第百三十七話 レベッカ、顔を上げて
「こりゃまた、盛大に歓迎してくれそうだね」
慌てて走り去るガードの姿を見ながら、レナが言った。
リベルタに到着したレベッカと【菫の庭園】一行が入場の手続きに行くと、市門の警備を行うガード達が大騒ぎを始めたのである。
「カナカーナを発つ前から、先方は我々の動向を追っていたのでしょうね」
スミスの言葉を聞き、ネーナは納得した。
ヴァレーゼ支部の中、職員なり冒険者にギルド本部に通じている者がいてもおかしくない。だが誰かを陥れたり傷つけたりしない限り、そんなものを一々調べる気はネーナ達には無かったのだ。
レベッカがオルトに聞く。
「あの人は本部に連絡しに行ったと思いますけど、私達はどうしますか?」
「予定通りの順番でいいだろう。街への入場は認められたし、足止めされてる訳でもない。『ガスコバーニ』のクランハウスに行くさ」
オルトはつまらなさそうに答えた。一行の様子を窺うガード達を一瞥し、聞こえるように行き先を告げる。
ネーナが挙動不審なガードに声をかけ、クランハウスの場所を聞く。ネーナが以前訪れた時には、『ガスコバーニ』というクランはリベルタには存在しなかったのだ。
一行が礼を言い、市街に消えた途端。その場に残されたガードや、市門の出入りの手続きを待っていた者達が大きく息を吐いた。
「あれがBランクパーティー? 何の冗談だよ」
一人のガードの呟きは、同僚達の胸の内を代弁したものであった。
ガード達は人相書きに一致する者が現れたら、すぐにギルド本部に報告するようにと指示を受けていた。相手が市門を押し通る可能性があり、最悪の場合は戦闘の発生も想定されていたのだ。
だが実際に【菫の庭園】と対面したガード達は、事前に聞いた情報が全く不正確な事を知った。
『自由都市』そして『冒険者の町』と呼ばれ、冒険者ギルドが本部を構えるリベルタで市門を守るガード達。全員それなりに腕に覚えがあり、冒険者だった者もいる。
毎日の職務の中で、数多くの現役冒険者を見ている。その彼等が一目で、【菫の庭園】の拘束はおろか足止めすら不可能だと判断したのだった。
冒険者ギルド経由で一行の到着予想時刻も伝わっていて、ガードの増援がすぐに駆けつけられるよう配置されてもいた。だが、そんなものでどうにかなる戦力差とは考えられなかったのである。
ガード達は、一行が何事も起こさず通過した事に安堵すると同時に、杜撰な資料を寄越した上役に対して厳重に抗議してやろうと考えていた。
◆◆◆◆◆
一方、ガードに聞いた通りに『ガスコバーニ』のクランハウスへ辿り着いたオルト達は、困惑を隠せずにいた。
クランハウスと思しき、大きな建物。リベルタ市街のメインストリートから一本路地を入った場所で、本来ならばそう人通りは無い筈。そこに人集りが出来ていたのだ。
その人集りが突如左右に分かれ、【菫の庭園】一行に向かって一人の女性が歩いて来る。
細身で、長い銀色の髪。エルフの種族的な特徴である尖った耳を見て、エイミーの表情が強張る。ネーナが隣で手を握って励ます。
エルフ女性は二人の様子を見て微笑んだ。
「『精霊弓』のエイミー。怖がらなくても大丈夫。私はエルフだけれども、貴女に辛く当たったりしないわ」
続けて、レベッカに向き直る。
「私はクラン『ガスコバーニ』所属、【屠龍の炎刃】のテルミナ。皆さんは冒険者ギルドヴァレーゼ支部の使者と、護衛の【菫の庭園】で合っているかしら?」
「はい、私はヴァレーゼ支部職員のレベッカ・ルバーナと申します」
レベッカが名乗ると、テルミナは一行をクランハウスの中へ招き入れた。
