閑話十一 あの娘の道を阻む者があるならば
「糞ったれが!!」
浴びせられた怒声に僅かな反応も見せず、冒険者のグループが酒場を出て行く。閉じた直後の扉に酒瓶が当たり、大きな音を立てて割れた。
「何か文句でもあんのか!?」
離れて見ている酒場の客を、ワドルが威嚇する。程々に賑わう酒場にあって、ワドルの周囲だけは一人も客がいなかった。
「俺に喧嘩を売る度胸も無え奴等が!!」
ほんの少し前迄は、ワドルに向けられる視線は畏怖と称賛に満ちたものだった。今は違う。侮蔑と嘲笑。それはワドル自身が他者へと向けていたものだ。
そんなものが自分に向けられていい訳が無い。怒り心頭のワドルが立ち上がろうとした時、熱くなった頭に冷水を浴びせるような声が投げかけられた。
「ワドル、暴れたいなら外へ出ろ。ここは酒場だ」
割れた瓶を片付けた店主は、多少腰の引けた様子を見せながらもハッキリと言った。今迄は考えられなかった事だ。
「ああ!?」
「凄んだって無駄だ。これからは、呼べばガードが飛んで来る。以前のように我が物顔に振る舞えるなんて思うなよ」
この『崖っぷち鼠亭』は、
やって来るのは柄の悪い客ばかり。そんな店でワドルは暴君さながら、気の向くままに暴れ、女を抱き、酒を食らった。おべっかや愛想笑いはあれどワドルを咎める者などいなかった。――僅か数日前までは。
「チッ!」
舌打ちをしながら席を立つ。そのまま店を出ようとしたワドルを、店主が呼び止めた。
「ああ!?」
「お代を貰ってないぞ、ワドル。パーティーを追放されたなら、今迄のツケも纏めて払ってくれ」
先刻の冒険者達とのやり取りを指摘され、ワドルの顔が怒りに歪む。クスクス笑う客の声が怒りに油を注いだ。
「代金はテーブルに置いてくれ。投げれば『暴行を受けた』と訴えるぞ。客が証人だ」
腰の硬貨袋を外して投げつけようとしたワドルを、店主が制する。爆発寸前の怒りを乗せた袋を叩きつけられ、頑丈なテーブルが悲鳴を上げた。
「これで良いだろうが。まだ何かあんのか!?」
「……いや。毎度」
真っ青な顔の店主にいくらか溜飲を下げ、ワドルは酒場を後にする。乱暴に扉を閉めると、店内で歓声が上がった。
「……チッ」
ワドルは再び舌打ちをして歩き出した。
たった数日の間に、ワドルを取り巻く環境は大きく変わってしまった。
今のワドルを他者がどう言っているか。治療院で治療師を恫喝し治療の継続を拒否され、半ば追い出される形で退院したワドルは知る事になる。
『
ワドルにその評判を教えた男は、ワドル自身の手で半殺しの目に遭わされる羽目になった。今迄ならば、誰もが彼に恐れをなして口を噤み、それで話は終わっていた。
だがこの時は、ずっと見て見ぬふりをしてきたフリーガードが通報を受けて駆けつけたのだ。
二十人以上のガードと大立ち回りを演じて暴行容疑に公務執行妨害を上乗せしたワドルは拘束され、所属パーティーのリーダーが多額の保釈金を積んで漸く解放された。
その後ワドルとパーティーメンバー達はギルド本部に呼び出された。『新任の冒険者統括』であるフリードマンは、ワドル達に必ず教育研修を受けるよう伝え、研修を受けなかった場合や素行が改まらなかった場合は冒険者資格の停止や剥奪、ランク降格等の厳しい処分を課すと告げた。
前任のコンラートの時は口頭の注意のみ。呼び出しは大概無視し、その注意すら受けてはいなかった。それで構わなかったのだ。コンラートは統括を解任され、ギルドの役員を自ら辞したのだという。
『今後は冒険者同士のトラブルであろうとリベルタの法が適用される。逮捕拘束された理由や経緯を妥当と判断すれば、冒険者ギルドはガードに介入しない』
フリードマンは、冒険者の実績もランクも関係なく法を遵守しろと言う。今更そんなものを受け入れられる筈が無い。憤懣遣る方無いワドルは酒場に向かうが、到着するなり所属パーティーのリーダーからパーティー追放を宣告される事になる。
