第百四十一話 私の心に、貴方はいません

『失礼します』


 レベッカとネーナは廊下に出て、再度室内に向かって一礼すると、人事室の扉を閉めた。




 待ち合わせ場所である一階のホールまで来た二人は、オルト達を探して周囲を見回す。


「お兄様、いませんね……」


 ネーナが呟くと、隣のレベッカも首を傾げた。


 三百を超える拠点を統べる冒険者ギルドの本部、その受付や案内業務を行う一階ホールである。人は多くて当然だが、それでもネーナはオルトを見逃す事は無い。


 待ち合わせの場所に間違いは無く。オルト達も本部に来た事はあるのだから、勘違いしているとも考えにくい。ギルドマスターへのアポイントは全員が揃ってからである。


「テーブル席はまだまだ空いていますし、少し待ちましょうか。何かトラブルかもしれませんが、心配は要りませんよ」


 オルトとレナが一緒で緊急事態が起きているのなら、このホールが大騒ぎになっている筈。つまりイレギュラーはあっても大事ではない。ネーナ達はそう考え、空いている席に腰を下ろした。




『はあ……』




 テーブルに荷物を置いた二人が、同時に大きく息を吐いた。その後で顔を見合わせ、クスクスと笑う。


 レベッカは急に立ち上がり、ネーナに深々と頭を下げた。ネーナが慌てて言う。


「はわわわ、どうしたんですかレベッカさん!?」

「一緒に来てくれて、有難うございました。ネーナさんがいてくれたから、こうして辞令を出して貰う事が出来ました」


 オルトの介入だけは何としても避けたかったコール総務副部長は、自ら駆け回って総務と人事の課長から副部長、部門長、果てはギルドマスターまでの承認を取って即日の辞令交付にこぎつけたのである。


 ビアホフ課長の声を聞き、姿を見た時。レベッカは一瞬、『このまま本部に戻るしかないのではないか』という諦めに捉われかけた。


 そんなレベッカが踏み止まれたのは、傍らに毅然と立つネーナの姿があったから。そう伝えられ、ネーナは頭を振った。


「私はただ、一生懸命頑張ってるレベッカさんのお力になりたいって思っただけで。……でも、そう思って頂けて嬉しいです」


 レベッカより真っ直ぐな感謝を向けられ、ネーナはこそばゆいような、落ち着かない気持ちになった。


「オルトさんみたいな安心感があって。やっぱりご兄妹なんだなって思いました」

「本当ですか? それは……とっても嬉しいです」


 ネーナが笑顔を見せる。その言葉は、ネーナにとって最上級の賛辞だったのである。


「あんなに大柄なビアホフ課長を投げ飛ばしたのも凄かったですし、音声を記録する魔道具まで用意しているなんて……」

「魔道具? ああ、これですか」


 首を捻って考え込んだネーナが、懐から小瓶を取り出す。


「これは携帯用の酒瓶です。おねだりして、お兄様のを頂いたんです。私の宝物です」

「えっ!? じゃあ、魔道具というのは……」

「ただの瓶ですよ」


 キュッ、と小さな音をさせて、ネーナが瓶の蓋を開けてみせる。レベッカは絶句した。


 あの場面では、総務室の権力者であるコール副部長さえ沈黙させれば良かったのである。それでビアホフ課長もセリアも、他の職員達も抑え込む事が出来た。


 コールが小瓶を魔道具と認識したならば、他の者が異論を唱える事は出来ない。そんな大事な場面で、ネーナはブラフを交ぜてハッタリをかましたのだった。


 総務室の職員達が知らずとも、コールはネーナの事を知っている。コールがヴァレーゼ支部に足を運んだ際、同僚のギャバン人事副部長がオルトとシュムレイ公爵に絡んでやり込められたのを目の前で見ていた。


 ネーナはそのオルトの妹でありパーティーメンバーであり、シュムレイ公爵家との繋がりもある。そのような関係性も覚えていられないようでは、組織で出世は出来ない。


 ヴァレーゼ支部でギャバンの勇み足に巻き込まれなかったコールは、慎重な人物であると言える。ネーナはそれを逆手に取って、コールが自ら思考の沼に嵌るよう仕向けたのであった。


