第百十八話 臨時支部長代行
「支部長、こちらの書類の決裁もお願いします」
支部長補佐のエルーシャが、机の空いたスペースに山積みの書類を置いていく。懸命の作業の末に漸く仕事を片付けても、間髪入れずに追加されて全く先が見えない。
「あの、支部長……ヴァレーゼ自治州軍の調査官と仰る方が、支部長に面会を求めています……アオバクーダンジョンの調査と検証の件について、だそうです……」
レベッカが恐る恐るといった風に用件を告げる。その調査官という男は、何かと言えば面会にやって来る。ギルドから出せる情報は全て渡してあるのだから、会った所でどうにもならないというのに。
更にカミラが急ぎ足でやって来た。
「支部長! 冒険者同士で喧嘩を始めてしまって! 止めて下さい!!」
ヴァレーゼ臨時支部は職員達、それに冒険者達の働きで運営が軌道に乗り、『ヴァレーゼ支部』へと名称変更した。一般の依頼を扱うようになった事で、本部から派遣された者以外の冒険者も受け入れ始めている。
新しいギルド支部へ乗り込んで来るような生きの良い冒険者達が顔を合わせれば、揉め事も増えるのは必然と言えた。
他の職員達もひっきりなしに声をかけたり、用件を伝えて来る。
「支部長、ポーションの納入業者がうちの足下を見て値上げを通告して来たんですよ。何とかなりませんか?」
「支部長! レナさんが『解体作業ばかりで飽きた』って逃走しました! 仕事回りませんよ!」
「支部長〜、私達と飲みに行きませんか?」
「支部長、ネーナちゃんを食事に誘いたいんですが」
「支部長!」
「支部長?」
――プチッ――
『喧しいわッ!!』
プルプルと震えていたオルトが爆発し、ギルド支部内が静まり返る。
「お兄様、ではなく支部長。お茶が入りました」
「お菓子もあるよ〜」
そこにギルド職員の制服に身を包んだネーナとエイミーが、トレーを持ってやって来た。ピリッとした空気が緩む。
「二人共可愛いしスタイル良いから、制服も似合うわねえ」
カミラが言うと、他の職員や冒険者達がうんうんと頷いた。二人が期待の視線をオルトに向ける。
「二人共、よく似合ってるよ」
「うふふ、お兄様に褒められました!」
「わーい!」
喜んでクルクルと回るネーナとエイミーに苦笑しつつ、オルトはカウンターを乗り越えホールに出る。
「ギルド支部の中で喧嘩を始めた馬鹿共はお前等か?」
睨み合っていた冒険者達は、突然襟首を掴んできたオルトを見てギョッとする。
「『
「な、何もしてねえよ! 本当だ!」
慌てる冒険者達に、呆れたようにオルトが告げる。
「暴れ足りないなら討伐依頼でもやって来い。何なら裏で、俺が相手になってやるぞ」
揉めていた冒険者達が、バツの悪そうな顔で引っ込んで行く。オルトがレベッカに声をかける。
「レベッカ」
「は、はい!」
「面会は特別な話が無い限り、定期的なものだけにすると伝えてくれ。実のない話をいくらしても、時間の無駄だ」
「はい!」
レベッカがパタパタと走り去る。
「ナッシュ。こちらから適正価格での取引を提示して、納得出来る理由無しに相手が押してきたら『他の業者に切り替える』と伝えていい。出来るだけ地元の業者を使う方向で、無理ならネーナに相談して融通してもらえ」
「了解です!」
ナッシュは机に資料を並べ始めた。オルトが他の職員達を見回す。
「レナはどこかの酒場にいるから、『教会の奉仕活動とどっちにするか選べ』と言って連れて来い。飲みの誘いは有難いが、お前達だって給料に特別手当がついてるだろ。早上がりの連中で繰り出して、町に金を落として貢献して来い。タチの悪い男に引っ掛かるなよ?」
オルトは嫌そうな表情で支部長の椅子に座る。ラスタンが用意させた無駄に豪華な椅子は、身体が沈み込んで仕事をするには全く不向きなのだ。
「ああ、それと。ネーナを食事に誘うとか言ってたやつは後で顔を貸せ。百年早いわ!」
「うわあ!」
