第百十七話 招かれざる客にはお帰り願おうか
「――待たせたな。後は任せろ」
フェスタとレナに襲いかからんとしていた触手と黒鳥人が霧散する。二人の前に出たオルトは、猛然と大穴の縁で蠢く触手を殲滅し始めた。
たった十五分。その短時間でフェスタは満身創痍になっていた。レナとスミスの支援を受け、死力を尽くして稼ぎ出した十五分。その時間で手当てを済ませ、戦線復帰したオルトにフェスタが聞く。
「少しは役に立った?」
「……最高だよ、二人共」
『魔王』に対峙したオルトが、振り返らずに答える。レナに肩を借り、後方に下がっていくフェスタは、誇らしげな表情を見せた。
後方ではネーナ達が話をしていた。オルトが戦線に復帰した事で、エイミーも弓を引く手を休めている。
「……そうですね。ネーナが術を制御出来るのなら妥当な作戦でしょう」
「わたしはいいと思うよ! やっちゃおうよ!」
三人のやり取りを聞きながら、レナがフェスタを回復する。レナは前線でセカンドアタッカーとヒーラーの二役をこなしながら、赤い光線を始めとする『魔王』の不意の攻撃に対処し続けていた。戦線の崩壊を防いだ最大の立役者と言えるレナも、相当に消耗していた。
それでも二人は手当てを済ませると、早々にスミス達の護衛に回る。酷い有様のフェスタを見て、ネーナが息を呑んだ。
「フェスタ……」
「ネーナ、大丈夫なの?」
そのフェスタに気遣われ、ネーナは唇を噛み締めて頷く。ネーナの視線で自分のなりに気づき、フェスタが苦笑した。
「私は見た目ほど大事にはなってないから。レナに回復して貰ったし」
「でもあたしはスッカラカンよ、魔力。この先誰か大怪我されると厳しいかな」
レナの言葉を聞いたスミスが、大穴を指差す。そこでは、駆け巡る稲妻が当たるもの全てを消し飛ばしていた。敵は完全にオルトへの対処に追われている。
「その心配は要らなさそうです。今更ですが、規格外としか言いようがありません。恐らく我々が来なくても、オルトは一人でどうにかする気だったのでしょう。ただ――」
「――トウヤとは違う危うさを感じるわね」
レナがスミスの言葉を引き取る。確かにオルトは強い。どうして近衛とはいえ、一介の騎士に収まっていたのか不思議な程に。
勇者トウヤの仲間として行動を共にしたスミス達から見て、特に最期に近づいたトウヤは何もかもお構いなしに突き進み、自暴自棄であるかのようだった。
オルトは違う。敵の強さ、自分の置かれている状況。何もかも承知で、躊躇う事なく自らが前に出る。全く印象の違う二人は、奇しくも同じ行動を取っていた。
フェスタが溜息交じりに言った。
「……周囲の人間からすれば、どっちもたまったものじゃないわね。オルトは昔からそういう所があったって、パメラ様が言ってたけど」
「パメラ様が?」
オルトの姉の名に反応したネーナに、フェスタが微笑みかける。
「今度教えてあげる。取り敢えず今は、あいつに門前払いを食わせて、皆で帰りましょう。もう落ち着いた? ネーナ」
「はい」
スミスは大穴の前で戦っているオルトの様子を見ながら、敵を追い払う段取りを確認する。オルトはタイミングを合わせて退く事になっている。
やる事は至ってシンプルだ。例えるなら『魔王』の状態は、窓枠にしがみついてこちらの世界を窺っているようなものだとスミス達は考えた。
ならば窓枠にかかっている
『強烈な一撃』を敵に加える役割は、ネーナに託された。今のネーナでも一度だけなら『時空の門』を開く事が出来る。足りなければ全員の火力を敵に集中させる。
チャンスは一度きり。
「タイミングはネーナに任せます。私とエイミーがサポートしますから、思い切りやりなさい」
「全力でサポートしちゃうよ!」
スミスとエイミーの激励を受け、ネーナが頷く。
大穴を見据え、そこで戦うオルトの背中を見据え。ネーナは深く息を吸い込み、そして声を振り絞った。
「お兄様、行きます!!」
「来い!!」
間髪入れず応じ、オルトはニヤリと笑う。
「さて、そろそろ招かれざる客にはお帰り願おうか。だがその前に――」
オルトの剣の刃が薄い光に包まれる。
――
「俺の仲間達と遊んでくれた礼。そして俺の修練に付き合ってくれた礼だ。完成したばかりだが、遠慮無く受け取ってくれ」
『
横薙ぎの一閃から繰り出された巨大な光の刃が、大穴に吸い込まれる。直後、今までの比ではない揺れが第三層を襲った。ネーナは立っていられず、床に膝をつく。
「まさかあいつ、また使ったの!?」
「いえ、今のは『
オルトの放った一撃を見て、レナが顔を顰める。しかしスミスは、レナの推測をキッパリ否定した。
オルトはアオバクーダンジョンに単身で向かう際、『勇者の一撃の代わりになる技のアイデアはある』と言っている。今見たそれが、新しくオルトが習得した技なのだとスミスは考えていた。