「投げ技は、『後衛も自衛できなきゃ駄目だ』ってフェスタに叩き込まれましたから。最近はやっと、稽古のアザが減って来たんです」


 ネーナが苦笑しつつ腕まくりをし、力こぶを作ろうとするが全く盛り上がらない。


 ポーカーフェイスと小芝居は、カードゲームでのオルトからの直伝である。小瓶を手にした時の呟きは、隣で見ていたレベッカさえ魔道具を使う為の合言葉なのだと信じてしまったものだ。


 ――相手が悪いって、こういう事を言うのね。


 レベッカはこの時ばかりは、ネーナと対峙したコールに同情せざるを得なかった。


 総務部に勤務していたレベッカは、ギルド本部の辞令や各種承認の実情も知っている。コールは相当無理をして、人事部にも大きな借りを作ってしまった筈。それでも辞令を出してすぐに事を収めたい、そうコールに思わせたネーナの圧勝である。




「そう言えばレベッカさん、リベルタの職員寮を退去しなければいけませんよね?」


 ネーナが話題を変えると、レベッカは肯いた。


 レベッカは本日付けの辞令を手にし、正式にヴァレーゼ支部の職員となった。本部にある机やロッカーの私物は引き上げたが、職員寮からも早急に退去しなければならなくなったのだ。


「荷物の量や荷造りの時間はどれくらいですか?」

「うーん……」


 レベッカが暫し考え込む。


 ネーナはエイミーと一緒に、ヴァレーゼ支部の職員寮にお邪魔した事があった。レベッカの部屋にも入ったが、あまりの荷物の少なさに驚いたのを覚えている。


 出向するにも小さな鞄一つに制服と下着と、最低限の筆記具と化粧品を詰めて支部に行ったという。それを加味しても、レベッカの返事はネーナを驚愕させた。


「私の荷物は旅行鞄二つで足りますよ。今日の用事を済ませてから部屋に行っても、今晩中には不要な物を廊下に出して退去出来ます」

「ええっ!?」


 旅暮らしの冒険者並の荷物量である。シルファリオに自分の部屋を持つネーナは、どんどん荷物が増えているのだ。


 レベッカが全部一人でやろうとしている事を察し、ネーナは提案した。


「でしたら、お兄様達にも相談して皆でやりましょう。早く終わらせて皆で夕食を取って、ゆっくり眠れますから」

「っ!? オルトさんが部屋に来るんですか!? 無理無理無理、無理ですよう! 恥ずかしすぎます!!」


 レベッカは顔を真っ赤にし、両手と首をブンブン振って手伝いを拒否する。


 そうは言っても、レベッカは本日付けで本部の籍が無くなるのだ。そしてレベッカにも【菫の庭園】の面々にも、まだ一つギルド本部でやらなければいけない大仕事が残っている。職員寮の退去に時間をかけてはいられない。