【屠龍の炎刃】の面々は、自らヴァレーゼ支部の使者を迎える為に、クランハウスのテラス席で待っていたのだという。野次馬が集まり過ぎた事で、他のメンバーは中に戻ったのだとテルミナが説明した。
この出迎えは、オルト達の予想から大きく外れていた。もっと険悪な状況も覚悟していたオルト達は、肩透かしを食らったような気分でテルミナの後に続く。
テルミナがエイミーの手を握りながら歩くネーナに尋ねた。
「【菫の庭園】の由来は、王城ヴォル・デ・ラーマの美しい庭園からかしら、ええと――ネーナ・ヘーネス?」
ネーナの事情を知り気遣ったのか、テルミナは少し悩んでから現在名乗っている『ネーナ』と呼んだ。
テルミナの問いかけに、ネーナは驚きを顕わにする。
「テルミナさんはご存知なのですか?」
「ええ。貴女のお祖父様、先代の国王陛下がまだ若い頃に王城に招かれた事があるわ」
ネーナの祖父が若い頃となると、三十年や四十年は昔の事になる。ネーナの目の前のテルミナは、そのような年齢には見えなかった。人族に比べて長命で、外見の変化が少ないと言われるエルフならではの話であった。
ネーナはテルミナに聞いてみたい事があったが、すぐに応接室に着いてしまった。
扉を開けると、大きなテーブルの向こうに三人の男が座っていた。テルミナはその横に着席し、オルト達も勧められた席に腰を下ろしていく。
三人の真ん中に座っていた大柄な男が立ち上がる。
「まずは、遥々シュムレイ公国からよく来てくれた。俺はクランリーダーで【屠龍の炎刃】のリーダーでもあるマヌエル・ガスコバーニだ。クラン『ガスコバーニ』はヴァレーゼ支部からの使者を歓迎する」
メンバーが一人足りないが、トリンシック公国の侯爵夫人なので勘弁して貰いたい。マヌエルがそう言うとテルミナを含む他の者達も席を立った。そしてレベッカに向かって深々と頭を下げる。
「この度の、クラン所属パーティー【
マヌエルはレベッカに対し言い訳をせず、謝罪と賠償、契約の扱いについてはギルド支部が納得出来る内容を協議して決めたいと申し入れた。
全く予想外の展開が続き、レベッカは狼狽え気味である。オルトが落ち着くようにと視線を送り、レベッカはコクコクと頷いた。
「あの。謝罪は受け取りましたが、どうしてこのような事になったのか、現在わかっている範囲だけでもお聞かせ頂けませんか?」
レベッカの要望を受け、マヌエルが話し出す。
一言でいえば現場の慢心、増長。加えてトップの監督不行き届き。
【屠龍の炎刃】はギルド本部の要請により、リベルタに拠点を移す事になった。それまでリベルタに拠点を置いていたSランク冒険者が急遽立ち去った為である。
クラン『ガスコバーニ』も、傘下のパーティーを増やして依頼処理能力の強化を図った。そこで新たに加わったのが、今回のトラブルの原因になった【黄色い太陽】だったのだ。
Sランクの依頼など、そうそうあるものではない。功成り名を遂げた【屠龍の炎刃】のメンバーは、それぞれ個人で重い立場や肩書きを背負うようになり、集まる機会は稀になっていた。いきおい、クランの運営も職員に任せきりになる。
『屠龍の炎刃の名代』――クランメンバーの自覚を高める為にマヌエルが告げた言葉は、分不相応な見返りを求めたり、トラブルの揉み消しの為に相手に向けられるようになってしまった。
「身の丈に合わないクラン運営をし、振り返る事の無かった俺達に全ての責任がある。言い訳の余地は無い」
マヌエルがそう言い、再び謝罪をする。すると、マヌエルの後ろに控えていた男がレベッカに向かって両手と両膝を床につき、頭を下げた。
「私は『ガスコバーニ』の事務局長のショリー・デルハインです! クランのトラブルを【屠龍の炎刃】に報告せず、揉み消しを図ったのは私の一存です! 責任は私一人にあります!」