男性職員の悲鳴に合わせて、周囲からドッと笑いが起きた。当のネーナは、オルトの横で嬉しそうにしている。エイミーはといえば、女性職員達に貰ったお菓子に夢中になっていた。
「全く……」
書類を流し読んで承認と却下に振り分けながら、オルトが愚痴る。
「そもそも俺は『支部長』じゃなくて、『臨時支部長代行』だろ? 仕事量多過ぎないか? というかこれ、仕事の割り振りが逆じゃないか? 明らかに一冒険者の俺が決裁の判断をしてるよな?」
オルトが書類と格闘するギルド支部長の机の隣には、支部長補佐であるエルーシャの机が並んでいる。
オルトが承認と却下に振り分けた書類をネーナが運び、エルーシャが承認のものだけ判を押す。職員の大半が同じフロアで仕事をしていて間仕切りも無く、オルトの状況が丸見えなのにも関わらず誰も指摘をしない。
「俺の『臨時支部長代行』って肩書き、一応処罰なんだぞ? 働かせるにしても決裁はさせちゃ拙いんじゃないのか? 他にギルド職員も『支部長補佐』もいるんだから、回せない筈が無いだろ」
『支部長補佐』であるエルーシャがニッコリと笑う。
「フリードマン統括は『支部長の業務をさせて構わない』と言ってましたよ。ねえ、カミラ?」
「確かにそう聞いたわ」
話を振られたカミラに加えて、他の職員達も頷く。オルトは額に手を当てた。
「あの野郎……俺には『職員達がいますし、休養と思ってのんびり構えていて貰って結構ですから』とか言っておいて……そそくさとリベルタに帰って行った訳だ」
ギルド本部の冒険者統括であるフリードマンは一連の事態の調査を終えると、職務停止中のラスタン支部長と【月下の饗宴】を伴い、リベルタのギルド本部へ帰還した。
フリードマンがオルトに下した処分は、後任のヴァレーゼ支部長が決まるまでの期間におけるオルトの冒険者資格を停止し、臨時支部長代行を務めるというものだった。給与は規定の半分に減額され、差し引かれた給与は冒険者やその家族が受け取る見舞金の基金へと寄付される。
オルトは抗弁する事なく、処分の受け入れを表明した。ラスタンへの暴行に関与したと認定されたネーナ、エイミー、レナにも別途処分が下り、所属パーティーとして【菫の庭園】も最長一ヶ月の活動停止が通告されている。
オルトは様々な情状酌量とアオバクーダンジョンでの一件が考慮されたものの、ラスタン支部長への暴行と拉致監禁を咎め無しには出来ず、処罰を受けている最中なのだ。
「この仕事量は処罰というより嫌がらせだろ……」
オルトが書類を手にボヤくと、カミラが苦笑する。
「だから、『無理だから分担しましょう』っていう体でやる筈だったのに。オルトさんはこなしてしまうんだもの」
「やらなきゃ良かったのかよ、何てこった……」
オルトはガックリと肩を落とした。職員達が好きな事を言い始める。
「さっきも溜まってた案件をすぐに処理しちゃってたよね」
「間違いなく、俺んとこの支部長より有能だわ」
「私のとこだってそうよ。元の支部に帰るのが憂鬱になるわよねえ」
「それよか、ここの次の支部長のハードルがめちゃくちゃ上がってね?」
「み、皆さん! お仕事に戻って下さい!」
レベッカが職員達を仕事に戻らせる。ギルド職員は全員が定時に上がれるようになったが、作業効率が大きく上がっている為にかなりの余裕がある。オルトの仕事を分担する事を見越していたのだろう。
カミラが遠い目をする。
「正直、エルーシャが『オルトさんの仕事はもっと振っておかないと一人で片付けてしまう』って言った時は、『そんな馬鹿な』って皆で笑ってたのよね……」
「仕事の量も勘弁して欲しいが、さっきみたいに支部長がやらなくていいものが多々混じってるのはどうにかしてくれ」
一応言ってはみたが、オルトも改善には期待していない。後任が決まれば常識的な線に落ち着く筈で、それを待った方が現実的だ。
「こっちの連中が気を遣ってくれても、どうせ本部は一ヶ月の間は俺を縛りつけておきたいだろうしな」
「そうなのですか?」