 ネーナは動揺するレベッカを見ながら、オルト達と合流し次第時間が許せば、有無を言わさず部屋に押しかけて手伝いの押し売りをする腹を決めていた。




 そんなネーナとレベッカに声をかける者があった。


「君達、二人だけ? 相席してもいいかな?」


 見れば、若い男の二人組がネーナ達の傍に来ていた。少し垂れ目がちで、中性的な顔立ちの男がテーブルに片手をつき、キザな仕草でレベッカに話しかけている。


 濃いブラウンの髪も相まって、男の容姿は以前に対峙した聖堂騎士のピケを思い出させる。ピケから記憶に干渉された事のあるネーナは、不快感から僅かに顔を顰めた。


 周囲への用心が足りなかったと内心で反省しながら、ネーナはレベッカの様子を窺う。レベッカは硬い表情で、テーブルに手をついた男を見据えていた。


「私達は連れを待っているんです。こちらのテーブルをご希望でしたら、他も空いていますから私達が移動しますね」


 レベッカの代わりに応えたネーナを見て、男達は口笛を吹く。ネーナが相手にせず席を立つと、慌てて止めに来た。


「ちょ、ちょっと待ってよ」

「君達ずっと二人でいたじゃないか。連れが来るなら、それまで僕等と話そうよ」


 食い下がる男達に辟易としながら、ネーナはキッパリと誘いを断る。


「私は『連れを待っている』と申し上げました。それに今、私達は大事な話をしていたんです。行きましょう、レベッカさん――」

「レベッカだって!?」


 レベッカという名に、ブラウンの髪の男が強い反応を示した。暫しレベッカの顔をまじまじと見ていたが、急に笑い出す。


「はは、本当にレベッカだよ。見違えたなあ」

「……お久しぶりです、ジョゼ・スターンさん。お別れして以来ですね」


 レベッカが硬い表情を崩さずに応えた。ネーナは事情が飲み込めないまま、レベッカを見守っている。


「話をしたかったのに、さっさと出向しちゃうんだものなあ」

「私には話す事はありませんから。それにお別れしてから出向まで、半月以上ありましたよ」

「うっ」


 レベッカの冷たい返事が予想外だったのか、ジョゼと呼ばれた男が言葉に詰まる。その間にネーナは、言い寄ってくるもう一人の男に「しつこいようならば警備員を呼ぶ」と告げて黙らせた。


 短い会話から、レベッカとジョゼはかつて恋人同士だったのだとネーナは察した。二人の現在の関係は、お世辞にも友好的には見えない。


 当たりがキツいのはレベッカの方だが、ネーナはレベッカが訳もなくそういう態度を取る女性でない事を知っている。あまり良い『お別れ』ではなかったのだと、ネーナにも容易に想像できた。


「そうツンケンしないでくれよレベッカ。俺は後悔してるんだ。君とやり直したい」


 これ以上ない程の、軽い後悔の言葉。レベッカの沈黙に手応えを感じたのか、ジョゼが畳み掛けるように言葉を継ぐ。


「勿論ニコラとも別れる。俺は大事な人が誰なのか、漸く気づいたんだ。もう間違えない。俺達はあんなに愛し合って――」

「何か勘違いしているみたいですけれど」


 すっかり自分に酔っていたジョゼの言葉を、レベッカが遮った。ジョゼがムッとした表情をする。


「私はヴァレーゼ支部長の指示でここに来たんです。貴方の顔を見に来たのでも、貴方の話を聞きに来たのでもありません」


 よりを戻すなんて冗談じゃない。レベッカからキッパリと拒絶の言葉を浴びせられ、ジョゼは驚きで目を見開いた。


 ジョゼはすっかり忘れていたが、今回最初に声をかけた時、相手がレベッカだとは気づいていなかったのだ。しかも直後に、ネーナにも色目を使っている。


 二股相手のニコラと関係を続けている状況で、レベッカとの復縁を言い出したジョゼに、レベッカもネーナも啞然としていた。二人が沈黙していたのは、単に呆れていたのである。


「――それでも。前の私だったら、自分の居場所を求めて、捨てられたくないと貴方に縋りついたかもしれません。貴方もそう思ったから、そんなふざけた復縁を口にしたのでしょう?」


 レベッカに図星を突かれたジョゼが黙り込む。ジョゼは職場の同僚や友人達にも、普段からレベッカを馬鹿にするような事を言っていた。


 ジョゼの認識と目の前のレベッカは、外見も内面も全くかけ離れていた。『チョロい』レベッカは、向こうから折れる筈だったのだ。なのにそうはならず、ジョゼは混乱していた。


 今のレベッカには、自分に勇気をくれて、自分に期待してくれる人がいる。共に支え合い、競い合い、一緒に歩いていける仲間達がいる。大事な居場所がある。


「ジョゼ。いいえ、スターンさん」


 レベッカは胸に手を当て、一度深呼吸をした。わざわざ姓に言い換え、ジョゼに呼びかける。


「先程、私には話す事は無いと言いましたが、訂正します。職員寮の私の部屋は、今日中に引き払います。貴方の私物や不用品は廊下に出しておくので、持って行って下さいね。それと――」


 半年と少々を共に過ごした恋人を見ても、レベッカは何も思い出せなかった。空虚だった日々は、ヴァレーゼ支部での濃い一月に、全て塗り潰されていたのである。




「私の心の中のどこにも、もう貴方はいません。ニコラとでも、他の方とでも、どうぞお幸せに」




 レベッカは改めて、決別の言葉を告げたのだった。

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