第百十九話 だが、断る

「私、あのような仕合は初めて見ました!」


 胸の前で掌を合わせ、マリスアリアは目を輝かせた。ネーナが出した温めの紅茶を、毒見不要とばかりに一気に飲み干し、満足そうな表情を浮かべる。声が枯れそうな勢いで声援を送っていただけに、喉が渇いていて不思議は無かった。


「あんなに声を張り上げたのも、初めてだったかもしれません」


 恥ずかしそうに笑うマリスアリア。ガエタノ・シレアを始めとする護衛の面々が苦笑した。


 マリスアリアのギルド支部訪問は、以前のシルファリオ訪問同様にお忍びであった。


 オルトは公爵であるマリスアリアの用件に先に対応しようとしたが、オルトとイリーナの『勝負』の話を聞いたマリスアリアが強く興味を示した為、図らずも即席の御前試合になってしまったのだ。


 マリスアリアはネーナと並んで仕合を観戦し、庶民の食べ物や酒に舌鼓を打ち、冒険者達の賭けにまで挑戦して見事に結果を的中させた。護衛についた騎士達も、いつになく楽しげなマリスアリアの様子を見て、細かい事には目を瞑ったようであった。


「楽しんで頂けたのなら、何よりでした」

「それはもう。これまで様々な武芸や魔術の試合を見ましたが、今日ほど迫力のあるものはありませんでした。オルト様のお相手をされた方の闘志も見事でした」


 目が肥えている筈のマリスアリアが満足した様子を見せた事で、オルトは安堵していた。


「彼女はそう遠くない将来、剣士として名を挙げるでしょう。素晴らしい才能と強い心を持っていますから」

「それは楽しみですね」


 オルトやマリスアリアがいる応接室に、イリーナの姿は無い。オルトが宣言通りに、イリーナが立てなくなるまで仕合を続けたからだ。結果、【運命の輪】は翌日休養する事になり、オルトはエルーシャやカミラから大目玉を食らう羽目になった。


 現在応接室にいるのは、ギルド職員のエルーシャとオルトを含む【菫の庭園】の面々、マリスアリアとその護衛三名だ。


 護衛の一人、ガエタノ・シレアがマリスアリアを促す。


「公爵殿下。そろそろ本来の御用向きを」

「そうでしたね」


 マリスアリアは頷き、表情を改めた。


 旧コスタクルタ伯爵領、現在のヴァレーゼ自治州はシュムレイ公国の一部とはいえ、領主を置かずに市民中心の議会が施策を決定する議会制民主主義を敷いている。


 政治体制の異なる別々の国のようなもので、本来はマリスアリアが気軽に来れる場所ではないのだ。それを推してやって来たのは、アオバクーダンジョンの報告を直接受ける為、そしてオルトへの処分に対して、冒険者ギルド本部を牽制する為であった。


 用件を聞いたオルトが目配せすると、エルーシャが応接室を退出し、資料と報告書を手に戻って来る。


 説明を聞き終えたマリスアリアが溜息をついた。


「異世界の魔王、ですか……」

「我々のパーティーメンバー以外は見ておりませんので、信憑性に欠ける情報である事は否めませんが」


 オルトの言葉に、マリスアリアは頭を振った。


「信じます。私の恩人の言葉ですから。それに、の内容とも一致しております。よくご無事で戻られました……」


 アオバクーダンジョンには州軍が調査に入っている。第三層の祭壇が召喚の門を開くものであるのは疑いの余地は無いが、まだ機能が生きているかどうかは、魔術的な見識を持つ者が調査する必要がある。州軍では足りない。


 スミスは勇者パーティー時代のコスタクルタ伯爵とのトラブルを引き合いに出し、伯爵が古代の遺跡や封印に目を付けていた事を指摘した。


「シュムレイ公国はかつてのセレスティア王国の一部地域を国土としています。アオバクーダンジョンのように、『異界の門危機ゲート・クライシス』級の災禍に繋がりかねない遺跡や遺物が他にあっても不思議ではありません。尋問だけでなく、旧コスタクルタ伯爵家の私有地等を早急に調査すべきです」


