第百四十二話 あたしに勝ったら、一晩付き合ってあげる
その瞬間、パチパチと拍手が聞こえた。手を叩きながら歩み寄る人物の姿に、レベッカは笑顔を見せる。
「フェスタさん!」
「格好良かったわよ、レベッカ」
フェスタのすぐ後ろにはオルトがいる。二人を追いかけるレナは口を尖らせ、赤くなった額を
「何なの、こいつら。レベッカが世話になったって連中? てかさ――」
『ひッ!』
レナの射殺しそうな視線を受け、ジョゼとその連れが悲鳴を上げる。
「ぼ、僕は関係ないんだ! 仕事に戻るから!」
「あっ!」
連れの男は逃げ出し、ジョゼ一人が取り残された。レナはジョゼを一瞥し、舌打ちをする。
「――よりによって、
その言葉を聞いたオルトとフェスタは顔を見合わせ、乾いた笑いを漏らした。
そっくりとは言わないまでも、二人がすぐに聖堂騎士のピケを思い出せる程度にはジョゼの顔立ちは似ていたのである。ピケに対して恨み骨髄のレナや、完全記憶能力を持つネーナならばすぐに思い至る。
ネーナは以前、ピケによって記憶を改竄されそうになった事がある。その為、オルト達はレナよりもネーナの方を心配していたのだが、全くの杞憂であった。当のネーナは、レベッカの事で一杯一杯だったのだ。
いつの間にかネーナ達は、野次馬に囲まれていた。そこかしこからヒソヒソ話が聞こえてくる。
『あの金髪の女、さっき修練場で三十人抜きしてたぞ』
『Aランク冒険者も交じってたけど秒殺だったのよ』
『その金髪を、一緒にいる男はデコピン一発で黙らせたんだぞ』
『あいつ、
ジョゼの顔から血の気が引いていく。金髪の女――レナはその前の椅子に乱暴に座り、脚を組んだ。巻き添えで風評被害を受けたオルトはガックリ肩を落とし、フェスタに慰められている。
「どうなってんのよ、ギルド本部はさあ。ホールがナンパスポットだなんて聞いてないんだけど、あたし」
怒り心頭のレナが組んだ脚を解き、その片方をテーブルに叩きつける。ジョゼは美脚の眼福を味わう余裕もなく、ビクッと肩を震わせた。
「二人とも、大丈夫?」
「フェスタ達は何かあったの?」
ネーナ達はフェスタと、お互いの状況を伝え合った。
ずっとホールで待っていたフェスタ達だが、言い寄ってくる男のあまりの多さに、レナが我慢の限界を超えたのだという。
レナはとにかく、その美しい容姿が人目を引く。以前は聖女らしくゆったりとした服を着ていたのが、今は身体の線が出るピタッとしたものを好んで着ている為に尚更目立つのである。
「ネーナもエイミーもいないから、オルトがいつもみたいにピリピリしてなかったけど。だけど仮にもギルド本部よ?」
フェスタが溜息をつく。
この短期間に冒険者統括が変わり、年長の受付担当として睨みを利かせていたマーサはヴァレーゼ支部長に抜擢された。それらだけで、ここまでの風紀の乱れが説明出来るものではない。
レナは言い寄る男達に対し、「あたしに勝ったら、一晩付き合ってあげる」と言い放って修練場に行き、来る者を片っ端から叩きのめしたのだった。
「レナさんのおでこが赤いのは、どうしたんですか?」
「……オルトにやられた」
ネーナが聞くとフェスタではなく、不機嫌そうなレナが自ら答えた。オルトは否定せずに苦笑する。
元々レナ達は、ネーナとレベッカを待つ為にホールにいたのである。『レナチャレンジ』がお祭りのようになって長引いてしまった為に、オルトが乱入して終わらせたのであった。
レナが再び額を
――それはもしや、お兄様とレナさんが一晩過ごすという事では!?