『これはメンバーの総意だ。多少の悪評も君の実力ならば問題にならないと考えて声をかけたが、どうやら見込み違いだったようだ。君も十分愉しんだろう。我々も君を利用させて貰ったが、それもここまでだ』
呆然とするワドルに、リーダーの女性が淡々と言う。他のメンバーが何も言わない辺り、『総意』であるのは確かだと思われた。
『保釈金は餞別代わりだ。パーティー脱退の手続きはこちらでやっておく。ではな』
リーダーは迷惑料として店主に幾許かの硬貨を手渡すと、仲間達と共に酒場を出て行った。
「糞ッ! 糞糞ッ!!」
路地に入ったワドルは、近くに積まれていた木箱を力任せに蹴り壊した。隠れていた猫が悲鳴を上げて逃げ去る。
「一体何だってんだ!!」
往来で向けられる蔑みの視線に耐えかねて、ワドルは路地に逃げ込んだのだ。今迄のように暴れれば、再び留置場行きだ。最早保釈に動いてくれる者もいない。
「糞っ、あの女……俺を切り捨てやがった!!」
前所属パーティーのリーダー、シンディへの恨み節が口をつく。利用し合ったのはお互い様だが、ワドルにパーティーへの加入を打診したのはシンディなのだ。
シンディは非常に野心的で、上昇志向の強い女性だった。ワドルをパーティーに加える事で一気にランクと名声を手に入れようとしたのだ。ワドルはシンディが自分の情婦になる事を加入の条件としたが、シンディは一も二もなく受け入れた。
シンディはいい女だった。ワドルが望めばいつでも事に応じ、決してワドルを飽きさせなかった。暫くはワドルの女癖の悪さが鳴りを潜めた程である。
だがシンディに打算以外のものが無かったのは明らかだった。ワドルに利用価値が無くなったと判断すれば、サッと掌を返してパーティーを追放をした。
『君は自分が思っている以上に敵が多い。手遅れかもしれぬが気をつけるのだな』
去り際の言葉と見下した視線を思い出し、またもや怒りがこみ上げてくる。
「糞っ!!」
シンディ達はリベルタを離れると言っていた。今後の活動を考えれば、ほとぼりが冷めるまで拠点を移すのは妥当な判断だろう。一泡吹かせるにしても、今追いかけるのは無駄だ。
そもそもどうしてこんな事になっているのか。そう考えたワドルの脳裏に、一人の少女の姿が浮かぶ。
緩いウェーブがかかった、ストロベリーブロンドの髪。透明感のある青い瞳に白く美しい肌。均整の取れた肢体。貴族や資産家の令嬢のような、落ち着いた佇まい。シンディが霞む程の美少女だ。
この少女に不覚を取ったのが全ての始まりであった事を思い出す。全ての怒りと共に、下卑た欲望が頭をもたげ、少女に向けられる。
「……攫って、犯っちまうか」
不覚を取ったとはいえ、ワドルも多分に油断していた。一度捕まえてしまえば後衛の魔術師、それも少女。どうとでも出来る。
非合法の薬や魔道具を使ってもいい。泣き叫ぶのを無理矢理も悪くない。ワドルの顔に悪い笑みが浮かぶ。
「ネーナとか言ったな、あのガキ」
『予想に違わぬクズで安心したぞ』
「っ!?」
返ってくる筈の無い返事が唐突に聞こえ、ワドルは狼狽えた。
路地の奥から、カツンカツンと底の硬いブーツが地面を蹴る音が近づいてくる。
建物の切れ目から差し込む僅かな日差しが、一瞬だけ相手の姿を照らした。ワドルはその男の顔に見覚えがあった。
「てめぇ……」
ワドルに罵られ、全身に酒を浴びせられてもやり返して来ない臆病者。Aランクの昇格審査の為の模擬戦で、ワドルが対戦相手を務める筈だった男だ。ワドルは治療院送りになり、その後審査がどうなったのかは聞いていない。
だが、ワドルにはそんな事はどうでも良かった。これから探そうと思っていた
「てめぇ――」
「教える訳が無いだろう」
用件を言う前に、男はワドルの言葉を遮った。
「お前じゃ
男が一歩踏み出す。ワドルは男の様子に戸惑いながらも身構える。
「でもな。あの娘はそれでいいんだ。心を殺す必要なんて無い。その代わり――」