 マリスアリアは、スミスの進言に大きく頷いた。


「スミス様の仰る通りです。ですが、自治州政府は未だ全域を掌握している訳ではありません。旧伯爵家に連なる者達が私有地に籠もり、抵抗しているからです」


 公国も自治州に助力してはいるが、マリスアリアの公爵家は、宮廷から排除したホワイトサイド伯爵家との睨み合いが続いている。とても自治州に集中出来る状態ではない。


「ネーナ」

「あっ、はい」


 ネーナに一声かけた後、回りくどい話を避けるように、静かな口調でオルトが尋ねた。


「――今日、公爵殿下がお見えになった本当の理由は、その辺りですね?」


 その一言に、マリスアリアと護衛達の表情が固まる。


 旧コスタクルタ伯爵が懇意にしていたのは、所謂マフィアやギャング、秘密結社といった類いのもの。盗賊ギルドでさえ取り込めないような深い『闇』が、一部の私有地を占拠している。


 旧領主軍崩れの野盗相手なら兎も角、同じ旧領主軍を解体して主力に再編した州軍が、武闘派の反社会的勢力を制するのは無理筋と言える。現有戦力で賄えないならば、外注するしかない。


「冒険者に反社勢力の拠点を落として貰いたいと。そういう話ではありませんか?」

「…………」


 沈黙。オルトはじっと返事を待つ。暫しの後、マリスアリアが溜息をついた。


「……オルト様は、どこまで見通されているのですか?」

「『冒険者ギルドを味方につけた』という実績を手土産に国内の各勢力を口説き落として、『対反社連合』を結集させる事。北セレスタとカナカーナの傭兵ギルド支部の協力は得られなかった事。そして最終的には――」


 真っ直ぐに見据えるオルトの圧にこらえかね、マリスアリアが目を逸らす。


「冒険者ギルドを矢面に立たせて戦わせた後で切り捨て、泥沼化した反社会的勢力との抗争を手打ちにする事」

「そんなっ!?」


 一度は目を逸らしたマリスアリアが、オルトの物言いに抗議するように立ち上がった。護衛の三人も剣呑な視線をオルトに向けるが、オルトが一瞥すると額に汗を浮かべ、それ以上のアクションを起こせずに立ち竦む。


「私が今申し上げたのは、非常にシビアな予測のシナリオが現実になった時に起こり得る事です。公爵殿下の意思に関係無く、周囲に求められてその決断を下さざるを得なくなります」


 反社が潜む闇は、人々の日常のすぐ裏側にある。排除しようとすれば、必ず手痛い反撃を受ける。受ける被害を鑑みて、反社勢力と戦おうと考える者はいる。しかしそれを完遂出来る者は稀だ。敵が中々実体を掴ませない上、巧妙にこちらの泣き所を突いてくるからだ。


 マリスアリアが屈せずとも、周囲の者や協力した勢力が折れる。各個撃破で次々に崩され、戦線の維持が不可能になる。


『対反社連合』の敗北が見えてくると、終戦を模索する動きが出始める。そこでマリスアリアを守ろうとする勢力と、マリスアリアを利用しようとする敵勢力の利害が一致する。


 両者は手を組み、連合の最大戦力である冒険者ギルドを潰しにかかる。その時には傀儡となっているマリスアリアに為す術は無い。


「公爵殿下がヴァレーゼ自治州まで含めた公国民の生命を背負っているように、暫定的ではあっても私もギルド支部長です。所属する冒険者や職員、その家族の生命と財産、生活を背負っています」


 職員や一部の冒険者は非戦闘員で、身を守る術を持たない。だが敵が狙うのはそういう者達なのだ。生き残りを賭けた争いに、騎士道のような甘いヒューマニズムが介在する余地は無い。


「先程、公爵殿下は『自治州と共有している情報』と仰られました。冒険者にとっても情報は生死に直結する命綱なのですよ。まして仲間や部下、その家族や知人の生命がかかるとなれば情報を掻き集め、起こり得る事態を想定するのは当然の事です」