悶々とするネーナをよそに、レナがジョゼの服装を見て眉を顰める。
「あんたさ。上着の下に着てるの、職員の制服でしょうが。その格好でナンパとか正気なの? レベッカとネーナに何もしてないでしょうね」
レナがスッと目を細めると、ジョゼはバッと床に正座して全力で頭を振った。レナはチラリとレベッカを見やり、事実を確かめる。
「まあいいけど。仕事に戻る前に一つ、あたしの質問に答えて貰おうかな」
「し、質問、ですか?」
ジョゼが問い返すと、レナは頷いた。
「このギルド本部でさ、レベッカについてある事ない事言いふらしてる奴がいるらしいけど。あんたは誰か知ってる?」
「っ!?」
ジョゼが言葉を失う。その様子を見て、レナはふうん、と呟いた。
「レベッカは、あたしらの友達なの。本部であの娘がどんな扱いだったかも知ってる。レベッカは優しい娘だから過去の事を蒸し返したりはしないけど、」
レナが言葉を切り、周囲を一瞥する。
「もしもレベッカを嗤ったり、食い物にしてた奴を見つけたら、その時には――」
聖女モードの時とは似ても似つかない、ドスの利いた低い声。
――そいつがぶら下げてるもの諸々、全部潰すから――
「うわああああ!!」
ジョゼが狂ったように叫び、立ち上がって走り出した。正座で足が痺れたのか、何度も転んでは起き上がってよたよたと逃げて行く。
ネーナは周囲にいる野次馬の男達が、下腹部を押さえて苦しそうにしているのに気づいて首を傾げた。
「レベッカもさあ、ああいうしょうもない男に引っかかってんじゃないわよ。あの顔はクズよ、クズ」
「返す言葉もありません……」
二人のやり取りを聞いたオルトが視線を逸らすが、レナに見咎められる。
「何、オルト。何か言いたい事でもあるの?」
「何も言ってないだろ……」
完全にとばっちりであった。オルトとて、この場面でレナとピケの関係に言及する程、命知らずではないのだ。
◆◆◆◆◆
「レベッカお姉さん、早く〜」
「お兄様達も急いで下さい!」
エイミーとネーナがぐったりしたレベッカの手を引き、石畳の通りを歩いて行く。
とうに日は落ち、多くの店が看板を仕舞っている。吟遊詩人は街灯の下でリュートを爪弾いているが、足を止める者は無い。
ネーナ達は渋るレベッカの部屋に押しかけ、手際良くリベルタの職員寮の退去を完了した。ヴァレーゼ支部に持ち帰る荷物は本で二箱増えたものの、それでも四箱だけである。
宿の部屋にレベッカの荷物を押し込んだ一行は、スミスと合流する為に酒場を目指している。待ち合わせに選んだのは、以前に行った事のある店であった。
「ネーナ、あの大っきいお鍋のとこだよね?」
「はい、『鉄鍋ゴング』です!」
丸太で組まれた四角い枠に直径一メートルはあろうかという大きな鉄鍋が吊られ、路地端に置かれている。
開いている窓からは大きな笑い声に怒鳴り声、調子の外れた歌声が聞こえてくる。先頭のネーナ達が店に入ると歓声が上がった。
「おお! ワドルをブチのめした嬢ちゃん達だ!!」
「本当に来たぞ!」
「もう一人別嬪がいるじゃねえか!」
「あわわわ、宜しくお願いします」
注目を浴びたレベッカがペコペコとお辞儀をしていると、給仕の女性が小走りにやってきた。
「ペギーさん、また来ました!」
「ネーナさん、エイミーさんもいらっしゃい!」
給仕の女性は人懐こい笑顔で一行を出迎える。この酒場『鉄鍋ゴング』は二月程前、オルトのAランク昇格審査の時に訪れた店であった。
ネーナとエイミーが元Aランク冒険者のワドルを相手に大立ち回りを演じた場所でもあり、常連客達はその時の事をよく覚えていた。
当時は個人でAランクの実力を認められていた乱暴者のワドルとその取り巻きを、二人の可憐な少女が圧倒した一件は語り草となっていたのである。
ネーナ達はペギーに案内され、奥に陣取るスミスの下へ向かう。その一角にはスミスだけでなく、【屠龍の炎刃】の面々が待っていた。
スミスが仲間達に労いの言葉をかける。
「皆さんお疲れ様でした。作業は終わったんですか?」
「荷物もあまり無かったしな。しかし――」