真っ青な顔で訴え、床に頭を擦りつけんばかりの事務局長を見て、心根の優しいレベッカは揺れていた。オルトはもう一度レベッカと目を合わせ、話を引き取る事を承諾させた。
「俺はレベッカ・ルバーナの護衛と補佐を託されたオルト・ヘーネスだ。茶番は不要、個人の責任で終わらせる気は無い。こちらの要望通りに対象者を処分して貰いたい」
『っ!!』
謝罪を茶番と断じられ、同席していたクランの職員達が血相を変える。だが、彼等の動きをマヌエルが制した。
「オルト・ヘーネス、それは受け入れられない。クラン内部の処分はクランで行う。どうしても口を挟みたければ、力ずくで俺を排除するがいい」
オルトは表情を変えずに席を立った。
「では、そうさせて貰おう」
オルトの顔をずっと見ていたネーナは、返事をする前、オルトが一瞬だけ躊躇したのを見逃さなかった。
◆◆◆◆◆
修練場に集まった『ガスコバーニ』の職員や冒険者は言葉を失っていた。
自分達のリーダーで、その力に絶対的な信頼を置いていたマヌエル・ガスコバーニ。
『重騎士』の二つ名で畏怖される男は。今、クランハウスの修練場の床に両膝をついていたのである。
「――約束は守って貰うぞ」
多くの者が格下の対戦者だと考えていた筈の『
クランメンバー達が絶句していたのは勝敗の結果のみではなかった。無謀と思われた勝負に乗り、圧勝して見せた男の要求にもあった。
『俺達の仲間、レベッカ・ルバーナとカミラ・パーカーに対する【黄色い太陽】の正式な謝罪の場を設けて貰いたい』
それ以外には何も無かった。多くの者は耳を疑った。【菫の庭園】とレベッカ以外は。
「ギルド支部の職員に謝罪させる為だけに、Sランク冒険者と戦ったっていうのかよ……」
ざわめきの中、誰かの呟きが聞こえてレベッカが俯く。ネーナが声のした方向を見据える。
「クラン『ガスコバーニ』がどうなのかは知りませんが、少なくとも冒険者ギルドヴァレーゼ支部には、仲間を侮辱されて黙っている者はおりません。マヌエルさんも、ご自身の責任と仲間の不始末、そして名誉を背負って戦われたのではないのですか?」
修練場が再び静まり返った。
フェスタは微笑み、レナはニッと笑って親指を立てる。ネーナはオルトに駆け寄って健闘を労い、その腕に巻かれたハンカチを解いた。
「レベッカ、顔を上げて。背筋を伸ばして胸を張って。あんたを信じて、あんたの為に怒る仲間がいるんだから。あんたを馬鹿にする奴がいたら、あたしらが何度でもぶっ飛ばすよ」
「神様は厳しいけど、魔王までなら実績あるからね」
「レナさん、フェスタさん……」
二人の言葉にレベッカが涙ぐむ。その様子を静かに見ていたスミスに、エルフのテルミナが声をかけた。
「勇者トウヤのパーティーとは全く違うけど、素敵な仲間ね」
深く頷き、スミスが応じる。
「今の我々は、使命を背負っている訳ではありませんからね」
「お姉さんはトウヤを知ってるの?」
テルミナはその問いに答えず、優しげな眼差しでエイミーの頭を撫でると、修練場にいるクランメンバーに告げた。
「私達が立ち会ったこの勝負を汚す者は、【屠龍の炎刃】に不満を表すも同然と心得なさい。全員が『屠龍の炎刃の名代として』客人をもてなし、戦士を遇するように。以上、解散」
凛としたテルミナの号令で、『ガスコバーニ』の職員や冒険者達が整然と退場していく。
修練場の中央では、オルトが差し出した手を取ってマヌエルが立ち上がろうとしていた。
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