オルトの隣に座っているネーナが首を傾げる。オルトは頷く。
「ネーナが俺の名前で本部に脅しをかけたろ? 責任を追及されそうな奴らが、今頃必死で走り回ってるのさ」
「私はもしかして、余計な事をしてしまいましたか……?」
不安そうな顔をするネーナに、オルトは笑顔を見せる。
「逆だよ。ネーナが来所を要求した支部長人事やギルド支部設置の決裁をした担当者は、フリードマンに対応を押し付けて逃げたからな。俺が思ってた以上に、本部には俺に突っ込まれたくない人間がいるようだし、後は黙っていれば向こうが勝手に忖度して便宜を図ってくれるさ」
「お兄様、物凄く悪そうな笑顔です」
ネーナにもオルトの言わんとする所が理解出来た。
本部の担当者達は煩いオルトを謹慎名目でヴァレーゼ支部から動けなくしておき、その間に自らの失点を取り戻そうと必死なのだ。
オルトの行動はギルド職員や冒険者の支持や共感を得ているし、何よりオルト達はヴァレーゼ自治州の母体である公国と繋がりがある。フリードマンが本部に戻れば、その辺りも漏れなく報告するだろう。
少なくとも、ネーナ達【菫の庭園】やヴァレーゼ支部の職員達に不利益になるような事はしない筈。ネーナとしてはそれで十分であった。元々はオルトの処分の軽減が目的であり、それは達成されているのだから。
「あら。ネーナさんまでオルトさんみたいな笑い方してる。やっぱり兄妹ねえ」
カミラの指摘で我に返り、ネーナは慌てて咳払いをする。そしてオルトと顔を見合わせ、二人はプッと小さく吹き出した。
「ネーナは悪いやつだなあ」
「いえいえ、お兄様には敵いませんよ。うふふふ」
二人が笑いながら肘でつつき合っていると、ギルド支部の扉が勢い良く開かれた。
「今帰ったわよ!! オルトはどこ!? 今日こそ勝つんだから、勝負よ!!」
「面倒なやつが帰って来た……」
鼻息の荒いイリーナを先頭に、Bランクパーティーの【運命の輪】一行がやって来る。オルトは頭を抱え、ネーナや職員達、イリーナの仲間達まで苦笑している。
大剣使いのイリーナは、日帰り出来る時は凄まじい勢いで仕事を片付けて支部に戻って来る。そしてオルトに『勝負』をせがむのだ。投げられた棒を拾って来た飼い犬が、主人にご褒美を強請るのと変わらない。
イリーナとオルトのやり取りと『勝負』は、早くもヴァレーゼ支部の名物となっていた。
「騒ぐな水玉パンツ」
「なッ!? 今日は横縞――あ」
「イリーナ……」
イリーナの恋人であるクロスが、額に手を当てた。自ら下着の柄を暴露したイリーナは、赤面したまま口をパクパクさせている。
「教えたがりか? それとも見せたがりか? 冒険者ギルドにはそういうサービスは無いんだが、【運命の輪】はそっちで売る事にしたのか、メラニア?」
「いえ。イリーナだけの特別なサービスですから、直接交渉をお願いします」
「メラニアまで!?」
真顔で冗談に乗ったメラニアに、イリーナが愕然とする。オルトはイリーナを追い払うように手を振った。
「まだ仕事が残ってるんだよ。後で腰が立たなくなるまで相手してやるから、裏の広場で待ってろ」
「!?」
途端に支部の職員や冒険者から歓声が上がる。早くも、イリーナが何本取られるまで持つかの賭けが始まっていた。
「はわわわ、破廉恥ですお兄様!!」
「オルトさん、今の発言、少しセクハラ入ってるわよ?」
顔から湯気の出そうなイリーナが逃げるように建物の裏に向かい、ネーナとカミラはオルトの発言を咎める。
「騒がしいけど何かあった?」
逃亡を断念したレナも帰って来た。そのレナはオルトに向かって手を振る。
「オルト、お客さん――」
「――冒険者ギルドとは、賑やかな場所なのですね」
「マリスアリア様!?」
ネーナが驚きの声を上げる。レナに続いてギルド支部に入って来たのは、シュムレイ公爵マリスアリアであった。
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