オルトはテーブルを囲む面子を見て苦笑した。
「この辺りだけ、やたらと圧が高くないか? この店だと、その方が飲食に集中出来そうだけどな」
『鉄鍋ゴング』は店構えこそ大きいが、決して高級店ではない。そんな酒場に、多くのリベルタ市民や冒険者から見れば雲上の人と言っても差し支えない、Sランク冒険者パーティーの【屠龍の炎刃】のメンバーとその傘下のクランメンバー達がいるのである。注目を集めない訳が無かった。
だか注目は集めても、絡んで来る者はいない。前回の来店時にはナンパとワドルの襲来で散々な目に遭ったネーナ達にとっては、むしろ願ったり叶ったりな状況である。
給仕のペギーがジョッキやグラスをトレーに乗せて運んで来る。
「お待たせ!」
「彼女は、ネーナ達がワドルに絡まれた時に庇ってくれたんだ」
オルトが紹介すると、快活なペギーが顔を真っ赤にして俯いてしまう。レナがジョッキを持ち上げる。
「ありがとね、ペギー。じゃあ最初の乾杯は、勇敢な給仕のお姉さんに!!」
『乾杯!!』
唱和が酒場に響き渡る。
盛況の店内のあちらこちらで、冒険者達がジョッキをぶつけ合っては豪快に呷っている。ペギーは常連客に冷やかされながら厨房に下がって行った。
「このお店、前に見つけて気になってたの。でも事務局長から、その辺の店に入るのは止めてくれって言われててね」
小皿に取った料理をつつきながら、テルミナが言う。ネーナはそれを聞き、王女だった頃の自分のようだと思った。
何度かこっそりと王城を抜け出そうと試みた事はあったが、フラウスを始めとする王女付きの侍女や『
『姫様が城を出てしまうと、多くの者が罰を受けたり困った事になってしまいます』
フラウスにそう言われてから、
『ガスコバーニ』の事務局長も、決して悪気は無いのであろう。クランの為、Sランク冒険者としての振る舞いを求めるのは間違いではない。だが今の生活が気に入っているネーナには、王女やSランク冒険者の暮らしに魅力を感じられなかった。
給仕の女性達が具材の良く煮えた鉄鍋を運んで来る。出汁の効いたスープと大量の野菜が女性にも人気の名物メニューなのだと、ペギーが説明する。
テーブルの中央に鍋が置かれるのを眺めながら、マヌエル・ガスコバーニが遠い目をした。
「仕事が終わればギルドから酒場へ。それが決まりのコースだったな。いつも何かと言っては、こうしてつるんで呑んでいた」
「禿頭の親父さんが作る揚げじゃがとポトフが絶品で、依頼を達成出来たら祝い酒。失敗すれば反省会でしたね」
弟のインメルが応じると、場がしんみりしたのを察してマヌエルは詫びた。
「済まぬ。懐かしい空気で感傷的になったようだ」
大きな木のジョッキを掲げ、エールを一気に飲み干す。
Sランクパーティーに上り詰めたマヌエル・ガスコバーニは見た所、三十代後半から四十代だ。【屠龍の炎刃】もずっと同じメンバーではない筈。
道を違えた者。二度と会えない者。敵として戦った者。ネーナには、それらに対するマヌエルの献杯のように感じられた。
「お兄さん、わたしお肉食べたい〜」
「あっ! 私もです!」
鍋を覗き込むエイミーに負けじと、ネーナも要求する。そこにレナも参戦した。
「あたしも〜!」
「出来上がるの早過ぎだろ、というかこれ『ドワーフ殺し』だぞ!?」
「あわわわわ」
レナは酒豪で鳴らすドワーフ族すら酩酊させるという酒の瓶を抱えていた。レベッカが慌てて瓶を取り上げるが、既に中は空であった。
「オルト〜! あたしに勝ったんだから、一晩付き合いなさいよ!」
「えっ!? それはレナが自分を負かした奴に付き合うって話だろ?」
「だから〜、オルトが付き合うんでしょ!」
話の通じない酔っぱらいに、オルトは助けを求めて周囲を見る。フェスタとスミスはそっと目を逸らした。
「明日もアポの確認だから、響かないようにしてね?」
フェスタの言葉に、オルトは溜息をつくのだった。
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