第百十五話 アオバクーダンジョン

 一見すると無造作に放ったとしか思えない矢が、黒い身体に次々と突き刺さる。敵はこの世の物とは思えない叫び声を上げると、地面に倒れてそのまま動かなくなった。


「近くにはもういないと思う」


 エイミーは油断なく周囲を見回す。【菫の庭園】と【運命の輪】、二つのBランクパーティーは再びアオバクーダンジョンに向かって進み始めた。




 メラニアが歩きながら、【菫の庭園】一行に説明する。


「『死ぬ』という表現が適当かどうかわかりません。ですが、ある程度の攻撃を受けた個体は倒れて活動を停止します。死んだかのように。その後、消えてしまうんです」


 メラニア達【運命の輪】は、実際にアオバクーダンジョンの入口で敵と戦っていた。ギルドに報告は上がっているが、戦った当人の口から直接聞くと更に詳細な情報を得られる事がある。


 漆黒の天使のような敵は、暫定的に『黒鳥人』と名付けられた。暫定的な名称がそのまま広まる事も多く、『黒天使』では後々面倒になるかもしれない。レナがそのようにストラ聖教への配慮を提案し、それを仲間達が受け入れたのだ。


「黒鳥人のその、死体? それが消えたの?」

「その通りです、フェスタさん。私達が倒した黒鳥人は、全て風に溶けるように消えました。後には何も残さずに、です」


 メラニアが言うと、ネーナはスミスを見た。スミスは頭を振る。


「何もわかりません。生物かどうかも、本来この世界に存在するものかどうかも。まだ判断が可能な程の情報が集まっていません」

「申し訳ありません、スミス様。私達が不甲斐ないばかりに……」

「っ!? いえいえそういう事ではなくてですね……!」


 頭を下げるメラニアに、スミスが珍しく慌て気味にフォローを入れる。


 そもそもアオバクーダンジョンの『溢れ出しオーバーフロー』への対応は、二つのCランクパーティーが連携して行っていたものだ。その時に出ていた魔物は黒鳥人ではなかった。


 それが黒鳥人が出現するようになり『魔物暴走スタンピード』の兆候を見せた事で、到着が遅れているAランクパーティーの代わりに【運命の輪】が対処に回ったのである。


 メラニア達は格上であるAランク相当の案件に急遽臨んで、被害を出す事なくオルトに引き継いだ。その働きは称賛に値するものだった。


「ダンジョンが近づく程に禍々しい気配が強くなるわね。メラニア達が無事に戻ってくれて良かった」

「フェスタさん……」


 フェスタの言葉に、【運命の輪】の面々の表情が暗くなる。この一行の中で、オルトの恋人であるフェスタこそが、誰よりも彼の身を案じている筈だからだ。


 オルトがそう指示したからとはいえ、自分達だけ帰還した【運命の輪】のメンバー、とりわけアタッカーのイリーナは非常に悔やんでいた。


「そんな顔しないの、イリーナ。オルトなら大丈夫だから」

「……うん。私達は、私達に今出来る事をするよ。その為に来たんだから」


 フェスタに慰められたイリーナは、キュッと唇を噛んだ後で顔を上げた。そのイリーナに、ネーナが問いかける。


「イリーナさん、皆さんがいた時に比べてダンジョンの周辺に変化はありますか?」

「敵がいない。私達がいた時には、常に視界に入る程度には黒鳥人を確認出来た」

「オルトさんが到着した時に相当数を倒した事もあると思います」


 即答したイリーナに続き、メラニアが補足をする。オルトは【運命の輪】が撤退する時間を確保する為、ダンジョン入口を塞ぐ魔法障壁を解除させて溢れ出る黒鳥人を根こそぎ斬り捨てた。それはメラニア達が見ている。


 そのメラニアが見る限り、ダンジョン周辺の現在の状況は非常に落ち着いているように感じられた。それなのに、フェスタが言うように禍々しい気配に満ちている。二つのパーティーは足を早め、ダンジョンの入口へ急いだ。




 一行がアオバクーダンジョンの入口に到着すると、一体の黒鳥人に遭遇した。弓を構えたエイミーを制し、イリーナが前に出る。


「私達にやらせて」

「お願いします」


 ネーナが応えると同時に、スカウトのジャックが走り出す。それをイリーナが追った。


「!!」


 黒鳥人が接近するジャックに気づく。刃物状に変化した右腕により飛んで来たダガーが弾かれた時、ジャックは黒鳥人の回り込んでいた。


「!?」


 混乱しながらも黒鳥人は、右腕を振り回して二人のジャックを牽制する。その右腕を、距離を詰めたイリーナが受け止める。


 黒鳥人が左腕をイリーナに向ける。その長い筒状に変化した左腕を見て、ネーナが叫んだ。


「イリーナさん!!」


 至近距離で、黒鳥人の左腕から黒い砲弾のようなものが射出された。だが砲弾はイリーナに当たる事なく脇を抜け、その背後の木をへし折った。


 直後、イリーナの大剣が黒鳥人を袈裟斬りにする。ネーナは言葉を失っていた。


「やるわね。幻覚と認識阻害かしら?」


 フェスタの問いに、メラニアが首肯く。


「ギルドに報告した通り、黒鳥人は視覚を活用しているようです。故に幻覚で混乱させる事が出来ます。私達と似たような認識方法を取っていると考えられ、認識阻害の魔法も効果があります」

「素晴らしいです、メラニアさん」


 スミスが称賛し、ネーナは無言でコクコクと頷いた。感動で言葉が出ないのだ。


 魔術師としての才能や力量で言えば、メラニアはごく平均的なレベルにある。本格的な魔術師としての訓練を始めてから一年に満たないネーナは、既にメラニアを追い抜いていた。


