第百十六話 お兄様が戦うのなら、私も戦います
「あ、あぅあ゛……」
ネーナが恐怖に満ちた表情で、言葉にならない声を漏らした。身体の震えが止まらず、魅入られたようにダンジョンの奥を見つめている。
アオバクーダンジョンの第三層は、祭殿とも呼べる大きな空間になっていた。階段を下りたネーナ達の先に祭壇があり、その奥の壁に大穴が開いている。
祭壇の上には横たわっている者があり、破壊し尽くされた祭殿の床にも何者かが倒れている。
大穴の向こうの『何か』と対峙していたオルトが、ゆらりと動いた。
――
『
ネーナ達の目前からオルトの姿が掻き消え、触手に向かって稲妻が走る。
稲妻の直撃を受けて数本の触手が消し飛ぶが、すぐに新たな触手が伸びて穴の縁にへばり付いた。その間に大穴から現れた三体の黒鳥人は、縦横無尽に駆ける
仲間達は、オルトの戦いを呆然と見つめていた。凄まじい攻防に手助けをする余地を見出せなかったのだ。
オルトの殲滅速度が敵の手数を僅かに上回っているのは、仲間達にもわかった。だからこそ加勢するつもりで下手に手を出せば、オルトの優位を損なってしまうかもしれない。仲間達はそれを恐れていた。
レナ、エイミー、そしてスミス。勇者パーティーの三人にとっては、まだ記憶に新しい出来事。魔王や魔王軍の幹部と戦う勇者トウヤを見ているようだった。
「何よこれ……オルトは何と戦ってるの?」
「レナ!」
「!?」
強く名を呼ばれ、レナが反応する。見ればフェスタが、顔面蒼白なネーナを抱きかかえていた。
『
『
レナがネーナの平静を取り戻すと、すかさずスミスがパーティーメンバー全員の精神抵抗を補強する。しかし精神に強い負荷をかけられていたネーナは蹲り、胃の中に残る物を吐き出してしまった。
「すみません、先に精神抵抗を強化しておくべきでした」
スミスが謝罪する。勇者トウヤと共に最終決戦まで戦い抜いたスミス、レナ、エイミー。元近衛騎士であり、常より心構えの出来ているフェスタ。ネーナが油断していた訳ではないが、誰のサポートも無しに対峙するには、今回の敵は荷が重過ぎた。
スミスの顔色も芳しくない。敵の正体に推測がついてしまった故に。
「……オルトが戦っているのは異世界の存在。我々の世界で言う所の『魔王』であると考えられます」
戦っているオルトは勿論、スミス達も咄嗟に『赤い目』の魔力に抵抗した。だがネーナだけは対応が遅れ、恐慌状態に陥ってしまった。ネーナの戦意は、完全に挫けてしまっていた。
誰の目にも、この戦いにおいてはネーナが戦線に復帰する事は不可能に見えた。精神を消耗した魔術師が術を制御するのは非常に困難だからだ。
謝罪はしたが、スミス達も容易く抵抗出来た訳ではない。ネーナに気を配る余裕が無い、恐るべき敵。信じられないといった表情で、フェスタが呟く。
「魔王って……」
「穴の向こう側から世界を跨いで干渉している為なのか、本来の力が発揮出来ていないようです。ですが穴を抜けてこちらの世界に来てしまえば、どうなるかわかりません」
どちらにしても、単独で渡り合っているオルトが驚異的である事に変わりはない。今この瞬間さえ、大穴の縁で蠢く無数の触手を片っ端から切り落としている。
スミスは壁に開いた大穴を、ネーナの召喚魔法における『門』と同種のものだと考えていた。オルトの攻撃で大穴の縁の触手が無くなった時、穴が小さくなって行くのも見た。
強制的に術で開いた『門』は、術の行使が終われば閉じる筈。術者が何を召喚しようとしたのかはわからないが、『魔王』は門を無理矢理拡げてこちらの世界に来ようとしている。
「召喚魔法は継続していないの!?」
焦りを滲ませるレナの問いに、スミスは頭を振った。
「それは無いでしょう。祭壇の『生贄』は既に死亡していて、魔力も生命力も感じられません」
生贄が生きているなら、或いは祭壇で何か出来る事があるなら、オルトが放置しておく筈が無い。オルトは祭壇の状況を確認した上で、全力で大穴に対処する選択をしたのだろう。スミスはそう考えた。
「おじいちゃん、どうすればいいの!? お兄さんだってずっと戦うのは無理だよ!」
エイミーの悲痛な叫びを聞き、蹲っていたネーナが顔を上げる。その目の前で、オルトが懸命に稼いだアドバンテージは振り出しに戻されてしまう。
突如、大穴の向こうから赤い光線がオルトに伸びる。オルトは足を止め、剣を払って光線を逸らす。光線は直撃した壁面を破壊し、第三層が大きく揺れた。
「っ!?」
よろめいたネーナが再び顔を上げた時、左肩から血を流したオルトが一本の触手を両断していた。オルトの攻撃の手が僅かに止まった間に、大穴の縁にはびっしりと触手が張り付いている。