男が剣を抜いた。
――あの娘の道を阻む者があるならば、全て俺が斬る。
ワドルの全身から汗が噴き出す。この期に及んで、ワドルは漸く理解したのだ。
全ての始まりは、ワドルが
この世の物とは思えぬ絶叫が辺りに響き渡る。
通報で急行したガードは、血の海の中で狂った様に謝罪を続けるAランク冒険者ワドルを発見し、再び治療院に搬送したのだった。
◆◆◆◆◆
北セレスタへの帰路にある馬車の中は、シンと静まり返っていた。
シルファリオを出発したシュムレイ公マリスアリアの一行が公爵領に入った直後、突如野盗のような一団の襲撃を受けたのだ。
マリスアリアの出国は完全に非公開の筈であった。公爵家の家臣でも限られた者しか知らず、同行者を絞る為にアラベラの父のガエタノ・シレアを通じて冒険者の【明けの一番鶏】にも依頼した。それが漏れていた事に、一同は驚きを隠せなかった。
「ラーンの書状の内容より、現実は更に酷かったと……」
公爵家の騎士であるイルクナーが頭を抱える。若き騎士ウーベ・ラーンが命を賭して守り、アラベラに託した書状には、コスタクルタ伯爵家とホワイトサイド伯爵家の繋がりと企み、そしてシュムレイ公爵家に入り込んだ間者の存在について細かく記されていた。
襲撃者は窮地に追い込まれた二つの伯爵家どちらかの手の者と見るのが筋だ。こうなっては、大掛かりな粛清は避けられない。公爵家の中においてもだ。
「最も信頼出来るのが、ガエタノが率いてくれた中立派貴族とは……これも私の不徳の致す所でしょうね」
マリスアリアが自嘲気味に言う。
コスタクルタ伯爵領から生還したアラベラは、公国騎士に包囲されたギルド支部をカミラと共に抜け出し、休む間も無く父親であるガエタノにラーンから託された袋を手渡した。
ガエタノとその父――アラベラから見れば祖父――はその清廉さと人望を疎んだ他の貴族によって陥れられ、生活に困窮するまでに追い込まれていた。マリスアリアの知らぬ所で。
ガエタノは騎士の叙任を受けた頃のラーンを指導した事があり、そのラーンの書状に目を通すや公爵派でも伯爵派でもなく、中立派に属する知人や友人に頭を下げて協力を求めたのである。
困窮しているガエタノを気にしながらも、迷惑をかけまいと頑なに援助を拒まれていた知人達は、私心を滅したガエタノの訴えに奮い立った。
伯爵派に押されていたマリスアリアは、馳せ参じたガエタノ達中立派の助力で盛り返し、間者の排除に手を着ける事が出来たのである。ガエタノはマリスアリアの護衛に抜擢され、近々に昇爵を受ける事になっていた。
「しかし次の粛清で、また人材不足が露呈しますな……」
暗い表情のガエタノに、マリスアリアは頭を振って応える。
「この国を担うのは貴族だけではありません。身分の違いが障害になる時代が終わる時が来たのでしょう」
マリスアリアは寄り添うアラベラとコリンに微笑みを向ける。二人は赤面して俯いた。それらを見るモリーは、マリスアリアが身分の差故に結ばれなかったラーンへの思いを重ねているように感じていた。
「この命は何度も救われたものです。私は、貴族の上院と平民の下院、二つの議会による政治体制を導入し、最後のシュムレイ公爵となるつもりです」
「マリスアリア様……」
「市民の暮らしを脅かす貴族が権力を持つべきではありません」
マリスアリアは馬車の窓から後方を見た。そこには、疾風のように現れて襲撃者の一団を蹴散らしたフェスタとレナの姿があった。
「彼女達のお陰で無事に帰還が果たせそうです。私は与えられた時間で、私に出来る事をします。皆も力を貸して下さい」
馬車の中にいる者達が、マリスアリアに頭を下げた。マリスアリアはラーンの形見となったブローチに手を当て、空を見上げて思いを馳せる。
――いつの日か。再び
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