 レナが軽く鼻を鳴らし、エルーシャは微笑む。二人は情報収集において大きな役割を果たしていた。


 オルトはマリスアリアに、提示した見通しへ対する返事を求めていた。大きな犠牲を払っても戦い抜く覚悟はあるのか。勝利条件をどこに設定しているのか。そこに至る道筋を見出しているのか。


「反社勢力と戦う為には、多くの勢力が対立を乗り越えて手を組み力を合わせなければなりません。皆で話し合い、同時に一歩を踏み出す必要があります。協調し戦い抜き、必ず勝利を収めるのだと全ての者が誓って、漸く戦いを始められるのです」


 実際の戦闘は冒険者ギルドが多くを担う事になるとしても、戦いを主導するのは自治州であり公国であり、自治州に住まう者達の意思が不可欠なのだとオルトは強調した。故に冒険者ギルドが率先して戦いを主張する事は無い。


「はっきり申し上げます。冒険者ギルド支部長として、私が今この場で公爵殿下に協力を確約する事は出来ません」


 オルトの言葉に、マリスアリアが息を呑む。オルトは席を立った。


「積もる話もあるでしょうから、ゆっくりしていって下さい。ネーナ、スミス。公爵殿下のお相手をして差し上げなさい。エルーシャ、俺は職員達のワーキングスペースにいる」

「承知しました」

「私も行くよ〜」


 エルーシャが頭を下げ、オルトはエイミーを伴って応接室を退出した。重苦しい沈黙が室内を支配する。




 ネーナが首を傾げた。


「……ええと。どうなさったのですか、マリスアリア様?」


 俯いていたマリスアリアが顔を上げた。沈痛な面持ちでネーナに応える。


「……ネーナ様は、只今のやり取りを聞いておられなかったのですか? 冒険者ギルドの助力が無ければ、このヴァレーゼが真の自治を行う事は不可能なのです」

「はい、承知しております」


 ネーナは頷いた。冒険者ギルドが臨時支部という形でヴァレーゼ自治州に支部を復活させたのは、現状の州軍だけでは治安の維持もままならないという事情を鑑みての事だ。


「それではネーナ様もおわかりでしょう? オルト様がギルド――」

「あの。マリスアリア様は何か勘違いをされておいでではありませんか?」

「勘違い?」


 マリスアリアが護衛のガエタノに視線を向けるが、ガエタノも首を横に振ってネーナの言わんとする所が理解出来ないと伝えた。


「お兄様は、ギルド支部としての協力を断ってはおりませんよ」

「で、でも確かに……」

「『今この場で協力を確約は出来ない』としか、お兄様は申し上げておりません」

「あっ」


 マリスアリアの得心がいった事を察し、ネーナは微笑んだ。


「今回のようなケースでは、個別に交渉して協力を求めるやり方は疑念を招く為に適さないかと。それぞれの勢力や団体を一堂に集めて、まず自治州と公国の意思を示すべきだと、お兄様はそうお考えなのだと思います」


 フェスタが話を引き継ぐ。


「公爵殿下は先程のやり取りで、オルトに協力を求める発言はされておられません。オルトは自分から話を切り出し、見解を述べました」


 公爵であるマリスアリアから要請を受ければ、オルトは何らかの返答をしなければならなくなる。オルトは非公式の場ではあっても、マリスアリアの面子を潰す事を避けたのだった。


「オルトは我々に、公爵殿下が必要とされたならば知恵をお貸しするようにと言いました。この部屋にはネーナが遮音結界を展開していますので、話が漏れる心配はありません。ギルド支部の周囲で怪しい動きをしている者がいても、エイミーが対処するでしょう」

「ああ、ああ……」


 マリスアリアが感極まった声を漏らす。


 ギルド支部長として正しい行動をオルトは見せた。だがその事でマリスアリアが危機に陥るならば、オルトは冒険者として、人として正しい行動を取るだろう。言葉にせずとも、仲間達はそう確信していた。


 ――やっぱりお兄様は凄いです。私も頑張ります!


 ネーナは誇らしい気持ちで居住まいを正し、マリスアリアに告げた。




「さあ、マリスアリア様。時間はあまりありませんよ。話し合いを始めましょう?」

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