二人のやり取りをよそに、立ち上がったネーナが詠唱を開始する。
――
オルトが大穴の前から離れる。同時にエイミーの矢が、再び穴の縁を埋め尽くさんとする触手を滅していく。今までに無い数の黒鳥人が現れるも、ここが勝負所と定めたエイミーは一体たりとも討ち漏らさない。
――
ネーナ達の下へオルトが戻り、抱きかかえていた全裸の遺体を床に横たえた。遺体は胸に短剣が突き立てられていて、生贄に供されたせいか骨と皮ばかりのミイラのようであった。
――
スミスが魔法障壁を多数展開し、ネーナの前から大穴までの道を作る。あたかもそれは、異界の王たる存在を討ち滅ぼす巨大な大砲の砲身のように見える。
仲間達が大穴に目を向ける中、ネーナの詠唱が完成した。ネーナは声高らかに、『魔王』を撃つモノの名を呼び上げる。
『
刹那。ネーナの前に生じた空間の裂け目より、眩いばかりの光の奔流が迸る。それは第三層を明るく照らし、先にオルトが放った一撃と同じように大穴に吸い込まれた。再び大きな揺れが齎される。
「やった!」
エイミーが歓声を上げる。【菫の庭園】一行の目の前で、大穴が急速に縮小していく。二つの世界を繋いでいた穴が閉じる直前に怒りの咆哮が響き渡ったが、それが『魔王』の最後の抵抗となった。
「っ……」
「おっと」
大魔術の行使を終え、よろけたネーナをオルトが支える。ネーナは女性の遺体の前に跪くと、故人の魂の安らぎを願った。
フェスタがボロボロになった外套を脱ぐ。
「祭壇にいた子ね」
「ああ」
オルトは短く答えて短剣を引き抜き、恐ろしげに見開かれていた目を閉じさせる。レナは短く祈りを捧げる。スミスとエイミーは黙祷していた。
遺体の身体的特徴から辛うじて、女性である事とエルフであろう事が推測出来る程度。小柄であり少女なのかもしれないが、衣服だけでなく装飾品の類いも身に着けていない。これでは身元の特定は難しい。
大穴への対処を優先し祭壇に放置していた事を、オルトは心の中で詫びた。
自らの外套で遺体を包もうとしたフェスタが、背中を見て顔を顰める。
「奴隷紋……」
遺体の小さな背中には、大きな円形の術式が刻まれていた。奴隷紋は支配、隷属などを目的に使われる、呪いのようなものだ。術者が紋を刻んだ対象に『○○を禁じる』という形で強制力を発揮する事が出来る。
「この場合は、『祭壇の上で動くな』って事ね」
レナが吐き捨てるように言った。仲間達も怒りを顕わにする。ネーナは念の為、奴隷紋の写しを取り始めた。
先刻オルトは異世界の魔王に対して『招かれざる客』と言ったが、そのような存在を呼び寄せる門を開こうとした者がいたのは間違いない。
この遺体の女性以外にも第三層で死亡していた者はいた。フェスタが使っているサーベルの持ち主は、服装から高い身分であると推測される。
旧コスタクルタ伯爵家が絡んでいるのは確実。他に少なくとも、この召喚の儀式を実現する者と生贄を用意した者が存在する筈。
「エルフ女性なら誰でもいい訳ではありませんから。この召喚の儀式も、賢者の塔では禁術レベルのものです」
スミスの苦り切った表情が、事の重大さを表していた。
「どの道、俺達の仕事はここまでだ。調査は公国や自治州で行う事になる。どこまで判明するかわからんが、簡単に足がかりを掴ませては貰えないだろうな」
オルトが溜息をつく。フェスタが遺体を外套で包むと、仲間達もそれぞれに腰を下ろす。
「さて。異界に通じていた穴は塞がったようだが……脱出は諦めるしかないか」
オルトが第三層からの唯一の出口を見て苦笑する。既に出口は天井が崩れ落ち、上り階段も見えなくなっている。
第三層自体も所々天井が崩れているものの、崩壊にまで至る様子は無い。これはスミスがネーナの一撃の余波を最小限に抑え込んだ事で、層全体に施された防護魔術がまだ機能している為であった。
「流石スミスだな」
「とはいえ、その前のオルトの一撃は全く予想外でしたよ。少々冷や汗をかきました」
言葉と裏腹に平然とした顔で、スミスが落下物避けの魔法障壁を仲間達の頭上に展開する。
「皆ヘロヘロだものね。エイミーも手を出して。ずっと弓を引いていたから、指が切れちゃってるじゃない」
「えへへ、フェスタお姉さん有難う〜!」
フェスタがエイミーの手当てを始める。脱出を断念したと言いながら、仲間達には緊張感も悲壮感も無かった。
奴隷紋を写し終えたネーナはオルトの隣に腰を下ろし、身体を預けて目を閉じた。肉体的なダメージこそ少なかったが、『魔王』の精神攻撃によるネーナの消耗は相当なものだったのだ。
「その内に
「はい、お言葉に甘えます……」
目を閉じたまま、ネーナが応える。懸命に瓦礫を粉砕しながら進む【運命の輪】の面々の様子を想像し、ネーナは安心して意識を手放した。
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