【運命の輪】以外のBランクパーティーでメラニアが力を発揮出来るかどうかと問われれば、それは難しい。それでも【運命の輪】では、一枚のパーツとして機能出来ている。


 それはメラニアの『考える力』の賜物だった。メラニアはずっと考え続けて来た。【運命の輪】の仲間達と歩む為に、生きて帰る為に、目的を達する為にどうすればいいのか。自分は何をすればいいのか。


 優れた魔術師ならば個人の力量で成せる事だが、メラニアはそうではない。求める結果を出す為に、メラニアは柔軟な発想をする事が出来る。それは、経験が足りず才能と環境に恵まれたネーナが現状では追いつけない部分である。


「ネーナ、見ましたか。自分の器を知り、その上で事を成すべく力を尽くす。彼女の姿を覚えておいて下さい」

「はい」


 ネーナはスミスの言葉に素直に頷き、戦闘を終えた仲間達を気遣う魔術師の先輩メラニアの姿を記憶に刻み込んだ。




「【運命の輪】の皆さんは、この辺りを探索して討ち漏らしが無いのを確かめてからダンジョンに進入して頂けますか?」

「了解、無理はしないよ。中の様子次第では入口で黒鳥人の流出に対処するわ」


 ダンジョン入口でネーナとイリーナが言葉を交わす。


 アオバクーダンジョンは、旧コスタクルタ伯爵領内であり情報が少ない。当然ながら設置されたばかりのヴァレーゼ臨時支部では何もわからず、エルーシャが短い時間の中で本部と北セレスタ支部に協力を要請し、かつて存在したナカーナ支部の関係者から掻き集めたものが全てである。


 ダンジョンは全部で三層と浅い構造で、神殿風の内部には元々魔物はいなかった。財宝や価値のある品が見つかる訳でもなく、半ば放置されていたのだ。


 雑に封鎖された入口からゴブリンやオーク等の魔物が進入して住処となる事があり、対処に冒険者への依頼が来る程度だった。それが旧伯爵領のギルド支部が撤退を検討し始めた頃、ダンジョンは伯爵家の管轄になり一帯への立ち入りが禁じられた。魔物の出現が確認され始めたのは、その後の事だ。


「伯爵家の現当主、いえ、最後の当主ですか。彼は土地神の封印を解いた前科もありますから。このような事態に繋がる何かをしたと考えるのが妥当でしょう」


 スミスが見解を述べる。その時、地面が小さく揺れた。


「行こうよ。お兄さんが待ってるよ」


 エイミーが仲間達を促す。オルトがダンジョンへ向かってから、エイミーの口数が減っている事に仲間達は気づいていた。


 エイミーは淡々と自分に与えられた仕事をしていたが、オルトの下へ駆けつけたいのは誰もがわかっていた。それは仲間達に留まらず、エルーシャ達ギルド支部の面々の思いでもあったからだ。


 オルトがどうにかなるとは誰も思っていない。それでも心配にはなる。


「行きましょう。後をお願いします、メラニアさん」

「任せて下さい。ネーナさん達もご無事で」

「『貸し一つ、本気で勝負しろ』って、オルトに伝えて」

「はい」


 イリーナらしい言葉に苦笑しながら、ネーナ達が走り出す。再び足下が小さく揺れる。ダンジョンの中で何かが起きている事に、疑いの余地は無い。そこにオルトがいるであろう事も。


【菫の庭園】一行は迷う事なく、ダンジョンの闇の中に踏み込んで行った。




 ◆◆◆◆◆




 ダンジョンの中は、明らかに人の手が入った作りになっていた。


 素材の特性か、魔法的な加工が為されているのか、隙間無く床と壁に並べられた石板が薄く発光しており、移動するのに十分な視界が確保されている。


 通路の所々に瓦礫が積まれ、その上の天井が崩れている。それらは先に進む程増えるが、動いている者の姿はおろか倒れている者もいない。


「全部オルトが片付けて、消えたって事かな?」

「多分ね。罠は?」


 フェスタが尋ねると、レナは振り返って肩を竦めた。


「相当数の、多分黒鳥人が移動したような痕跡はあるのよ。それにオルトが隈なく敵を倒して回ったろうから、罠があるならどっちかで全部発動してると思う」


 一応、復帰型の罠には気をつけてる。レナはそう言って先行する。


 一行が瓦礫を避けながら奥に進む程に、ダンジョンの揺れの大きさと回数が増す。第三層への階段は、下りきった場所が崩落して塞がれていた。スミスがレナに声をかける。


「私とネーナで壁と天井を補強します。レナさんは目の前の瓦礫を」

「吹き飛ばしていいのね?」


 返事の代わりに、スミスが魔法障壁を展開した。ネーナも合わせて魔術を行使する。


『はあッ!!』


 レナが気合いと共に両手を前に突き出す。直後にレナの掌より生まれた光球が大きく膨らみ、視界を遮る瓦礫を言葉通りに吹き飛ばした。


 第三層に到達したネーナの目が、オルトを捉える。ネーナは声の限りに叫んだ。


「お兄様!!」


 オルトはダンジョンの最深部、祭壇の向こう側でネーナ達に背を向けていた。その表情は見えないが、足取りはしっかりしている。


「この層全てが射程範囲内だ! 高威力の飛び道具がある!」


 振り返る事無くオルトが警告をする。その先の壁には大きな穴が開いていて、それを押し広げようとしているのか触手らしきものが穴の縁で蠢いている。


 穴の向こうに見える、無数の赤い光。その正体に気づいたネーナは息を呑んだ。




「――目、です。あれは全て、巨大な一つの物体が持つ、目です……!」

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