呆然とオルトの戦いを見つめていた仲間達の中で、いち早くエイミーが弓を引き絞り叫んだ。
「お兄さん、退がって!!」
振り向かずにオルトが応える。
「通常の矢は効かない! 俺が退いたら、穴の縁にかかってる触手を引っ剥がせ!」
「うん!」
エイミーが握る弓と矢尻が炎に包まれる。
『
射掛けられた無数の矢が、触手に突き刺さり焼き尽くす。大穴の向こうから苛立つように赤い光線がエイミーに伸びる。それはスミスの魔法障壁をも突き破ったが、
「この広間、魔術的に補強されてるようだがそれでもこの有様だ。障壁も正面から受け止めては持たない」
「角度をつけましょうか」
オルトの指摘を受け、スミスが大穴に対して斜めになるよう魔力障壁を展開する。
エイミーの後ろに下がったオルトを、フェスタが抱き止める。
「ごめんねオルト、遅くなって。少し休んでて」
「まだ――」
「休んでて」
まだ戦れる。そう言おうとしたオルトを遮り、フェスタが前に出た。
「フェスタ……」
「穴の向こうの『アレ』を、絶対にこっちに来させる訳には行かないんでしょう? 時間を稼ぐから十五分で手当てを済ませて」
「あたしも戦る」
フェスタの隣にレナが立つ。
「トウヤが死んだ時、あたしらは何も出来なかった。仲間も何人も死んでいった。あんな思いはもうたくさん!」
「こんなの、前の『魔王』に比べたら大した事ないよ!」
障壁を盾に大穴を射続けるエイミーが叫んだ。オルトはフェスタに、腰に提げた二振りの剣を片方、鞘ごと外して差し出した。
「フェスタ、持ってけ」
「これ、サーベル?」
派手な装飾の施された剣は、付与された魔力を示す強い輝きを帯びている。
「偉そうな奴が提げてた魔法の剣だ。サーベルなら使えるだろ?」
剣を試すようにヒュンヒュンと風を切り、フェスタが頷く。
「いい剣ね、借りるわ。ネーナ。オルトをお願い」
蹲ったままのネーナにフェスタは微笑みかけ、レナと共に大穴へと駆け出した。今度はフェスタとレナ、エイミーによる攻撃が始まる。
「あ……」
「あいつの目にやられたのか。動かなくていい」
ネーナの下へオルトがやって来る。ネーナはオルトの怪我の酷さを見て愕然とした。覚束ない手つきでポーションや薬を取り出し、オルトの手当てを始める。
後ろからでは全くわからなかったが、オルトの身体の前面にはいくつもの裂傷や大きく抉られた痕、大量の出血を思わせる痕跡があった。
「すまん。皆が来る前に片付けておきたかったんだが、俺の力が足りなかった」
オルトが詫びると、ネーナはフルフルと頭を振った。じわりと涙が出る。
「どこか痛むのか?」
オルトの気遣わしげな声に、ネーナは再び頭を振る。ネーナは情けなさで一杯だった。
オルトが身体の前側だけに酷い怪我をしていた理由は明らかだった。一歩も退かず、敵に背を向ける事なく戦い続けたからだ。
何日も、一人きりで。目が合っただけでネーナの心が折れてしまうような恐ろしい敵を相手に。
今はこんな酷い状態なのに、オルトはネーナを気遣ってくれる。
「皆戦っているのに、私は……」
目の前では援護を受けたフェスタがレナと共に、複数の黒鳥人を相手に奮戦している。エイミーは大穴の縁の触手を焼き続け、スミスは戦線の崩壊を防ぐ為に集中していた。
自分だけが蚊帳の外、戦力外。そんな気持ちで俯くネーナの頭に、ポンと大きな手が乗せられた。
「こんな暗くて気の滅入る場所、さっさと出よう。保存食も飽きたしな」
そろそろ時間だ。そう言ってオルトが立ち上がり、腰の剣を確かめる。その姿をネーナは見上げた。
「ネーナ?」
気がつくと、歩き出そうとしたオルトの剣の鞘を、ネーナは咄嗟に掴んでいた。振り返ったオルトは戸惑いの表情を浮かべている。ネーナ自身も己の行動に驚いていた。
「……こ、怖いです。あの『魔王』が、怖くてたまりません……でも。お兄様が、皆が戦いを止めないのに、私だけここで見ていられません。私は吟遊詩人じゃないんです」
ネーナが思いを言葉にするのを聞いたオルトは、静かにネーナに問いかけた。
「あれは強いぞ? ここで待っていても、誰もネーナを責めたりしないぞ?」
「他の誰かが責めなくても、ここで逃げた私を私自身が許しません。お兄様が戦うのなら、私も戦います。連れて行って下さい」
「……そうか」
オルトは微笑み、ネーナに手を差し出した。
「来るからには泣き言は聞かないぞ?」
バチッ! バチン!
ネーナは自分の頬を両の手で二度、思い切り叩いた。そしてオルトの手をしっかりと握り、立ち上がる。
「皆に迷惑かけた分、取り戻します!」
ネーナは涙を拭い、口元を引き締めた。
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