。改めてビアホフを見るが、ネーナにはギルド職員というよりもならず者としか思えなかった。
「ゴホッ、やりやがったなこの野郎……」
「完全にこちらの正当防衛ですよ、ビアホフさん?」
ネーナは悪態をつくビアホフを軽くあしらいつつ、総務室を見回した。
総務室の一番奥。他の場所とは違う、壁で囲まれた部屋は応接室。その隣の間仕切りで確保されたスペースに、人の気配は無い。
ネーナが探しているのは、総務室の主、管理者とも言うべき人物である。その人物――コール総務副部長は、程なくして現れた。
「何だこの騒ぎは! お前はレベッ――っ!?」
総務室に入るなり、コールはレベッカの姿を認めて怒鳴ろうとした。直後、ネーナもいる事に気づき、慌てて口を噤む。
目だけは全く笑っていない笑顔のネーナが、コールに挨拶をする。
「お久しぶりです、コール副部長。お元気そうで何よりです。お席にいらっしゃらないので、探しに行こうかと思っていたのですよ。ところで、今――」
レベッカに何を言おうとした? ネーナから真っ直ぐに見据えられ、言外にそう問われたコールが動揺を見せる。
「コール副部長、良い所に! この女とレベッカが――」
「黙っていろビアホフ!!」
「!?」
喚くビアホフを一喝し、コールは懸命に考えを巡らせる。どうしてこいつがここにいる? 一体何をする気だ? オルト・ヘーネスも来ているのか?
そんなコールの考えを見透かしたように、ネーナは言う。
「私はレベッカさんの付き添いです。ヴァレーゼ支部長から、レベッカさんの『護衛』を依頼されていますから」
「護衛、だと?」
「はい」
ネーナが頷く。
レベッカが本部でどんな扱いを受けていたか、他部署だったマーサやナッシュでさえ知っていたのだ。そのような場所に、ヴァレーゼ支部長となったマーサが、大事な職員を一人で行かせる訳が無い。
実際、レベッカは出向中であるにも拘らず、無理矢理に総務三課の仕事をさせられそうになった。そしてネーナは、レベッカの護衛である事を告げた後に『暴漢』に襲われた。
ネーナの話を聞いたコールは真っ青になった。
「それからお兄様――オルト・ヘーネスでしたら、当然本部にいますよ。そちらの方々は警備員を呼びたいようですが、お兄様達が到着するのが先でしょうね」
コールは自分が来る前に話が拗れてしまった事を知り、その原因たるビアホフとセリアを睨みつけた。
もうこうなってしまえば、少しでも早く帰ってもらうしかない。コールは腹を括る。
「……総務室に来た用件は?」
「レベッカさんがヴァレーゼ支部長経由で申請した異動願いが、こちらの人事部に届いていないと聞きました。その対応をお願いしようかと」
「ビアホフ……」
地の底から響くようなコールの声で、ビアホフとセリア、そして総務三課の面々が震え上がる。
総務副部長のコールが知らないのならば、最初に異動願いを承認すべき第三課長のビアホフが握り潰していた事になる。特段の理由無くして申請を拒否出来ないという職務規定に、明らかに違反している。
「レベッカ!」
「ひッ!?」
突如駆け寄って来たビアホフを見て、レベッカが悲鳴を上げた。
その突進はネーナの魔法障壁に阻まれるも、ビアホフは必死の形相で障壁を叩いてレベッカに訴える。
「お前が戻って来れば丸く収まるんだ! 我儘言わず戻って来い!」
セリアと三課の職員らしい者達も口々に言う。
「あんたの面倒見てやったでしょ!」
「お前の残していった仕事が大変だったんだ!」
「責任取れよ!」
ネーナが見ると、レベッカは困惑した様子で首を横に振った。
「継続する仕事の引継ぎ書は置いていきましたし、私が出向する前後で三課の仕事量は大きく変わっていない筈です」
何より。ヴァレーゼ自治州に出向したいと話した時、三課の面々は散々レベッカを罵倒し馬鹿にして、『帰って来てもお前の机は無い』と言ったのである。
レベッカがそう告げると、三課の面々は黙り込んだ。
「レベッカさん。差し支えなければ、日記を軽く読ませて貰ってもいいですか?」
「は、はい。どうぞ」
レベッカから日記を一冊受け取り、パラパラと流し読むネーナの表情がみるみるうちに険しくなる。
「今初めて読みましたが、想像以上でした。――ビアホフさん、総務三課の皆さん」
ネーナの呼びかけに返事は無い。
「自分達の仕事を、レベッカさんに押し付けてやらせてましたね? それも長期間に渡って」
『っ!?』
だからレベッカがいなくなった事で、本来は自分でやるべき量の仕事が処理出来ず泡を食っている。
「この日記は、毎日罵倒され否定され、精神的に追い込まれたレベッカさんが、最後まで自分の責任を果たす為に記録したものです」
忘れないよう、ミスをしないよう、迷惑をかけないよう。
判断力が衰えていた自覚のあるレベッカは、全てを記録していた。仕事の内容も、他者から言われた言葉も何もかも。
「皆さんが素直に認めるとは思いませんが、仕事内容は検証可能です。まさか、レベッカさんにやらせた分の仕事の給与は受け取っていませんよね?」
背任、横領、詐欺、恐喝脅迫。ネーナが思い当たる容疑の罪状を数え上げると、大柄なビアホフの身体がガクガクと震え始めた。
ネーナはコールに視線を向けた。
「コール副部長。全部とは言いませんが、レベッカさんの状況を知っていましたね? 知っていて、レベッカさんを叱責していましたね?」
このように会話が筒抜けの総務室で、日常的に行われていた事。とぼけようがない。
ネーナは懐から小瓶を取り出し、小声で何かを囁くと蓋を開き、近くの机に置いた。
「コール副部長、他の方も弁明はご自由にどうぞ。ですが、発言にはお気をつけ下さいね。この小瓶に発言を封じて、後で真偽を鑑定致しますので」
言葉の出ないコールを一瞥し、ネーナは総務室全体に睨みを利かせる。
「レベッカさんの苦境を救おうとせず、見て見ぬ振りどころか便乗して侮辱し、嘲笑した方も少なからずいますね?」
報いは正しく受けて頂きます。そう告げるネーナに反論出来る者はいなかった。
「レベッカさん、ビアホフさんは送付した申請書をお持ちでないでしょうから、持参したものをコール副部長に処理して貰いましょう。それと、私物も持ち帰りましょうか」
「そうですね」
レベッカが自分の机に向かって歩き始めると、ビアホフが狂ったように魔法障壁を叩き出した。
「レベッカ! 後生だ、許してくれ! 俺は調子に乗ってたんだ! 心を入れ替える! だから!」
セリアは最初の態度が嘘のように涙を流している。
「もう貴女一人に仕事を押し付けたりしないから! 戻って来てよ、レベッカ!」
レベッカは足を止め、元同僚達に憐れみの視線を送って頭を振った。
「その言葉はこうなる前に、もっと早く聞きたかったです」
自分が求めるのは、ヴァレーゼ支部の仲間達を侮辱した事に対する謝罪だけ。
オルトに出会って勇気を貰い、ヴァレーゼ支部の仲間達に支えられて立ち直れた自分の居場所は、リベルタの本部ではない。レベッカはキッパリとそう告げた。
「今更そんな事を言われても……もう遅いんです」
レベッカの言葉を聞いた総務室の職員達は、悄然と項垂れるばかりであった。
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